⑧シルバータウン

「ただあの子の夢は、私ら以外には『夢』にしか聞こえないみたいでね」

 言いにくそうに告げ、マーシャはパジャマの裾を揉む。

「……判るかな」

 小さな声で応えると、シロは懐かしそうにSOTOBAそとばを眺めた。

瑪瑙めのうさんもソフィアさんも一杯笑われて、沢山反対されたって言ってました。お兄ちゃんも町内中に爆笑を轟かせて、ご近所さんに怒鳴り込まれたっけ」


「あの子、〈詐校さっこう〉にも通ってないんだよ。もう二年になるかねえ。ある日突然、お気に入りのパーカーをビリビリにして帰って来たんだ。私が結構キツめに言ってたから、〈詐校さっこう〉に行きたくないって切り出せなかったんだね」

 マーシャは悔いるように項垂うなだれ、丸く肥えた身体をぎゅっと縮めていく。情けないと言わんばかりに落とした肩が、声の代わりに訴えている。この世から消えてしまいたい。


 おばちゃんが気に病む話じゃない!

 悪いのは意地を張った私なんだ!


 タニアは実際に叫びそうになるのを必死にこらえ、心の中で連呼する。だが何度もタニアを受け止めてくれた大きな身体が、元のサイズに戻る気配はない。


「どうだい? 正直なところ、あの子の夢は叶うと思うかい?」

「叶います。タニアさんが信じ続けられるなら、絶対に」

 一切逡巡しゅんじゅんを見せることなく――そう、シロは無愛想なようにも思える口調で断言する。


 真剣勝負でも申し込むように、まっすぐマーシャを見つめる眼差し――。


 シロが口にしたのは、その場しのぎの言葉ではない。


「けど、気持ちだけじゃ乗り越えられない壁もあるだろう?」

「乗り越えられないなら、乗り越えられるまで挑み続ければいい。今日出来なかったからと言って、明日も出来ないとは限りません。日に一歩しか掘り進められないトンネルだって、投げ出さなければいつか必ず壁の向こうに出る。〈ひめ〉の選抜試験に年齢制限はありません。本人が諦めない限り、死ぬまで結論は出ないんです」


 理屈は判っても納得出来ないのか、マーシャは焦れったそうに髪を揉む。

「そうは言うけど、あの子が目指すのは三〇〇年に一人しかなれないお役目だろう? コツコツと頑張るだけでどうにかなるとは思えないさね。〈ひめ〉さまってのは生まれ付き、一教わったら一〇学んじまうような方たちなんじゃないのかい?」

「どちらかと言うと、あんまり要領がよくなかったような。被災地に送る千羽鶴が、黒魔術っぽい出来になっちゃうこととかザラでしたし。なまじ頭でっかちな分、一から一〇まで理詰りづめで説明してもらえないと実践出来ないんです」

 決まり悪そうに頭を掻き、シロはテレビの上に羨望の眼差しを向ける。アルハンブラの力作である五イェン玉製のカメさんが、優雅に甲羅こうらししている場所だ。


「世間様がドン引きするほど粘着質で、いつまでも〈ひめ〉に執着し続けられた――特別なことがあったとするなら、たぶんそれだけです。〈人魚姫にんぎょひめ〉さんなんか一〇歳の時に奢ってもらったのっちゃんイカの話を、二〇歳はたち過ぎても持ち出して来るんですよ」

「うちには家庭教師を雇ったり、〈専門せんもん詐校さっこう〉に通わせたりする余裕もない」

「恵まれてるとは言えないけど、問題ありません。〈荊姫いばらひめ〉はほぼ小卒だし、〈人魚姫にんぎょひめ〉さんの家庭教師は自宅警備員です。〈詐連されん〉には立派な図書館もある。博物館とか美術館も〈大詐校だいさっこう〉までタダですしね。学芸員さんに質問すると、嬉しそうに答えてくれるんですよ」

 そこまで言うと、シロは突然辺りを見回し始める。

 一通り人目がないことを確認すると、シロはしーっと口の前に人差し指を立てた。声を潜め、あくどくほくそ笑む姿は、わいろを要求する悪代官そのものだ。

「……踊りの審査なら大丈夫。ヲヴァQ音頭でも披露してやりゃ翻弄出来ますから。いいとこのぼっちゃん連中……ゴホン、審査員の皆さんには、クラーケン焼き臭い盆踊りが個性に見えるらしいんです」


 表情から負の臭いを消し、シロは力強く頷く。

「だいじょぶです、絶対。タニアさん、どうしようもない〈荊姫いばらひめ〉のことだって信じ続けられるんですもん。私なんかより何倍も……ううん、何十倍も強いです」

「……そうかい」

 気が抜けたのか、マーシャはタニアを案じ、険しくしていた表情をやわらげていく。逆さにし、テーブルに乗せてあった丸椅子を取ると、マーシャはシロの横に腰を下ろした。


「シロちゃん、この町をどう思う?」

 訊かれたシロは、顎に手を当てて少し考え込む。

「よく判らないって言うのが本音かな。感想を言っていいほど時間もってませんし。ただ住民の皆さんの雰囲気とか表情とかは、〈ブロッケン〉によく似てます」

「私はこの町が好きさね。ターニャくらいの頃から暮らしてきたところだしね。でも、ずっと今のままってわけにはいかないさ。近い将来、この町は統廃合されるだろう」

 マーシャは壁に目を移し、ずっと前に終わった砂見すなみまつりのポスターを冷ややかに眺める。


「通りに人が溢れるのは大型連休くらい。頼りの観光客が落としていくお金も、一年の生活費には遠く及ばない。近頃はどこが店を畳もうが驚かなくなったさね」

 どれほど商店街にシャッターが増えたところで、流れもののシロには無関係な話だ。なのに、シロは自分の力不足を呪うかのように、パジャマの裾をぎゅっと絞っている。


勿論もちろん、責任は私たちにあるさね。砂見すなみさまが人を集めて下さるのを待つだけ。何一つ新しい価値や目玉を創造して来なかったんだから」

 自省じせいにしては柔らかい口調で言い、マーシャはそっとシロの肩を叩く。タニアの目に映る光景を状況証拠にするなら、商店街の関係者はシロのほうだ。

「この町の平穏なんて仮初かりそめさね。そもそもが安全の約束されてる中央の町とは違う。人間の目をくらませてくれるはずの〈ILSイルス〉は旧式。ハメを外せば、すぐに見付かる。見付かれば、人間は私らを排除しようとする」

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