⑥ブラックストーム

「特撮、ねえ。ターニャもこっちに越してきたばかりの頃は、テレビにかじり付いてたっけ。あの子はこう、見るからに色恋よりドンパチだろう? 女の子向けのアニメとかじゃ、ケレン味が足りないみたいでねえ」

「タニアさんが見始めた頃って言うと、五年前か六年前ですね。私は一一人目をしてるんです。あ、でもデザイン的には一〇番目が好きかな……いやいや、登場人物の造型は一二番目が一番……けど殺陣たてのカッコよさなら一四人目だし……」

 ハイロックさんの演技力が、いいやニジョーさんの脚本が、そもそもペッパーさんの作詞が――と全身を揺り動かしながら熱弁するシロは、〈荊姫いばらひめ〉さまを語るタニアそのものだった。下手に話をさえぎろうものなら、刃物の一つや二つ振り回すかも知れない。


「へ、へえ、そうなのかい」

 大いに顔を引きつらせながらも、マーシャは懸命に相づちを打っている。何だか日常を第三者視点で突き付けられている気になってきたタニアは、柱のかげからマーシャに頭を下げてしまった。

「私の家はお父さんもお母さんもいなかったし、お兄ちゃんも自宅を警備してるような人だったから、おもちゃとかあんまり買ってもらえなかったんです。でも諦めきれなくて、毎日おもちゃ売場に通ってたら……」

 意気揚々と昔話をしていたはずのシロは、唐突に下唇を噛み、眉間を寄せていく。緩く丸めていた拳に血管が浮くと、憎々しげに握り締められたSOTOBAそとばうめくようにきしんだ。


「……お兄ちゃんがもっとすごいのを作ってくれたんです」

 語尾に消え入りそうな笑みを付け足し、シロは床と見つめ合う。現在いまを映せるとは思えないほど細めた目は、明らかに過去を眺めていた。

「日記盗み読みするし、最前列で妹のローアングル狙ったりするし、ともかく最低最悪なお兄ちゃんだった。けど、ヘンテコな発明をする才能だけはあったから」

「……そうかい」


 シロにお兄さんがいる――。


 無銭飲食の最中は勿論もちろん、夕飯時にも聞かなかった話だ。

 だがマーシャは、初耳の話題を掘り下げようとはしない。

 それどころか、短く返事をしただけで大きな口を閉じてしまった。仮に打ち明けられたのがタニアだったとしても、マーシャと同じ反応をしただろう。

 昼間、無事を報告しろと勧められた時、シロは「家族がいない」と明言していた。初耳の兄に話題を向けても、シロの顔が晴れるとは思えない。


「……星を観てたのかい?」

 シロの気持ちが落ち着くのを待ったのだろうか。

 マーシャは少し時間を置いてから、サッシの向こうをあおぐ。

「肌を冷まそうと思って」

 質問に答えると、シロは赤く日焼けした頬に手を当てた。

「なら遠慮しないで、もっとサッシを開けばいいのに。心配しなくても大丈夫だよ。こんなさびれた田舎町だ。玄関が開けっ放しだったところで、他人様ひとさまの家に忍び込む物好きなんていないさね」

 太鼓判を押すように頷き、マーシャはほぼ閉まったカーテンに手を伸ばす。


 開けなかった。


 花柄のそれを握った瞬間に、腕を掴まれたから。


 マーシャの袖を固く絞るシロは、小刻みに首を振っている。正面を向けずに床と見つめ合う瞳は、ナイフを突き付けられたように見開かれていた。


「変わってるだろう?」

 止める理由も訊かずに微笑むと、マーシャはカーテンの隙間から星空を眺めた。紅蓮に蒼白、山吹色やまぶきいろ――と、畳のへりより細いそこは、色とりどりのきらめきたちで混み合っている。

 宝石をもかすませる輝きは地上の星々と同じなのだが、〈ロプノール〉のそれは水面に映った月のように輪郭がとろけている。外界の風に合わせて揺らめく姿は、妖艶とも風雅ふうがとも言えない独特の味わいを持っている。「太陽系第三惑星の歩き方」に、「星の舞踏会」などと持ち上げられるのも納得だ。


「この町の空は空じゃない。星も星じゃないのさ。あれはね、全部地上のロプに映った『鏡像』なんだよ」

「聞いたこと、あります」

 辿々しく返し、シロは命綱のように握っていた袖を放す。

詐術師さじゅつし〉の町〈ロプノール〉は、タクラマカン砂漠東部の湖「ロプ」にある。とは言え、水中に町があるわけではない。町は湖面を入口とする「超空間」に存在している。

 湖面に設けられた「門」を潜るには、〈詐術師さじゅつし〉しか使えない〈詐術さじゅつ〉が不可欠だ。仮に人間が入水じゅすいしたとしても、土左衛門どざえもんに改名することにしかならない。運がよければ塩湖えんこであるロプの水をガブ飲みし、しょっぱい思いをするだけで済むだろう。


 砂漠とは異なる空間にある町は、強い日差しや熱風の影響を一切受けない。また内部の環境は〈詐術さじゅつ〉で制御されていて、極東の四季を参考にした過ごしやすい気候が保たれるようになっている。

 それでいて風がじゃりじゃりしているのは、外界に出掛けた船や人が砂をくっつけてくるせいだ。タクラマカン砂漠の砂は砂場や海浜かいひんのそれに比べて、極めて粒子が細かい。そのため、ふるった砂糖のように舞い上がりやすく、ただ砂漠に立っているだけで舌や鼻の穴がパサパサしてくる。


 何の対策も取らずに精密機器を持ち込めば、砂塵の餌食になるのは言うまでもない。海辺を散策する気分で砂漠に足を踏み入れた観光客が、カメラ片手に半ベソをかくのはお約束になっている。「機動戦士マンダム」の「ジャク」に砂漠仕様があるのは、金型を新造せずにプラモのラインナップを増やすためではないのだ。


 強風に巻き上げられた砂塵は、時に海をへだてた極東にまで到達し、空を黒く濁らせる。これが黄砂こうさだ。また春先のタクラマカン砂漠は砂嵐のメッカで、特に強烈なそれは「カラブラン」と呼ばれる。

 ウイグル語で「黒」を指す「カラ」と「嵐」を意味する「ブラン」を合わせた名前からも判る通り、瞬間風速三〇㍍に迫る暴風は、猛烈に吹き荒れる砂で視界を黒く塗り潰してしまう。人体は勿論もちろん、建物さえ薙ぎ倒す破壊力によって、砂漠を行く隊商たいしょうが命を落とすことも少なくなかったそうだ。到底人の手には負えないその恐ろしさは、ウイグル族の民謡にも歌われている。


 超空間の入口は立地によって様々で、太平洋上の町は幽霊船の船倉せんそうに設定しているし、月面の町にはロッカーから入る。

 本来、人工的に作られた超空間はドーム型球場のようなもので、昼夜や季節の変化はない。ただそれでは味気ないのか、多くの町は気象制御の設定に合わせて空の映像を作成し、超空間の内壁に当たる天球に映し出している。


 一方、〈ロプノール〉の場合は晴れ渡った空を利用しない手はないと言うことで、湖面に映ったそれを内壁に映し出す仕様にしたらしい。つまりタニアたちのあおぐ輝きは、砂漠の上に広がる星々そのものではない。いや星や月どころか空自体が、穏やかで澄んだ湖面に映った「鏡像」だ。


「若い女の子の間じゃ、流れ星が映ると恋が実るなんて噂もあるらしくてねえ」

 脱力気味に笑い、マーシャはぽりぽりと頭を掻く。

「おかしなもんさね。私たちにとっちゃ日常の風景なんだよ? ただまたたくだけのお星さまなんか観た日には、逆に不自然に思えるくらいさね。なのに余所よその連中と来たら、あーでもないこーでもないって騒ぎ立てる。勝手に別の意味を見出してね」

 素っ気なく星々に背中を向け、マーシャは諦めたように首を振る。

「まあ世の中なんてそんなものなのかも知れないねえ。私たちが特別に思ってることだって、余所よそさまに言わせれば何でもないんだよ、きっと」


「……私にはよく判らないや」

 直前まで下唇を噛んでいたシロは、少し表情をやわらげ、SOTOBAそとばの先で額を小突く。タニアには見当も付かないが、マーシャの言葉に何か感じることがあったのかも知れない。

「おやおや、最近の若い子にしては頭が固いねえ。ターニャといい勝負だ」

「……タニアさん」

 呟いた途端に下を向き、シロは何か考え込むように押し黙る。

 一〇回くらい秒針の足音を聞かせただろうか。

 シロは意を決したように顔を跳ね上げ、丸椅子を蹴倒けたおさんばかりに身を乗り出した。

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