第7話
前月と同じ内容の授業を、やはりアーレントさん、ティースさんという同じメンツで受ける。他の生徒はと言えば、三分の一ほどが合格したらしくそれなりに顔ぶれが入れ替わっていた。
相変わらずわたしは型が身に付いているかどうか怪しくて、二人は型を繋げることができない、というさんざんな有様だった。それでもどうにか一ヶ月乗り切り、習熟度判定に挑む。試験では案の定ミラー先生にいいようにあしらわれたものの、前回と比べれば多少の成長はあったのではないかと思う。
たぶん来月もう一回受けることになるだろうな、とあきらめの境地でため息をつきながら、寮の自室で図書館から借りてきた本のページをめくっていた時だった。ドアを叩く音がして、わたしは本から顔を上げた。読んでいたページに栞を挟むと、立ち上がってドアへと向かう。
「はい?」
返事をしながらドアを開けると、廊下には座学の試験結果を持ってきた事務職員の男性が立っていた。相変わらず砂色の髪は爆発したように盛大にハネているので、ああいう髪型なのだろう、たぶん。
「こんにちは、お嬢さん」
彼はわたしを見るとにっこりと笑い、一通の封筒を差し出してきた。おそらくは試験の結果と思われるが……少しばかり早すぎるのではなかろうか。試験を受けたのは昨日なのだが。
悪い予感しかしないものの、まさか受け取り拒否をするわけにもいかないのでおとなしく封筒を受け取った。続けて差し出された受取証明の紙にサインする。彼は返された書類のサインを確認すると、小さくうなずいて余分なインクを吸い取り紙で取り除いた。それを隣に立っていた事務職員に手渡す。相棒と思しきその女性職員は、器用にトランクの口を少しだけ開けると受け取った書類を中にしまった。
「はい、確かに。――あ、そうそう。受け取ったらすぐに中身を確認するようにとのことなんで、よろしくね?」
それじゃあね、と笑って手を振ると、彼は相棒と共に歩き出した。別の生徒へと試験結果を届けに行くのだろう。
彼らを見送ってから室内に戻ると、手にした封筒に視線を落とす。ため息をつくと、わたしは覚悟を決めて封を切った。
取り出した便箋には、ただ一言、職員棟まで来るようにと書かれていた。日時の指定はないが、受け取ってすぐに確認するようにとの指示があったことを考えると、これは今すぐ職員棟に来いということなのだろう。
悪い予感は強まるばかりだったが、わたしは鞄に筆記用具と受け取った試験結果とを詰め込んで部屋を出た。
職員棟というのは、いわゆる職員室に相当する施設である。当然ながら常駐しているのは教師ばかりだ。そんな場所に呼び出されるというのは、なかなかに心臓に悪い。
一体何をやらかしたんだろうか、と記憶を手繰るものの、さして問題と思われる行動は思い当たらなかった。だが、この世界の常識は現代日本とはかなり違っているようなので、わたしに自覚がないだけで何かやらかした可能性というのは大いにある。
そんなことを考えながら歩いていると、いつの間にやら校舎へとたどり着いていた。大聖堂のような荘厳な佇まいの校舎を見上げると、気合いを入れるように深呼吸して職員棟へと足を向ける。
職員棟に入ってすぐの場所にはカウンターのような台があり、事務職員の制服を着た女性が二人並んで座っていた。その向こうに教師たちの机が規則正しく並んでいるのが見える。
「すみません、ルーシャ・ティアニーです。試験結果でこちらに来るようにと指示を受けたのですが」
カウンターに近寄ると、わたしは職員の女性にそう声をかけた。彼女はこちらへと顔を向け、確認するようにわたしの名前を復唱する。カウンターの真ん中に置かれた棚から一枚の書類を取り出すと、そこに書かれた内容へと視線を走らせる。
しばらくして目的のものを見つけたのか、彼女はペンで書類にチェックを入れた。書類を元の場所にしまうと、今度は卓上カレンダーのようなものを確認する。小さくうなずいた彼女は背後を振り返って声を上げた。
「ミラー先生、ルーシャ・ティアニーさんが来られました」
その呼びかけに応え、奥の方の席に座っていた黒の教職員用制服を着た人物が立ち上がる。右手を挙げながらこちらに歩いてきたのはミラー先生だった。左手には小振りなトランクケースが提げられている。
「おう、わざわざ呼び出して悪いな」
そう言ったミラー先生はわたしを手招きすると、くるりと身を
ミラー先生は部屋の左奥に設置された階段を上ると、その先にある扉を開けた。渡り廊下を通って校舎に入り、そのまま
一階の大講義室とは違い、講義室の中は一般的な学校の教室に近い造りだった。普段は規則正しく並べられているであろう机とイスだが、現在はその多くが後方の壁に寄せられており、二セットだけが真ん中あたりで向かい合うようにして設置されている。まさしく面談室の様相だ。
よほど変な顔をしていたのだろうか、振り返ったミラー先生がわたしの顔を見て盛大に吹き出した。何か変なスイッチでも入ってしまったようで、机を叩きながら爆笑している。
反応に困って立ち尽くしていると、ようやく笑いの発作が収まったらしいミラー先生が机に手を突いてこちらを見やった。
「いや、別に説教とかそういうわけじゃないからな?」
笑いの名残を残しながらそう言ったミラー先生は手振りで座るようにと机を示すと、自分もまた奥側の席に座った。
彼は持参したトランクケースを開くと、中から書類の束を取り出して机の上に並べ始める。それらのうちのいくつかは
「とりあえず、今日呼び出した理由は基礎課程修了通知の面談をするためだ」
一瞬何を言われたのか理解できず、間抜けな声で聞き返す。――今、何とおっしゃいました?
「基礎課程の修了通知。つまるところ、合格通知だな」
「合格……通知?」
恐る恐る聞き返すと、苦笑しながらミラー先生がうなずく。
なぜ、というのが正直な感想だった。どうして
そんな内心の疑問が顔に出ていたのだろう。ミラー先生が困ったように眉を寄せてうなずいた。
「ああ、うん、お前の扱いについては、審議の場でも盛大に揉めたんだがなぁ……」
「でしょうね」
ため息混じりの言葉に、すかさず相槌を打つ。というか、むしろなぜ揉めたのかとも思う。満場一致で不合格でもよかったと思うんですが。
「先月も合格させるかどうかで見事に意見が割れたんだが、俺の一存で合格を見送らせた」
はぁ、と曖昧にうなずき、その直後にわたしはフリーズした。――先月の段階で合格する可能性もあった、ですと?
ぎぎぃ、と音がしそうなくらいにぎこちない動きで顔を向けると、ミラー先生は真剣な表情でうなずいた。
「【まったく型が身に付いていないから不合格】って意見と、【あれだけ動けるならば問題なし】って意見とで真っ二つに割れてな。あそこまで審議が
感心したような、呆れたような……むしろ一周回って面白がっているような声音でつぶやいてため息をつくミラー先生。
「……まぁ、最終的には実戦で通用するか否かを重視すべきだろう、という方向で意見がまとまってな。見事合格ってことだ」
正直、素直に喜んでいいのか困る言われようだった。要するに試験としては不合格だけれど、実地訓練には放り込めそうなので合格とした、というところだろうか。
「で、封書で済むような合格通知をわざわざ面談でやるのには理由があってな。むしろ本題はこの後だ」
その言葉に、わたしは慌てて姿勢を正した。ミラー先生も咳払いをすると、机上に並べていた書類へと手を伸ばす。それは糸で綴じられて冊子状となったもので、彼は二冊ある内の一冊を自分の手元に置き、もう一冊をわたしへと差し出した。受け取った冊子の表紙には【授業計画書】と書かれている。
「来月中に専門課程を選んで事務棟で登録してもらわないといけないんだが、期日までに手続きが終わらないことが多くてな。本人の希望を聞きつつ、教師側から見た適性なんかで学科を決定するための面談だ。
そう前置きすると、ミラー先生は冊子を開いて説明を開始した。
面談が終わり、一礼して講義室を後にする。そのまま寮の自室に戻ろうかとも思ったのだが、どうせ思考に行き詰まって部屋を出るだろうことは容易に想像できたので、わたしはそのまま中庭へと足を向けた。
貴重な休日だからか、それとも元から立ち寄る者もいないのか、中庭に
丹念に手入れされた中庭は美しく見る者の目を楽しませるものの、時折吹き寄せる風がひどく冷たい。思い出してみれば今は十二月の末で、制服は一応冬服仕様とはいえ防寒具の類もなしに出歩けば寒いのも当然だった。少しでも寒風を避けようと、わたしは足早に
当然ながら
かじかんだ手に息を吐きかけながら、設置されたイスに腰掛ける。テーブルの上にもらった資料を置こうとして、いつか拝借したペーパーウェイトがまだそこにあることに気が付いた。持ち主に忘れ去られたままなのか、あるいはここで勉強する生徒のために用意された備品の一種なのかもしれない。ひんやりとした金属のバラを人差し指でつつくと、わたしは冊子を開きながら頭の中で今し方受けた説明を思い起こした。
学科は大きく二つの系統に分けられる。一つは武器を使って戦う【武芸学部】、もう一つは
概ね字面から想像はできるだろうが、前衛学科は近接武器を使用する攻撃役兼後衛を守る盾役。後衛学科は投射武器を、
これらの中から学科を選ぶこととなるのだが、
ゲームだと学科選択はキャラメイクの一項目にすぎないので油断しがちだが、一度決定するとやり直しがきかないためここで選択を
汎用性を取るか、それとも一つの技術に特化するか――大げさに聞こえるかもしれないが、ここでの選択は紛れもなく
とは言え実際に学ぶのはわたしなので、下手をすると【効率を求めて汎用性を取ったはいいが、いつまで経っても本科生に昇格できない】なんてことになりかねない。ゲームとはまた別の意味で、学科選択は慎重に行うべきだろう。
しかめっ面をしながら与えられた資料のページをめくった時、視界の端を白い何かが過ぎった。誘われるように顔を上げると、ひらりひらりと雪が舞っていた。記憶にあるよりも低い位置ではあるものの、太陽は変わらず顔を出しているので積もるほど降りはしないだろう。そう考えながら再び資料へと視線を落としたわたしは、向かい合う位置に置かれたイスに誰かが腰掛けていることに気がついて再び顔を上げた。
ゆったりとしたチュニックと大きめのローブ、そして目深にかぶったフードから覗くどこか彫像を思わせる微笑。暗色に包まれた中、わずかに露出した肌と右耳の前に垂らされている三つ編みにした一房の髪だけがひどく白い。
「やあ、こんにちは」
穏やかな声音は
視線を奪われていたのはどれほどだったか。ハッと我に返ったわたしは慌てて挨拶を返した。
「こ……こんにちは」
みっともないほどに上擦った挨拶に、けれどもその人はただ静かに浮かべた笑みを深くした。
「試験に合格したようだね、おめでとう」
雪原に咲く花のように密やかに囁かれた祝辞に、わたしは大きく目を見開く。なぜ、という問いかけが頭の中を埋め尽くすものの、衝撃が強すぎて言葉にはならなかった。
思い返せば座学の時もそうだった。ごく一部しか知らないはずの試験の結果を、なぜだかこの人は知っていたのだ。
凍り付いたように動きを止めたわたしを意にも介さず、その人はわたしの手にした冊子へと視線を向けた。緩く握った拳をあごに添え、わずかに首を傾げる。
「……なるほど。こんなところに一人でいたのは、学科の選択に迷って、と言ったところかな?」
問いと言うよりは納得したと言いたげな口調でつぶやき、小さくうなずいた。
「そうだね、お節介かもしれないけれど、先輩から少しアドバイスといこうか」
くすりといたずらっぽく笑ってその人が告げる。そうするとどこか近寄り難い作り物めいた雰囲気が失せ、ずっと昔から
「武芸学部に関しては、あまり説明する必要はないかな。注意する点としては、前衛学科は敵だけではなく、仲間の動きを見ながら戦う必要があるということだ。敵を倒すのではなく、むしろ仲間を守るのが前衛学科の役割だと思った方がいいね。後衛学科も似たようなものだ。前衛学科が対処し損ねた敵が
「あ、ちょ、ちょっと待ってください!」
前置きなく始まった講義は流れるように進む。慌ててそれを
そんなわたしの様子に、呆れとも感心ともつかない吐息のような笑い声がこぼされる。
「書き付けるほどのものでもないだろうに。勤勉だね、君は」
そう言いながらもわたしが書き終わるまで待っていてくれるあたり、この人は相当なお人好しなんじゃないだろうか。そう思いながら手を動かし続ける。
記入を終えて顔を上げると、その人は心得ていたかのように口を開いた。
「
「
「
わたしが聞き取りやすいようにゆっくりと、そして筆記が追いつかなくなれば言葉を止めて待ってくれる。何度もそんなことを繰り返しながら、けれども嫌な顔一つしないあたり、やっぱり善い人だと思う。
「学科というのは、結局のところ戦闘における役割分担を示したものだからね。自分がどの役割を担うことができるのか、それを見極めるのが大事だと言えるだろう。尤も、これはパーティを組むことが前提であるから、一人で遺跡に潜るつもりなら話は変わってくる。先手を取って敵を
そう言いながら、けれど、とその人は言葉を続けた。
「君は誰かとパーティを組んでもいいし、一人で遺跡に挑んでもいい。どの道を選んだとしても、その先に君の運命が待っているだろう。願わくはどうか、君の望みが叶いますように」
穏やかに、厳かに、囁かれるのは祈りの言葉。そしてそれは、この人の場合は別れの言葉でもある。
いつかと同じく、わたしの視線を
カタリと鳴ったイスの音を最後に、その人は姿を消していた。
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