第3話

 目が覚めた時、一瞬自分がどこにいるのかわからなくて混乱したけれど、すぐに記憶がつながった。ここは教職員寮の一室だ。

 カーテンを開けて朝日を室内に取り入れると、自分の物だと実感のわかない荷物から着替えを取り出す。引っ張り出されたのは暗色のワンピースで、くるぶしに届くほど裾が長かった。まとわりつく長い裾が邪魔なのでふたたび荷物を漁ると紐を編んだベルト状の物が出てきたので、それを使って裾の長さを調節する。

 できあがりを確認するべく鏡に姿を映したわたしは、思わず小さくうめき声を上げた。

 鏡の中からこちらを見つめるのは幼さを残す少女だ。ゆるく波打つ紫がかった銀髪を背に流し、大きく丸い瞳はアメジストのような深い色で白い肌によく映えている。ちんまりとしたその姿は愛らしいが、とてもではないが十五歳には見えない。

「よりにもよってコレか……」

 主人公の容姿はいくつかあるイラストから一つを選択する形なのだが、その中でも最も幼く見える女性タイプが鏡の中の人物――すなわち今のわたしの外見であった。

 げんなりした表情でため息をついた時、ノックの音が聞こえた。鏡から視線を逸らし、返事をしながら扉へと向かう。

 扉を開けてまず目に飛び込んできたのは、鮮やかな赤い詰め襟服だった。視線を上げていくと、感情の窺えない空色の瞳と目が合う。ひどく整った顔立ちだが、能面のような無表情さが近寄り難い雰囲気を生んでいた。

 まっすぐな茶髪をサラリと揺らし、その人物がわずかに首を傾げる。

「ルーシャ・ティアニーさんで間違いない?」

 透き通った声音もまた、感情の色は薄い。人形が動いてしゃべっている、そんな印象を抱いた。

 やや圧倒されつつうなずいたわたしに、相手は左手に持っていたトレーを差し出した。トレーにはいびつな形に盛り上がった布巾ふきんと、一通の封書とが載っている。

「朝食と試験の結果。中を確認したらその指示に従って。食器類は部屋の鍵と一緒にそのまま置いててくれればいいけど、荷物は持って移動するように。それじゃ」

 トレーをわたしに押しつけると、それぞれを指さして説明する。そして用件は済んだとばかりに背を向けて歩き出した。まっすぐにピンと背筋を伸ばして歩くその人の左腕には紫の腕章がつけられていた。

 赤い教職員用制服と、学科長の腕章、それらの特徴から一つの名前が思い起こされる。

「……スチュアート・ローレンス? 女扱いすると地獄を見るという、あの性別迷子な教師?」

 メルヴィンといい彼といい、つくづく性別迷子に縁があるものだ。……いや、それ以前に女子寮に男の人が立ち入っていいのか? そんなことを思いながらぼけっと突っ立っていたが、ふと我に返って扉を閉める。

 机の上にトレーを置いて布巾を取ると、言葉通りサンドイッチの盛られた皿と紅茶のポット、そしてグラスが載っていた。

 グラスに紅茶を注ぎ、いただきますと手を合わせてからサンドイッチをかじる。咀嚼そしゃくしながら封書へと手を伸ばし、けれども結局机の上へと戻した。行儀が悪いというのが主な理由だが、結果を知るのが怖いというのも理由の一つだった。それにせっかくのサンドイッチがおいしく食べられなくなりそうだったし。

「ごちそうさまでした」

 サンドイッチを完食すると、トレーを脇へと押しやって封書へと目を向けた。外観はどこにでもあるような白い洋封筒だが、糊の代わりに封蝋で封がされている点でここが別の世界なのだと思い知らされる。

 しばらく手にした封筒を見下ろしていたものの、思い切って封を切ると中身を取り出した。四つ折りにされた便箋を開く。

 綴られた文字は筆記体のアルファベットのようにも見えるが、明らかに英語ではなかった。けれども、どういう原理か書いている内容は理解できる。

「……え?」

 文章を目で追い、思わずフリーズした。見間違いかともう一度見直すものの、認識した文面は同じだ。


『貴殿の当学園への入学を認めます』


 実際はもう少し回りくどい文章だが、簡潔にまとめればそういう内容だった。つまるところ、合格通知。三度見してようやくそれを理解する。わたしが主人公であるならば合格して当然ではあるのだが、それでもにわかには信じ難い内容だった。

 呆然と便箋を見つめていたが、続く内容にわたしは現実に引き戻された。そこにはこれから入学式を行うと書かれていたのである。

 便箋を封筒にしまう暇も惜しみ、わたしは荷物を掴むと慌ただしく部屋を飛び出した。



 昨日バーンズさんに連れられて歩いた道を逆にたどり、奇跡的に迷うことも遅れることもなく入学式の行われる会場へと到着した。

 校舎であろう建物を眼前に望むその広場の端にはテントが建てられ、受付となっていた。手続きをするのは昨日と同じ汎用NPCたちである。

 合格者の大半はすでに手続きを済ませているのか、テントの前に並ぶ人影はまばらだった。

 ぜいぜいと荒い息のまま列に並んで待つことしばし。呼吸が整ってきた頃、手続きの順番が回ってきた。

「合格通知の提出をお願いするのです」

 淡々とした抑揚のない口調で女性が告げる。昨日のアッパーテンションとは打って変わったダウナーっぷりである。別人だと頭では理解しているものの、戸惑いは隠しきれずにややぎくしゃくとした動きで手に持ったままの便箋を差し出した。

 受付の女性職員は挙動不審なわたしを見てわずかに首を傾げたものの、何も言わずに受け取った便箋へと視線を落とした。手元の書類と見比べてチェックを入れると、彼女は便箋をわたしへと返した。

「たしかに確認したのです。間もなく式典が始まりますので、荷物を持ってあちらでお待ちくださいなのです」

 そう言って彼女が示したのは広場の中央だった。密集した人々は手続きを済ませた合格者たちだろうか。彼らの前には演説台と思しき一段高くなった台があり、その後ろに色とりどりの詰め襟服を着た教職員たちがいる。

 受付の女性職員に向かって会釈すると、便箋を荷物へと納めながらわたしは示された場所へと向かった。

 列と呼ぶには不規則なそれの最後尾につくと、周囲を見渡す。四十人ほどいるだろうか、目に映る範囲では少年の姿が多いように見受けられた。それなりに少女もいるようだが、明らかに日頃から鍛えているというのがわかる者たちばかりである。正直、どうしてわたしが合格できたのか不思議で仕方がない。主人公補正でなければ、何かの手違いだろうか。

 そうやって周囲を窺っていると、不意に前方が騒がしくなった。そちらへと顔を向けると、演説台の上に誰かが上がっていくのが見えた。演説台の真ん中に立つと、その人はこちらへと向き直る。

 オールバックに撫でつけた灰色の髪に、厳しさと穏やかさとを秘めた茶色の瞳。いかにも紳士然としたその男性はこの学園都市シュルトバルトを治める領主であり、学園長でもあるマクニール辺境伯だった。

「皆さん、シュルトバルトへようこそ。私がこの都市の領主であり、学園長でもあるグレアム・ウェズリーです」

 わたしの思考と同じタイミングで辺境伯が挨拶する。

 五百年以上前にこのシュルトバルトを始めとするマクニール領は国から切り捨てられており、【マクニール辺境伯】という爵位などもはや存在しない。であるのだが、代々の領主はその爵位と共に初代マクニール辺境伯【グレアム・ウェズリー】の名前を名乗ってきた。その理由は過去の遺恨を忘れぬためだという。たしかにすべての責任を背負わされて見捨てられたのだ、その恨みは相当のものであろう。末代まで忘れないというその気持ちはわからないでもない。

 けれども、なぜだろうか。壇上のマクニール辺境伯を見ていると、それだけではないのだろうと思えた。恨み・悲しみといった負の感情以外に、自分たちがこの状況をどうにかするのだ、というような強い意志を感じるのである。それはマクニール辺境伯の力強い声や仕草などから窺える頼もしさかもしれないし、あるいは世界観バックボーンを知っているからこそのわたしの勝手な思いこみなのかもしれない。

 そんな取り留めもないことを考えている間に、マクニール辺境伯の演説が終わったようだった。壇上を降りる彼に向けて人々が拍手を送っている。その音に我に返ってわたしもあわてて拍手を送った。

 続けて事務手続きを行うとの案内があり、教職員の誘導に従って列が動き出した。

 式典の前に受付手続きをしたテントで、一人ずつ入学の事務手続きを行う。もっとも手続きと言っても、合格通知で個人の確認を行ったあと入学金を支払い、寮の部屋の鍵を受け取るだけだ。

 テントでの手続き後は、また教職員の案内に従って学生寮へと連れて行かれた。

 学生寮は教職員寮と同じ造りとなっていたが、収容する人数の関係かこちらの建物の方が大きかった。

 寮の前まで来ると、教職員が手で建物を示しながら簡単な場所の説明をしてくれた。一階が食堂、二階が談話室、三階から六階は東館と西館とに分かれていて、東館が男子寮、西館が女子寮となっているとのことだった。東館・西館は完全に別個の建物で、行き来は談話室からしかできないらしい。食堂は午前六時から午後九時までの間なら職員が常駐しており、メニューは決まっているもののいつでも食事を用意してくれるとのことだった。

 その説明が終わると解散となり、明日はオリエンテーリングを行うので、各自朝食を取った後、午前八時に談話室に集合だと言って教職員は元来た道を戻っていった。

 生徒たちは最初戸惑ったように立ち尽くしていたが、一人が扉を開けて建物へと入ると次々とそれに続いていった。わたしも彼らに倣って寮に入ると、自室を探して歩き出した。



         ◆



 翌朝、身だしなみを整えたわたしは、集合時間よりもかなり早めに部屋を出た。まずは食堂で朝食を取り、それから集合場所である談話室へ向かうと、そこにはすでに結構な数の人影が見受けられた。学園指定の制服を着ている者もいるが、大半は私服だったのでオリエンテーリングを受ける新入生だろう。元々顔見知りだったのか数名で一塊ひとかたまりになっている者も見受けられるが、大半は一人だった。

 学生寮自体が横に広い建物であり、さらにそれが一間ぶち抜きで談話室となっているので相当の広さだった。部屋の目的として、当然ながら各所にソファーやローテーブルが設置されており、生徒たちは思い思いの場所に陣取っていた。

 空いたソファーも多くあったのだが、何となく窓際へと近寄る。窓から外を覗いてみると、黄色や赤に色づき始めた木々が見えた。

 そういえば、と思い出す。この学園の年度は元の世界とは異なり、【十月から九月で一年度】という計算なのである。なぜこうなったかと言えば、大陸各地から入学希望者を募る関係上、一年を通して最も気候が安定している時期を選んだら九月末に入学試験を行うこととなったらしい。新年度イコール桜、という刷り込みがあるため、眼下の紅葉の景色に少々違和感を覚える。

 体を反転させ、談話室を見渡す。制服姿の生徒は皆出かけたらしく、室内に残っているのは私服姿の新入生だけだった。おおよそ四十人ほどだろうか。新入生の平均がだいたいそのくらいの人数なので、今年が特別に多いということがなければおそらくこれで全員だろう。

 なぜ年度ごとに新入生の数に揺らぎがあるのかと言えば、新入生の数はそのまま前年度の卒業生の数――より厳密に言えば寮の空き部屋の数である。なので毎年男女の比率が異なっていて、男子が多い年・女子が多い年などがあるとのことだった。

 そんなことを考えていると、不意に手を打ち鳴らす音が室内に響いた。

 そちらへと目を向けると、赤い詰め襟服を身にまとい、紫色の腕章を左腕につけた人物が階段のあたりに立っていた。まっすぐな茶髪に空色の瞳、どこか儚げな雰囲気を漂わせる美貌に少女たちが思わずため息をこぼし、少年たちが視線を奪われる。

 その様を見て、わたしは小さく苦笑した。たしかに何も知らなければ【美人の異性】という認識になるだろう。しかしあそこに立つスチュアート・ローレンスは男性なのである。うっかり女性と間違って告白でもしようものなら、その男性は地獄を見ることとなる。

 彼はもう一度室内の人間の注目を集めるように手を打ち鳴らすと、口を開いた。

「それではこれよりオリエンテーリングを開始します。さすがに全員揃っては無理なので、今から適当に班分けします。案内役の教師が声をかけたらその班ということで」

 あまりと言えばあまりの適当っぷりに生徒たちから戸惑いの声が上がるが、教師側はいつものことなのだろう。慣れた様子でローレンスさん――いや、ここは先生と呼ぶべきだろうか。ローレンス先生の背後に控えていた数名の教師が前に出て、生徒に声をかけていく。

「――ああ、終わった? じゃあ声をかけられなかった人は僕の班だから、こっちに来て」

 ほかの教師たちの合図を受けたのだろう、ローレンス先生がそう言って手を挙げる。十名弱の生徒がどこか得意げに、あるいは嬉しそうな顔つきで彼へと近寄っていく。

 どうやらわたしも彼の班のようなのでそちらへと向かう。途中妙に突き刺さる羨ましそうな視線や、嫉妬の眼差しには気づかないフリを装った。ただの偶然ですから、この班分け。

 かくして引率の教師と率いられる生徒たち、という図が合計四セットできあがった。

 そういえばなぜローレンス先生が仕切っているのだろう、という疑問が浮かんだ。【おとなしそうに見えるが、その実やる気がないだけ】というのが彼の設定のはずだ。情報源は公式サイトである。

 首を傾げつつそっと周囲を窺えば、ほかの教師たちの腕には腕章がなかった。なるほど、この中ではローレンス先生の立場がもっとも上であるために、彼が取り仕切っているということらしい。

「ではこれより出発します。以降の指示は各班の教師に従うように」

 具体的に何をどうするのか、まったく説明もしないままローレンス先生は出発の号令をかけた。生徒たちがまたもや戸惑いの声を上げるが、教師は微塵みじんも動揺を見せずにローレンス先生にうなずきで応える。おそらく教師間ではあらかじめ段取りを決めていたのだろう。

 一人の教師が手を挙げ、行きますよと生徒たちに声をかけて歩き始める。戸惑いながらも、その班の生徒たちが置いて行かれまいとあとを追って歩き出した。しばらく間を置いてから次の班が出発する。

 ローレンス班はどうやら一番最後のようで、ほかの三班が出たのを見届けるとローレンス先生は上着のポケットから懐中時計を取り出した。

 きっかり五分経過したところで、彼は時計をポケットへとしまう。

「はい、それじゃ出発するから、遅れないようにね」

 ローレンス先生はちらりと生徒たちを一瞥してそう言うと、あとはもう振り返らずに歩き出した。我先にと生徒たちが彼の後を追ったのは、少しでも近くに陣取るためだろうか。別にそこまで必死にならなくてもいいんじゃないの、と苦笑しつつ、わたしも遅れないようにと彼らの後を追った。

 外へと出ると、ローレンス先生はそこでいったん足を止めた。くるりと振り返ったのでてっきり全員いるか確認するのかと思ったのだが、そうではなかった。学生寮を背にして左手の方向へと延びる道を指し示す。

「この道をまっすぐ行くと教職員寮があります。夜間、何かトラブルが起きた時は教職員寮に駆け込むように」

 彼の言葉に、生徒たちが示された道とその先を見やる。全員の視線が教職員寮の方向を向いたのを見ると、ローレンス先生は軽く手を打ち鳴らして注目を促した。今度は正面にある雑木林の中に敷かれた道を示す。先ほどのよりも幅が広く、踏みしめられた道は日常的に使われているであろうことを窺わせた。

「こっちが校舎、引いては都市部に続く道です。別に道を外れても辿り着けるだろうけど、迷う可能性もあるし、素直に道沿いに行った方が結果的には早く着くんじゃないかな」

 それでもショートカットコースを探すって言うなら止めないけど、とつぶやきながらローレンス先生は右手の雑木林を見やった。そちらが都市部の方角らしい。

 再度手を叩いて注目を集めると、彼は生徒たちに声をかけて歩き出した。

 しばらく雑木林の中を歩いていくと、道が二手に分かれていた。右手に延びる道がさらに広くなっていることからそちらが校舎への道で、左手の方が教職員寮への道なのだろう。そう推測を立てるのと、ローレンス先生が正にその通りのことを説明するのはほぼ同時だった。

 右手に折れ、道沿いにさらに行くと雑木林を抜けたあたりで十字路に突き当たった。またもやローレンス先生が足を止める。彼は軽く手を打ち鳴らしたあと、左手に続く道を示した。

「この道を行くと訓練場、入学試験を行った場所に着きます。武芸関連の講義は基本的にここで行われます」

 そう言うと、生徒たちが確認するのを待つように間を空けてから再度手を打った。

「こっちが第一修練場で、あっちが第二修練場に続く道です」

 そう言いながら、正面の道、右手の道と順に指し示していく。言われた内容を反芻はんすうするように道を見比べていると、またもや手を打ち鳴らす音が聞こえた。どうやらローレンス先生は注目を集める時に手を叩くのが常であるらしい。たしかに声を張り上げるよりは少ない労力で済むなと内心うなずきつつ、ふと疑問を覚えた。この結論に至った理由は引率慣れによるものなのか、それともものぐさに端を発したのか、いったいどちらなのだろうか?

 そんなくだらないことを考えている間にローレンス先生は歩き始めていた。置いて行かれないようにと、慌ててわたしも彼らの後を追いかける。



 右手の道をしばらく進むと建物群が見えてきた。向かい合わせに、計十棟ほどあるだろうか。それぞれが独立しており、建物同士ある程度の距離がある。真四角な外観も含め、ぱっと見にはケータイショップやコンビニが並んで建っているような印象を受けた。大きさもだいたいそんなくらいだろうか。

「ここが修練場です。術式フォーミュラや武芸関連の講義で使われます。こちらの第二修練場は少人数での講義や生徒の自習目的に使われることが多く、大人数での講義の時は主に第一修練場を利用します」

 そう言いながらローレンス先生は近くの建物に近づくと、ポケットから鍵を取り出して扉を開けた。小さく手招きしたあと自分は脇にどいたので、中を覗けと言う意味だろう。招かれるままに生徒たちがぞろぞろと扉へと近寄っていく。

 背伸びして前に立つ生徒の頭の間から建物の中を覗き込むと、中は何もないだだっ広い空間となっていた。壁や床などはすべて木材でできているようで、正に体育館と呼ぶのがピッタリだった。

 しばらくすると手を打ち鳴らす音が聞こえた。生徒たちが己の方を向いているのを確認すると、次の場所に向かうことを告げてローレンス先生が歩き出す。我先にとその後に続く生徒たちの姿は、さながらインプリンティングされた鳥のヒナのようだった。テレビで見たカルガモの親子の姿を脳裏に思い浮かべ、思わずくすくすと笑う。

 ひとしきり笑い、彼らに続いて歩き出そうとしたところで視線を感じた。きょろきょろと周囲を見回すと、修練場に重なるようにして人影があることに気がつく。建物の影に同化しているせいか、それともそういう色の服なのか、全体的に黒っぽく、顔と思しきあたりだけがやけに白い。

 目が合った。

 相手の顔どころかその性別すら判別できない距離だというのに、なぜだかそれがわかった。

 束の間人影と見つめ合い、ふと我に返る。このままではローレンス先生に置いて行かれてしまう。後ろ髪を引かれる思いで人影から目をそらすと、わたしは小さくなりつつあるローレンス先生の背中を追った。



 修練場を後にして歩くことしばし、道が分かれた地点でローレンス先生が足を止める。今度も十字路だ。彼はまず右手に延びる道を示した。

「この道をまっすぐ行くと図書館があります。詳しいことは担当職員から聞くように」

 説明を省くどころか丸投げしたローレンス先生に、それだけ? と言いたげな生徒たちの眼差しが突き刺さる。当然それには気づいているのだろうが、彼は何でもない顔をして口を開いた。

「こちらは校舎、あちらが都市部に続く道です」

 言いながら、左手、正面と順に道を指し示す。

「大まかに言うと、この都市は遺跡への入口を中心に、東側が学園部、西側が都市部となっています。二つのエリアは遺跡の入口で繋がれる形です」

 生徒たちが地理を把握するのを待ち、ローレンス先生が左手の道へと進む。しばらく歩くと、道はふたたび雑木林の中へと入る。

 緩やかに蛇行する道を歩いていると、不意に視界が開けた。そのまま道沿いに歩いて行くと、今度は三叉路さんさろに突き当たった。それまでと同じように足を止めたローレンス先生が、まずは正面の道を指し示す。

「この道を行くと第一修練場、引いては寮へと繋がります」

 今度は左前方へと延びる道に手を向けると、あちらが校舎に繋がる道ですと言ってローレンス先生は歩き出した。

 しばらく進むと広場に着いた。しつらえられた演説台の後ろには大きな建物が見える。

「ここは式典用広場、昨日入学式を行った場所です」

 おそらく生徒の大多数が考えていたであろうことをローレンス先生が口にする。

「人によっては校庭、単に広場とも呼ばれます。適当に察してください」

 そんなことを言いながら、広場を突っ切って建物へと向かうローレンス先生。わたしを始め、戸惑った様子で立ち尽くしていた生徒たちが我に返り、慌ててその後を追いかける。

 しばらく行ったところで生徒たちを待っていたローレンス先生は、背後の建物を手で示した。

「これが校舎です」

 予想通りの言葉を聞きながら校舎を見上げる。

 寮と同じくレンガで組まれたその建物は、まるで聖堂のようなたたずまいだった。合計五本の尖塔があり、中央にそびえるものは四隅のものと比べると一際大きい。それは時計塔になっているようで、てっぺんに鐘が吊り下げられているのが見えた。

 手を打ち鳴らして惚けたように校舎を見上げる生徒たちの注意を引くと、ローレンス先生は右手の方を指し示した。ショーのアシカよろしく、生徒たちが一斉にそちらに顔を向ける。促されて初めて気づいたが、そちらにも建物があった。

 どこか丸みを帯びた建物は、渡り廊下で校舎右側の尖塔と繋がっているようだ。こちらの建物は背が低いように見えるが、おそらく尖塔があることと、土台の分校舎が一階層ほど高いことからそう見えるだけだろう。

「あの建物が事務棟です。ここからでは見えませんが、奥にもう一つ建物があり、そちらは職員棟となっています。事務棟には事務員が、職員棟には教職員が常駐しています」

 三つの建物にそれぞれ入口はあるが、渡り廊下でも繋がっていて移動が可能とのことだった。渡り廊下で囲まれた区域は中庭という扱いらしい。

 ふたたび手が打ち鳴らされる。生徒全員の視線が集まったのを確認すると、ローレンス先生は校舎に向かって歩き出した。一定間隔で建てられたアーチ状の柱に挟まれた階段を上り、両開きの扉を押し開ける。

 校舎内部もまた、どこか聖堂めいていた。模様の彫られた柱が一定間隔で並ぶ通路が正面に延びている。天井が高いのか、歩くと足音がやけに大きく響いた。その音と校舎の造りそのものに圧倒され、生徒たちの大半はどこか萎縮したように身を縮めている。

 しばらく通路を行くと壁に突き当たり、T字路のように左右へと道が広がっていた。そこでローレンス先生が足を止め、こちらへと振り返る。

「この校舎は三階建てとなっていて、一階を除き各階に八室ずつ講義室があります。校舎をぐるりと一周するように廊下があり、四隅には各階を繋ぐ階段があります。皆さんから見て右手の方向にある階段二つは、奥が職員棟、手前が事務棟に繋がっています。一階には講義室二つと大講義室、そして保健室があります」

 そう言うと、ローレンス先生は右手の方向に向かって歩き出した。

 しばらく行くと引き戸が見えてくる。扉の横にかけられたプレートには【保健室】と書かれていた。

「ここが保健室です。一人以上の保健医が常駐していますので、具合が悪くなったり怪我をした場合は速やかに保健室に行くように」

 生徒たちを見回して告げると、ローレンス先生はふたたび歩き出した。

 今度は突き当たりに螺旋らせん階段があり、そこを左に折れるように廊下が続いている。階段の所まで歩いていくと、ローレンス先生は斜め上を指さした。

「あそこにある扉から事務棟への渡り廊下に出ます。間違っても柵から身を乗り出したり、ましてや飛び降りたりしないこと」

 怪我しても知りませんから、とどこか呆れたような口調と表情で告げるローレンス先生。小学生相手でもあるまいに、ましてや労力は極力省こうとする彼がわざわざ注意したと言うことは、過去にやった人がいるんだろうか。

 戸惑いがちにざわめく生徒たちを手を打ち鳴らして静め、ローレンス先生が歩き出す。次の螺旋階段でも同じような説明をした後、また道を進んで螺旋階段の前を通過する。

 しばらく進んだ先に引き戸があった。ローレンス先生はその扉の前で足を止める。扉の横には保健室と同じようなプレートが下げられており、【大講義室】と書かれていた。

「ここが大講義室です。説明はしませんでしたが、ちょうどこの反対側にも入口があります」

 彼の言葉に、生徒たちが記憶を掘り起こすように視線を泳がせる。わたしも例に漏れず、天井を見上げながらどうだっただろうかと考えた。言われてみれば、廊下の半ばほどに扉があったような気もする。

 生徒たちの様子を観察していたローレンス先生が、またもや手を打って歩き出す。残りの講義室を通り過ぎがてら説明すると、ぐるりと校舎を半周して再度大講義室の前へと向かい、室内に入った。

 彼に続いて大講義室に入ると、そこはその名の通りの部屋だった。右側――校舎自体の入口に背を向けた状態で、そこから前へと向かってなだらかに床が低くなっていき、一番低い場所には教壇がある。それらを囲むように半円状に机とイスがずらりと並べられている様は、さながら大学の講義室であった。

 教室前方の席にはほかの班の生徒たちがすでに座っており、教壇付近には彼らを引率していた教師たちの姿がある。

 ローレンス先生は自分が率いていた生徒たちに席に着くようにと言い渡すと、教壇へと向かって階段を下りていく。その後を追い、生徒たちもそれぞれ空いている席へと着いた。

 生徒全員が着席したのを見ると、先にいた教師たちは教壇に置かれていたものを手に取り、それを生徒たちへと配り始めた。手元に来たそれは二枚組の書類で、一枚は図面が、もう一枚は文章が紙面を埋めていた。

「今配ったのは、学園部の地図と、これからお話する授業内容に関する説明です。一通りは学園内を案内しましたが、詳しくはそれを見て自分で歩いて覚えてください。授業内容も同様です」

 無責任にも聞こえる言葉に、他班の生徒が不審そうな眼差しで一斉にローレンス先生を見やった。わたしを始めとするローレンス班の生徒は、こういう人なんだと察しつつあるのでどこか諦め顔だ。突き刺さるような視線に気づかないはずはないだろうに、彼は平然とした様子で言葉を続けた。

「当学園では、授業内容によって【予科生】・【本科生】と、それぞれ生徒を呼び分けます。遺跡に関する知識や遺跡内における行動の基本、術式フォーミュラ・武芸などの戦闘技術を学ぶのが予科生で、本科生は遺跡での探索が主な授業内容となります」

 そこまで説明すると、ローレンス先生は一度言葉を切った。生徒たちの顔を順に見回し、また口を開く。

「予科課程の中でも、【基礎課程】と【専門課程】の二段階に分けられています。遺跡や術式フォーミュラに関する基本知識を学ぶ座学、それから初歩の戦闘訓練――これらが基礎課程です。基礎課程を終えると、次は武芸、あるいは術式フォーミュラから自分が学ぶ学科を選択します。この学科ごとでの授業が専門課程です」

 詳細は手元の資料を確認すること、との言葉に、生徒たちが一斉に紙面へと視線を落とした。そうなることを期待していたのか、教師たちは何も言わなかった。それをいいことに、わたしも口頭で説明された部分を飛ばしながら資料にざっと目を通す。

 資料によると、まずは座学による知識習得が一ヶ月。その後ペーパーテストを行い、習熟度が足りないと判断されればさらに一ヶ月講義期間が追加される。

 座学が終われば次は基礎的な戦闘訓練を一ヶ月間。これも習熟度を計る実技テストが行われ、不十分と判断されればやはり訓練期間が一ヶ月単位で延びていく。

 この両方に合格して初めて学科選択が可能になると言うわけである。

 これを前提として考えると、ゲームは開始時点ですでに基礎課程を修了しているということなのだろう。そういえばキャラメイク直後にクイズなどのミニゲームが挿入されるが、もしかしたらあれは基礎課程の扱いだったのだろうか。

 そんなことを考えていると手を打ち鳴らす音が聞こえ、わたしは弾かれたように顔を上げた。視線の先、教壇では胸の前で手を重ねたローレンス先生の姿がある。彼は生徒たちを見回すと、もう一度手を打った。

「授業は十月一日から開始されますので、それまでの四日間は何をするのも自由です。ただし校舎と修練場、それから訓練場へは立ち入らないように。時間割と制服は、明日以降に事務員が部屋まで届けます。不在の場合は通知を残していきますので、それを持って事務棟まで引き取りに来るように。制服が届いたら、以降は寮の自室にいる時以外は制服を着用するようにしてください。これから渡す手形も常に携帯してください。制服着用と手形の携帯、これらは義務ですので、くれぐれも忘れないように」

 最後の一言を強調すると、理解度を確かめるようにローレンス先生は生徒たちの顔を一人一人見ていく。納得いく結果が得られたのか、彼はわずかにうなずいてふたたび口を開いた。

「それでは、これから手形をお渡しします。一人ずつ名前を呼びますので、呼ばれた人はこちらに来てください。手形授受じゅじゅを以てオリエンテーリングは終了としますので、退室していただいて結構です」

 ローレンス先生の言葉が終わると同時に、控えていた教師の一人が箱を抱えて教壇へと近づいてくる。その教師に礼を述べると、ローレンス先生は教壇の上に置かれた箱から中身を一つ手に取った。それは合格通知と同じような封筒だった。

「アーリン・テンプルさん」

 封筒に記載されていたと思しき名前をローレンス先生が読み上げる。はい、と応える声がして一人の少女が階段を下りていった。彼女はどこかうやうやしい仕草で封筒を受け取ると、一礼して教室から出て行く。それを見送ったローレンス先生は次の封筒を手に取り、そこに書かれた名前を読み上げる。

 そうやって半分以下に生徒の数が減った頃、わたしの名前が呼ばれた。返事をして立ち上がると、生徒たちが一斉にわたしを見やった。どうやら入学試験の件がまだ尾を引いているらしい。とりあえず気づかないフリをして階段を降りていく。

 教壇の前に立つと、正面のローレンス先生が封筒の向きを入れ替えて持ち直し、両手で差し出した。卒業証書の授与のようだな、と思いながら、こちらも両手でそれを受け取った。卒業式の時のように一歩うしろに下がり、一礼して扉へと向かう。



 校舎を出ると受け取った封筒へと視線を落とした。見た目は何の変哲もない洋封筒。裏面を向ければ、合格通知の時と同じく封蝋で封がなされている。小脇に挟んだ資料を落としても困るが、中身がやはり気になる。

 どこか座れるような場所は……と考えた時、中庭のことが頭に浮かんだ。校舎の説明の時、中庭が休憩スペースとして解放されていると言われていたのだ。それならば当然ベンチくらいはあるだろう。

 そう考えて足を向けた中庭は、どこの植物園かと問いたくなるくらいに見事に整備されていた。

 敷地を取り囲むように背の低い木が植えられており、中は柵でいくつかに区切られ、その区画ごとにテーマに沿って花や木などが植えられている。それぞれの区画の間はレンガで道が敷かれており、小さいながらも散策できるようになっていた。

 ぽかんと口を開けて惚けたように中庭を見つめていると、真ん中あたりに大きな鳥籠とりかごのようなものがあるのに気がついた。おそらく四阿あずまやだろうと見当をつけて近づくと予想通りで、中にはかわいらしいテーブルセットが置かれている。

 イスに腰を下ろすと、テーブルの上に置かれたバラの花をモチーフにした金属製のペーパーウェイトが目についた。誰かの忘れ物だろうかと首を傾げつつ、資料を置いておくのに何か重石おもしがほしいと思っていたところだったので一時的に拝借することにした。

 ペーパーウェイトを使って資料二枚をテーブルに固定すると、早速封筒に取りかかった。

 封筒を閉じている赤い蝋には、楯と立ち上がった獅子の意匠がされていた。これは学園を表す紋章で、学園の公式文書にはすべてこれが捺されている。元を辿れば初代マクニール辺境伯が使っていた印章であるらしい。

 封蝋が施された郵便物を受け取るだなんて、現代日本ではまずないことだ。指先に伝わる蝋を砕く感触に、つい頬がゆるむ。

 中に納められていたのは、羊皮紙で作られたカードだった。大きさはパスケースほどで、表面にはわたしの名前と現在の課程――予科生であることが記されており、右端のあたりに割り印がされていた。裏を返せば、学園の紋章が真ん中に刻印されている。

 今現在のわたしにとってはただの身分証明書でしかない手形だが、人によっては別の用途が付加される。本科生や冒険者として活動している卒業生たちにとっては遺跡への立ち入り許可証でもあるし、商売をしている人にとっては営業許可証となるのだ。


「――ふふっ」


 めつすがめつ手形を眺めていると、不意に小さな笑い声が聞こえてわたしは顔を上げた。

 いつの間にやってきたのだろうか、向かいの席に人影があった。ゆったりとしたチュニックを身にまとい、その上から大きめのローブを羽織っているため小柄に見えるが、共に座っている状態でややわたしが見上げる形となるので、少なくともわたしよりは背が高いだろう。

 目深にかぶったフードのせいで顔のほとんどが隠れており、見えるのは笑みを刻んだ口元だけだ。暗い色の服を着ているため、抜けるように白い肌がいっそう際だって見える。服の下にペンダントでも下げているのか、首に革紐がかかっていた。

「……ああ、すまない。君があまりにも熱心に見ているものだから、ほほえましくて、つい。気に障ったのであれば申し訳ない」

 わたしの視線に気づいたのだろう、向かいに座る人物がそう言って軽く頭を下げた。その動きに併せて、右サイドのみ三つ編みにしたやや長めの白銀の髪が小さく揺れる。

「いえ……気にしないでください」

 首を横に振ってそう言うと、相手は浮かべた笑みを深くした。体格もそうだが、その声もどこか中性的だった。高くもなく、低くもない、どこか性別を超越したような魅力のある、不思議な声音。

「まずは入学おめでとう。君のこれからの学園生活が、実り多きものになることを祈ろう」

「……え? あ、ありがとうございます。精一杯、努力します」

 唐突な言葉に面食らうも、どうにかそう言って頭を下げる。相手はそんなわたしの様子を見て、どこか満足そうにうなずいた。

「きっと、君はここで己の運命に出逢うだろう。願わくは君の望みが叶いますように」

 祈るような調子でささやかれた言葉に、わたしは思わず息を呑む。それはゲームのオープニングイベントで、主人公の祖母が告げた言葉だったからだ。聞き返そうと顔を上げるも、不意に吹き寄せた強い風に思わず目をつぶる。

 それはほんの一瞬であったのに、目を開けた時には相手の姿はどこにもなく、わずかに引かれたイスだけがその場に人のいた痕跡を残すのみだった。

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