第1話

 ざわざわと、妙に騒がしい気配が神経を刺激した。雑踏の中にいるかのような感覚。それだけでも気に障るというのに、誰かが何か言いながらわたしの肩を叩いている。最初は遠慮がちだったのだが、だんだんと力が強められていく。叩く力に比例して呼びかける声も大きくなる。

 うるさい、今何時だと思ってるんだ。わずらわしさを覚えてわたしはそう考える。

「――おい、しっかりしろ! 大丈夫か!?」

 大丈夫、問題ない。だからあと五分寝かせて。そう答えたつもりだったが、果たしてちゃんと声に出せていたのだろうか。肩を叩く力が強まったあたり、声は相手に届かなかったか、あるいは無視されたということだろう。

「しっかりしろ、ルーシャ・ティアニー!」

 呼ぶ声がさらに大きくなる。わずかながら、その声に焦りのようなものが感じられる。

 ちゃんと起きるから放っておいて。あと、そんなに強く叩かれると痛いので、加減してくれると嬉しいのですが。ぼんやりとそう思ったところで、おや、と首を傾げた。今名前を呼ばれたと思うのだが、わたしはそんな名前だっただろうか? もっと違う響きだったような気がするのだが。

 そんなことを考えていると、重ねて名前を呼ばれた。だが、やはりその響きに違和感がある。

 もっと眠っていたいと訴えるだらけた自分を叱咤しったしながら、わたしは鉛のように重いまぶたをこじ開けた。刺すような強い日差しに思わず目をつぶりそうになったが、なんとかそれに耐えて落ちようとする瞼を持ち上げる。

 目に飛び込んできたのは、至近距離からこちらをのぞき込む十代半ばくらいの少年の顔だった。首筋から胸元へと流れる襟足だけが長い金糸の髪に、まるで夏空のように鮮やかな紺碧こんぺきの瞳。色彩からして日本人ではないと知れるが、目を奪われたのはその美貌だった。人形か何かだと言われても納得してしまうだろう、それくらいに整った顔立ちをしている。

 目が合った瞬間、どこか張りつめた雰囲気を漂わせていた少年の顔がふっとゆるんで、口元に笑みが刻まれる。

「よかった、気がついたか」

 心底安堵した、そんな表情を浮かべて少年がつぶやきを漏らす。

 天使だ、とがらにもなく乙女な思考が脳裏をよぎった。ここに天使がいる。――どうやらわたしは完全に寝ぼけているか、あるいは頭のネジが二、三本吹っ飛んでしまったらしい。

「……大丈夫か? 気分が悪いとか、そういうことはないか?」

 自分を見つめたまま微動だにしないわたしに不安を覚えたのか、眉を寄せて少年が問いかけてくる。どこか不機嫌そうにも見えるその表情に、ふと既視感を覚えた。こんな美少年に――いや、それ以前に外国人に知り合いなどいない。それは断言できるのだが、この顔に見覚えがあった。この少年を、わたしはどこかで見かけた気がする。

「おい、本当に大丈夫なのか……?」

 思考に没頭するわたしの顔をのぞき込み、確認するように目の前で手を振りながら少年が再度問いかけてくる。それに答えようとした刹那、ざり、と土を踏むような足音がして思わず口を閉ざした。同時に人の形をした影がわたしの上に落ちる。

「気がつきましたか? ルーシャ・ティアニー君」

 耳に心地好く響く、やわらかな男性の声がそう問いかけてきた。その声に我に返ったらしい少年が身を引き、開けた視界に青空が映る。背中に当たる固い感触もあり、ようやく自分が地面に横たわっているということに気づいた。地面に手を突いて体を起こそうとするも、制止されたのでおとなしくそのまま横になる。

「どこか痛むところは? 吐き気がしたり、眩暈めまいがするということはないですか?」

 大丈夫だと答えようとそちらに顔を向けたものの、わたしは口を開くことすらできなかった。目を見開いて相手を凝視する。

 少年と場所を入れ替わるようにして地面に片膝を突いたのは、緑色の軍服めいた詰め襟服に身を包んだ三十代くらいの男性だった。藍色の髪に切れ長の琥珀色の瞳を持つ、声の印象そのままに優しげな風貌。この人をわたしは知っていた。


 ――そんなバカな。


 つぶやきは声にならなかった。不明瞭な己のうめき声を聞きながら、意識が遠くなっていくのを感じる。


 ――ああ、こんなことってあるのだろうか?


 暗くなっていく視界の中、慌てた様子で少年がこちらへと手を伸ばすのが見えた。

「ルーシャ・ティアニー!? おい、しっかりしろ!」

 呼ばれた名前がトドメとなった。テレビの電源を切るかのように、ブツンと意識が落ちる。


 ――あり得ない。まさか自分がゲームの世界なかにいるだなんて。そんなこと、信じられるわけがない――。



         ◆



 わたしはいわゆるゲーマーだった。特に好んでプレイしていたのは3DダンジョンRPGである。

 単にDRPG、あるいはWIZウィズ系とも称されるこのジャンルは、一人称視点でのダンジョン探索をメインとするゲームだ。拠点となる街で準備を整えてダンジョン探索へと繰り出し、ひたすらモンスターと戦ってアイテムを集めて拠点へと戻り、そして入手した強力な装備でさらにダンジョンを攻略する。基本的にシナリオというものはないに等しく、たまに存在するサブイベントなどもすべてテキストで進行する。いったいコレのどこが面白いのかと呆れられたことも多いが、この探索・戦闘・アイテム入手・準備・探索――といった一連のルーチンワークがわたしには非常に魅力的で、取り憑かれたかのようにこのジャンルばかり追い続けた。

 そんな中、強く印象に残っている作品がある。【学園都市シュルトバルト】――その名の通り、シュルトバルトという都市を舞台としたDRPGである。



 五百年ほど前に起きた大地震により、辺境の村で地下に埋没し、遺跡と化した城塞じょうさいが発見される。その遺跡からはそれまで見たこともないような魔物が現れて村人たちを襲い、多数の死者が出た。

 このことを聞き及んだ時の王は、村を始めその土地一帯を治める領主ごと切り捨てる決定を下した。自国の領土ではないので事態に対応する必要はない、というあまりにも子ども騙しな理論である。当然ながら他国もそんな厄介極まる物件に手を出すような真似はせず、大陸東端の中央あたりに位置する半島全域が【自治都市】という響きの良い称号を得る代わりにすべての責任を背負わされることとなった。

 一帯を治める領主・マクニール辺境伯は暫定措置として遺跡が発見された村の周囲に壁を築くことによって隔離し、ほかの村の安全を確保した後に調査団を投入した。

 甚大な被害を出しつつも調査団は帰還し、遺跡内部より多数の文献を持ち帰った。それらは現代では失われたとされる高度な術式フォーミュラを記した図面や研究書の数々であり、そのことを知らされたマクニール辺境伯とその側近たちの脳裏には一つの伝説が浮かんでいた。


 神によって滅ぼされたという古代帝国、アルフリーゼの伝説である。



 かつてこの大陸には高度な術式フォーミュラ――いわゆる魔法と呼ばれるモノ――の技術を持つ国があったと言われている。彼らはその技術を用いて大陸全土を版図に納め、地上に栄華を誇った。

 しかし時の皇帝・ナサニエルが不老不死に魅せられて研究を開始。動物、果ては人間を用いて不老不死を得るための実験を繰り返した。

 その驕りが神の怒りを買い、帝国の首都は地中深くに沈められた――というのがその伝説の概要である。

 よくあるたぐいの伝説ではあるが、これをただのおとぎ話と一笑に付する者は少数派である。

 その理由は術式フォーミュラだ。呪文に当たる陣を描き出すことによって発動する、秘術。それは地水火風の自然物を意のままに操作し、身体に負った傷を治癒する。

 それらの術がどこからもたらされ、そして廃れていったのか。その歴史は空白であるのだ。

 そしてその空白の時代は、帝国が地上に存在していたとされる時代とぴったり重なっていた。ゆえに、術式フォーミュラは帝国が開発した技術であるというのが多数派の見解なのだ。

 その見解が正しいのかどうかはさて措き、マクニール辺境伯たちはこの遺跡が失われた古代帝国の首都であると考え、このまま座して滅びを待つよりは、と遺跡を用いて活路を開く道を模索した。

 手始めにマクニール辺境伯たちは抱えていた術式士フォーミュラユーザーや騎士たちを教師役として、術式フォーミュラや武芸を教える学園を設立した。授業料を抑える代わりに、卒業後の一定期間、生徒たちを遺跡探索に利用する。そして探索によって得られた成果――もたらされる知識や、倒した魔物から得られる素材などを研究することによって新たな技術を開発、それを他国に売り渡すことによって資金面を確立する。そしてその資金を学園の設備投資や人件費等に用いて充実させていった。

 当然最初のうちは人の集まりは悪かったものの、身分にかかわらず武芸を学べるということで、次第に騎士を志す平民や低・中流の貴族の子息などが集まりだした。

 そうして数百年の時をかけて、名ばかりの自治都市だったシュルトバルトは名実共に学園都市へと発展を遂げていったのである。

 そんな学園都市の門を叩いた一人の若者。若者は難関と言われる入学試験を突破して生徒となり、遺跡へと挑んでいく。その若者こそが主人公であり、若者が送る学園生活を描くのがゲーム【学園都市シュルトバルト】である。

 ゲームの公称ジャンルは【ファンタジー学園ダンジョンRPG】。偽りを述べているわけではないのだが、内容を表すには少々言葉が足りないだろう。

 このゲームを知らない人に向けてざっくりと内容を説明するならば、主人公を操作して学園の人々と交流し、卒業を目指すというシロモノである。

 友情や愛情を、というくだりでお察しいただけるだろうが、恋愛アドベンチャーの要素が多分に含まれている。半分近くはアドベンチャーパートだと言っても過言ではないだろう。

 それだけならまだそういう仕様だとあきらめもついたのだが、問題は攻略対象キャラの無節操さと、主人公がキャラメイク方式であるという点だ。

 大多数のDRPGだと、最初から登録してあるキャラを使用する場合を除けば、パーティメンバーは自分で作る必要がある。このゲームもその慣例に倣い、ゲーム開始時に主人公をキャラメイクする。選択項目は性別、容姿、ボイス、学科の四点。学科とは一般的なDRPGにおける職種クラスに相当する。

 主人公以外のパーティメンバーは、アドペンチャーパートでイベントを起こして仲間にするというシステムだ。多少の例外はあるものの、この仲間になるキャラがそのまま恋愛アドベンチャーの攻略対象キャラとなる。同じ学園の生徒ではあるものの、ある程度年齢や性別にはバラツキがある。

 普通に考えれば主人公とは異なる性別のキャラが攻略対象となるはずだが、制作陣は何を思ったのか性別による攻略対象の縛りをなくした。企画当初はDRPGプラス女性向け恋愛アドベンチャー乙女ゲームであったらしいのだが、依頼されたイラストレーターによる「何故なにゆえ乙女ゲー?」という発言が発端で今の形となったようだ。NLノーマルBLボーイズラブGLガールズラブ何でもアリと非常にカオス、もはや制作陣が揃ってとち狂ったとしか思えない惨状である。余談であるが、発言者の意図としては「なぜそれを混ぜるのか」であったらしい。出典は限定版同梱冊子掲載のインタビューとのことである。

 攻略対象に関する問題点は上述の通りだが、主人公がキャラメイク方式であることの何が問題かというと、【性別が迷子になるから】である。性別を無視して容姿・ボイスを選択できるため、男装の麗人や女装男子といったことが可能なのである。ちなみにこの【性別迷子】が攻略対象にも存在するあたり、イロイロとお察しください。

 そのほかにも問題点は満載なのだが、【節操のない攻略対象キャラ】と【性別迷子な主人公】という二点が混ざった結果、【見た目はノーマルだが同性カップル】だのその逆だの、混迷具合に拍車がかかってしまったのである。


 ともあれ、この問題作と呼ぶべきゲームの主人公、ルーシャ・ティアニーに転生してしまったのが今のわたしの状況らしい。……本当に何の冗談だ、コレ。ちっとも笑えないんだが。

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