学園都市シュルトバルト

宵月

プロローグ

 鬱蒼うっそうとした森の奥深く。立ち入る者もいないような場所に、ひっそりと隠れるようにして一軒の古ぼけた小屋が建っていた。とても小さなその小屋は、台所と一続きになった居間のほかには寝室が一つしか存在しない。

 窓際に置かれた寝台には、一人の老婆が埋もれるように横たわっていた。その身は枯れ木のように痩せこけており、くすんでかさついた肌からは生気を感じられない。彼女の命が長くないであろうことは、誰の目にも明らかだった。

 寝台の枕元にひざまずく少女が老婆の手を両手で包み、祈るような仕草で己の額へとつける。

「お願いです、おばあさま。どうかわたしを置いて逝かないでください」

 そっとささやく少女の声が届いたのか、老婆が薄く目を開けた。自由になる左手を少女へと伸ばし、緩く波打つ紫銀の髪に触れる。

「ルーシャ」

 かすかな呼び声に、少女が弾かれたように顔を上げる。

「おばあさま……よかった、気がつかれたのですね」

 安堵のため息と共に吐き出された呼びかけには答えず、老婆は少女をじっと見つめた。

「……早いものだ。おまえも、もう十五になったか」

 そう独りごちると、老婆は身体を起こそうと手を突いた。しかし激しく咳き込み、寝台に突っ伏すように上体を折る。

「おばあさま、大丈夫ですか!?」

 悲鳴を上げて背をさする少女を押し止めると、老婆は震える指先で戸棚を示した。それはけして開けてはならないと言われていた場所で、一瞬戸惑う様子を見せたものの少女はすぐに立ち上がって戸棚を開けた。

 中には両手に乗るほどの大きさの、鍵のついた小箱が置かれていた。そっと小箱を持ち上げると、少女はそれを老婆の膝の上へと置く。

 老婆はしばらく小箱を見つめていたが、やがて服の下から鎖を引っ張り出すとその先にぶら下がっていた鍵で小箱を開けた。

 開かれた小箱には、一通の手紙と三日月をかたどった首飾りとが納められていた。

「これは、生まれたばかりのおまえが持っていたものだ」

 言われたことの意味を理解できず、まばたきして首を傾げる少女にはかまわずに老婆は言葉を続ける。

「よくお聞き、ルーシャ。わしはおまえの祖母ではない」

「……え? そんな……うそ、ですよね?」

 大きく瞳を見開いて弱々しくかぶりを振る少女をじっと見据え、老婆が口を開く。

「いいや、本当のことだ。十五年前、森の中でわしは生まれたばかりの赤子を見つけた。銀髪に紫の瞳を持つ、女の赤子――それがおまえだ。そして、その赤子の御包おくるみの中に入れられていたのが、これらの品だ」

 非情にも感じられる起伏のない声音でそう告げると、老婆は視線を小箱へと落とした。大事そうに小箱を一撫でし、それを少女へと差し出す。

 戸惑ったように瞳を揺らすばかりの少女に嘆息すると、老婆は一度小箱を下ろして少女の手を取った。逃げようとする少女の手を強く掴んで押さえつけ、その手のひらに手紙と首飾りとを押しつける。

 枯れ枝のようなその腕のどこにそんな力があったのか、老婆はもう一方の少女の手も掴んで押し重ねた。

「……シュルトバルトへと向かえ」

 ぐいと少女を己の方に引き寄せて告げる。

「そこにおまえの運命が待っている」

 鬼気迫る形相でそうささやくと、ぷつりと糸が切れたように老婆は倒れ伏した。

「……おばあさま?」

 恐る恐る少女が呼びかけるも、老婆はうつ伏せになったままぴくりとも動かない。

「おばあさま、しっかりしてください! おばあさま!! いやです、わたしを一人にしないで……!!」

 少女がどれだけ泣き叫び、とりすがっても、老婆が目を開くことは二度となかった。

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