第8話
午前七時のマクドナルドはぼくが予想していたよりも賑わっていた。どうして朝からハンバーガーを食べないといけないのかさっぱりわからない。ぼくがそう言うと、きっとハードコアなマクドナリストたちは一斉に反論することだろう。いや、朝はソーセージマフィンであってハンバーガーではない、とか、フィレオフィッシュがどう、とかね。うるさいよ。そういうことじゃないんだよ。ぼくは朝っぱらからマクドナルドなんて食べたくないのだ。
起き抜けの眠たい目をしながらコーヒーを飲むぼくとは対照的に、イイヤマくんはソーセージエッグマフィンをむしゃむしゃと食べている。痩せぎすのくせして食欲は旺盛なのだ。さして使い道のないカロリーを無駄に摂取しやがる。
マフィンをぺろりと平らげたイイヤマくんはナプキンで手を拭き、アイスティーをずずずと啜った。そしておもむろにポケットから智慧型携帯電話機を取り出すと、それを指先で巧みに操ってから画面をぼくに見せた。インターネット上の質問投稿サイトだった。
「なんだい? これは」ぼくは訊ねた。
「うむ。これはとある質問投稿サイトだ。ここに知りたいことを書くと、それを見た人が回答してくれるわけだ。2人では知恵が出なくとも、多くの人に訊ねれば妙案が浮かぶかもしれない。集合知というやつだ」
「ふうん……」
ぼくは画面を見て、投稿された質問を呼んだ。
「21歳の少女愛好家です。どうすれば……
Wilhelmさん
自分は21歳の大学生です。
8歳から13歳の少女が生物学的に最も美しい時期だと考えています。
そこでお訊ねしたいのですが、
そのくらいの女子の胸を触るにはどうしたらよいでしょうか?
実際に行為に及ぶと犯罪になってしまうので、できればそれくらいの胸をした
18歳の女子の胸が触れればよいと考えています。
ただの貧乳好きではありません。
ちなみに女性経験はありません。
ご回答をお願いします」
なんていうか、実に気持ちの悪い質問を丁寧に書き込んだものだ。丁寧な口調なのが余計に気持ちが悪い。話として聞くよりも文字として書かれると、殊更気持ち悪く見える。もはや気持ち悪いを通り越しておぞましい。ああ、気持ち悪い。
とはいえ、イイヤマくんは一応友だちなので、ぼくは努めて平静を装いながら訊ねた。
「これは……つまり、この質問をイイヤマくんが投稿したわけだね?」
「そうだ」
「ということは、この『Wilhelm』というのがイイヤマくんなのだね?」
そう訊ねると、イイヤマくんはいくぶん気恥ずかしそうにむっとして答えた。
「そうだけど……なにか?」
「へえ、なぜヴィルヘルムなんてドイツふうの名前にしたのだい?」
「べ、べつに特にわけなんてないさ。なんとなく思い浮かんだんだ。恣意的なんだ。こういうのは思いつくままにつけるものさ、つけるものなのさ」
「ふうん(どうして二回言うのだろう?)」
ぼくはそれ以上追及しなかった。というのも、ヴィルヘルムの由来がおそらくフリードリヒ・ニーチェにあることが推測できたからだ(ニーチェのミドルネームがたしかヴィルヘルムだ)。となると、イイヤマくんはニーチェの思想に傾倒しているのだろうか。それとも単に童貞仲間(先輩)としてシンパシーを感じているだけだろうか。でも、ニーチェは梅毒で死んだのだから、童貞ではなかったのではなかろうか。
「それで、どんな回答が寄せられたんだい? なにか役に立ちそうなものはあったの?」
「そう慌てるない。これからチェックするところさ」
いくぶん得意げにそう言うと、イイヤマくんは人差し指を操って画面をスクロールさせた。ぼくらは寄せられた回答に目を向けた。
「キ モ イ
おまわりさん、こいつです
ちょwww こいつヤバスwwwwww
マジレスすると、金でなんとかなるんじゃね?
どうでもいいな
DT乙」
見慣れない略語ばかりでぼくには半分くらい意味がわからなかった。これがインターネット上の
ひょっとしてイイヤマくんは少なからず傷ついているのだろうか。ぼくが顔色をうかがおうとすると、イイヤマくんは智慧型携帯電話機の電源を切って語り出した。
「やはりインターネットなんて役に立たないな。所詮こんなものは便所の落書きにすぎない。匿名で意見を発信することの無意味さがよくわかった。やはり意見というものは、個人がその固有名において担保しないかぎり説得力をもたないのだ」
思っていたよりも精神的にタフだったようだ。イイヤマくんの心は匿名の嘲笑程度では挫かれないのだ。このタフネスをもっとべつのことに使えばいいのに。
ぼくは黙ってイイヤマくんの話を聞いていた。いや、正確には聞き流していた。とはいえ、このままでは行き詰まってしまうことは明白だった。インターネット上で解決策を募るくらいだから、イイヤマくんにもこれ以上策はないのだろう。仕方なく、ぼくは思いつくままに提案をしてみた。
「あの、ちょっと思ったんだが、原因はぼくらの語法にあるんじゃないだろうか。ぼくらの採用しているエクリチュールが女性に縁のなさそうなものだから、結果的に女性の胸にも到達できないのではないかな?」
「ん? どういうことだ?」
「つまりね、女性の胸を触りたければ、女性の胸を触れそうなエクリチュールを獲得することが近道なのではないかと思ってね」
「む」イイヤマくんは小さく唸ったあとで言った。「それは興味深い指摘だ。つまりきみは、エクリチュールが言語運用にとどまらず、社会的なふるまい、その人の行動までをも規定するといいたいわけだな? それは実にそのとおりだ。自由であるつもりでも、われわれは、われわれの属する社会集団を構成する言語的定型に縛られている。いわば檻のなかに閉じ込められているのだ。われわれは所詮、エクリチュールの虜囚でしかないのだからな」
「そうだね」とりあえずぼくは相づちを打った。
「しかし問題は、女性の胸に縁がありそうなエクリがどんなものなのかわからないことだ。そいつはいったいどんな語法なんだろう?」
「うーん、それがわかれば苦労はしないんだけれど……そうだなあ。もっとチャラそうな感じ? みたいな?」
「おお! なんかよさげな感じじゃん? イケそうじゃん。おれら、マジでパなそうじゃん?」
「イイヤマくん、いいねえ。すげえ軽率に見えるじゃん?」
「おいおい。『軽率』なんて堅苦しい単語を使っちゃだめじゃね?」
「そうか。イイヤマくんも『堅苦しい』なんて使っちゃだめじゃね? もっと語彙を少なくして、表現を単語レベルにまで短縮して、いろんなことをイントネーションだけで表現しなきゃだめじゃね↑」
「OKOK。まじ楽勝↓ これで圧勝↑」
こんな感じでいけば、女の子をゲットするのも時間の問題じゃね? やばいぜ〜。マジ、パないぜ〜↑ アゲアゲだぜ〜↑
ぼくらゎ街を歩ぃた
超ィヶてる感じで
すると、道を歩ぃてぃる人の中に
マジかゎぃい女の子がぃた
黒髪ロングがさらさらの子だった
「なにしてんの?」
ィイヤマくんは声をかけた
でも無視された
「ねぇねぇ」
ぅちらは追ぃかけた
だって、その娘、ホントかゎいぃ子だったから
でもしつこく声をかけすぎたかもしんなぃ
「ぅぜー」
拒否られた
女の子はすたすた歩いて行った
どぅしてだかゎからなかったけど、失敗した
イィヤマくんがキモかったからかも
ナンパとか、やっぱできん
ぅちらにはムリだし
「イイヤマくん、やっぱり無理があるよ。ぼくらには荷が重すぎる。それに状況があまりに特殊すぎるよ。各駅停車しか停まらない駅の商店街にあるマクドナルド近辺で、通勤時間帯の忙しないときにナンパに応じる奇特な女子がいるとは思えない」
「それもそうだな。じゃあ、どうすればいいんだ?」
ぼくは頭を捻った。あまりにまちがえすぎているため、どこがどうまちがっているのかもよくわからなくなっていた。
「とりあえず、新宿に行こう」
ぼくは提案した。正確には、口に出したあとで初めて自分が提案している内容を理解した。なんとなく「新宿」という単語が口をついただけで、新宿に行けばどうにかなるという根拠はなにもなかった。
「どうしてだ?」
当然のことながらイイヤマくんが訊ねた。ぼくは適当な理由をでっち上げた。
「いやね、新宿の紀伊國屋書店に行けば、なにか役立ちそうな本が見つかるんじゃないかと思ってね」
「なるほど。紀伊國屋書店は老舗だからなあ。昔から、困ったときには紀伊國屋書店に行け!と言うものなあ。たしかにあそこならよい智慧が得られるかもしれない」
口からでまかせを言っただけだったのだが、イイヤマくんは説得されたようだった。たぶん、イイヤマくんは本屋さんが好きなのだろう。ぼくらは中央線快速東京行きに乗って新宿に行った。
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