第7話

 ヤスハタくんは3本目のアメリカンスピリットを灰皿に押しつけた。続けざまに4本目をくわえて火を点けた。

「それで、今日はどうかしたのか? ただ遊びに来ただけ?」

「いや、ちょっと相談があってきたんだ」げっぷをしたあとで、イイヤマくんはとした声で言った。

「相談? 金ならないぜ」

「いや、お金の話じゃない。女性の乳房のことだ」

「ちぶさ? てえと、おっぱいのことかえ?」

 ヤスハタくんは江戸弁で訊き返した。やはりある種の人たちは乳房の話になると、ついつい江戸弁になってしまうようだ。

「うむ。実はね。ボクらは女性の胸——とりわけ、8歳から13歳の女子特有の小ぶりな胸——を触りたい衝動に駆られているんだ。強く惹きつけられているんだ。それはいわゆる性衝動とはべつのものだ。もっと形而上学的で抽象的な、永遠性と美へと至る扉なのだ。だがしかし、残念なことにボクらにはそこへと至る回路が断たれている。そこでヤスハタくんに相談しにきたんだ」

「わからん。3行で頼む」ヤスハタくんは抑揚のない声で言った。

ぼくは答えた。

「ロリおっぱい

 触りたい

 紹介しろ」 

「なるほどね」ヤスハタくんは4本目のアメリカンスピリットをたばこ盆に押しつけた。「事情はわかった。だが残念ながら、おれにもあてはないな。たしかにおまえらに比べればおれのセックスライフは華やかに見えるかもしれない。でもさっきも言ったとおり、それはかなり特殊なものなんだ。女をとっかえひっかえしてるわけじゃなく、一人の相手と執拗にやりまくってるだけだからな。おまけにそれはちょっとした地獄絵図だ。とてもほかの女に手を出している余裕なんてなくなる。要するに、女の知り合いも多くないんだよ」

「ぐぬぬ……」イイヤマくんは歯ぎしりをした。

 ぼくの方はさほど期待もしていなかったのでがっかりしなかったけれど、イイヤマくんがあまりに残念がっているのでもう少し粘ってみることにした。

「それはよくわかるんだけれど、どうにかならないかな、ヤスハタくん。ぼくはおっぱいを触りたくて仕方ないんだよ」

「おまえも触りたいの?」ヤスハタくんは意外そうに言った。「まあ、そのへんは追求しないけども。うーん、そう言われてもなあ……。おれにできることといったら、彼女に相談して三人か四人でように頼むくらいだな。それならいけると思う。おれも負担が軽くなって助かるし、彼女も満足できる、おまえらもおっぱいにありつける」


 悪くない案だ。でもイイヤマくんは明らかに不満そうな目をしている。その目は不満足を通り越して、ヤスハタくんへの八つ当たりに転じそうな火種を孕んでいるようにも見える。それもそうだろう。13歳の胸と38歳の胸では親子ほども離れているのだから。彼にしてみればその提案は、うどんを食べたいという人間に、同じ小麦だからと、チャパティを給仕するようなものなのだ。

 ぼくとしてはその提案に乗りたい気分だった。写真で見るかぎり、ヤスハタくんの彼女はなかなか素敵な胸の持ち主だったからだ。そういうのは服の上からでもわかる。ほどよい大きさで、余計なところのないシンプルな乳房だ。ぼくの好みに合致する。年齢はいささか高めだが、妥協できなくもない。

 けれども、イイヤマくんのことを考えるとそうもいかなかった。彼を焚きつけてしまったのはぼくなのだ。ここでぼくだけが抜けたらどんなことが起きるか。考えるだけでおぞましい。近隣に住む無邪気な女子小中学生たちを危険に晒すようなことをしたら、年頃の娘さんをもつ親御さんたちに申し訳が立たない。


「うーん、悪くない提案だけれど、友だちの恋人の乳房を触るのはちょっとねえ……」

 ぼくがそう言うと、イイヤマくんは深くうなずいた。

「そのとおりだ。ボクらは友情に性的な事柄を持ちこみたくない。性的な事柄は友人関係を損ないかねないからだ。たしかにボクらの目的は崇高なもので、それは卑俗な性的衝動に彩られたものではない。しかしながら、それがまた性的な事柄であることも否定できない。つまり、ボクらとしてはだね、ボクら三人の友情に影を差す可能性のある行為に及んでまで目的を達成する気はないのだ。というのも、友情よりも大切なものなんてないのだから」

 よく言うよ。ヤスハタくんの彼女が13歳みたいだったら是が非でも懇願したくせに。

「まあ、そんなわけで、それはやめておくよ。お邪魔したね」とぼく。

「いや、いいよ。おれも妙な提案をした気がするし。きっと疲れてるんだなあ」

「滋養強壮には牡蠣がいいらしいよ。牡蠣フライでも食べたらいいんじゃない?」

「ああ、ありがとう。じゃあ、夕飯にでも食べるかなあ」

 そう力なく笑ったヤスハタくんを残してぼくらは退出した。


 外に出るともう日が暮れていた。今日のところは解散することにして、明朝七時にマクドナルドで会うことにした。場所と時間はイイヤマくんが指定したので、その理由はよくわからない。待ち合わせ時間がいささか早すぎる気がしたけれど、イイヤマくんは童貞のロリコンのくせに押しが強いので承諾するしかなかった。

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