鬼と少女 2/2

 コハクは暫くして、帰っていきました。

 運命に耐えられなければここにおいでと、地図を残して。

 私は地図を燃やしました。何処にも行かぬ誓いとして。

 そして夜が明けようかというころ、ベニが帰ってきました。

「やえ、何故居る」

 その姿に一度は絶句せずにはいられませんでした。

 いつもより一回りは大きい身体。燃えるように紅く染まり、逆立つ髪。身体も紅くなり、額からは二本の角。

「鬼…」

 それは、まさに鬼の姿。

「この姿を見るな。鬼は怖いのだろう」

 変わり果ててはいましたが、その声は、間違いなくベニのものでした。

「…おかえりなさい、ベニ。待って居ました」

 私は、意を決してベニの胸に飛び込みました。

「やえ」

「決めたのです。やはりやえは何処にもいきとうごさいません。ベニの隣にいたいのです」

「この姿が怖くないのか」

「怖いです、驚きました。でもベニだとすぐわかりました。ベニのことは怖くありません、やえはベニのことが好きです。何処かにやらないでください」

 必死に胸の中で訴えました。

 顔を上げたときには、ベニは元の姿に戻っていました。

 その日、私はベニと共に朝陽を見ました。


「父が山神の怒りに触れ、山神はその息子である私に呪いをかけた」

 ベニは私に朝陽を見ながら教えてくれました。

「この山頂は禁忌。何人も入れないように、ここに住まい人々を山から遠ざけろと告げられ、鬼の姿にさせられた。暫くして父が死ぬと、人の姿と鬼の姿を操れるようになった。時々鬼として人を脅かして山神との約束を守りながら暮らしている」

「前にコハクが、戻れなくなるぞ、と…あれは」

「最近しつこく山に入ろうとするやつらがいてな。鬼討伐をすると意気込んでいる。毎晩のように鬼になっているうちに、人に戻ることが難儀になってきた。…そのうちきっと、俺は鬼になる」

「鬼になってもやえはベニが好きです」

「……やえ。お前に話さねばならぬことがまだある」

 すがりつこうとした手をとられ、私は促されて正座をしました。

「鬼討伐を企んでいるのは、東雲の一族だ」

「………それは、私の一族がとんだ無礼を。しかしやえはもう東雲の人間ではございません」

「東雲がなぜ、女を跡取りにするか知っているか」

 私は答えられず、ベニを見ました。

「東雲の女には神通力が宿る。十五になると目覚めると言われる。東雲はその力を使い、代々鬼やもののけの類いを倒してきた」

「神通力…?」

「お前の義理の姉に東雲の血は流れていない。後妻がなんといおうと、あやつらには家を継ぐ力はない。その他に子はいないらしい」

「そんな」

「やつらは今、躍起になって神隠しにあったとされたやえのことを探している」

「そんな、まさか」

を倒すために、やえを探している」


 今更何をどう聞かされたところで、私の心は変わりません。

 しかし、彼らが私を探し、捕らえることはできるでしょう。ベニと会えないどころか殺せと脅されるなど。

 耐え難い屈辱です。

 ベニの話では、彼らが私の居所を占っていて、住み処がバレるのも時間の問題だろうとのことでした。それどころかその傍に鬼が居ることも気づいてしまうかもしれないと。

「遠くへ逃げるか」

「でもベニは、この山から離れたらどうなってしまうのです」

「俺はこの山を出られない。出たら身体中激痛が走り、数日過ぎればいずれ身体が腐り溶ける」

「ダメです、やえはベニの傍にいたい、山は出られません」

「それは、良いことを聞いた」

 不意に聞いたことのない声が聞こえました。見知らぬ女性が、縁側に立っていました。

「しまった、もう突き止めたか」

「八重さま。探しておりました」

「誰」

「東雲のものでございます。八重さまには大変な思いをさせてしまいました。我らと共に来てください」

「いや、いやです」

「鬼の戯言など聞く価値はございません。貴女は私たちの新たな長となるのです」

「やえはベニの傍に居ます!東雲には戻らないしベニを倒したりなんて死んでもしません!」

「では、こうしましょうか」

 女性が指をぱちん、と鳴らすと、ベニの姿が闇に溶け、あっという間にいなくなりました。

「ベニ!?ベニをどうしたのです!」

「里に転移いたしました。山から出せばいずれ死ぬなら、最初からこうすれば容易かった。もっと早く教えてほしかったものです」

「かえして!ベニを返して!!」

「里へ。私は先に行ってあの鬼を幽閉してまいります。要らぬ混乱を起こす前に」

 女性はそういうと、ベニと同じように闇に溶けていきました。

「ベニ!ベニ!!いや!いやぁ!死なないで、死なないで、ベニ!」

 私は家を飛び出しました。

 その時、私は自分のなかにとてつもない力が宿るのを感じました。

 空を滑る鷹よりも早く、私は走っていました。里の、家の場所など、最早覚えていないと思っていましたが、私の足は迷いなく、素早く、東雲の家を目指していました。

 ベニを死なせない。

 それだけを考えて。




「そうして、今、私はここに居ます。山からここまでの意識は朧気で、よく覚えてはいませんが」

 ひたり。ひたり。裸の足を進めます。

「気づいたらこの様でした。私の回りは血の海、たくさんの死体。私が殺したのでしょうね。恐らくは」

 ベニの捕らえられた檻の前。

「結界を壊すのに時間がかかってしまいました」

 怯え、蹲る女性を見下ろし、私は静かに言います。

「ベニを返して」

 女性の首が、音もなく吹き飛びます。

「ベニ。帰ろう」

「やえ…」

 ベニはとても悲しそうに私の名を呼びました。私はベニを抱えてまた山を駆け登りました。


 ベニは命は無事でしたが、残念なことに右腕が腐って落ちてしまいました。

 腕を生やす術を探すことにします。

 そのまま私は山頂を目指しました。

 ベニは危ないと言いましたが、私は不思議と、知っていました。其処は私たちの住み処となるところだと。


 あれから、半年が経ちます。

 私のお腹には赤子が宿っています。

 鬼と神に通じる力を持つ女の間にできたこの子は、新しい山神となり山を統べることとなります。

 山神様がそう、決めたと教えてくださいました。


 たくさんの人を殺めた私は、もう貴方とお会いすることはできません。

 もはや人ならぬものに等しい存在です。


 だから、最後の我儘を聞いてください。

 この山には鬼神の家族が住んでいて、人を寄せ付けないと。

 東雲にももはや、対抗するような力を持つものはいなくなったと。

 何人も、この山に入ってはいけないと。

 里の人々に伝えてくださいませんか。


 コハク、貴方も。

 どうかもうこの山には入らないでください。

 今までありがとうございました。


鬼と少女―完―

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