トンカツが食べたい
「トンカツが食べたい」
僕の突然の告白に相棒のハルマンはステーキを切るナイフとフォークを止めて、ぽかーんとこっちを見た。
「トン……カツ……? ですか?」
ここは僕たちが拠点にしているいつもの酒場兼宿屋で、料理が安くて旨い。いや、逆だ。料理が旨くて安いのでこの街に滞在するときはいつもここを使うのだ。
そして今は、晩ごはんの最中なのだ。
「それって、タクヤの国の動物ですか」
あっけにとられていたハルマンだったが、僕の言葉の意味に大体の見当をつけて、牛肉の塊から一口分を切り取る作業を再開した。
「違う。トンカツは料理だよ。ただまあ、トンというのは動物の名前だから少し合ってるけど」
「なるほど……ということは、カツというのが調理法ですかね」
ハルマンは察しが良い。魔法使いというのは大体そうだ。
「そうだよ。肉に小麦粉をまぶして、卵に浸けて、パン粉をつけて、油でカラッと揚げるんだ」
「へえ……パンをつけて揚げるんですか、なんだか奇妙な料理ですねえ。油に入れたらバラバラになりそうですけど」
「パンじゃない、パン粉だよ。乾燥したパンをすりおろして粉々にしたヤツ」
「なんだか面倒な料理ですねえ。でも一度食べてみたいですねえ。その材料ならこの店にそろっているだろうし、ゴルクさんに頼んで作ってもらいませんか」
「でも肉が……いや待てよ。そうか、チキンカツならできる!」
僕はフォークをくるりと回して逆手に握り直して揚げジャガイモに上から突き刺すとその反動を利用して席から飛び上がった。
「ゴルクさーん」
それから暫くして、僕らのテーブルにはキラキラと
「これが……カツですか。いいニオイですねえ。とても食欲をそそります。おや、どうしたんですか、タクヤ」
「えっ、いや、どうしちゃったのかな。僕もよくわからないけど、なんだかぐっとこみ上げてきてさ」
僕は堪えきれず、涙を流していた。
およそ一年ぶりに、元の世界にあったモノを見たら、懐かしさを感じてしまうのも無理はないだろう。
「ふん、俺は言われた通りに作っただけだからな。お前が思ってるモノと同じと保証はしないぞ。わからんから味見もしてない。だがしかしそれはいいから、さっさと喰え」
色黒で筋肉質、剛毛、仏頂面の中年が腕を胸の前で組み、不機嫌そうにうながす。《
「ありがとうゴルクさん。カツはね、揚げてすぐより、少しおいてからの方が美味しいんだ」
「そうか」
今か今かとそわそわするハルマンに急かされつつ、充分に待ってから僕はチキンカツにナイフを入れて、三センチ幅くらいに切り分けた。サクッサクッと小気味よい音がなると、僕たちは思わずゴクリと唾を呑み込んだ。
「タクヤ、もういいんですよね、食べても」
「うん。食べよう」
「俺にも少し喰わせろ」
僕たちはそれぞれにフォークを持って、チキンカツに突き刺した。
そしてそれを口に恐る恐る運ぶ。
サクッ。
ジュワアア。
「…………おい……しい」
いつもなら料理を食べた途端、決壊したダムのように口から言葉が噴き出てくるハルマンが、もったいぶるみたいに間をとってから、ゆっくりと漏れだすみたいな言い方で感想を延べた。
そしてゴルクさんが、それに被せるように叫んだ。
「うまい! なんだこれは!」
それを合図に、いつの間にか僕らを囲んでいた他の客が「俺にも食わせてくれ」「タクヤ、この間メシおごってやったよな」など、我先にと皿に飛びつき、瞬く間にチキンカツはみんなの手のなか口のうち腹のそこへと消えてなくなってしまった。
そのあとは食った食ってないで殴り合いが始まり、それはすぐにフィジカルエンチャント合戦に発展し、そのうち誰かが火の鳥を操り出したところで本格的な魔法戦となり、最後はゴルクさんがフライパンでみんなの頭を叩いて回る、この冒険者宿お決まりのパターンだった。
「バカヤロー、みっともねえ真似してんじゃねえ! ありったけの材料でお前ら全員に喰わせてやるから、財布ごと金出して大人しく座ってやがれ!」
それがどういう意味かみんなが理解するまでの数瞬の後、店内は大歓声につつまれた。誰一人として大人しく座らず、むしろ半分くらいは雄叫びをあげて跳ね回ったけど、ゴルクさんは気にも止めず厨房へ引っ込んでいった。
「チキンカツ……これは、ちょっとした事件ですねえ」
その夜は山と揚げられたチキンカツを肴に、明け方までドンチャン騒ぎが続いた。
◆◆◆
それから数日後。
僕たちは軽い仕事を済ませて、また《きのこの里亭》にやってきた。
どうもチキンカツが大好評すぎて、店の中は椅子の数より客のほうが多いという大混乱状態。ハルマンが馴染みの顔を見つけてテーブルに割り込んだ。
「よお、タクヤ。ゴチになってるぜ。こいつ、お前の国の料理なんだってな。ほんっとサイコーだぜ! なあ、他にも何か旨いヤツあるんじゃねーのか? 隠してると身のためにならないぞ」
「ははは……よしてよ」
「ああ、そういえばタクヤはトンのカツが食べたいと言っていましたねえ」
「何ぃ! トンのカツだって? なんだそりゃ、旨そうだな! おい、トンってなんだ」
「痛い痛い、ちょ、落ち着いてよ、トンっていうか、ブタだよブタ。ブタの肉で作るとトンカツっていうんだ」
「ブタ……ですか。それも聞いたことのない言葉ですねえ」
ハルマンは魔法使いなので、そこらへんの冒険者に比べれば随分と物識りだ。その彼が知らないとなれば……
「たぶん、この
よく覚えてないけど、ブタというのはイノシシを家畜化したもので、だから誰かがわざわざ創らないと存在しない動物なのだ。よって、この世界にブタがいないのもある意味当たり前だ。
「そういえば、イノシシはいるの?」
「イノシシ…ですか。それも聞いたことがありませんねえ」
どうやらいないらしかった。
「トンだかブタだかイノシシだか知らねーけど、要するに幻の珍獣ってことか。なんだそれ、余計に食いたくなってきたぞ!」
「そうですねえ、私も食べてみたくなってきました。タクヤ、そのトンというのはどういう生き物なのですか」
「どういうって言われても……うーん」
……あ、そうだ。
「僕の
オークならこの世界にもいた。
「うわあ、なんだか突然に食べてみたくない気分になってきましたねえ」
「つまり……ブタはオークの親戚ってことかよ」
◆◆◆
それから一ヶ月ほど後。
僕たちは大きめの仕事を済ませて、また《きのこの里亭》にやってきた。
相変わらずの大盛況の大混乱状態で、とうとう店の外でもひっくり返した木箱にカツなどの皿を広げ、ジョッキを振りかざして騒いでいる。ハルマンが馴染みの顔を見つけてカウンターに割り込んだ。
「よお、ハルマンにタクヤじゃねーか、久しぶりだな! そういえばお前ら、まだトンカツ食ってなかったろ。おごってやるよ。こいつはチキンよりサイコーだぜ!」
「えっ」
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