第8話 楽園
1.終業式の放課後
「それで?」
と、山田さんは普段と同じように愛想のない少し低めの声で言った。
想像していなかった切り返しに、僕の頭はパニック状態だった。
ただでさえ、中学校生活最後の夏休みに、潤いと花を添えるべく、前から好きだった同じクラスの山田さんに告白したのだけど、帰ってきた言葉が予想外だった。
「私の上山君のことを前から……」
「キモイ!近寄らないで!ムリムリムリ!絶対無理!」
大雑把に考えれば、そのどちらかに類する答えが返ってくるものだと思っていた。
YESならラッキー、NOなら夏休みが後悔と恥ずかしさで地獄の日々。
返事はそのどちらでもなく質問系だった。
「そ、それでと言われましても……」
僕は思わず言葉に詰まる。
僕より頭一つ小さい山田さんは、それまた愛想のない冷ややかな目で、そんな僕を見上げていた。
山田さんに告白するべく、呼び出した体育館の裏、終業式も終わり、真夏の陽射しは最高潮に達して世の中を蒸し焼きにしているのに、僕からは冷や汗が吹き出している。
「じゃあ、話は終わり?わたし、用があるから帰るから」
そっかー、用があるなら仕方ないよなと思いながら去っていく山田さんの後ろ姿を見送った。
解放されたと思う反面、けっきょく僕が告白しただけで、山田さんから返事は何ももらえなかった。
それで?ってどういう意味だろう?と考えた。
OKだろうか、NOだろうか?少なくとも首の皮一枚繋がっている気がしないわけでもない。
「……あの」
つい、山田さんを呼び止めてしまった。山田さんは振り返りながら言った。
「なに?」
「さっきの、それで?の答えなんだけど……」
「あぁ。それで?」
「……宿題と言うことで……でき次第、メールするという形で……」
それを聞いた山田さんは小さく笑い、解ったと言って帰って行った。
2.メール、夜明け前
学校から帰り、母親に成績表を渡してすぐに自分の部屋に引きこもると、携帯を握りしめながら「それで?」について考えた。
頭の中でぐるぐる回り、いつの間にか眠ってしまった。
メールの着信音で目が覚めたのは午前四時で、外を見ると空が青白くなり始めていた。
見てみると山田さんからのメールだった。件名は無題と言うところが山田さんらしい。
自分が宿題を送る前に、山田さんから先にメールが来たことにちょっと戸惑いながらメールを開く。
殺した
妙に物騒な言葉が本文にあっただけ。
あまりにも物騒だったので思わず口に出して読んでみた。
「ころした……?」
おそらくそれはそのままの意味で、冗談を言うタイプでもない山田さんだったので、おそらくそれは、それ以外の意味をもっていない。
僕は財布と携帯を手にして家を出た。
幸い、母子家庭で母親は夜の仕事をしているので、こんな時間に外に出ようともうるさく言う人はいなかった。
山田さんが住むアパートは、僕の家から500メートルほど離れている。
自転車ならすぐの距離であり、なぜ僕が山田さんの住んでいる場所を知っているのかというと、日ごろの情報収集の賜だと言って良いだろう。
薄暗い避け前の町を全力疾走で駆け抜ける。
夜明け前にしてようやく冷え始めた空気が気持ちよかったのだけど、メールの内容を思い出すと気が重くなった。
山田さんのアパートの前につき、電話をしようか迷ったけども、結局はメールで部屋の前にいることを送ると、アパートの二階のドアが開いて、山田さんが手招きしているのが見えたので、僕はその部屋に向かう。
玄関の所で学校指定の小豆色のジャージを着た山田さんが待っていた。
「あがって。狭くて汚いから、靴は脱がなくていいから」
「……おじゃまします」
本当に狭くて汚くて、床はカップラーメンの容器とかビールの缶が散乱し、その中に下半身裸で中年の男が頭から大量のどす黒い血を流しながら、白目を剥き仰向けに倒れているのを発見した。
むき出しの股間からは小便やら大便が垂れ流され、精液もぶちまけられているので、部屋の中は異臭が充満していた。
「は、犯人は、こ、この中にいるっ!?」
「わたしがやったの。一応、父親よ、それ」
「そうだ、救急車を呼ぼう」
僕が換気のために窓を開けながらそう言うと、山田さんは首を横に振り、どっちかと言うと警察ね、と吐き捨てる様に言った。
「なんでこんな事に……」
「そこの金属バットで5、6回ぶん殴ったから」
「いやいいや、なぜ殴ったのかと言う事なんだけど」
山田さんは床に積もり上がったゴミの中からノートパソコンを掘り出すと、電源を入れいくつか操作して僕に差し出した。
「母親も、父親に愛想を尽かして逃げちゃったし、今はこれがウチの収入源」
見ると動画ファィルが立ち上がっていて、今より少し幼く見える山田さんが映っていた。
頭を撮影者に片手で押さえられた幼い山田さんは、お父さん止めてと言いながら涙目。
そこに映りこんだ、すでにギンギンのデンジャーを無理矢理、唇に押しつけられていて、デンジャーを口の中にねじ込もうと動いていた。
固く目と口を閉じた幼い山田さんの鼻を、撮影者は摘むと、息ができなくて咽せながら口を開いたところに無理矢理ねじ込んだ。
喉の奥まで一気に突っ込まれた山田さんは、むせてしまい、アレくわえたまま嘔吐していた。
「アウトー!!」
僕はそう言いながらノートパソコンを閉じた。
「それはシリーズ第2作目で、今はパート16を制作中だったんだけど、もうイヤだって言ったのに父親が承知してくれないんで、ぶっ叩いたの」
これは仕方ないなと僕は思った。
世の中には死んだ方がいい人は必ずいると思う。
死んで仕方のない人間に、人生を狂わされ続けるくらいなら、そう言う選択肢もあるだろう。
その時、視界の端で何かが動いた。
見ると、死んでいるはずの山田さんのお父さんだった。
気を失っていただけだったのか、こういう人間に限って妙にしぶとかったりする。
そんな事を思っている隙に、山田さんは横に置いてあった金属バットを手に取ると、豪快なフルスイングで父親の頭をはじき飛ばした。
乾いた良い音が何度も聞こえる。
外を見ると、すっかり太陽が昇り、夏の陽射しが今日も暑くさせることを告げていた。
「ちょっと!山田さん!?朝からドタドタ近所迷惑なんですけど!!」
隣近所の中年の女性の声が、玄関のドアをノックする音と共に聞こえてきた。
「やばい、財布とか携帯とか必要なものだけ持って逃げよう」
僕がそう言うと山田さんはもう用意してあると言って、学校指定の手提げカバンを手に取ると、玄関とは正反対の窓を開け、
「ここから隣の家の屋根を伝って下に降りられるから」
と言うと、ネコのようなしなやかさで飛び出して行った。
僕も後に続き、地上に降りた。
僕だけが自転車を取りにアパートの正面に忍び足で行くと、山田さんの部屋のドアの前で、中年のおばさんが怒鳴っているのが見えた。
「家賃も滞納してるし、今日という今日こそは、顔を出してもらって話をさせてもらいますよ」
そう言うと、おばさんはノブに手をかけ空いていることに気づいたらしい。
その後のことを見届けずに、僕は自転車を走らせると、少し先で待っていた山田さんを後ろに乗せ、通勤で人が増え始めた町の中を走り始めた。
3.楽園
コンビニで買ったアイスを公園で食べながら、僕らはこれからどうするのかについて話し合っていた。
「いずれにしろ、事件が発覚してしまえば、捕まるのは時間の問題ね」
山田さんはそう言うと食べきったアイスの棒を放り投げた。
「どうするの?」
「せめてそれまでは逃げるわよ。この夏の間くらいは。お金もコンビニで引き落としてきたから、結構あるし」
「じゃあ、どこか行く?」
「そうね、……楽園とか行ってみたい」
「死んじゃダメだよ、生きていればどこだって楽園になるって何かで言ってたし!」
「極楽に行きたい訳じゃないんだから、死ぬ気なんて無いわよ。でも、生きていればどこだって楽園になるなんて嘘よ。この町で生きてきたけど地獄でしかなかったもの」
そう言うわけで、僕たちは楽園に行ってみる事にした。
楽園でイメージするものを二人で出し合ってみる。
「南国」
「赤道直下」
「白い雲」
「青い海」
「白い砂浜」
「照り付ける太陽」
「無人島」
「金髪、トップレス」
「……金髪、トップレス?」
僕が最後に出したイメージに、疑問がありそうな山田さんだったけど、とりあえず僕は話を続けた。
「海外は無理だから、やっぱり無難なところで沖縄辺りがイメージに近いのかな?」
「いいんんじゃない?それで。でもどうやっていくの?」
僕らは沖縄を目指して行動を開始した。
しかし、僕らの逃亡劇は意外な展開をみせる。
間違って乗り込んだフェリーは気が付いたら北海道に着いていた。
「……まぁ、これはこれで……ほら、生きていればどこだって楽園になるって言うし……」
港に着いて船を下りてから山田さんはとても不機嫌だった。
それでも港近くの市場にある店でイカそうめんを食べると機嫌も直り、とりあえず札幌行きの電車に乗る。
北海道は冷夏だそうで、陽射しがある日中は気温が上がっても、湿度がないので僕らが住んでいた町に比べれば涼しいくらいだった。
電車は海岸線を走り、僕らは会話も少なく窓の外の景色を眺めてる。
僕らが山田さんの部屋を出た後に、事件はあの中年のおばさんによって発覚したらしく、テレビのニュースで何度か取り上げられていた。
ニュースによれば、山田さんのお父さんは意識不明の重体らしく、それを聞いた山田さんは凶悪な顔をして舌打ちした。
警察も山田さんが事件の詳細を知っていると見て行方を捜しているそうで、同じく行方が解らなくなっているクラスメイトの僕も、行動を共にしているものとして行方を捜しているそうだった。
時折、携帯を見てみるとメールの履歴が凄いことになっていたけど、それぞれの中身を見ることは無く、ワンセグでテレビのニュースを確認したりする程度で、それ以外の時は電源を切っていた。
「帰りたくなった?」
携帯を見ていた僕に向かって山田さんが言った。
「そんなことはないよ。山田さんといろいろな所を回れて楽しいよ」
「そう言えば、宿題はどうなっているの?」
「……宿題って?」
「……それで?」
色々あってすっかり頭の中から吹っ飛んでいた。
あの終業式の日から、ずっと夏が続いていて、もう何年も経ったような気がした。
でも今なら、言えそうな気がする。
「……山田さんと、いろいろな楽園に、もっと行きたい」
山田さんはあの日と同じように目元だけでニヤリと笑い、
「50点」
とだけ言うと僕に寄りかかって眠り始めた。
50点は厳しいよ、と思ったけれど、残りの50点を得るのには、もうそれほど多くの時間が無い事も理解している。
4.夏の終わり
北海道は天候が悪い日が多くて、農作物の不作が問題だとテレビで言っていたが、暑さがたいしたこと無いことは僕らにとっては都合は良く、野宿なんかした夜は逆に寒くて凍えそうだったりしたけれど、いろんな場所を廻ってそれは楽しい逃亡だった。
山田さんがどうしても見たいと言った富良野の風景も見終えて、僕らは美瑛を抜けて旭川で旭川ラーメンを食べるべくバスに乗っていた。
丘陵地帯には舗装された一本道が延々と続き、両脇には牧草地と農地が広がり、これぞ北海道な景色に目を奪われていた。
そしてその一本道の遙か向こうに僕は嫌なものを見つけた。
「……山田さん、降りるよ」
停車ボタンを押し、何が起こったのか解らない山田さんの手を引いて、バス停に停車したバスを僕らは降りた。
日は傾きかけていて、夕陽の色が世界を染めている。
まるで世界の終わりみたいだと僕は思った。
「……何かあった?」
山田さんがそう言ったとき、遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてきた。
バスの逝く先の一本道に、にパトカーの赤色灯がたくさん見えたからバスを降りたことを山田さんに言わなかった。
「……もう、夏休みも終わるし、この辺でいいんじゃない?」
手を繋ぎ、バスでやってきた一本道を逆戻りする。
「まだ、夏は終わって無いじゃないか」
「今年の夏は短かったのよ。天候も不順だし」
坂道を見上げると、その方向からもパトカーが赤色灯を回してやってくるのが見えた。
「……本当の楽園なんてなかったなぁ」
僕はそう言ってアスファルトに座り込んだ。
「ここが楽園でいいじゃない」
山田さんはそう言って愛想のない顔で僕の顔をのぞき込んだ。
「そう言えば、宿題なんだけど……」
「……それで?」
「……山田さんと手を繋いで、山田さんを抱きしめて、山田さんとキスをして、山田さんとセックスして、山田さんと一緒に生きていきたい」
それを聞いた山田さんは嬉しそうに笑った。
そして僕の頬に軽く口づけして言った。
「続きはまたいつかね」
パトカーのサイレンの音が近づいてくる。
僕はきっと続きなんて無いんだろうなと思いながら、山田さんとパトカーが来るのを待った。
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