第8話 小麦屋なのです
「ワンワンワン!!」
「うきゃああああああああああ!?」
飛び出して来た陰の正体は柴犬であった。
驚いた拍子に猿のような甲高い悲鳴を上げるサナエルは急いでテルオの後ろに隠れた。
「はっはっは、キャベツ、お前も今日も元気そうだな」
「び、びっくりしたのです! い、犬さんなのですか!?」
「ああそうだよ。名前はキャベツって言うんだ。このパン屋の看板犬だよ」
キャベツと呼ばれた柴犬は、キャベツと書かれたプレートの付いた犬小屋から首輪にヒモが繋がれており、これ以上二人に近づけない様子である。それでも食い殺さん勢いで、後ろ足で立ち上がりながら吠え続けている。
「ワンワンワンワン!! ガルルルルルル!」
「えーっと……また来やがったなテルオ、今日こそはテメェの喉元噛み千切って、ミンチにしてやらぁ! ……って言ってるのです」
「え? 今のキャベツが言った言葉か?」
テルオがそう聞くと、サナエルは頷く。
「そうなのでよ!」
「こわ! サナエルちゃん、もしかして犬の言葉が分かるのか!?」
「当然なのですよ! 犬さんとも会話が出来るのですよ!」
何でもありだなとテルオは思いつつ、一つ願い事が浮かび上がってしまった。
「ならサナエルちゃん、コイツに何でいつも店に近づいたら噛みつこうとしてくるのか聞いてくれないか?」
「それならお安いご用なのですが、そんなに噛まれるのですか?」
「ああ、月に三回は噛まれる。話によると噛んでくるのはどうやら俺だけらしくて、他の人達には愛想が良いらしいんだよ。この犬っころは……」
溜め息混じりにテルオは返す。
「分かったのです。それじゃあ、キャベツに聞いてみるのです!」
了承したサナエルは、ゆっくりキャベツに近づいていき、犬のように吠え始める。
「ワンワンなのですワンなのですワンワンなのです!」
「ワンワンワンワン!!」
サナエルが真面目にやっているのか不安になってくるが、キャベツが返事をするように吠える様を彼女は「なるほどなのです!」と頷いていた。
「なあ、それでキャベツはなんと?」
「えっと、リョウコに近づく、不届きな発情エロ猿のテルオをキャベツは騎士道の名の下に制裁を下しているのだと言ってるのです」
「はあ!? 別に俺は、
犬に対して怒るテルオ。
今度はサナエルの頭の上に疑問符が浮かび上がる。
「トリシロ? リョウコ? うーん……テルオ、その人は誰のことなのです?」
サナエルが初めて聞く名前に、テルオは説明しようとする。
「ああっと……鳥城リョウコさんって言うんだ。その人はだな……」
説明しようとした最中、パン屋の出入り口であるドアが、ベルを鳴らして開く。
店の中から、三角巾を被った一人の女性が覗き込んできた。
「あの……テルオさん、大丈夫ですか?」
サラサラの黒く長い髪を後ろにまとめ、三角巾とエプロンを纏った優しい雰囲気をかもし出す女性は、出てきて早々にテルオの心配をする。
「ああ! これはどうも鳥城さん! 丁度良いタイミングで来てくれました!」
テルオは女性を鳥城と呼び、いつも以上に元気良く挨拶をする。
「え? タイミング良かったんですか? ……いえいえ! そんなことを言っている場合ではなくて! テルオさん怪我はしていませんか? またキャベツに噛まれたりとか……」
鳥城リョウコは、驚きつつも再度テルオの心配をする。
「あー、今日は噛まれてませんから安心して下さい。ウチの連れが、キャベツと戯れていただけですよ」
テルオの答えにリョウコはホッとしつつ、彼の連れだと言われたサナエルを見る。
「あら!」
リョウコをぼんやりと見上げるサナエルに対して、彼女は目線を合わせる為にしゃがみ込む。
「こんばんは、可愛い天使さん」
「こんばんはなのです! 凄いのです! サナエルのことを天使だと見破ったのです!」
「その可愛い見た目で分かるわ! サナエルちゃんって言うのね、私は鳥城リョウコ。ここのパン屋で私のお母さんと働いてるわ。お名前からして外国から来たの?」
「サナエルは、
「イデアか……うーん、聞いたことがない地名ね。遠くから来たのかしら?それにしてもサナエルちゃんは日本語上手ね!」
「フフン! サナエルは天使なので、どこの国の言葉でも話せるのです! 犬さんとも話せるのですよ!」
「あら~それは凄いわね! それじゃあキャベツとも友達なってくれるかしら?」
「もちろんなのです! キャベツ、これからよろしくなのです!」
「ワン!」
「ありがとうサナエルちゃん! キャベツと仲良くしてね! それにしても良く出来てるのねコレ、最近のコスプレって凄いわ~」
そう言いながら、リョウコはサナエルの頭に浮いている天使の輪を摘む。
「えっと……それで、テルオさん。この子はいったい……」
リョウコは天使の輪を摘みながら、蚊帳の外だったテルオへ振り向く。
質問に対してテルオは、予想はしていたものの返答に困ってしまった。
「あー、えっとー……」
また今更ながら29歳無職の男が、家族でも何でもない幼女を連れ回していたなんて、事案が発生して捕まってしまう所だ。
万が一補導されたとして、関係性を問われた時に「この子は空から落ちてきた天使です」なんて言ったら豚箱待った無しだ。
リョウコとサナエルの会話から、無難な嘘を組み立てる。
「し、知り合いの人の娘さんでして……あ!ほら! ホームステイって奴ですよ!」
「ああ! なるほど! そういうことなんですね! ……良かった」
何故かリョウコが胸をなで下ろす。
テルオもなんとか誤魔化せたと胸をなで下ろしつつ、本来の目的を思い出す。
「そうだ! 今日もまたパンを買いに来たのですが……まだお店やってます?」
リョウコに尋ねると、彼女は笑顔で頷く。
「はい! 小麦屋はまだ営業中です!」
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