天国……天国……
第7話 お腹がすいたのです
気付けばカラス鳴く夕暮れとなっていた。
子供達も帰宅する橙色の公園に、男と幼女はベンチに座り、徐々に長くなっていく自分達の陰をぼんやりと見つめていた。
「困ってる人がいなかったぞ……」
歩き疲れ脱力しきったテルオは、うわ言のように今日の結果を呟き、続ける。
「自殺しようとしてる人は勿論、事故死しそうな人も、横断歩道を渡れなくて困ってる老人も、コンタクトレンズを落として探しているような人すらいなかったぞ……」
街中を歩き回り、人助けをしようと意気込んでいたは良いものの、困った人など見つからず、平和な午後だった。
頭を抱えるテルオをサナエルは不思議そうな顔で見つめる。
「テルオ、さっきから何故人間さんばかりを探しているのです?」
「……は?」
彼女は、ベンチに座って足をぶらつかせながら、買ってもらった缶ジュースを飲む。
「困っているのは、人間さんだけではないのですよ? 動物さんや虫さんも皆困っているのですよテルオ! それは不公平なのです!」
「いやいや、ちょっと待ってくれ……」
疲れ切ったテルオだが、体制を元に戻す。
「もしかして例の善意点って奴は、人間だけじゃなくて、この世の生き物全部対象に入ってるのかよ!」
「当然なのです! この世に生きる全ての者達は、皆平等なのです!」
「そういうのは、早く言ってくれよ……」
それなら補食されそうな虫なんかを助けでもしたら、一気に点数が稼げたかもしれない。テルオはその言葉を聞き深い溜め息を吐いた。
そんな彼に、サナエルは質問する。
「そう言えば、テルオは何で死にたいのですか?」
テルオは幼女へ顔を向けると、真っ直ぐ純粋な眼差しを向けてくる。
こんなに真っ直ぐ見つめられる経験をしなかったテルオは、少し慌ててしまう。
「い、いや……何でって……」
テルオは、サナエルの質問に対して答えようとする。
何故死のうと思っているのか。
改めて思いを巡らせ思い出すように語った。
切っ掛けは、勤めていた会社を自主退社したからだ。
社長に失言を言ってしまった為、上司や同僚から何ヶ月も精神的に攻められた。
周りに助けてくれる人はおらず、耐えられなくなって自主退社したのである。
会社を辞めて清々したが一つのミスで一人の人生を変えてしまい、それを曲通せてしまう社会にテルオは納得がいってなかった。
いや、テルオが社会に出る前から、この世界はどこか間違っていることに気づいていた。
学生時代にアルバイトをしている時も、女の子と喋ってばかりで仕事をしない先輩と同じ時給で働いていたこと――
自分に気のある素振りを見せていた女の子のことが好きになり、告白したものの振られ、後から年上のイケメンと付き合っていたこと――
中学生の時に、変な名前だとかどうでもいい理由で不良グループに絡まれていたこと――
父親が死に、残された母は俺に対してとても厳しく、どんなに頑張っても、怒鳴りつけてくる始末だったこと――
振り返ってみれば、本当にしょうもないことに振り回される人生だと思っていた。だが、この辛いことを耐えていれば、きっと後から幸せになれるという謎の理論……いや、そう思わないとやっていけなかった自分に気づき、気づいた頃には29歳の彼女も資格も持っていない無職となっていた。
ここからやり直しが出来るかもしれないが、頑張ったところで
これから上手く行くイメージが今までの経験から想像出来ず、出来たとしてもそこに幸せがあるのかも見いだせなかった。
そして、どうでも良くなった。
この先が真っ暗に見えたのだ。
産まれるということ事態が、生きている間苦しむのと同義なんだと悟った。
この先の未来に良い事があるだとか……どうでも良くなった。
それよりも、今すぐこの苦しみから解放された方がよっぽど楽だという事に気付いた。
そんなしょうもない動機だった。
「……まあ、そんなこんなあって死にたいって思ったんだよ。
ふと、静かになったサナエルを見てみると、潤んだ瞳で見つめていた。
「サ、サナエルちゃん?」
「テルオ……
サナエルは、突然テルオに抱きつく。
「テルオおおおおおおお! 今まで良く頑張ったのですよおおおお! 辛かったのですねえええ! よしよし!」
うわーん! と、サナエルは泣きながら彼の頭を撫で回す。
「わ、分かった! 分かったから離れなさいサナエルちゃん!」
心地よい感触だが、周りの目が気になるので、泣きじゃくる幼女を引き剥がす。
サナエルは涙を拭い、
「テルオ! テルオは良く頑張ってるのです! サナエルは、
「お、おう……ありがとう」
天使にとって、そんなに感動するところだったのかテルオは困惑するが、こんなにも励まされたのは初めてだった。
……なんだ?
テルオは、未だこの世の醜さは払拭していない。でも何故か、少しだけ肩の荷が下りた気がした。
そんなことを考えているとサナエルの腹の虫が鳴り響く。
「……そろそろ晩飯にしとくか」
「おお! ご飯なのですか!」
「おう、とりあえず、善意点はまた明日にするよ」
二人はベンチから立ち上がった。
電灯がともり始めた薄暗い道を二人は歩く。テルオの後を追い、サナエルは小走りでついて行き、やがて一件の明かりの灯ったお店に着いた。
「着いたぞ」
テルオは一軒家を改装した小さなお店を指さし、サナエルはそちらを向いた。
「ここは……何なのですか?」
すると、テルオは壁がガラス張りから見えている陳列物を指す。
「パン屋だよ。小麦屋って言って良く通ってるんだ。この時間になると安くなるしな」
「パンなのですか!」
サナエルはガラスに顔を押しつけ、食い入るように中を見入る。
「天国にもパンはあるのか?」
「もちろんあるのですよ! サナエルはパンが好きなのです! 早く入るのですよ!」
サナエルがお店の入り口に近づいた時だった。入り口付近に何かが座り込んでいたことに気づく。
薄暗い闇の中に潜むそれは、サナエル達が近づいた途端、光眼孔とギザギザの歯を剥き出しにする。
「へ?」
何者かの存在に気づいたサナエルは、その場で足を止めた。しかし、止まるのを見計らっていたのか、その黒い陰はギザギザの歯から、赤い口を口内を見せつける。
「な、何者なのです!?」
サナエルが構えるのも束の間、その黒い陰はサナエル達に飛びかかった。
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