第4話 ミドリムシなのです
「な、何なんだ?それは?」
手の平の印鑑の正体を尋ねると、サナエルは答える。
「これは通信簿を見るための物なのです!」
「通信簿?」
テルオの疑問にサナエルは気にも止めないまま、
「えいっ!」
彼女は何のためらいもなく、テルオのデコに判子を押す。
「あ」
テルオは理解が追いつかず固まり――
「う、うわあああああああああああああ!?」
今度はテルオのデコが、光を放ち始める。判子を押された部分から中心に光は分散し、やがて筒のような細長い棒が額の奥底から伸びてくる。
角のように生えてくるそれは、ある程度伸びた所でポロリと床に転がり落ちた。落ちると同時に、テルオの額の光は縮小し、何事もなかったように収まった。
「な、何をするだぁ!」
額を押さえ、息を整えるテルオをニコやかにサナエルはふんぞり返る。
「フフーン、これは
「なんだそのSF洋画みたいな名前は?」
と聞きつつ、テルオは落ちた
よく見ると、円柱状のそれは、丸められた紙であることに気づく。
「これは、また
そう言いながらサナエルは、テルオの額から産み落とされたその紙をためらいなく拾い上げる。
「ここに書かれているテルオの善意点が、合格ラインに達して居れば、
サナエルは、許可無くテルオの通信簿を見開く。テルオは特に咎めず、彼女と一緒に通信簿を覗き込んだ。
すると、紙の左端にデカデカと赤ペンで点数が書いてあった。
「……79点」
高い!
……のかもしれないが、誇って良いものか微妙な点数だった。
「なあ、サナエルちゃん。この点数で
「あああああああああああああ!! おしいのです!! 後1点で
「マジで!?」
サナエルの言葉に思わず通信簿を見返す。
「79点なのです! あと善意点が1点あれば80点! テルオの望みが叶うのですよ!
「……」
今までテルオが生きてきた中で、点数という物なんてどうでも良い思ってきた。
100点を取ろうが、80点を取ろうが、0点を取ろうが、その場限りの数字であって、人間の価値を左右する物ではないと彼は斜に構えていた所があった。
「なあ……どうやったら、この点数を上げられるんだ?」
だが、この通信簿に書かれている点数に対して、彼は初めて執着心を抱いてしまった。
後1点で、天国に行ける。
この腐った世界からオサラバし、極楽浄土へ行けるのだ。
「善意点を上げれば良いのですよ! この世に住む生き物に対して、無償の愛を捧げる事が善意点を溜める秘訣だと大天使様がおっしゃっていたのです! つまり、良い行いをすれば良いのです!」
眼がマジになるテルオに、サナエルは笑顔で答える。
その笑顔に、テルオも暗くほくそ笑む。
適当に募金活動へ金を突っ込めば良いだけであったり、落とし物を拾って交番に届ければそれだけで善行となる。
良い行いなんて物は、小さい事であれば悪い事よりも勇気を出さず簡単に行えるのだ。
フッフッフ、とニヤケ面の止まらないテルオを気にせずサナエルはフムフムと通信簿を眺めている。
「なるほど! テルオが落ちているサナエルを救おうとした時に、善意点が20点入っているのです! そう言えばお礼を言ってなかったのです! テルオ、助けてくれて、ありがとうなのです!」
「え? あ、ああ……いや……まあ」
不意に女の子からお礼を言われ、テルオは驚く。
そう言えば、このようにお礼を言われたことはなかったと、彼は思ってしまった。
サナエルを救う前は、点数を差し引いても59点あったことになる。平均がどれ位かは分かっていない。無自覚であったが、どこかしらで誰かに良い事をしたり、悪い事をしたりして、この点数になっていたのかと彼は考え深いものを感じてしまった。
「それにしても、あのままサナエルを助けずに死んだら、たぶん親不孝点で11点引かれてしまうので、テルオはミドリムシさんからやり直しになっていたのです! そう考えるとサナエルを救ってもあのまま死んでしまったら
「……はあ?」
サナエルが聞き捨てならない言葉を放ったのをテルオは聞き捨てない。
「ミ、ミドリムシ?」
「はい! 池にいる緑色のあのちっさい奴なのです!」
彼女が言っているのは、小学生の理科の時間に勉強した植物なのか動物なのかさっぱり分からない単細胞生物の名前である。
テルオがあのまま死ぬと、天国や地獄に行く訳ではなく、食物連鎖の最下層であろう(たぶん)ミドリムシに転生してしまうらしい。
「そ、それと、親不孝点ってなんだ?」
そして、さらに気になるのがこの単語。
たぶん、この単語はこの通信簿の点数を減らす物であることは確かであろう。
サナエルは、思い出すようにテルオの質問に答える。
「えっと……自分の親より先に死んでしまったら、生命として命の連鎖の輪を断ち切ってしまうことになってしまう行為なので、減点項目だった気がするのです。ただ、ちゃんと子孫を残した後や親が子供を殺してしまうこともあるので、減少点の振れ幅が大きい点数なのです」
純粋無垢そうな幼女から、少しエグい話を聞かされた。その内容も気になる所だが、テルオが気づいたのは、この通信簿の点数はたぶんこの世界に住む人々を基準にした物ではないということである。
サナエルの今までの発言から考えるに、これは神様って奴が作ったルールであり、天国に住んでいる天使達の感性を基準に作られた物だ。
と、いうことは、テルオが考えている程甘い物ではなくなってしまった。自分が良いことだと思ってやった行為が、実は減点対象だったなんてこともありうるのだ。
「サナエルちゃん」
テルオはガッシリとサナエルの肩を掴む。
「この通信簿のルールを細かく教えてくれ! 頼む!」
彼の必死な形相に、サナエルはキョトンと目が点になる。
「細かいルールなのですか?」
「ああ! どうやれば天国に行く近道なのかとか、失敗しても最悪地獄に落ちない為の方法とかだ! お願いしますサナエル様!」
大人げなく幼女に泣きつく29歳。
「えーっと……えーっと……
テルオの対応に、サナエルは困惑を隠しきれない様子である。しばらく困惑した後に、彼女は恐る恐る答える。
「えーっと……地獄へ堕ちないようにするもなにも……テルオはすでに地獄へ堕ちているのです」
「……はい?」
テルオは、本日何度目かの聞き返しを行ってしまう。今度は、単語が理解出来ないとかではなく、文の全体的な意味をくみ取れなかった。彼の常識が崩壊する可能性を秘めた言葉だったのだ。彼の常識へ、さらにもう一撃、無慈悲な釘を打ち込まれる。
「
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