部活動見学 ― 2


そうして、二人が、次の部活動にと校舎内を歩いていたところのことだ。


「……ん?」


 足音が響き渡るほど、不気味なほどに静かな廊下。

 人通りが少ないというレベルを超えていて、その廊下に二人しかいないように感じるほど静かだった。

 ――ふと、ある教室の窓に張られた紙に、まことの目が行った。思わず立ち止まる。

少し黄ばんだ、長い間使われてきているであろう紙だ。恐らく張りっぱなしにされているのだろう。


「どうしたの?」


 慎より少し先に居たあかねが問う。薄暗い廊下に、その明るそうな声がこだました。


「――――」


 ――『魔法研究部』。そう、書いてあった。


 しかし慎は、『研究部』というものには飽き飽きとしていた――つまり研究部、という性質に惹かれたのではないということ。

 では、何が慎の目を、興味をひきつけたか。


「……『魔法』?」


 それは、『魔法』という文言だった。それが慎の目をひきつけたのだ。


「……そんな部活パンフレットに載ってないよ?」


 手元にあったパンフレットを数度見返しながら、茜は困惑した声で言う。そのとおり、パンフレットに『魔法研究部』という名前は載っていなかった。


「同好会とかじゃなくて?」


 同好会は、部活動を紹介するパンフレットに載ってない。しかし、その可能性もなかった。


「きちんと『研究部』ってそこに書いてるから、それはないんじゃないかな」


 名前を騙っていなければだけれど、と慎は付け足す。


 廊下には恐ろしいほどの静寂が広がっている。

 部屋の中からは、物音一つ聞こえない。つまり、人の気配がしない。部員が今現在不在なのか、もしかすると、すでに廃部となっているのかもしれない。


「魔法』か……」


 『魔術』と『魔法』、その違い。入学式のとき、張り付いたような笑みを浮かべる気味の悪い校長が――少なくとも慎はそう感じた――言っていたような気がした。

 慎としても、そこは――これから習うのだろうが、気になるところであった。

 『魔法』という響きにファンタジックなものを感じていたのもあるかもしれない。


「……『魔法』って、『魔術』とどう違うのかな?」


 二人、教室の前に立つ。

 慎が、戸に手をかけようとしたとき――


 ――どこからか、静かな廊下に、一陣の風が吹き込んだ。


『――新入生?』


 二人の後ろから、女の声がした。


 慎は肩を跳ね上がらせ、茜は驚きからか緊張からか息を呑んだ。

 二人同時に勢い良く振り向く。


 しかしそこには、

 誰もいないのに、声はそこからした――虚空に見えない口があるのではないかと思うほど、異質な状況であった。


『見学希望なら、ぜひとも歓迎するわ』


 二人の肩に、後ろから手が置かれる。

 先ほどまでは誰も居なかったのにだ。戸が開いた気配もないし、そもそも人の気配もしない。

 茜はとうとう固まったままだったが、慎は首をひねって後ろに立つ人間――であると予想されたモノを見た。


『ここには、人はあまり来ないのだけれど……これぞまさに千載一遇かしら』


そこには、青みのかった黒髪の女性が立っていた。

魔術・魔法高等学校の制服であるセーラー服を着たその女性は、ニコリと微笑んだ。


『これも何かの縁、ゆっくりしていって頂戴』




『で、どうしてこんな辺鄙な場所に居るのかしら』


 校内であるのに、辺鄙という表現は少々おかしいのではないか、という言葉を息に変えて細く吐き出し、代わりに差し出された茶を飲み込む。

 その女性は、部屋の隅にあるポットの前に立って茜の分のお茶の準備をしている。その端正な横顔は、お茶の用意をしているだけだがどことなく楽しげである。


「いえ、少し部活動の見学をしていたのですが……」


『見学? あぁ、新入生だものね』


 向かいに座りながら、女性は言う――どうして新入生かわかるか、慎にはわからなかった。


『何故分かるかって?』


 まるで慎の心を読んでいるかのように、女性が言う。そう、まさに心を読んでいるように。


 ――本当に心を読んでいるのか?


 慎はそういう考えを持つ、

 しかし、制服の新しさや態度などから新入生であるということは容易に推察できるであろうことであるということに慎は気付き、直ぐにその考えを振り払った。


 ――と、そこで慎は、目の前の女が小さく笑っていることに気づいた。悪戯好きの子供が悪戯をしたときのような、そんなニヤニヤとした笑み。とてつもなく楽しそうにしていることが分かるほどにニヤニヤしている。


『そうね……いや、特別知りたそうにしてはないみたいだし、やめておこうかしら』


 くすくす、と、女性は笑う。


「………………」


 そんな女性を、茜はじとっとした目で見つめている。疑惑の念が宿っているのが見て取れた。


『あら、私は怪しい者じゃないわよ――と、もしかして、まだ自己紹介をしてなかったかしら?』


 おどけたように女性が言うと、茜が小さくうなずく。すると、女性は小さく咳払いをしてから口を開いた。


『……ええと、私の名前は……そう、栗瑠くりる はるだったかしら。ええ、私は栗瑠 春だったわ』


 一瞬、ミステリアスに、そして妖艶に笑みを浮かべた女――栗瑠に、慎と茜共々ドキリとする。

 しかし、妙な言い方をした栗瑠に、二人は小首をかしげた。それを敏感に感じ取ったか、栗瑠は再度笑む。


『ああ、気にしないで。ただの戯れ言よ……私は栗瑠 春。栗瑠先輩と呼んで』


 再度、念を押すかのように言う。慎には、その口の端に小さく――今度は楽しげな笑みが浮かんでいるように見えた。


『ここは『魔法研究部』、文字通り魔法を研究する部活よ――そして私が、その部長であり唯一の部員』


「……えっ、あなた以外に部員は居ないんですか?」


『そうね』


 何でもなさそうに栗瑠は言ったが、二人は耳を疑った。

 部員が一人しか居ない部活。普通に考えて、運営は難しい、というより不可能である。部員が一人であるということは、その人が部長や書記、会計など全ての役職を兼任するということなのだから。仕事量が尋常ではないし、そもそも学校がそんな部活を部活と認めるかどうかさえ怪しい。


『ああ、運営に関しては問題ないわよ。一人でできるし、この部は例外みたいなものだから……』


 茶を喉に流し込みながら、栗瑠は何でもなさそうに言う。


『例外って? って聞きたそうにしてるわね。でもそれは教えてあげられないわ』


 口から出掛かった言葉を先に栗瑠が言ってしまい、慎は開きかけた口を閉ざす。


『まぁ、入部するって言うなら別だけど……そっちのはあんまり興味を持っていないみたいね』


「………………」


 頬杖を付いて、虚空を見つめながら、栗瑠はため息をつく。茜はじとっとした目のままだ――やはり疑わしく思っているようである。


『はぁ、うちの部活はどうしても部員が増えないのよね。もしかして、胡散臭いのかしら? それともただ単に不気味だとか? あぁ、分からないわね』


 そういいつつも、彼女は残念そうに見えなかった。結果を予想していたのか、はたまたいつもどおりのことなのかは分からない。


『……さて、そっちの……慎君は少しは興味を持ってくれているようだけど』


 さりげなく栗瑠は慎の名前を呼んだ――彼に自己紹介をした覚えはなかった。会話の中で茜に名前を呼ばれたかと今までの会話を思い出そうとするが、思い出せなかった。


『さぁ、どうするの? 入る? それとも入らない?』


 慎は『魔法』という言葉の響きに浪漫を感じていたが、それ以上に目の前に座る女に不気味さを覚えていた。つかみどころがなく、そして何を考えているかまったく分からない。そのくせ自分のことは全て見透かしたかのようにしゃべるものだから、不気味に感じるなというほうが無理がある。


 それでも慎は迷っていた。

 いくらか黙したまま迷った後、慎は、『保留』という答えを――


『――ああ。保留するくらいなら、別にいいわ。いや、怒ってるわけじゃなくて……慎君にはもっといい部活があると思うし。具体的に言うと帰宅部とか』


 ニヤニヤと、変わらない笑みだった。しかしながら悪意のない、悪戯っ子のような笑みであった。

 慎は、また開きかけていた口を噤む。栗瑠の言葉が皮肉なのかはたまた本心からの言葉なのかは分からなかった。

 自分の思っていること、何もかもを見透かされているような気がした――否、何もかもを見透かされている。


『正解。少し意地悪なことしたかしら……あ、もしかしてこんなことしてるから部員が増えないのかしらね』


 慎の考えに、栗瑠が答える。


『まぁ、しょうがないわね。久しぶりの、数年ぶりの来客だもの――からかいたくなるのもしょうがないわ』


 嗚呼、嗚呼と、栗瑠は遠くを見つめながらつぶやいている。


(なんだか不思議な……というか変な人だな)


 慎は心中思った――息の合ったことに、茜も同時にそんなことを思った。

 その考えは、栗瑠に読まれたのかどうか、分からなかった。


『……さて。なら、あなたたちを帰さなきゃいけないのかしらね。そうでしょうね、そうでなければ気づかれてしまうもの。でも、とても残念……楽しい時間は、泡沫の如く消えゆくもの……』


 名残惜しそうな声は、静寂に溶け消えた。


『では、また今度、気が向いたらお話しましょう――今度いつ会うかは分からないけれど』


 今度は、少しさびしげな笑みを浮かべて、栗瑠が言った。

 部屋に、どこからか一陣の風が吹き込んだ。




 気が付くと慎は廊下に立っていた。横には同じように茜が立っている。本当に『気が付くと』という感じで、いつの間にか、という表現もできる。

 突然変わった景色に驚くまもなく、慎は振り向く。

 そこにはただの教室があった――『魔法研究部』と書かれた張り紙はない。


「……なんだったんだ?」


 『魔法研究部』。栗瑠 春という女生徒。それらが夢であったといわれても否定できない。痕跡と呼べるようなものは何もなかった。まさに『跡形もない』状態で、狐にでもつままれたのか、と慎は首をかしげる。

 全てが謎であった。しかし、茜が覚えているということは、夢ではなかったということが分かる――二人同時に同じ夢を見ていなければ、だが。


 慎はそれから、『魔法研究部』という言葉を忘れることはなかった。




 そして慎は結局、栗瑠の言った通り、帰宅部のままで居ることになった。

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