始まりの始まり ― 2


「さてさて新入生諸君、はじめまして」


 教壇に立った女性が、生徒――総勢40人を目前に、挨拶を述べる。

 長身。175センチはある。縁のないめがねをかけ、紅い髪はポニーテール。瞳も紅く、しかし顔立ちからしておそらく日本人。黒いスーツの下にはワイシャツを着ていて、何がとは言わないが豊満であった。


「私の名前は焔堂えんどう 静寂しじまといいます。担当科目は火魔術と体育、専攻は火魔法研究です」


 髪の色からしてやはり火か、と一同が納得する。


「よく言われるんですが、髪の色は……今度『生体と魔術』をある程度習えばわかると思います。理由を知ってる人もいるかもしれませんね。まぁ、一つ言える事は……これは地毛です、はい。ついでに瞳も、カラコンとかじゃないです」


 髪を人差し指で小さくいじりながら、焔堂は言う。気にしているのかそうでないかはわからないが、少しだけ頬を染めていた。


「よく言われるんですよね、変だって。まぁ、髪の色が変わるほどの魔力の持ち主はそうそう居ませんけど……別にいいじゃないですか髪が赤くたってほらレアですよレアコレクター魂的なのが燃え上がるでしょうそれにそんなので人を判断するだなんて有り得――」


 何か嫌なことでも思い出したか、焔堂は怨嗟のこもった言葉を小さく吐き始めたが、すぐに気を取り直して咳払いをする。


「……こほん。ま、まぁ、そこはおいておきましょう」


 閑話休題。


「さて、では皆さんに――恒例ではあると思いますが、簡単に自己紹介をしていただきます」


 焔堂の前方から、いくつもの声があがった。

 半分は面倒くさそうな、もう半分はさらに面倒くさそうなものであった。




 黙って窓際の席に座って本を読んでいた男は、『自己紹介』という言葉の響きに辟易としたため息をつく。

 男のうめきは、『さらに面倒くさそうな』ほうの声に類していた。


(自己紹介、ね。面倒くさいなぁ……)


 互いにコミュニケーションをとる際、相手の最低限の情報は必要であり有用なのだろうが、コミュニケーションを取る気のない人間からすればそれは一切必要のない行為である。そして自己紹介の声が聞こえたとしてもその情報は右から左へと流れて行く。男にはほとんど覚える気などないのだから必然であった。


「――はい。じゃあ、次の人」


 前の生徒が無難に自己紹介を終え、着席する。

 けだるげに思いながら、男は立ち上がった。


「……龍安りゅうあん まことといいます。趣味は……読書とか、いろいろです」


 少々歯切れ悪く、男――慎は自己紹介する。

 いかにも『冴えない男』といった印象を与えてしまうようなしゃべり方だが、慎は気にしない。好印象を与えることが目的ではなく、他人に自分の情報を与えるのが目的でもなく、ただ早く自己紹介を終わらせるというのが目的であったためである。


 親しくなりたいと思った人間にだけ、親しくなりたいと思ってくれた人間にだけ、自分のことを知ってもらえばいい。

 それが慎の、人間関係に対する考え方であった。

 かなり消極的なのだ。


 そのまま慎は着席する。大半の人間は、彼のことをつまらなさそうな人間だろうな、と評価した。


 そして、慎の後ろに居た人間が、椅子を引いて立ち上がった。


 快活そうな声であった。


「――中園なかぞの あかねといいます。中学校では陸上部でした。趣味は運動することです、よろしくお願いします!」


 そして女は、静かに着席した。誰もが思わず親しみを持って接してしまいそうな、明るくやさしい声音であった。

 その声から、人懐っこそうな、小動物のような印象を慎は受けた。


 そして慎の後ろからその小動物のような女――あかねが話しかける。


「一年間よろしくね、龍安君」


 他の人の邪魔にならないよう小声ながらも、にじみ出るその明るさは変わらなかった。


「……うん、よろしく……中園さんだったっけ?」


「さっき自己紹介したばっかりなんだけど……」


 茜は苦笑する。

 慎はちらりとそちらを見る。あちらが身を乗り出していたため、少し首を少しひねるだけでその姿を見て取ることができた。

 オレンジ色の、美しい琥珀のような、輝きを宿した瞳が印象的な娘だった。あの教師と同じような事情を持っているのだろうかと慎は推察する。髪は黒く、長い。少し体を揺らすたび、風に乗って仄かな匂いが漂ってくる――おそらくシャンプーによるものだ。顔にはニコニコと笑みが浮かんでいる――屈託など一切ない、純粋きわまる笑顔だ。

 短く返して、慎は本に視線を戻した。

 慎は、そこで早々に切り上げたかったのだが――


「――何の本読んでるの?」


 と、茜が話を続ける。

 慎としてはさっさと本の続きを読みたいという思いが強かったが、しかしそれを無視したりして邪険にする理由も無かった。人が嫌いなのではなく、しゃべることが嫌いで、苦手なだけなのだから。話しかけてきたのを無視するとなると、それはさすがに失礼にあたる。


「……最近有名になった小説。これは初版だけど」


「へぇ……読書家なの?」


「……まぁ、世間一般にはそう呼ばれるのかな?」


「すごいね、私はあんまり本とか読まないんだけど……頭いいの?」


「……それは一概にはわからないかな。他の人がどれくらい成績がいいのかわからないし……確か、えっと、明日くらいに実力テストがあるんじゃなかったっけ」


「そうだったね。あーあ、テストって憂鬱だねー」


「そう……?」


 慎としてはそう思うことはあまりなかったのだが、茜は非常に憂鬱なようで、それだけで表情が一気に曇った――すごく明るい状態から少し明るいという風に変わった程度だが。


「え、嫌じゃないの。面倒くさくない?」


「そんなに……そう辛いものでもないし」


「……頭、良さそうだね」


 はぁ、とため息をついて、茜は席に座りなおす。

 相手の話が終わったと見るや否や、慎は再び本の世界に没頭しようとする――が。


「――じゃあ、自己紹介もあらかた終わったし」


 と、前にずっと立っていた教師が切り出した。


「次は、係と委員会を決めましょうか」


 慎が小説を読むことができるようになるのは、もう少し後になった。

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