21
二〇一四年十月二十日月曜日。大安―。
この日も真由香は分刻みのスケジュールで朝から行動していた。BS太陽とテレビ太陽、そのあと東光本社に戻ってデスクワーク、打ち合わせを三つほど。そして大泉へ。
東京東光撮影所第六ステージ。時刻は十八時前。
この日で約二か月半に亘って行われた『超時空少年トキオ』の本編の撮影がすべて終了する。本日でクランクアップなので、いつもより見守るギャラリーが大勢いる。BS太陽社長の大澤信孝の姿も見られる。佐伯春の学校の授業が終わるのを待って、撮影が行われることになっていた。
真由香と神長倉和明は行き来するスタッフの邪魔にならないように、スタジオ入口の影で撮影現場を見守っていた。
佐伯春演じるトキオはすべての記憶を取り戻し、自分のもといた世界に帰還するシーン……これがラストカットになる予定だった。少年は光り輝く扉の向こう側に足を踏み入れたあと、自分がヒーローであった記憶も忘れることになっている。
「あとの世界は平和は俺たちに任せろ」
そう言って、過去の戦軍ヒーローたちがトキオを送り出す。トキオは新しい世界に踏み出すために、もといた世界に一歩を踏み出す……。
少年・佐伯春の演技力の評判は内外から伝わってきていた。オンエアは現在まで三話分放送されているが、実際東光にも問い合わせが多い。真由香は佐伯春と『超時空少年トキオ』の出会いに感謝していた。
長坂眞監督が入念に佐伯春に演技指導を行っており、いまや堂々たる風格の佐伯春は「はい、はい」と落ち着いた様子で小さく頷いている。
「よおい、スタート!」
長坂監督の大きな声。
そして二分後―。
「ヨシ、オッケー!」
モニターチェックを終えた長坂監督のひときわおおきな声がスタジオ内に響き渡り、呪縛が解けたかのようにギャラリーが一斉に騒々しくなった。
セカンド助監督の三ツ村君が元気よく声を張り上げる。
「えー、これを持ちまして『超時空少年トキオ』長坂組オールアップです! そして全十三本の撮影もこれにて完結! 皆さんお疲れ様でしたー!」
一斉に拍手が沸き起こる。天に向けて、制作進行連中が隠し持っていたクラッカーの紐を引っ張る。ラインプロデューサーの北島絵里が用意していた花束を長坂監督にこそっと手渡す。長坂が「春!」と大きく手招きすると、少年にでんと花束をつきだした。
「学業と両立してよく頑張った! 感動した!」
そう言って佐伯春の細い躰をぐっと抱き寄せた。少年は恥ずかしそうにしながらも、はにかむような顔になり、あらためて大きな拍手が巻き起こった。
真由香の隣にいた神長倉が一礼する。
「……まず一つの山を越えましたね。お疲れ様です。いい勉強をたくさんさせてもらいました」
「まだまだ作業残ってますけどね。今後ともよろしくお願いします」
真由香と神長倉は固い握手を交わした。
このあとは撮影所の食堂を借り切って『トキオ』クランクアップ記念の打ち上げが催されることになっていた。しかし、真由香は『スカイフォース』の終幕五部作のホン打ちがまだ終わっていなかったので、乾杯だけつきあった後、静かに宴から抜け出した。何も食べないまま一日すごしていて、空腹だったのでケータリングのうどんだけ口にした。
そりゃわたしも仕事を忘れて普通に飲み食いしたいけどさ……心の中で真由香は嘆く。とはいえ、戦軍ラストの方向性が固まりきっておらず、スタッフの意思統一もまだできていないので、プロデューサーとして話し合いの場には必ず立ち会わなきゃならない。
「宮地よ、ちょっっとつきあってくんないか」
真由香を後ろから呼び止めたのが、『トキオ』のラインプロデューサーの折尾仙助だった。折尾はビールを口につけていたせいか、やや頬を赤らめている。
「いやわたし、今からテレビプロで『スカイフォース』のホン打ちなんですよ。もうすぐ撮影が始まるのに、いまだにみんなであれやこれやって言い合いしてて」
「短い時間だけだからさ……財前がお前に話があるんだとよ」
財前松太郎。
もう二か月くらい前になるのか。かなり難詰されたのを思い出す。まだ厭味が言い足りないのかとも思う。
「ああ、そうじゃねえから」
先回りして折尾は首を振る。
「あいつが宮地に謝りたいんだとよ。まあ、あいつはとっつきは悪いが、根っこまで腐りきった奴じゃないんだ。その証拠に自分から頭を下げたいと言っている」
「謝りたい……ですか」
真由香は戸惑う。財前とはあんまりよい思い出は残っていないが、それからいろんな出来事が連続して起きたので、正直遠い昔の出来事のように思えているのだが。
「忙しいところすまんがな。まあ、俺の顔に免じてちょっくら顔貸してくれや」
老ラインプロデューサーにそこまで言われたら、こちらも顔を出さないわけにいかないと思い、「はい」と了承することにする。
「元気そうだね。もう体調は良くなったのかい?」
以前と同じように、撮影所西側にひっそりとある映像保管室に財前松太郎は一人でデスクワークにいそしんでいた。いきなり、そういうふうに気遣われたので、「ありがとうございます。おかげさまですっかり」と真由香は小さく頭を下げた。
財前は立ち上がると、深々と頭を下げた。
「以前は大変失礼なことを言って申し訳なかったと思っている。正直何の他意もなかったのに、『何か事件が起きますよ』なんて口走ったせいで、撮影所で火事も起こるし、宮地さんも疲労で倒れて」
「火事の件は別にいいんですよ。結局単なる漏電事故だとわかって、脅迫状騒ぎもただの便乗野郎の仕業だとわかってほっと一安心したところで」
森永惇司がかつて言っていた通りだった。あのホテルの食事のすぐ後、練馬消防署の調べで撮影所の火事は施設の老朽化による漏電事故が原因であることが明らかになっていた。それが明らかになった途端、なんだ結局脅迫状の主は単なる愉快犯だったのかとほっと胸をなでおろしたのだった。我ながら現金な人間だと思うが。
まあ座って、と応接のソファに誘われたので、折尾と真由香はそのまま腰を下ろした。
「『トキオ』、今日クランクアップしたそうだね?」
財前がそう問いかけてきたので、真由香は「はい」と頷いた。
「あなたは立派だよ。その若さでプロデューサーとして堂々と活躍していて」
「いえ、まだ終わっていませんから」
「……どこぞの誰とは大違いだ」
自嘲的に財前が笑う。以前折尾や長門清志郎から聞いた話を思い出す。財前松太郎はかつては将来を嘱望された東光の若きエースプロデューサーだった。しかし、当時現場についていた刑事ドラマの主役の大物に刃向かったせいで、プロデューサーという職を追われ、左遷になり、誰も引き受け手のない組合活動に傾倒して……。
財前はふう、と大きく息を吐いた。
「その顔はもう、僕のこれまでの経歴を知っていると思えるんだが」
「俺がすべてバラしたからな。コイツはなんでも知っている」
折尾が素早く答えたので、真由香は仕方なく小さく頷いた。
「まあ正直、人生こんなはずじゃなかったとしみじみ思うよ」
財前はソファに深く身を預けた。
真由香は「そんなにイヤな奴だったんですか。刑事ドラマの主役」と財前に訊ねてみた。
「ああケチで、キザで、わがままで、スケベで。お茶の間の人気は高くても、スタッフ人気は最悪だったな。こっちが主役に歯向かったら、スタッフのみんな僕の行動を支持してくれた。泣かされてる連中が多かったからね。また当時、自分の力を過信してるところもあった。会社は俺を守ってくれるだろうと。たとえ番組は外されても、ヨソでプロデューサーをやらせてもらえるだろうという」
財前は遠い目になる。
「とんでもない話だった。即刻番組を下ろされた後、島流しの始まりだった。一度問題を起こした奴はまたどうせ何かやらかすと失敗の烙印を押されたというわけだ。……僕にはあんたが眩しかった。きらりと輝く宝石に思えた。輝かしくプロデューサーとして活躍しているあんたが羨ましく思えた……結局は男の見苦しい嫉妬だったのかもしれん」
「そうだそうだ、男の嫉妬だ嫉妬。妬くんじゃねえぞ、おい」
折尾がそんな合の手を入れる。彼なりにこの場に配慮した対応なのだと思い、真由香はとりあえず笑っておくことにした。
「最後に忠告だ。あんたは立派なプロデューサーなんだと思う。自信を持つこと自体は間違いじゃない。ただしな、今後何らかの局面でプロデューサーとして決断を迫られる時がやってくる。その時に決して自分におぼれてはならない。失敗はするな。我慢するところは我慢しろ。一度しくじったら二度とチャンスは巡ってこない……それだけはあんたに言っておきたかった」
真由香ははい、と頷いた。この男が本心から忠告してくれているのがわかった。
「……ところで」
財前は話題を切り替えるように、咳払いをする。
「折尾さんから聞いたんだが、結局脅迫状の件はどうなったんだ? 誰が送り主かわからないままなんだろう。警察には言ってるのかい?」
「それはもう。でも向こうは何にもしてくれなくて」
真由香は傍らのバッグから脅迫状と封筒のコピーを取り出して、二人に見せてやる。こうやっていろんな人間に見せているせいで、紙がよれよれになっている。
男二人はフーンと唸りながら、それらを手にする。
森永も言っていたが、たぶんこの程度の短い文章だと警察も犯人を手繰り寄せようもないんだろう。結局脅迫状はあれ以来届かなくなった。たぶんこのままフェイドアウトするんじゃないかと、真由香は楽観的な予想をしていた。
財前はやけに熱心に封筒の宛名を注視していた。うーん、と唸りながら何度も見返している。
『東光東京撮影所 宮地真由香殿』と書かれたその文字。
「財前さん、どうかされましたか」
いやね、と財前が苦笑する。「気になるんだよなあ」
「どういうことだ」
怪訝そうに折尾が尋ねる。
財前は折尾を見る。
「少なくとも、これだけは言える。この脅迫状をしたためたのはこの東光にいる人間じゃないということです」
「どうしてそう言い切れる?」
「宮地さんは東光の本社所属じゃないですか。別に東光東京撮影所に所属しているわけじゃない。いや、撮影は確かにここ大泉で行われているし、行動範囲は相当広いとしてもだ、内部事情を知ってるなら、こういった宛名は書かない。銀座の東光本社宛に送るはずだ」
「でも実際大泉に送られてきたものが、銀座に転送されてきたんです。結果的にはどちらでも問題なかったんじゃないかと」
財前は首を振る。
「いや違う。脅迫状を書く人間はいちばん何に対して配慮をしなきゃならないと思う? 間違いなく脅迫状が自分の送りたい相手に届けられるかどうか、だよ。そこに一番注意を払わなくちゃならない。たしかに、脅迫状に銀座に転送された。しかしそれは結果論で、撮影所宛に送られたものが間違いなく宮地さんあてに届くかどうかは、この宛名じゃあ正直わからないじゃない。なので、少しでも内部に通じている人間なら、あて名はこうは書かない。銀座にある本社あてに送るはずです」
「うーん、ということはだな」
折尾仙助が腕組みをする。「脅迫状をしたためたのは、外部の人間だと。こういうことか?」
「そうです。……でもね、それだと辻褄が合わない気もする」
煮え切らない財前のコメント。真由香と折尾は思わず顔を見合わせた。
「もし東光に所属している宮地さんに脅迫状を送ろうと犯人が思い立ったとします。今の時代だとネットで調べるんじゃないですか。東光はどこにあるかって。すると容易に、本社は銀座にあることくらい調べがつきますよね。だったら外部の人間は余計に、銀座の東光本社宛に送りそうなものなんです」
折尾はいらいらしてきたようだ。
「結局何がいいたいんだ?」
財前は唇を指で撫でた。
「そう、だからこの宛名かがよくわからない。なぜ、『東京東光撮影所 宮地真由香宛』なのかがね……」
時間は夜九時を過ぎていた。
思いのほか、折尾や財前たちとの話の場が長くなった。慌てて、テレビプロの会議室に向かうと、すでに『スカイフォース』終幕五部作のホン打ちは始まっていて、相も変わらず北村尚哉と能勢朋之が論戦を交わしていた。
そして今夜も結論が出ないまま、ホン打ちが終了。
いつまでもこうして決着がつかないのも問題だった。ホンが早く仕上がらないと、撮影の準備ができないし、役者の稽古や台詞を覚える時間も確保できない。
そろそろどこで落としどころを見つけるかだけど……。
今日は所用でテレビ太陽の海老江孝夫が不在だったため、大泉学園駅までの夜道を真由香は一人とぼとぼと歩いていた。今夜は通行人は少なく、物騒な夜道だったが、終電の時間が迫っていたので小走りに急ぐ。
今日も実にいろんな出来事があった。
朝から精力的に動き回り、『超時空少年トキオ』のクランクアップに打ち上げ、折尾や財前との会見、それに『飛翔戦軍スカイフォース』のまとまらないホン打ち……。
本当に時間がいくらあっても足りない!
そして疲れる!
知らず足元がおぼつかなくなっていたのか、よろめいてつんのめってしまった。
「あいたー」
真由香は地面に尻もちをついて、足元をさすった。この年になってコケてしまうなんて情けない。
知らず注意力が散漫になっていたのか、背後から近づいてくる何者かの気配も感じ取れなかった。
口元に何かが押し付けられた感覚。何か柔らかい布のようなもの。そして少し濡れている。
え?
なにこれ?
これは。
これは。
いったい。
どういうこと?
真由香の意識はそのまま遠のいていった。
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