18

 二〇一四年九月十一日水曜日―。

 あの9.11から十三年後。

 東光東京撮影所の一番大きな試写ルームで『超時空少年トキオ』第一話の初号試写会が始まろうとしていた。

 現場スタッフやキャスト一同にくわえて、大澤信孝や石原康、堤谷泰夫といったBS太陽と東光の上層部の連中、さらにはMANDEIやチャイルドといったスポンサー関係者も大勢でやってきている。チャイルドからは森永社長が例の美人秘書と江崎広報室長の三人組。真由香はさきほど森永に「ごぶさたしています」と簡単な挨拶だけしておいた。

 百五十人くらいは集まっただろうか。開始予定時間になったので、場内が暗くなって試写が静かにはじまる。

 スクリーンに映し出される映像を見ながら、真由香はこれまでの番組立ち上げからの苦労の連続に思いを馳せた。それにしても去年の『スカイフォース』でも経験済だが、関係者一同を集めてのパイロットの試写会ほど苦痛を強いられるものはなかった。病み上がりなのでまた病院に逆戻りかも、なんて弱気にもなる。それでもこれが今回初めての経験というわけでもないし、真由香もひとまわり自分自身が成長したという手応えもあったので、今日のほうがまだ心にゆとりがあった。

 長坂眞監督はさすが手慣れた印象で、相澤靖子のシナリオをそつなくまとめあげていた。これは真由香の期待通りである。予算は厳しい番組だが、ちゃんと工夫が施されていて、これなら皆に満足してもらえるんじゃないかと自負していた。

 二十四分の試写が終了した。エンディングテロップで『制作 BS太陽 東光映画株式会社』とクレジットされて、エンドマーク。

 場内が明るくなり、場がざわめきはじめる。

「大変素晴らしかったですよ。さすがは宮地さん、この調子で引き続きよろしくお願いします」

 わざわざBS太陽社長の大澤が真由香のもとまでやってくるとそう言って、握手を求めてきた。真由香は恐縮して「ありがとうございます」とその手を握り返した。

 大澤社長はにこやかに続ける。

「厳しい予算やスケジュールでもね、制作者側に心意気や矜持さえあれば面白い作品が出来上がる。そういうことがよくわかる作品でした」

 なんなのよ、この褒め倒し……コワモテで厳しい論評しか述べたことのない大澤からそういった絶賛の連続を聞かされると、真由香は薄気味悪い気持ちになってしまう。ただ以前『スカイフォース』プロデューサーの海老江から「大澤は嘘や社交辞令は言わない。常に本音で勝負」と聞かされていたので、ああ本心で褒めてくれているんだなと励まされる思いだった。

「ところで」

 大澤の顔がすこしシリアスになった。「先週の火事、あれどうなってるの? 誰かが放火したとか、そういうんじゃないだろうね?」

 真由香は思わず口ごもった。

 消防署が検分を行っていたが、特に火災原因などの情報はこちらに下りてきていない。もしかしたら内部ではもう結論が出ているかもしれないが、真由香は何も知らされていなかった。

 不審な手紙の件については神長倉に伝えて、結局東光の法務部に届け出ることになった。法務部の担当者から警察にはこちらから伝えておくと言われたが、そのあとの進捗については詳しく知らない。もしかしたら警察には何もまだ伝えていないかもしれない。

 そんな状況であったので真由香は曖昧に「よくわからないんですよ、わたし」とだけ言っておいた。大澤はふうんと頷くと「じゅあこの後用事があるから。これからもお願い」と手刀を切って、慌ててその場を立ち去って行った。社長業は大変そうだなと後ろ姿を見ながら思った。

 石原や堤谷からは「お疲れさん。ありがとう」とお褒めの言葉を貰った。ほかのスタッフキャストや関係者各位の表情も安堵感に満ちていたので、ほっと一安心といったところだったが……。

「宮地さん、少しよろしいですか」

 神長倉がやや険しい顔つきで真由香のもとにやってきた。「チャイルドの方たちが宮地さんにお話があると」

 なんなんだろうと嫌な予感を抱きながら、シアタールームの隅のほうで集まっているチャイルド軍団のもとに小走りで急いだ。ソファに座った森永社長は手元のiPadを操作しながらじっと画面を見つめているが浮かない顔だった。美人秘書は相も変わらず無表情でそばに控えている。江崎が真由香の顔を見たとたん、非常にわかりやすい溜息を吐いた。

「……困りますよ」

「どういうことでしょう?」

 江崎はこめかみを親指と人差し指で軽くつまんだ。

「あの少年の変身の場面ですよ。服をまとったら変身するようにってこっちがあらかじめ要望しておいたのに、まるで無駄な光とかエフェクトで服がよく見えないじゃないの。言うとおりに作ってもらわないと困るよ」

「ええ、ですから」

 真由香は困惑しながらも言葉を続ける。「現場にもそちらの意向を伝えたうえで、映像化されていたと思うんです」

 チャイルドは今回筆頭スポンサーの玩具メーカー・MANDEIに次ぐスポンサーで発言力も高い。スポンサードするにあたっては、自社製品が効果的に画面に映えるようにと「主人公の少年トキオが特殊服を着ることによって、スーパーヒーローに変身する」というトンデモ設定を活用せよとの条件を突きつけてきた。面倒だなあ、とは思いながらも、真由香はその内容をライターの相澤靖子や監督の長坂眞に伝えてその設定を本編に盛り込んだ。

 たぶん正味三十秒にも満たないカット。実際の映像でもそのシーンは完成されており、ちゃんとチャイルドの面々にも満足してもらえる出来になっていると自負していたのだが……。

 江崎周作は首を振った。

「あんな光チカチカとか、余計な合成とかいらないんだよ。なぜか画面に変な色まで付けてさあ。うちの製品がよく見えないじゃないよ。視聴者の注意がそっちに行っちゃう。あとあんなにカット割は必要ないな。ちっとも画面に集中できない。長回しがいい。あのシーン、撮り直してよ」

 真由香は咳払いする。

「でもただ普通に服を着るだけで変身、といったシーンではインパクトは弱くなります。画面上でのキャラクターが魅力的に映りませんし、視聴者に対する効果も薄くなってしまうので……」

「こっちは別にそんなこと望んでないんだ。言われたことは忠実にやってください。もう少し光を抑えて合成を取り除くとかいろいろあるでしょう」

「そこは何とかします、大丈夫です。柔軟に対応できます」

 真由香は慌てて頷いた。

「ただあのシーンをもう一度カット割りを変えて撮り直しとなると……変身シーンは毎回使う肝の場面なんで結構手間暇かけて、監督も粘って映像化したんです。作り直すというのはこちらとしても想定外のご要望なので、正直この本編の完成品のままではだめなのかというところをご相談させていただきたいんですが」

 江崎は腕を組むと、やや鋭い目つきに変わった。

「あんたスポンサーに逆らうのか。こっちは撮り直せと言ってるんだ。あんな数十秒くらいのシーン、撮り直しにそんな手間はかからないだろう」

「それは違います。本編は数十秒だったとしても、撮影にかかる労力を簡単なものとしてとらえられておられるのなら困ります。スタッフもキャストもスケジュール通りに動いてますし、スタジオの用意もあります。予算が限られている番組ですし、簡単に撮り直しをお約束することは今はできません。少し時間をいただけませんか」

「……言うじゃないか、あんた」

 江崎は唇を歪めた。

 真由香は森永社長のようすをうかがった。しかし彼はこちらのやりとりに何の興味もないのか、とくに口を挟むこともなくずっとiPadに集中していた。なぜ社長なのに何も口を挟んでこないのがひっかかった。

「……とにかくリテイクしてください。作り直してもらったらそのDVD、うちにもってきてもらうこと。もう一度こっちで確認するから。スポンサーの要望は聞いてもらわないと」

 江崎がえんえんと一人まくし立てたが、森永はひとり黙々とiPadを操作し続けている。



「いったいどういうことだ、あのスポンサー。単なるポッと出のメーカーが偉そうにナニ言ってやがる!」

 普段は温厚な印象の長坂監督が珍しく不機嫌になった。

真由香は結局チャイルドのその申し出を飲み込み、第一話の変身シーン及び今後の同じ場面では、そういった合成カットを極力目立たさせないよう柔らかな画面表現に改めると約束したのだった。リテイクするので当然当初設定していた予算よりアシも出てしまうが、スポンサーの要求は絶対なのであとでラインプロデューサーの折尾に相談しようと思った。

 チャイルド軍団が帰って行ったあと、真由香は監督の長坂に「カントク、ちょっとご相談が」と耳打ちした。そして、堤谷と神長倉とBS太陽の堀江津子、シナリオライターの相澤靖子などを伴い、東光テレビプロの会議室でこの一件についての報告を行った次第である。

 長坂は麦茶を一気にあおると、コップを机に置いた。会議室はクーラーががんがんに効いていた。

「だいたいイマドキの変身アイテムってのは何かブレスだったり、特殊な玩具なんだよ。服着て変身なんて時代錯誤過ぎるんだ。それをシャシンとして盛り上げようってなったら、こっちも見せ方を工夫しなきゃならない。自分とこの製品だけが目立てばいいなんて考え方は果てしなく間違ってる」

「カントクには申し訳ないですが、もう一度あのシーン作り直してもらいたいんですが」

「ヤだね……なんて拒否はしないよ。できないし。作り直すよ。俺はいいけど、合成スタッフ連中が大変だな」

「すみません」

 真由香は頭を下げた。

 スポンサーのチャイルドとは良好な関係が築けていたという油断があった。社長の森永はさきほど結局なにも口を挟まなかった。社長みずからが乗り出す事態じゃないだろうとでも踏んでいたのか、特になにも言い残さず大泉を後にしている。ただ、その顔は特に晴れやかというわけではなかったので、チャイルド軍団は第一話ラッシュの出来に納得していなかったのだろう。

 改めて思う。油断していた……。

「あの社長、オトコマエなのにみみっちいわあ。偉そうに!」

 BS太陽の堀江津子が頬を膨らませる。以前はオトコマエ社長、真田広之みたいなんてもてはやしていたのに、評価がどうやら急落したらしい。

「あちらにはあちらの事情があるから」

 真由香がなぜか向こうの肩を持つことになってしまった。アレ、もしかしてあの社長のコトが気になってるからそんなこと言うんですか……というふうに江津子がこちらを見てきたが、そうじゃないと目くばせで真由香は否定した。

「それにしても、あの子役はスゴイですね。将来が楽しみな逸材です」

 話題を変えるように相澤靖子が歌うように言った。本日はいつもは被っていないベレー帽を頭にのせていた。

「イメージが膨らみます。セリフもどんどんアイデア湧いてくるし。ほんとうに春クンがトキオ少年でよかった」

 女シナリオライターが堤谷部長に「そう思いませんか?」と同意を求めた。この二人は昔の戦軍シリーズで組んだことがあるので、旧知の間柄であるらしい。

「そうだね」

 軽く頷くと堤谷は同意した。そしてそのまま目元が急に鋭くなると、大きく息を吐いた。そして何故か苦笑いを浮かべる。

「……そういうことか」

 真由香は首を傾げた。

「どうしたんです?」

「いま、ようやく思い出した」

 堤谷泰夫は背もたれに深々と身を預けた。「あのチャイルドの社長だよ。どこかで見たことがあるっていってただろ」

 部屋の中にいるメンバー全員を見まわして堤谷は小さく息を吐いた。

「それを思い出したんだよ、ようやく」



 二〇一四年九月十八日水曜日、深夜十二時半過ぎ……。

 東京都練馬区の東光東京撮影所にほど近い交差点で、一台のタクシーと一代のダンプカーが正面衝突した。別の一台の乗用車を巻き添えにして、二名が重傷、三名が軽傷を起こす事故が発生した。

 そして翌週、またも『東京東光撮影所 宮地真由香殿』あての手紙が。



 無視するんじゃねえ

 これは天罰

 たかがプロデューサーが

 あぶないあぶないあぶない 

 再度忠告する 図に乗るな 番組を降りろ

さもないともっともっと大いなる不幸が訪れることになるぞ




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