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二〇一四年九月二十六日金曜日―。
新番組は来週金曜日から放送を開始する。そちらのほうの制作は当初のスケジュール通りとはいかないが、おおむね予定通りに進んでいる。『スカイフォース』も終盤の撮影がこれから始まり、戦軍シリーズ第三十五作の『恐竜戦軍ザウルスフォース』のクランクインも目前に迫っていた。特撮テレビ番組以外にも刑事ドラマ、二時間ドラマも引き続き撮影所では制作が行われている。寝ない、食べない、休まないスタッフとキャストが大泉には大勢いるはずだった。
そんな状況だとわかっていながら―。
真由香は東京の夜景を一望に見下ろせる、高層ホテルの中華レストランの窓際の席にいる。
相手から何が食べたいですかと電話で聞かれたとき、特に深く考えずに中華と答えると、向こうからこの店を指定してきた。ほんとうは『王将』とかのほうが気楽でよかったのに……。最近真由香の身の回りに起きている出来事に心を巡らせると暗い気分にさせられるが、この夜景を目にするとしばし浮世の憂さを晴らすことができた。ほんのすこし、だけど。
待ち合わせの二十時きっかりに、待ち人はやってきた。
「お待たせしました。今日も暑かったですね」
真由香は立ち上がると、一礼した。「いえ、こちらこそ。この店には初めて来ましたが、びっくりしました。夜景がきれいで」
チャイルドの森永惇司は白い歯をこぼしながら椅子に座る。いつものようなきちっとしたスーツではなく、ポロシャツにジーンズというラフな格好だった。
「そう景色もいい。そしてここは料理も最高。……何を飲まれますか?」
「じゃ、ジンジャエールを」
森永は慣れた様子で片手をあげるとボーイを呼び止めた。森永自身は紹興酒をオーダーしていた。
ほどなくして、つぎつぎにコースの料理が運ばれてきた。他愛のない世間話をチョイスしながら真由香は料理を口に運ぶ。アワビのステーキは絶品だったし、北京ダックの食感も今までに味わったことのないものだった。どの料理にも感動した。普段時間に追われて、食事の時間も惜しんでいつも適当なもので済ませていたから、とても久しぶりに手間暇かかった料理を味わったような気がする。
コース料理が一段落つくと、真由香は蓮華をテーブルに置いた。
「……変身シーンはあれで問題なかったでしょうか。江崎さんは納得したと電話でおっしゃってたんですが」
「問題ないです。リテイクをお願いして申し訳ありませんでした。ただ江崎の言い分もこちらとしては納得できたので、あの場で敢えて口を挟みませんでした。しかし直しが入った分、数段よい出来に仕上がっていると感じました」
物言いのついたトキオの変身シーンは、すぐVFXスタッフのメンバーによって修正を行った。なんで作り直さなきゃいけないんだと難色を示したスタッフもいるにはいたが、そこはなんとか真由香と監督の長坂が説き伏せた。そしてその完成DVDをチャイルドに送ったのが先日のことだった。
「正直会社の連中には今回のスポンサードの話を快く思わない人間も多くいます。あの江崎がまあその筆頭格ですね。だから完成品を相応のものにしないと彼らの不満が一気に噴出するというわけです。ウチはワンマン経営じゃないので、いろいろな人間の顔色を窺いながら仕事をしなきゃならない」
森永惇司は苦笑する。会社経営者にはそれなりの苦労があることは察せられた。
ただ。
そこまでこの若社長が言うのなら、当然のように一つ疑問が湧いてくる。麻由香が今夜、この男と食事をしようと思ったのはその疑問を解消するためだった。
「森永さんはそういった苦労を背負ってまで、どうして『トキオ』をスポンサードしようと思われたんですか?」
真由香の質問に、森永はちらとこちらを見たが、ただ薄く笑うだけで何も言おうとしなかった。
真由香は続ける。
「先日堤谷から聞きました。以前から言ってたんです。森永さんにどこか見覚えがあると。でも思い出せないって。この前の試写会でようやく思い出したと言っていました。今から二十九年前」
森永は布巾で手を拭くと、そっとテーブルに置いた。
「……堤谷さん、ひどいなあ」
天を仰いで首を振った。「影薄かったのかなあ」
「森永さんは昔『電撃戦軍トライフォース』のレギュラー・田崎賢吾役で出演されてたんですね。当時の芸名は藤井敏也。役は途中で降板されたようですが……」
真由香の言葉に、「そうです」と森永はうなずいた。
『電撃戦軍トライフォース』は一九八五年度に放送された、スーパー戦軍シリーズ第五作。もう今から二十九年前の作品になる。真由香は当時まだ小学生にも上がっていない頃の年代になる。
悪魔星団ゴズーマの侵略により大ピンチに陥った地球を救うべく、若き五人の若者が立ち上がる物語だった。五人の戦士たちは普段都内のペットショップでアルバイトをしている設定だったが、その店によく遊びに来る子供たちもレギュラーで登場していた。そのなかのひとりに田崎賢吾とという少年がいた。
当時の東光側の番組のメインプロデューサーは既に定年退職している平川靖という人物で、平川のサブに就いていたのが、東光テレビ事業部で現在は管理職に徹している堤谷泰夫だった。
森永は「当時ね」と言う。
「とある児童劇団で子役をやってましてね。姉も子役をやっていて兄弟揃っていろんなドラマに子役で出てましたよ。とうぜん端役ですが。『トライフォース』には放送開始前に撮影所でオーディションがあって、それに合格して……その会場に堤谷さんもいたんだけどなあ。もし誰かからあああの時の、って言われれば挨拶もしようとしたけど誰も気が付かなかった。だったらこちらから名乗るのもどうかと思って、結局そのままにしていました」
「これは言い訳になるかもしれませんが、もう三十年前の現場なので、おなじ戦軍の現場とはいってもスタッフも世代交代してますし、当時のメンバーは現場にほとんどいなかったんです。それに今の森永さんのお姿と、当時の子役の時のようすもぜんぜん違ってますし。わたしも当時のスチール写真を見て、今の森永さんとまったくイメージが重ならなかったです」
実際当時の戦軍を取り扱ったホビー雑誌を真由香は確認したが、言われてみればなるほど、とは思うが目元にかすかに面影があるくらいで同一人物にはまるで見えなかった。
「堤谷もようやく思い出したと言ってました。あと芸名が今のお名前と違うのでわからなかったと」
「本名で出るのが嫌だったので当時は芸名を名乗りましたね。母方の名字を使いました」
当時の戦軍シリーズは準レギュラーで多くの子役が出演していた。『トライフォース』にも何人かの子役レギュラーがいて、そのうちの一名が藤井敏也(森永惇司)ということになる。
堤谷によると、田崎賢吾役の藤井敏也は演技面、キャラクター面でも問題なく撮影上の素行についても問題はなかったらしい。なので本来なら番組終了まで一年レギュラーを務めてもらう予定だったそうである。
「あのコは芝居の勘がよかった。いろいろと演技の引き出しも持っていたし、監督も重宝していた。当然ラストまで出てもらうつもりだった」
堤谷泰夫はそう昔のことを思い出していた。
ところが……。
真由香はおしぼりで手をそっと拭いた。
「『トライフォース』で地方ロケに遠征したそうですね。犬吠埼に。そのロケにも田崎賢吾は同行して、怪獣ダルメスの脱皮のシーンを目撃して敵に追われるシーンを撮影した。しかしそのとき、賢吾少年は岩場の海岸で転倒して頭をぶつけるアクシンデントが発生してしまう。頭から血は流れたものの、特にケガなどはなかったとのことで撮影を続行。無事シーンを撮りあげて東京に戻ってきたものの、ご両親からクレームがあった」
「そう。第二十八話『賢吾は見た! ダルメスの秘密』。脚本曽田正三、監督小西稔。……いまでもときどきDVDを見返しています。若かれし頃の自分自分の思い出として。そしてほんの少し、いやだいぶん苦い」
森永惇司は窓の外の夜景に目をやった。
「こっちは別に気にしちゃいなかった。これは本当、なーんにも。ほんとうに平気だったし、特にケガもしなかった。だけど、両親が怒っちゃった。子供のケガをほったらかしてお前らは撮影を優先したのか! とね」
今なら考えられないことだが、三十年前はそういう悪い意味での大らかさが東光にはあったようだ。東光というよりは日本のテレビドラマの撮影事情というべきか。現在ならたぶん救急車を呼んで治療を優先させるし、東京の両親にもスタッフからきちんと連絡を行いケアも行う。
賢吾少年―もとい藤井敏也―もとい森永惇司は小さく息を吐いた。
「そんなヤクザな世界はやめてしまえ! と親が怒って役を下りることになったんですね。そのまま児童劇団も辞めさせられちゃった。姉もとばっちりを食らって、子役でそこそこ頑張ってたのに辞めさせられちゃって。兄妹ともどもワンワン泣きましたよ。僕としては『トライフォース』にずっと出演し続けたかったから、当時としては非常に不本意な結果になりました。現場のスタッフキャストは残念がってくれた。昨日のことのように覚えています」
「三十年前のことを覚えているものなんですか」
「もちろん。そりゃ刺激的な現場でしたし。大勢ガラの悪いおっさん連中に囲まれていて撮影をしていましたから。とても忘れられるもんじゃない」
森永惇司はからからと笑う。
「結果的にそのとき子役でずっと出演していても、どうなったものかはわからない。中途半端な役者になって路頭に迷ったのかもしれないし。結果的には、そのときに子役志望をスパッと断ち切ったからこそ、いまの人生があるんです。そう、人生なんていろんな出来事の積み重ねだから。その頃があるから、今がある……だから自分自身の人生に納得は出来ているんです。これは誓って言える、ほんとうです」
真由香は黙って森永の整った顔を見つめていた。
「だけど一方では、忸怩たる思いがなくもなかった。あのまま当時、撮影中にケガをせずに子役を続けていたとして、もしかしたら俺はそれなりの役者になれたんじゃないかという思いも一方では、ね。そういう悔いです。やはり今の仕事それなりにストレスがたまるんですね。そんなときいつも当時のDVDを見返して、『戻りたい、あの日に』なんてしみじみ思う時もある……そんなときに、仕事上で付き合いのあった大澤さんから新番組の企画書をたまたま見せてもらったんです。その企画書の内容のなにが引っかかったって、主役が少年というところです。いまとぎテレビの三十分もので、主役が少年の連続ものなんてないじゃないですか」
「そうですね」
真由香はうなずいた。
「たぶん、自分の夢をこの新番組に登場する少年に投影できるんじゃないかと思ったんです。うちの会社としては冒険だったけれども、今回スポンサードに協力したのは僕のそういう思いからでした」
森永社長は「長くしゃべりすぎましたね」とほほ笑むと、ワイングラスに口をつけた。
「それにしてもあのトキオ役の佐伯春君にはまいりました。彼は天才だ。彼という少年を主役として見いだせただけでもこの番組に価値はあると思います。来週の放送が楽しみですよ」
社長の顔はうきうきとしていて、ほんとうに番組の成功と少年の活躍を祈ってるように思えた。なんとも無邪気な表情で、ああこの人はこういうふうに笑うんだと真由香は何とも言えない気持ちになった。
少し苦い思いを噛み締めながら、真由香は森永に「社長、申し訳ありませんでした」と頭を下げた。
「急にどうしたんです?」
森永惇司は怪訝そうな顔になった。
ここは誤魔化す場面じゃないなと観念した真由香は「わたしは社長を疑っていたんです」とすべて本音を言うことにした。
「どういうことです? 疑っていたなんて、穏やかじゃないな」
森永は首を傾げたが、真由香はそのまま続ける。
「最近、わたしの身の回りでいろんな事件が起こっています。脅迫状が届いたり、撮影所でボヤ騒ぎがあったり、撮影所近くで交通事故が発生したり……」
「噂では聞いてますよ。そのせいで、宮地さんも心労で倒れられたとか」
「まあそれだけが原因じゃありませんが。とにかく脅迫状は、おそらくわたしだったり、東光に恨みを持ってる人物の仕業だと思ったんです」
「心当たりのある人物はいなかったんですか?」
心当たりがなくはなかった。
去年真由香をネット上で中傷する人物がいた。今年初めにはその人物の詳細が判明したが、今はもう書き込みはなく、その人物の消息を真由香は知らない。最初はその人物の仕業なのではと疑ったのは事実だ。
だが、瞬間その考えを打ち消していた。今回のような直接的に悪意をぶつけるのは今までのやり口とは違っていたし、わざわざいまさら脅迫状を送ってくる意味もない。それに、そこまでその人物がアンフェアな行動に出るとは思えなかった。思いたくもなかった。
いろんな葛藤があったが、そういう思いをすべて打ち消したあと、真由香は首を振った。
「……心当たりはありませんでした。そんなときに、堤谷から森永さんが『トライフォース』を途中で降板したエピソードを聞いたわけです」
「そこでこう考えたわけですか。おそらく森永惇司という男は昔、東光のテレビ特撮の現場で怪我をさせられているから、それを恨みに思っている。おそらくアンビバレントな思いを隠し持っているんじゃないか、心にナイフを忍ばせているんじゃないかと。そこで東光テレビプロに復讐するべく、いろんな手を使って、女プロデューサーに嫌がらせを仕掛けてきたんじゃないか……」
「ほんとうに申し訳ありません!」
真由香は立ち上がって深々と頭を下げた。当然、森永の顔色をうかがうことはできない。たぶん怒りに打ち震えているんじゃないかと予想した。
「……おかしいとは思ったんですよ」
間があいて、森永が口を開いた。穏やかな口調だった。
「僕からの食事の誘い、忙しいって年末まで後回しになっていたのに急に宮地さんから誘ってくるんだもの。そういう事情だったんですね」
ペンディングにしていた森永の誘いを「この日の夜ならスケジュールが空きました」と連絡したのは真由香のほうからだった。来週から始まる新番組の成功を祈って、と付け加えると森永は「なんとかスケジュールを調整します」と了承してくれたのだった。
「そういう事情だったんです。森永さんがどういった思いで番組に出資してくれたのか、まったくそのお気持ちを測ろうとしませんでした。わたしはプロデューサー失格だと思います。ほんとうにごめんなさい!」
自分はプロデューサーを更迭になるんじゃないかと思いながらも、真由香は真正面から愚直に詫びるしかなかった。周囲にいる食事客の会話が聞こえなくなったから、多分こちらのやりとりが気になっているんじゃないかと思った。
「とにかく宮地さん、座りましょう。元通りに。話はそれからだ」
淡々と森永がそう言うので、真由香はおそるおそる頭を上げるとゆっくりと椅子に座った。森永の整った顔はさきほどから変化ないように思えた。怒っているのか、怒っていないのか、よくわからない。
周囲の食事客も会話をたぶん復活させたようで、さきほどまでのざわめきが戻ってくる。
森永は「うーん」と唸ると、腕を組んだ。
「僕にはあなたという人間がわからない。そんなわざわざすべてをさらけ出さなくてもよかったのに」
「嘘やごまかしはよくないと思ったんです。それにわたしもこういう目的があったことを隠して本日やってきたわけで……」
「それでも真っ正直に言いすぎですよ。もう少しオブラートに包みましょうよ」
森永は苦笑する。「まあ、宮地さんのその正直さに免じて、今回の件は水に流します。とにかく食事は最後までおつきあいいただきますよ」
「はい」と真由香はうなずいた。
それにしてもねえ、と森永は天を仰いだ。
「いったいなんなんでしょうね、その脅迫犯の目的は。まあ、憎しみを持ってるんでしょうか。宮地さんか、東光さんに対して。こんなネットが流通する現代において、いまだに手書きの脅迫状というのは理解できないが」
真由香は上目遣いになる。
「……お見せしましょうか?」
森永はのけぞった。「持ってきてるんですか?」
「コピーですけど。なんかの役に立つかと思って」
「ぜひ見たいですが、こんなデートの時まで持ってくるなんて、結構追い込まれてるんじゃないかってますます心配になりますよ」
すみません、と言いながら真由香は傍らのバッグから脅迫状のコピーを取り出した。もう原本は東光の法務部から警察署に回っている。正式に事件として先方には届け出を出している。しかし、警察は届を受理はしてくれたものの、「たったこれだけでは」と捜査については消極的だった。たぶんこの程度の事件では彼らは本気で動いてくれないんだろうなとも思っている。
全部で三通。真由香宛てに送られてきた封筒も先方に手渡し済みだが、それらもコピーはとってあった。テーブルに置く。森永はまだ片付けられていなかった皿を隅のほうにどけた。
それら一通一通を手にとり、森永はうーんと唸る。
「なるほど、受け取ったほうはたまったものじゃないですね」
「最初のうちは気にならなかったんですが。でも撮影所で火事が起きたあとに送られてきて、交通事故が起きたあとも送られてきて……だんだんと怖くなってきて」
「それは気にする必要ないと思いますよ」
あっさり、森永は否定する。
「はっきりと言い切れますが、これは無関係に起きた事件に便乗してただ脅迫状を作成しているだけに過ぎないと考えます。つまりは、この脅迫状の主は別に撮影所を放火してわけでもなければ、事故を引き起こしたわけでもない。便乗野郎です」
「わたしの知ってる監督さんも同じようなことを言ってましたが……」
これは偶然。これくらいの偶然、世の中にはいて捨てるほどある。
長門清志郎の言葉が脳裏に浮かぶ。
「まあ百歩譲って撮影所の火事のあとに脅迫状だけ、というのなら不気味だったんですけど。さすがに車の事故の後に脅迫状を送ってくるなんていただけない。だってそんなの超常現象を操れる人間でないと発生させられない事故でしょう。この人物は神ですか、悪魔ですか? そんなことは不可能だし、もし事件の当事者なら撮影所を燃やすぞとか、何月何日にここの交差点で事故が起きるぞとか、いろいろと言いそうなものなのに、それもない。ただ偶然に起きた事件の後から便乗したと考えるのが自然です」
森永は脅迫状の束ををテーブルに置いた。「でも文章は短いし、とくにヒントらしき内容もない。相手もぼろをだしていないから、この文面だけでは脅迫主にたどりつくのは不可能でしょうね」
「まあ警察におまかせしてるんで、プロの人なら何とかしてくれるんじゃないかと」
真由香も場を収めるために、適当に楽観的なことを言った。森永は浮かない顔になった。
「この程度で警察が動くとは思いませんが。警察の警護とかはつかないんですか」
「そんな話はまったく」
「心配だなあ」
「大丈夫ですって」
社長は何か言いたそうにしていたが、結局何も言わずにそのまま黙り込んでしまった。ボーイがワゴンにいろんなデザートを載せて持ってきたので、真由香と森永はおのおの好きなスイーツを皿に盛ってもらった。口が甘いものを欲していた。
森永は大学芋にフォークを突き立てた。
「今夜は、いろいろとお話しできて楽しかった。宮地さんにそういう下心があったとは知りませんでしたが」
真由香はすみませんと言いながら、揚げ餅を口に運んだ。
「でも仕事が落ち着いたら、またこうやって食事を一緒にできたらと思うんです。こういう言い方はどうかと思いますが、宮地さんは性格が合いそうな気がする。長年の勘です」
「フィーリング、ですか?」
「そうですね。……できれば、結婚を前提にお付き合いができれば、とも」
突然そんなことを言われたものだから、真由香は急に胃袋が縮こまる感覚に陥った。餅を喉には詰まらせながら、少し焦った。
森永はふっと柔和な笑みを浮かべた。
「驚きました?」
「少し」
「失礼ですが、宮地さんは今お付き合いしている方は?」
真由香は首を振った。
「今はいません」
「じゃあ、こっちにもチャンスありかな」
「ではこちらこそ伺いますが、森永さんこそどなたかお付き合いされている方はいないんですか? いらっしゃっても全然不思議はなさそうな感じですが」
「宮地さんと同じ答えです。今はいません」
「ほんとうに?」
「誓って」森永は軽く両手を挙げた。「なにせ仕事が忙しい。息つく暇もありません。こうやって社外の人とご飯を食べるのも久しぶりなくらいなんです。今は仕事が恋人といってもいい」
唐突に今夜はこの場にいないが、いつも森永の影のように寄り添っている美人秘書が真由香の脳裏に浮かんだ。なぜ、彼女のことがふと思い出されたのかはよくわからなかったが。
「たとえば、あの秘書さんとかお綺麗じゃないですか。もしかして、森永さんと実はお付き合いされているとかないんですか?」
真由香が冗談ぽく口にしてみる。「秘書?」と森永が怪訝な顔になる。
「またまたとぼけちゃって。あの方ですよ。いつも森永さんの近くにいる背が高くて、同性のわたしからみてもすごくオキレイで輝いてる方」
真由香の言葉に、森永は一瞬考え込む表情になっていたが、笑いながらゆるゆると首を振った。
「彼女は、ちがいますよ」
「そうなんですか?」
「ええ、ちがいます」
会話はそのあとお互いの日常の仕事についてが主になって、脅迫状の話題は出なくなった。
結婚前提お付き合いの話題についても、今夜はそれ以上の進展はなかった。
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