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 意味不明の投書を確認した翌日、真由香は打ち合わせと撮影見学を兼ねて東光東京撮影所を訪れた。

 まだ九月に入ったばかり。『スカイフォース』も『トキオ』の現場も、本日はロケに出ず、各々スタジオを借り切っての纏め撮りだった。当然スタジオ内にクーラーを効かせるわけにもいかないので、真夏のスタジオ内はとにかく暑い。

 真由香は交互にスタジオを見学する。汗ばむ陽気で最近不健康そのものの真由香はついくらくらと眩暈を起こしそうになるが、当然肉体的につらいのは怪獣やヒーローの着ぐるみを着アクションに励むスーツアクターたちや、重い撮影機材を担いで元気に仕事をするスタッフたちだった。自分ならこんな過酷な現場でとても働けないよ、と真由香はいつも彼らの働ぎぶりに尊敬と畏敬の念を抱いていた。

 腕時計を見ると午後一時四十五分になっていた。結局財前松太郎の要件が気になったので昨夜直接財前に連絡を取り、午後二時からアポイントを取っていた。要件はなんですかと確認したが「その時に詳しく話すから」と詳細については語ってくれなかった。

 真由香は『トキオ』の鹿島組の撮影見学を行っていた。とある大学の研究室での実験のシーンの設定での撮影。スケジュールが苦しい中、みんなよく頑張ってくれている。

 約束の時間が迫っていたので、そろそろいこうかなと考えていたところ……。

「オイ、財前とこに今から行くらしいな」

 独特のだみ声を静かに響かせて、ラインプロデューサーの折尾仙助がつかつかとやってきた。ハンチング帽をかぶり、パッと見彼が監督じゃないかと部外者なら思うだろう。このスタジオにいるスタッフの中では文句なしに折尾が最年長のスタッフだった。

「そうですけど」

 真由香は目を瞬かせた。

「どうしてご存じなんですか?」

「蛇の道は蛇」

 ぶっきらぼうに折尾はそう吐き捨てた。「……嘘だよ。北島から聞いたんだ」

 北島とは折尾と共同で『超時空少年トキオ』のラインプロデューサーを務めている北島衣里のことだった。

「ふうん。なんかいろいろと話したいことがあるそうです。……じゃあ、少し行ってきますね」

「俺もついていっていいか?」

 折尾仙助はなぜかそんなことを言うと、真由香から視線をそらした。老ラインプロデューサーの視線の先には、大道具の撤収を行う美術スタッフたちの姿があった。

 少々意外な気持ちだった。真由香は「どうしてですか?」と質問する。折尾はハンチングを脱ぐと、何度か掌で帽子をさすった。

「あんたが一人で行くより、俺と一緒に行ったほうが話が早く済むと思うからだ。もしどうしても一人で行くというのなら別に止めはしない」

 折尾は咳払いする。

「ん? どうするんだ?」



 結局老ラインプロデューサーの意図はよくわからなかったが、財前との会見に折尾にもついてきてもらうことにした。

 財前の所属部門は東京東光撮影所内映像保管室で役職は室長補佐らしい。正直、どういう仕事内容なのか、まったく想像がつかない。ただ社内においては閑職であるという認識だけは持っていた。

「こっちだよ、こっち」

 折尾がすたすたと前に進んでいく。いつのまにか、真由香が折尾に連れられていく格好になった。

 撮影所の西側の第八倉庫の奥に映像保管室はあった。二階建ての薄暗いコンクリートの建物だった。東光テレビプロダクションの事務所は高層マンションの真裏にあるので別名「日影」と呼ばれているが、こちらの建物も日差しが差さないせいで何となく陰気な印象を受ける。

 そしてその建物入口横には掲示板が置かれていたが、『萬代純一君の不法解雇を許すな!』『職場改善! 待遇改善!』と筆書きされたポスターが貼られていた。東光の労組問題の知識は真由香にはあまりない。自分にはこれまでかかわりのない内容だと思っていたし、何より日々の仕事が忙しくて深く考える余裕もなかった。

 真由香の思いとは関係なく、折尾は躊躇なくガラス扉を開けると、「財前!」とだみ声で呼びかける。室内は田舎の派出所を連想させる狭苦しい空間だった。財前松太郎は一人で黙々とパソコンに向かっていた。半袖のワイシャツにノーネクタイ。狭い部屋には彼しかおらず、室内はクーラーがガンガンに聞いていた。まるでシベリアに来たかのような寒さだった。

 財前は真由香を見た後、折尾に視線を移した。

「……まさかお二人一緒に来られるとは思いませんでした」

「悪いか」

 折尾がボソッと呟くと、近くの椅子に勝手に腰を下ろした。ハンチング帽を机に置く。

「折尾さんが来られたいと希望されたんです」真由香もついでに折尾の隣の椅子に座る。

「メールでご連絡いただきましたけど、お話というのは?」

 首を少し横に振ると、財前は引き出しから一冊の雑誌を取り出スト、机にやや乱暴に置いたした。『特撮ハイパー通信』二〇一四年九月号。真由香のインタビュー記事が掲載された号だった。

「宮地プロデューサーさんねえ」

 財前は険のある口調でそう呼びかけるので、少し驚く。東條信之の送別会の時のソフトなイメージとはややかけ離れた声だった。

「あんた、評判が悪いな」

 唐突にぶっきらぼうに言われたので、理解するのに時間がかかった。真由香は愛想笑いを浮かべると手を合わせた。

 隣の折尾は唇をひん曲げた。

「……うーんと、よく聞こえませんでした。もう一度わたしが聞こえるくらいの大きな声でお願いします。リフレイン。もう一度」

「評判が悪いと言っているんだ」

 特に大きな声でなく、淡々と財前が続ける。「あんた、番組制作にかこつけて多くのスタッフキャストに無理難題を押しつけ虐待してるんじゃないのか。自分はプロデューサーでございとあぐらをかき、のんびり仕事をやってるんじゃないのかと言っている」

 は? ナニ言ってるのこのオヤジ?

 いきなり人を呼び出しといて、あんた呼ばわりで、評判が悪いと面と向かって言われたうえでやり過ごすほど真由香は大人ではなかった。瞬間、心の中のどこかのスイッチが切れた。同じ会社の大先輩であろうが、知ったことか。

「いまの言葉は冗談とかギャグでおっしゃってるんじゃないですよね?」

「そうだ。すべて正味の話だ」

「突然そんなふうに言われても困ります。そりゃ番組二つも抱えてスタッフに大変な思いをさせてます。ですけど虐待とか聞き捨てなりません。何を根拠にそんなことをおっしゃるんですか?」

「ナニ寝ぼけたこと言ってんだ。あんた自身がインタビューでしゃべってるじゃないか」

 財前は人差し指で『特撮ハイパー通信』を示した。

「みんな徹夜でかんばってます、なんてへらへらと笑って誇れることか。そんな昔の活動屋気取りが舵取りをするような現場じゃ、そりゃスタッフの多くが苦労する」

「いやそりゃテレビの現場だから、寝ない食べないときだってありますし徹夜だって……」

「そういう苦労をいかに軽減するかを考えるのがプロデューサーの仕事であり、裁量だろうが」

 財前は雑誌をパラパラとめくった。

「まあ、それは今回の主題じゃない……とにかく、ロケ弁の話がまずかったな。あんたは多分世間話のつもりで気楽に喋った話でも、二つの現場で働くそれぞれのスタッフはあんたのあのたとえ話をどう思うかな? 『トキオ』のスタッフはもしかして『戦軍』より安いギャラ、弁当で自分は不当にコキ使われてんじゃないかと不安に思い、疑心暗鬼にさいなまれる。あれは十分な配慮を欠いた発言だった」

 真由香としては何気なく答えたインタビューのつもりだった。しかしそういうとらえ方もできるのかと思わず答えに詰まってしまった。

「言っておくが、これは『トキオ』で働くスタッフからの訴えだからな。匿名メールでそういった問い合わせがこちらにあった」

 財前は労組の長なので、スタッフから勤務内容に関する苦情を受付していると聞いたことがある。

「匿名でお願いはしたいが、自分が『トキオ』の現場に従事していることは言ってもらって構わないと言われたので、あんたにこうして確認しているわけだ。安く使われている、『戦軍』のスタッフに聞いてもあっちの現場よりよほど苦労させられてる、とな。宮地真由香プロデューサー殿は調子に乗っている……調子に乗ってるんじゃないか、とはこっちも思うがな。あんたは東光本社所属のプロデューサーで、現場の多くのスタッフはフリーランスだ。周囲はエリートプロデューサーだとちやほやする、半面下請けには苦労を押し付ける。この雑誌には写真でにっこり微笑んでるあんたの写真が掲載されているが、その陰で実に多くのスタッフが苦労し、汗をかき、人知れず涙を流しているというわけだ」

 財前に何かこちらも言い返そうと思ったが、うまく言葉が出てこなかった。真由香が言葉に詰まっていると……。

「お前の言いたいことはそれだけか」

 折尾仙助が久しぶりに口を開いた。

 財前が折尾を見る。

「そうです。これだけはどうしても言っておきたかった。スタッフに苦労ばかり押し付ける現場はそのうちに破たんする。ほころびも出てくる。そのうち現場で何か事件が起きますよ」

「お前はいったいどこの預言者だ、くだらない。余計な心配をしなくても、こっちは俺が現場を監督してんだ。何の心配もない。だから、匿名でメールを送ってきたとかいうスタッフ某にはお前からよく言っておけ」

「ちょっと待ってくださいな。それじゃ、何も根本的な解決になってないじゃないですか。労働条件の改善だったり、明確に『トキオ』と『戦軍』の現場に待遇の差がないと明確なデータをいただかないと納得できない」

 折尾は掌で思い切りバン! と机を叩きつけた。

「いい加減にしねえか。てめえが納得しようがしまいが、関係あるか。……そもそも、匿名でメールを送ってきたそいつのメールは内容が薄すぎる。おおかた、現場に常駐してない、派遣の出入り業者だと思うがな。あらかた親方にでもどやされて、その不満のはけ口のためにたまたま宮地を責め立てたとしか思えねえな」

「どうしてそう言い切れるんです?」

「お前もよく見てろよ」

 折尾が親指でいきなり真由香を示した。

「こいつが調子に乗ってるプロデューサーに見えるか。現場の苦労を一身に背負って疲れ果ててる顔にしか見えねえだろうが。宮地がどれだけ人知れず苦労して、汗をかいて仕事をしているかは現場で働いてる連中はみんな分かっていることだ。こいつはプロのプロデューサーだよ。女とか男とか関係ねえ、仕事人だよ。なんなら俺が証人になってもいい。外野でやいのやいとてめえが口を出す問題じゃねえ。ひっこんでろ!」

 財前は真由香を見ると何も言わずに腕を組んだ。

「まだまだこっちは仕事が詰まってんだ。……話は済んだ。いくぞ」

 折尾は真由香に言うと、もう用はないとばかりにハンチングをひっつかんで、出口に向かっていった。真由香は一瞬逡巡したが、財前に一礼だけすると折尾を追いかけていった。



「いろいろとすみませんでした」

 スタジオに戻る帰り道の途中で、真由香は頭を下げた。クーラーがガンガンに効いていた部屋から出てきたので、外の暑さに一瞬頭がくらっとする。

「謝る必要は何もない。……だがな、俺がいたおかげで話は早く済んだと思うぞ。財前がお前を呼び出したと聞いた時ピンときた。たぶんなんだかんだとあいつはお前にナンクセつけるんだろうと予想できたしな」

 折尾はぶっきらぼうに言う。

 真由香は少し背筋を伸ばした。

「あと、ありがとうございました。わたしを庇ってくれて」

「まああの場はああいうふうにまとめておいたほうが格好がつくんだ」

 正直この老ラインプロデューサーとは仕事上で何度もぶつかって、しかも相手は真由香よりかなり年上なので逆らうわけにもいかず、こちらとしても面倒な人だなあと何度も思ったものだが……。

 まさか面と向かってあそこまで庇ってくれるなんて、想像もしてなかった。

 すると折尾は立ち止まると、「それにまあ、久々にテレビの連続ものをやらせてもらってるからなあ。毎日楽しく仕事をさせてもらっている。一応これでも感謝はしてるんだ」と早口で言った。真由香は一礼した。

 ところで、と折尾が話題を切り替えるように言う。

「随分失礼な奴だと思っただろう。まあ実際失礼な奴だとは思う。……ここで俺から一つ頼みがあるんだな」

 急に改まって老ラインプロデューサーはそんなことを言う。どうしたんだ突然、と真由香は奇異に思いながら「はい」と応える。

「財前のこと、許してやってくれねえかな」

「はあ?」

「あいつには俺から言って聞かせる。……俺には俺の立場があり、お前にはお前の立場があり、あいつにはあいつの立場があるんだ」

 言っている意味がよくわからなかった。真由香は「どういうことです?」と立ち止まった。

 折尾は少し考えこんでいたが、「またそのうちに話すから」と言い捨てるとそのまますたすたと歩いて行った。

 真由香は意味が分からなかった。折尾が唐突に何故財前を許してほしいと言ってきたのかがわからなかったし、「立場がある」ってどういう意味なんだろう。

 頭の中にふと財前の顔が浮かんできた。財前が言った言葉がなぜか唐突に甦ってきた。

 そのうち現場で何か事件が起きますよ―。

 また真由香宛てに送られてきた投書の内容もふと頭に浮かんだ。大いなる不幸が訪れることになるぞ―。

 イヤな内容が重なる。

 うーん、まさかね。不吉な予感を振り払うように大きく首を振ると、真由香は折尾を追いかけていった。

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