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『超時空少年トキオ』パイロット長坂組の制作進行担当・和良より第一話のラッシュが完成したとの連絡が、銀座の東光本社で『スカイフォース』チームで打ち合わせをしていた真由香のもとに届いた。ラッシュが完成したら、関係者やスタッフキャスト、スポンサー一同を掻き集めて大泉の東京東光撮影所で九月十日水曜日に試写会を行う段取りになっていた。関係各位に連絡してもらうよう和良に依頼した。
「たしか、スポンサーのチャイルドさんにも電話が必要でしたよね」
携帯電話の向こう側で和良からそう質問があった。和良は実直そうな二十代の男性スタッフだった。
真由香は目を瞑って、五秒ほど考えてから「いや、チャイルドさんにはわたしから連絡します。ほかに打合せしたい内容もあるんで」とこたえておいた。
制作部の自分のデスクに戻ると、真由香は名刺ホルダーをパラパラとめくった。該当の名刺を一枚抜き取る。
真由香はうーん、としばし考え込む。
チャイルドの窓口は広報室長の江崎周作だから、こういった業務連絡は江崎に行うのが正当ではあるが、『トキオ』クランクインの日に社長の森永からもらった名刺が気になってもいた。
いろいろな思いが頭の中を駆け巡ったものの、真由香は名刺を見ながら携帯電話のキーボタンをゆっくりと押していった。
しばらくコール音が流れたが、わずか三コールで相手が出た。
「はい、森永です」
「お世話になっております、東光の宮地です」
電話の向こう側の相手はしばらく沈黙していたが、すぐに笑い声が聞こえた。
「ようやく電話がかかってきましたね。ちゃんと番号登録してたのに、ずっとかかってこなかったので寂しい思いをしていました」
「お知らせがありまして」
森永の言葉に気がつかないふりをして、真由香は続ける。「『トキオ』の第一話のラッシュが完成しました。来週の水曜日に大泉で試写会を行うんですが……」
「当然行きますよ。ええ、スケジュールをやりくりしてもね。楽しみですね。是非うかがいます」
森永社長の声は軽かった。真由香は淡々と時間と場所を説明する。
ひととおりの事務的な説明を終えたあと、真由香は息を吸い込んだ。
「では来週お待ちしています。現場がすごく頑張って、とてもご満足いただける作品に仕上がったと思います」
どうして自分で無駄にハードルを上げることを言ってしまうのだろうと真由香は瞬間後悔する。
「期待しています」
このまま電話が終わるかなあ、と真由香はちらりと考えたが「ところで宮地さん」と森永から続けられた。
「お互いタイミングが合えば、と思っているんですが。以前お話ししたように、是非お食事でも。こういうストレートな物の言い方しかできませんが」
「そうですね」真由香は唇を舐めた。「いましばらくは予定が詰まっています。もし都合がつくとしたら……たぶん十二月に入ってからだと思うんですが。冬なんですが」
「待ちますよ」
森永は即答した。
「店は探しておきます。なにか食べたいものなどあれば、リクエストをください。お酒は呑めますか?」
「少しだけ」
真由香はそこから事務的なやり取りを二言三言行い、電話を切った。いまはほんとうに忙しいので、こういう答えにしかならない。なぜ自分はわざわざ森永に電話をしたのだろうと真由香はぼんやりと考える。
ふと、部長席の堤谷と目が合った。堤谷は何度か目を瞬くと、自席のパソコンに目を戻した。
真由香は立ち上がると、すたすたと堤谷のもとに行った。
「……いまチャイルドの森永社長に連絡をしていました。ラッシュの試写会についてです」
「そんな報告わざわざいらないよ」
堤谷泰夫は苦笑した。そのあと、「しかし、あの社長ねえ。うーん」と呟いた。
「どうかしました?」
「どこかで見覚えがあるんだよ。これは気のせいじゃない。しかしどうにも思い出せない。齢のせいなんだろうか」
堤谷はオールバックに綺麗に撫でつけた銀髪に手で触れた。
「前にもそんなことおっしゃってましたよね。もしかしてずっと気にされてるんですか?」
「そういうわけじゃないが」堤谷はチェアの背もたれに深く身を預けた。「どうしてなんだろうな。なぜか気になるんだよ。もしかして、昔仕事で一緒になったのかなあ、なんてな。うーん」
「もしかして子役出身とか?」
「今度の試写会で聞いておいてくんないかなあ。もしかして昔どこかの児童劇団に所属していましたかとな」
そういっておきながら堤谷はすぐに首を横に振った。
「いや、無理だな。相手は大スポンサー殿だからな。さすがに失礼か。悪かった、忘れてくれ」
堤谷は首をぐるんぐるんと大きく回した。
その夜―
真由香は終日東光本社で打ち合わせの連続だった。『飛翔戦軍スカイフォース』『超時空少年トキオ』両チームのスタッフと、ああでもないこうでもないとディスカッションを積み重ねていた。
気がつけばまた終電を逃していた。ほんとうはタクシーで自宅マンションに戻りたいが、どうしても明日印刷所に回す予定の『スカイフォース』の能勢朋之のシナリオのチェックを翌朝までに行う必要があった。物語終盤に向けて、展開は大きくうねっている。第四稿だが、妥協するわけにはいかなかった。槇は来年の戦軍作品『恐竜戦軍ザウルスフォース』のクランクインを来月に控えてそちらの準備のほうが忙しく、小曽根は明日のロケ隊に同行するため撮影所に朝五時半集合なので今夜はもう帰宅していた。自分が頑張らないといけなかった。
……それでも人間の集中力には限界があって、多分知らず睡眠を欲していたのだろう。デスクに突っ伏して仮眠をとっていた。
遠くで携帯電話が鳴っている。しばらく頭が正常に動かなかった。ずっと着信バイブは震えている。はっと目が覚める。腕時計を見ると、午前三時十五分。
イヤな予感しかない。こんな時間に携帯電話が鳴るなんて、身内の不幸か、撮影上の何かトラブルか。しばらく固まっていたが、発信者は東光テレビプロの制作部からだった。ますますイヤな予感しかしないが、電話に出ないわけにはいかない。
覚悟を決めて真由香は電話に出た。
「はい、宮地です」
「大変です、宮地さん!」
北島衣里の悲痛な声が耳に飛び込んできた。『飛翔戦軍スカイフォース』ではアシスタントラインプロデューサー、『超時空少年トキオ』ではラインプロデューサーを務めている衣里からこんな時間に「大変です」ときた。
いったいなんなんだ……真由香は大きく唾を飲み込んだ。
当然こんな時間に電車が走っているわけもなく、真由香はタクシーで大泉の東京東光撮影所に向かった。車内では頭の中で今後のシミュレーションを組み立てていたが、いったいなぜこういう事態になったのかと頭を捻るしかない。
早朝四時なので、夏とはいえまだ空は漆黒の闇でしかない。しかし、撮影所近くはいつもの早朝特有のしずけさはどことやら、騒然とした気配が漂っていた。人も多い。撮影所入口には消防車が三台もとまり、パトカーや警官の姿も見られる。
タクシーの運転手にタクシーチケットを渡すと、小走りに真由香は所内に駆け込む。
場所はあらかじめ衣里から聞いていたので、とくに迷わずに向かうことができた。消防士や撮影所の人間があちこちに辺りを行きかっている。真由香は歩行スピードを速める。
現場に近づいてくたびに周囲に焦げ臭いにおいが充満していることに気づいた。あとは電話では詳しく聞けなかったので、どれくらいの被害の大きさなのかが気かがりだった。
第四倉庫。
もうすっかり鎮火はできていたようで、周囲に消防車は見られなかった。ただ関係者以外は現場に近づけないようで、柵が設けられていて消防士と火災調査官が忙しく駆け回っていた。強烈な臭いにくわえて、熱も帯びている。異常にこの周辺は気温が上昇していた。
「こんな時間にお疲れ様です」
Tシャツにジーパンという、思い切りラフな格好で北島衣里が近づいてきた。彼女は仕事に便利だからと、確か練馬の端のほうのアパートで独り暮らしをしていたはず。
「ここってさあ、たしか……」
「そうです、『トキオ』で使うスーツや着ぐるみ関係、全部この第四倉庫で保管していました」
衣里が途端に泣き顔になった。
「建物は全焼です。まだ詳しくは確認できていませんけど、たぶん中に置いていたものは全部使い物にならなくなったんじゃないかと……まだ撮影半分残ってるのにこんなことになるなんて」
頭の中が大きくぐらんぐらんと揺れた。周囲の火事のあと特有の異臭も影響したんだろうか。
いま、かなり気分が悪い。
どういうことだ。
これっていったい……。
あ、わたし。
このまま倒れてしまうな。
何かのスイッチが切れたみたいに、真由香はそのまましずかに意識を失ってしまった。衣里の「どうしたんですかっ。宮地さん、宮地さんっ」と必死に叫ぶ声が耳元にかすかに残った。
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