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「いつもありがとうございます。ではごゆっくりお楽しみください」

 十代にしか見えなさそうなまだあどけない顔立ちの男の子は、真由香にニコニコ笑いながらかごを手渡してきた。そのかごにはおしぼりやらマイクやらキーパッドが入っている。真由香はどうも、とそれを受け取る。

 ここは大泉学園駅前のカラオケボックスである。指定された部屋に入り、ソファに座ると安心して大きな溜息を吐いた。誰もいないので気楽になれる。防音処理は施されているだろうが、周りの部屋の音楽やら歌やら拍手やら嬌声やらが微かに聞こえてくる。夜の二十二時を過ぎているが、わりと賑わっているようだ。真由香は今から一時間くらいここに滞在する予定だった。

 結局、あのあと最後までラインプロデューサーの折尾の了承を得ることは出来ず、真由香はすごすごとその場を後にしたのだった。そして今度はあの気味の悪いカエルを取り扱うネットサイトの運営会社にコンタクトを取って、事情を事細かく説明したうえで、是非ともこの夏の映画の撮影に使いたいのでレンタルという形で何とかお借りできないかと依頼をしてみたが、あっさりと断られた。「撮影協力、でエンディングのテロップに載せます」と粘ってみたが、魅力的な提案に思えませんと一蹴された。

 退路を断たれたので、真由香は阪口たちにカエルは使用できない、やっぱり小道具で我慢してほしいと説明した。彼らは口では「小道具で大丈夫だよ。悪かったね、いや御面倒おかけして申し訳なかった、お疲れ様です」みたいな顔をしていたが、内心は「お前チーフプロデューサーだろ。あのオッサン一人説得することが出来ないの?」と呆れているに違いなかった。多分に被害妄想も混じっているとは思うが、真由香としては無駄にストレスだけを溜め込む結果となった。

 真由香はキーパッドを操作して、「平松愛理」を検索する。真由香が小学生の頃に特に流行っていた女性シンガーだった。世間一般では『部屋とYシャツと私』が代表曲と見做されているのだろうが、『月のランプ』『素敵なルネッサンス』『虹がきらい』『マイセレナーデ』あたりをよく唄う。……たまにカラオケボックスに来ると、はやりの曲を歌わずに二十年以上前の唄を一人延々チョイスするものだからさんざん友達からは奇異な目で見られたものの、こればかりは仕方がない。自分の趣味嗜好がその年代の歌謡曲を好んでいるわけだから。

 今夜はあの曲をまず唄おう。

 店に来る前から決めていた。

 そういう誰にも吐き出せないストレスが生まれたときは、忙しい合間を縫ってこうして一人カラオケボックスにやって来ることにしていた。といっても昔はそんな趣味なんてまるでなかった。なんで好き好んで一人カラオケなんてとバカにしていたが……最近、一人カラオケにハマりはじめた。ここ二ケ月くらいのことだ。アシスタントラインプロデューサーの北島衣里がちょくちょく一人カラオケを嗜んでいるらしい。

「宮地さん一度やってみたらハマりますよー、仕事でヤケになっているときとかに是非是非」

 そういって勧めてきたのだ。衣里は専門学校を卒業したあと東光テレビプロの現場で契約社員で働いている。今年で六年目になるという。そんな彼女は一人仕事でいろんなストレスを溜め込むとカラオケに行き、昔の戦軍シリーズの主題歌などを一人熱唱するという。普段吐き出すことのできない胸の中のモヤモヤを吐き出せる良い機会なのだという。

「オススメは『海王戦軍シーフォース』の『海に吠えろ! シーフォース』です。あれは至高の一曲です。日本人の魂そのものです」

 なんてよく訳の分からない曲の紹介をしていた。真由香はまだその歌を唄ったことはなかった。

 宮地真由香は東光株式会社に所属するテレビプロデューサーである。津田塾大学を卒業後、入社してもうすぐ十一年になる。入社以来、ずっとオリジナルビデオや小規模な単館上映型のミニシネマの制作に従事してきた。真由香はホラーやスプラッターモノを大の得意としていたが、昨年五月に突然テレビ制作部門への異動を命じられた。そしてその時にテレビ制作担当の最高責任者である石原康より指令が下ったのだ。戦軍シリーズの第三十四作目のチーフプロデューサーを担当してほしい、と。

 まったく特撮なんて興味のない分野だった。たとえば円谷のウルトラマン、東宝のゴジラ、東映の仮面ライダー……このあたりの名前くらいは知っている。でもその中身となるとまるでお手上げだった。自分に務まるだろうか、と半信半疑になりながらも多くのスタッフの力を借りて何とかやってこれている。それはひとえに東光テレビプロのスタッフが皆自分に優しく接してくれている賜物と感謝していた。

それにしても……毎日が驚きと発見の連続だった。毎週毎週三十分もののテレビプログラムを作っていくというのは想像以上の困難が伴った。まだ制作も半ばだが、これまでもいろんな出来事があった。

 最近は揉め事は少なくなっていたと思っていたところだったので、たまにああいう昔気質な頑固な親父スタッフと衝突すると、なんとなく鬱屈した思いが溜まってしまう。

 それでもだいぶこれでも東光テレビプロのスタッフ連中は全員ソフトな態度になったときいている。槇憲平によると、昔のテレビプロはもっと野蛮なスタッフが多かったらしい。一歩間違えるとヤクザとしか見紛うごとのできない人間が大手を振って撮影所内を闊歩していたそうで、テレビプロでは「もう少し他の人間にやさしく接しましょう」と定期的に講習会が開催されていたと聞く。やがて時代の流れからか、そういった人種は自然に淘汰されていって、いまではだいぶん平和な状況になっていたそうだが。

 真由香はキーパッドのタッチパネルを押した。しばらくするとスピーカーから大音量のメロディが流れてきた。

 平松愛理『Single is Best!?』。

 真由香はマイクを握る手に力を籠めた。……別にひとりがベストだとは思っていないけれど。



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