Episode2 困惑 

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 四月に入り、八月公開予定の『飛翔戦軍スカイフォース』劇場版がクランクイン間近となった。本編の尺は四十分程度で、通常のテレビシリーズの尺は二十三分なので、劇場版は倍近くの長さになる。同時上映の『銀河刑事クローバル』も同じく四十分程度で二本立てでの上映となる。戦軍の夏の映画は今年で十四年目の興行になるという。

 テレビシリーズは毎週放送が連続するわけだから、当然撮影は休みなく進む。それと並行して劇場版も撮影が行われるので、二組並行しての撮影となる。スタッフは一部を除いては別陣営のチームを編成するが、キャストはテレビと映画を同時に撮影するわけだから頭も体も混乱するらしい。昼は映画、夜はテレビの撮影……なんてこともある。となると、台本を同時に二冊覚える作業が必要になる。テレビは二本組で通常十二日前後、劇場版は三週間程度で撮了の予定となっている。

 劇場版の撮影後半では北海道の襟裳岬や地球岬にロケーションに行く予定となっている。脚本は能勢朋之が執筆し、監督は阪口大輔がメガホンをとる。尚、劇場版は当初別の監督が撮る予定だった。その監督は性格は気難しかったが腕は抜群で、真由香は絶対の信頼を置いていた。しかし、事情により『スカイフォース』を降板せざるを得なくなったため、阪口監督の登板は実は緊急事態といえた。

 それはさておき―。

「いま自分が何やってるのかわからなくなってくるんですー」

 真由香が差し入れにスタッフとキャスト全員分のシュークリームを撮影所のリハーサルルームに持っていくと、スカイホワイト(白木茉莉)役の松下桃がえーん、と泣真似をしながら近寄ってきた。長い黒髪が特徴的なカワイイ女子。オーディションの時からこのコが一際皆の中でも輝いていた。演技面は目を瞑ってもこのコに賭けたいと思った。クランクイン当初は拙い芝居で各方面に迷惑を掛けていたが、それでもクランクイン当初に比べると、演技に置いても、人間性に置いてもすべての面で日々成長しているのは傍から見ていてもよくわかった。

 松下桃はシュークリームを受け取った。

「あのね、真由香姐さん。どうして今回北海道にロケに行くんですかあ?」

「いままで戦軍のロケで北海道に出掛けたことがなかったからよ。目新しいロケーション場所が欲しかったというわけ……どうして?」

「いや、どうせ北海道に行くなら、札幌とか旭川とか、そっち方面に行きたかったなあって」

「あのねえ」真由香は説教口調になる。「これは遊びじゃないのよ。大事なお仕事。それにそんな場所、当たり前すぎて全然画的に面白くもないし。あなたが大女優になって自分のワガママ通せるようになったらその時に制作にリクエストして頂戴」

「へーい」

 そう気楽に返事をすると、松下桃がぺこりと頭を下げて仲間の輪の中に戻っていった。今は休憩中だったが、スカイフォース役の若者たちと今は自主的にホン読みをしているところらしかった。まあ、別々のお話を二つ同時で覚えないといけないのは想像以上に大変だと思う。今も大変だが、劇場封切りの後は撮影を行いながら舞台挨拶で日本全国を縦断することになる。体力勝負。まあ、頑張ってくれたまえ。

 リハーサルルームでは劇場版阪口組の本読みとリハーサルが進行中だった。主要キャストはこちらで稽古に打ち込んでいるが、今現在都内の某所ではテレビ本編の撮影が別途進行している。そちらの回の監督は山根正幸という五十過ぎのベテランだった。戦軍の常連監督ではあるが、作品の出来はまずまずでも早くて安い、がこの男のキャッチフレーズらしく今回『スカイフォース』には初登板となる。今はもうすぐ劇場版の撮影と同時進行になるのでどうしてもスケジュールが滅茶苦茶になる。テレビ撮影班にどうしてもスケジュールの皺寄せがいく。そういった意味でも、便利屋山根をこのタイミングで監督として起用するのはある意味必然と言えた。

 阪口監督は部屋の片隅のディレクターチェアに座り、スクリプターの福井恵子とチーフ助監督の鹿島忠司と何やら打ち合わせをしていた。阪口大輔は二〇一〇年のシリーズ第三十作目『豪剣戦軍ナイトフォース』から昨年のシリーズ第三十三作目『稲妻戦軍サンダーフォース』まで四年連続でメイン監督を務めていた人物なので、作品の出来もそれなりのものが期待できた。年齢は四十代前半。不健康そうな肌色の男で、パチンコが大好きなカントクだった。常に無精髭を生やしている。そのうちに、阪口が「小曽根君、ちょっと」とアシスタントプロデューサーの小曽根卓を手招きした。小曽根は二枚目半の色白の若者で、今は真由香の隣でのんびりシュークリームを食べていた。

 残ったシュークリームを全て頬張ると、真由香に「行ってきます」と告げて小曽根はその輪の中に加わっていった。阪口はスマホで画面を示しながら、何やら小曽根に熱弁を振るっていた。小曽根は難しそうな顔でスマホを凝視している。

 ……こういうとき、呼ばれない限りチーフプロデューサーは出張らないようにするのが流儀だと思っている。もし自分が必要なら、向こうから声を掛けて来るだろう。すると、阪口が「宮地君、ちょっとちょっと」と真由香をようやく手招きしてきたので、その輪に加わることにする。

「これ、見てよ」

 阪口はスマホをこちらに示した。そこには何やら気味の悪いカエルの置物が映っていた。

 銀色のガマガエル。何やらどこかの古美術商のネットサイトの売り物のようだった。

「なんですか、これは?」

「カエルだよ、カエル」阪口が何を分かり切ったことを、という顔になる。「コレ、何とかならないかなあ。ホラ、最後の祭壇のシーンにこれを飾っておきたいんだよ。画面映えするんだよ、このカエル。俺のイメージにぴったりと合う」

 今回の劇場版では、いつものテレビシリーズとは違いややスケールを大きくしたストーリー展開を構成していた。悪の集団グァンガルドウガイオウ一味は、北海道の子供たちを集団誘拐していく。多くの子供たちを生贄にして海に封印されていた悪魔の巨神・ガオードザイルの復活を目論む。ガオードザイルは地球上でかつて大いなる災厄を齎した存在であった。そこに、たまたま北海道に夏休みの旅行に出かけていたスカイフォースの戦士たちが遭遇。グァンガルドウガイオウ一味の企みを知り、その目論見を阻止する……というプロットである。

 その終盤に、グァンガルドウガイオウ一味が北海道・襟裳岬の突端に祭壇を用意する。その祭壇に悪魔のオブジェとして呪いの置物が悪の象徴として置かれるのだが、そのイメージが阪口の中ではこの不気味なカエルがぴったりということなのか。

「確か小道具の方がいくつかラフデザイン持ってきてましたよね。望月さんが実際に作ってもくれたし。その中で何とかなりませんか?」

 望月勉は『スカイフォース』の小道具を担当しており、劇中に登場する小物関係を一手に担当している。阪口は特に気難しい監督というのではないが、今回の自分のイメージが一致しない様子だった。

「……いや、どれもしっくりこないんだな。そこでだ宮地君、何とかこのカエル、東光で買い取ってくれないかなあ。これは画面映えするし、演出のイメージも湧くんだ」

「おいくらですか?」

 隣の小曽根がボソッと呟いた。「十五万八千円」

「高っ」

 うーん、と真由香は頭を抱える。

「撮影のあいだだけ貸してもらうというわけにはいかないんですかね」

「レンタルは出来ないって既に確認とってんだよお。買取オンリーだってな」と阪口はスマホをとんとんと指を差す。

「撮影終ったらどうリサイクルするんですか?」

「またヨソの現場で使い回しゃあいいじゃん」

「ううん」

 そりゃ、演出家のイメージを大事にはしたいが、いくらなんでも十五万八千円は、と思う。劇場版なので、普段のテレビシリーズより予算はある程度潤沢に確保されてはいるが、戦軍シリーズは所謂他の一般ドラマ(特に在京キー局制作のドラマ)に比較すれば、別にそんなに予算に余裕がある番組ではないのだ。

「いや、宮地君。これは勝負なんだわ。大事なところ」

 阪口がこめかみを人指し指で掻いた。助監督の鹿島忠司は監督の意向に従っているのか、何も口にせず腕組みをしてずっと事の成り行きを見守っている。妙齢のスクリプターの福井恵子はこの問題は自分の業務の範疇外のことと捉えているのか、シナリオに何やらメモを書いていた。

「折角テレビのほうも調子いいんだし、映画だって当てたいだろ? 映画の成功のためにはこのカエルが必要なんだよ。頼むよ」

「……いいんじゃないでしょうか」

 いささか自主性に欠ける答だと思いながらも、真由香は了承した。実際この不気味なカエル一匹で、阪口が機嫌よく撮ってくれるなら十五万八千円の出費も仕方ないのかなと思う。まあ、随分適当な考えだとは思うけど……。

「じゃあ、決定。……ほい、宮地君で決まり」

 ん、なにが決まりなんだ?

「なんとか堀尾さんを説得してよ。今誰が、折尾さんにこの話持っていくか相談してたところでさあ」

 阪口が髪の毛をポリポリと掻く。「やっぱこういう場合、チーフプロデューサーが適任だわな」

 阪口の一言に、みなが軽く頷いた。特にチーフ助監督の鹿島が「助かった」と胸を撫で下ろしているのが印象的だった。

「いやいや、カントクから一言お願いするよ、って折尾さんに軽く言えばそれで済む話じゃないですか」

「オリスケは手強いんだよ。俺なんざあの人にひよっこの頃からお世話になってンだから、適うわけないだろ」

「助監督の頃から?」

「そうだよ。どれだけ怒鳴られ、叱られたか。ある意味この撮影所の中で一番厳しいおやっさんだよ。門番だよ」

 阪口大輔は顔を顰める。

 折尾仙助は今回の劇場版でラインプロデューサーを務める男だった。東光テレビプロで定年まで勤め上げた後、今はフリーの立場でテレビプロの仕事に携わっており、確か年齢は七十前と聞いている。東光東京撮影所にて半世紀ほど制作の現場に従事してきたという。もともとは映画畑で、その後テレビの仕事にスライドした。戦軍のような特撮だけではなく、刑事ドラマも二時間ドラマも一通りすべてこなしている超ベテラン。現在は本数契約社員という立場で関わっている。『スカイフォース』の制作チームでは文句なし、最高齢のスタッフである。

 通常『スカイフォース』のラインプロデューサーは天野正典が担当しているが、今回天野がテレビシリーズの組を受け持ち、劇場版の別班のラインプロデューサーを折尾が担当することになった。近年は戦軍で制作体制が二ライン走る状況になると、折尾が緊急的に招集されると聞いた。

 真由香は今回初めて折尾と仕事を共にするが、二回ほど打合せを行った時も確かに頑固そうな職人、というふうであまり打ち解けた感じにはならなかった。同席していた槇にあとで「とにかく予算に厳しい人、きっちりした人だから」と耳打ちをされたことを思い出す。

 ラインプロデューサーは、一昔前は制作担当と呼ばれていたセクションである。よくテレビドラマなどのテロップでは他のスタッフと一緒くたで纏めて表示されることが多いが、意外に重要な役割を担っている。制作現場に置いてはトップの立場と言って差し支えないのではないか。番組の方向性や、核となるスタッフの編成、大まかな予算を決めるのはプロデューサー。

 しかしそれだけで番組が出来上がるわけではない。与えられた予算の配分やスタッフをうまく編成させ、制作チームを如何に纏め上げるかはラインプロデューサーの役割になる。

 今回のような小道具ひとつでも、ラインプロデューサーが了承しないとどうにもならない。予算の財布を握っているのは折尾だった。そこにはプロデューサーにも立ち入ることのできない領域であることは間違いなかった。

 みんなが真由香をある種の期待感を持ってこちらを見つめてくる。うーん、と思いながらも「……わかりましたけど」と結局は了承した。

「わるいな」

 阪口が手刀を切り、鹿島は真由香に深々と最敬礼した。



「―認めるわけにはいかねえな」

 折尾仙助は東光テレビプロダクションの事務所の会議室でソファに踏ん反りがえった。お話にならない、と何度も首を横に振る。でっぷりと太った巨躯で、まるで大黒様みたいに膨らんだ腹を揺らせている。

 結局真由香は一人で代表で折尾に陳情にやって来た。皆、折尾を大の苦手にしているのか、誰も一緒についてこなかった。折尾は日本刀蒐集マニアらしく、以前折尾の自宅で呑んだスタッフによると、酔っ払らうと刀を持ち出して居合の真似事をするという。……おっかない老人。

 真由香は低姿勢で愛想笑いを浮かべる。

「そこを何とかなりませんか。折角カントクもやる気を出してるんだし、どうせなら張り切って仕事をしてもらいたいじゃないですか」

「……あんたは鳩か」

「は?」

 目の前の老人から離れた言葉が咄嗟に理解できず、つい間抜けな相槌をうってしまう。

 折尾はふん、と洟を鳴らした。

「どうせあいつからそう言って俺を懐柔してくれと頼まれたんだろう。話にならん。あんたはプロデューサーだろ? 監督から言われたまんま俺に伝えるなら、それは単なる伝書鳩だ」

「言われたまんまじゃなくて。わたしも今回の映画を成功させたいから、あのカエルを映画の最後に据えたいと思ったんでこうしてお願いしてるんです」

「ほお……あのカエルをねえ。あれを持ってきて、どう成功させるさせられるってんだ。ちゃんと具体的に説明してくれや。論理的に。わかりやすく」

 ―何も言葉が出てこなかった。特にこちらも何も折尾を説得する材料を用意しておかなかった。ただ阪口に言われるままに、安請け合いしてこの男にお願いに上がっただけだった。

「あんたなあ、何か勘違いをしてないか? あまりに仕事がいい加減すぎるだろうが。適当過ぎる。んん? 金は湯水のようにどこかから湧いてくるのか? あらかじめ、財布の中身は決まってるんだ。そういうどんぶり勘定じゃ困るんだよ。それとも天野ならいつもそんないい加減なオーダーでも、カンタンにOKを出すんか?」

「まあ、そうですね」

 ようやく言葉を絞り出した。天野正典はソフトな人柄なので、ここまで真由香に突き詰めて話をしてくるタイプではなかった。

「天野がそういう仕事ぶりなのはわかった。だが、この組の制作担当はこの俺だからな。そんな話じゃ到底許可できないから……却下だ。というよりそれ以前の次元の問題で無理!」

 そう言って折尾は机を唐突にバン! と叩いた。真由香はビクンと躰を震わせた。

 ここではいそうですか、とはとても言えない。真由香も皆の期待を一身に背負ってここまでやって来た。いやですから何卒……と言葉を続けようとしたが、折尾の鋭い眼光を見るともうそれ以上何も言えなくなった。

 はい失礼します、とか細く言ってそのままその場を後にした。

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