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―二〇一四年三月十四日金曜日。
十三日の金曜日、でもないが何となく不吉な思いを抱きながら真由香は気持ちが落ち着かなかった。ここはテレビ太陽の社屋の三階にある大会議室で、学校の教室三つ分がすっぽり収まるくらいの広大なスペースである。その中央に置かれた机に、ちょこんと置物のように座っていた。
末席に座っている真由香は今日、銀座にある東光本社から四人の男と共にやって来た。同席している四人の男は皆それぞれ静かに先方のお歴々の登場を待っている。真由香は畏まりながらも、一人ずつ男の様子を横目で観察していく。
真由香の隣で首筋を撫でながら大人しくしているのは槇憲平だった。槇は真由香より先輩ではあるが、『飛翔戦軍スカイフォース』においてはチーフプロデューサーが真由香で、サブが槇だった。小柄でメガネを架けた、一見オタク風の風貌で初対面の時にはああコイツとは多分ソリが合わないなあとぼんやり思ったものだが、さすがにずっと仕事をしていると次第に慣れていった。今では頼りになる先輩プロデューサーだと信頼を置いている。
「大澤さんのご機嫌はいかがなもんかねえ」
槇はこれから会う相手を大の苦手としていたようなので、先程から落ち着かない様子であるのが手に取るようにわかる。
その槇の隣で手帳を捲っているのが、東條信之である。東條は還暦過ぎで、真由香とは親子ほど年の離れた男だった。『スカイフォース』にはアソシエイトプロデューサーといった形で携わっている。昼行燈のように普段はぼんやりとしている好々爺の小男だが、やはりこちらも頼りになる大先輩だった。定年はとっくにオーバーしているが、東光には嘱託プロデューサーとして残っていた。しかしあと数か月で、その嘱託契約が切れる見込みであり、この男が長年のプロデューサー生活に別れを告げる瞬間は刻一刻と迫っていた。
「……もう十時になってんじゃんかよ」
腕時計をちらと見ながら、ぶっきらぼうに東條が呟く。真由香が時刻を確認すると、十時五分を過ぎていた。
「テレビ局の人間は約束を守らないんだ、いつもいつも」
「そんな急にぼやかないでくださいよ」
宥めるように、東條の隣に座っている堤谷泰夫が苦笑いする。オールバックに撫でつけた銀髪が今日も光り輝いている。東條の後輩ではあるが、役職上は東條より上だった。
そして、堤谷部長の隣で少し目を伏せながらもじっと腕組みをしているのが石原康である。東光株式会社のテレビ制作部門の専務取締役。若白髪で痩身なのが特徴的な男だった。やや顔色が青白く、不健康そうなイメージを抱かせる。昨年春まではもともと映画畑にいた真由香をテレビ制作に引っ張り込んだ張本人でもあった。真由香を異動させた理由は石原なりに計算あってのことらしいが、その理由についてはまだ敢えてこちらから訊ねないことにしていた。
真由香たちが今日のテレビ太陽からの呼び出しに就いて危惧しているのは、先方が石原の出馬を要請していることにあった。『飛翔戦軍スカイフォース』の番組制作に関わっているのは真由香と槇、そしてお目付け役の東條。そして何かほかに重要な決め事などがある場合は上司の堤谷がフォローする。これまでも、そういう役割で局側の折衝を行ってきた。
ところが今回に限っては、先方は石原康までもを呼びつけた。普段、石原康のような立場の人間まで、こういう場には出張って来ない。わざわざ石原までも呼ぶ意図はいったい何だというのか?
『飛翔戦軍スカイフォース』の時間枠変更が本決まりになったということなのか。数字はだんだん上がってきている。玩具などのセールス面も、前シリーズのペースを上回っているとの報告を受けているにもかかわらず、である。
じりじりと焦燥に駆られていると、会議室の向こうの大きな扉がゆっくり静かに開かれ、男二人と若い女性一人が姿を現した。真由香たち五人は反射的に立ち上がった。
「いやいや、わざわざ申し訳ない。座って下さい」
特に申し訳なさそうな表情でもない大澤信孝がつかつかとこちらにやってきた。大澤はガタイの大きなコワモテの男だった。その後ろをこそこそと幽霊のようについてきているのが、海老沢孝夫と堀江津子である。二人は『スカイフォース』のテレビ太陽側のプロデューサーだった。
「ご無沙汰しています、いつもお世話になってまして」
石原から大澤に頭を下げた。年齢的にも大澤より石原の方がおそらく下だったはず。
「まあそういう堅苦しい挨拶は抜きにしましょうや。ビジネスの話ですよ。……まあ早く座って下さい」
大澤たちが椅子に腰を下ろすタイミングで、ようやく真由香たちも着席した。思わず真由香は唾を呑みこんだ。
さあ、戦軍の未来はどうなるんだ?
「せっかくこうしてわざわざ皆さんにお集まりいただいたんだ。早速話を始めないとね」大澤は堤谷を見る。「……堤谷さん、どういう趣旨の話なのか、予想をつけてきました?」
「戦軍の今の時間枠についてでしょうかね」
探りを入れるように堤谷が大澤に訊ねる。
大澤は大きく頷いた。「それもある」
「それも?」
東條の声が裏返った。「他にもあるんですか?」
「ありますよ。まあいい、じゃ、その話から先に進めますか」
大澤はマイペースで会話を進めていく。「戦軍シリーズはテレビ太陽の貴重な財産です。ずっと日曜夕方五時半で多くの視聴者に支持されている人気シリーズだ。日本が誇るヒーロー文化の結晶でもある……これからもあの時間枠でずっと放送をしていきたいというのが我々の総意です」
「ということはですね、戦軍は今年の七月以降も日曜五時半の時間枠で問題ない、そういう認識でよろしいのですか?」
まだ半信半疑といったていで、堤谷部長が再確認する。
「そうですよ。そして来年二〇一五年で戦軍はめでたく記念すべき三十五作品目だ。東光さんにはますます頑張って貰わないといけませんねえ」
えらくあっさりと時間枠現状維持の話題が出た。シリーズ存続についてもお墨付きが出た……いや、当然こちらとしては朗報という以外何物でもない。いままで真由香を悩ませていた問題が、この時間枠変更問題なのだった。それがあっさりと解消された。拍子抜けした思いだった。
心の中でほっと一息ついた。真由香がちらりと隣の槇を見ると、彼と目があった。槇もさすがに安堵しているのか、軽く何度か頷いていた。
「まあ、それは別にいいんです。……次からが本題ね」
大澤があっさりともう話題を切り替える。
本題?
いったいどういうことなのかと真由香は訝しむが、大澤は急に真由香を見つめてくる。
「今ちらっと話も出たが、来年で戦軍シリーズは第三十五作品目だ。アニバーサリー……だよね?」
急に同意を求めてくる。真由香は「はい、そうです」と頷いておく。
「こちらとしても、ただ安穏として、来年一月のシリーズ開始を待つわけにもいかない。攻めの姿勢でその記念すべき年を迎えたいと考えているわけですよ。そこでこれは私からの提案なんですが」
ここで大澤は石原に目を向けた。「今東光さんでは、特撮シリーズが二ライン走ってますね。戦軍と銀河刑事」
「そう……ですね」
石原はこっくりと頷いた。
銀河刑事というのは、これもテレビ太陽で金曜夕方五時半から放送されている「銀河刑事シリーズ」を指す。放送開始時期は毎年十月からと決まっており、シリーズは現在放送されている『銀河刑事クローバル』で第十四作目を数える。悪の大宇宙組織と戦う正義のヒーローの物語で、これも東光を代表する特撮ヒーローシリーズである。戦軍シリーズは複数ヒーローだが、銀河刑事シリーズは単独ヒーローで区別化が出来ており、また同じスタッフが関わると作品の出来自体も似通ったものになることを恐れ、スタッフについてはほぼ一部を除き別陣営で組まれている。
真由香は自作のプロデュースに忙しいということもあるが、銀河刑事シリーズはほとんど視聴したことがなかった。不勉強だ、自社が作った特撮シリーズを毎週チェックするのはプロデューサーとしての務めだろうとお叱りを受けるかもしれないが、番組のプロデュースをしていればヨソの番組までチェックする余裕なんてまるでなかった。
それはさておき―。
「こっちとしてはね、東光テレビプロさんのお力をもってすればね、今の二ラインとは別にね、もう一本特撮モノのシリーズを別に走らせることが出来るんじゃないかと考えているわけですよ。昔はだって、今とは違って三十分もののテレビがワンサカあったから、持つ制作現場も活気があったわけだし。まあ、これは東光さんに限ったことじゃないけど」
「お話の趣旨がよく見えないのですが、要はもう一本テレビ太陽さんでウチに制作を発注していただけるというわけですか? 三十分ものを?」
半信半疑といった体で石原がそう質問する。すると、大澤は「いやいや、違うんですよ」とあっさり否定する。
「テレビ太陽としてではないですよ。もう地上波の今のタイムテーブルで毎週一年間も三十分ものが放送できる枠はありませんからね。……まだ正式な内示は出てないんですが、私はこの夏からBS太陽に転任する予定なんですね。代表取締役社長としてね」
これまた唐突な話の流れだと思い、思わず真由香は首を傾げる。BS太陽はテレビ太陽のBS局で、主に韓流ドラマだったり、テレビショッピングだったり、昔放送された二時間ドラマの再放送などが主に放送されていて、自社制作の番組もあるにはあるが制作率は確か一〇%を下回っているはずと記憶している。テレビ太陽の編成局次長とBS太陽の代表取締役社長のどちらが役職としては器が上なのかはよくわからないが、ここでは特に何も言わない方が支障がないだろうと思い、真由香としては「へえ」と軽い感嘆の声だけ漏らしておくことにした。
大澤は軽く咳払いをする。
「あちらに行く以上、そりやこちらとしてもいろいろと思うことがあるわけで。自分なりに夢があるわけですよ。いまのBSテレビって、うちだけじゃなくて、どこも本流というか、テレビの流れに乗りきれてない。まあ、昨今は地上波デジタルだって、若者のテレビ離れもあって、見られてないというし。視聴率の低下がね、それを物語っている。私としてはBS太陽でね、一旗揚げたいと思っているんですよ」
どうにも話がまどろっこしい。わざと言っているのか、コイツ。
「そこでね、BS太陽のゴールデンタイムにね、東光さんの特撮シリーズの枠をまず置きたいと考えているわけです。ちょうどこの秋に開局一五周年を迎えるんで、それの記念としてね」
「うちで新しくシリーズを展開させてくれるというわけですか? 一年も?」
堤谷の質問に、大澤はあっさりと首を横に振った。
「さすがに一年はまだ長期になるんで、リスクが多すぎる。こちらとしては一クール、まずは十三本で様子を見たいと考えています。ひとつのテストケースです。放送時期は今年の十月からの一クール。BS太陽で局オリジナルの特撮シリーズが展開できるとなれば、それなりに話題を呼ぶでしょうし、放送終了後はDVDソフト化でペイできる。東光さんにしてみても、もう一本テレビラインが出来ることなら悪い話でもないでしょう」
「新シリーズと一言でおっしゃいますが、大澤さんの構想としてはどういった内容になるんでしょうか?」
大澤編成局次長は、傍らに置いていたアタッシェケースを机にドンと載せた。
「個人的には戦軍のスピンオフがやりたいと思っています」
「スピンオフ?」
「戦軍には三十四年の歴史があるわけでしょう? それをベースにした一クール限定のシリーズです。勿論予算はないから、新規にヒーローなどは作れませんわね。主人公は普通の少年。少年はタイムトラベラーという設定で、自由に現在と過去を行き来することが出来るという設定です。少年が過去の戦軍ヒーローと相対し、ジュブナイル色が強いロードムービータッチのテレビシリーズが作りたいんですな」
そう言うと、アタッシェケースから分厚い紙の束を取り出した。表紙には『ボーイ・ミーツ・戦軍(仮題)』と大きく書かれている。
……なんというセンスのないタイトルなんだろう。真由香は内心唖然とする。
「この企画書は私が書きました。昔は局の帯ドラマなんかを作ってましたんでね、こういう企画書関係は得意なんです。……子供が見ても楽しい、オタクが見たら尚楽しい、そういう幅広い視聴者層を想定したテレビシリーズが出来ればと考えているわけです」
ううん、と石原が唸った。眉毛に前髪がさらりとあたった。
こういうテレビ制作の場合、通常は制作会社側が企画を提案し、放送する局、または広告代理店にプレゼンの場で提案する。こういう企画が通る可能性なんて殆どなく、ポシャって当たり前なのが日常茶飯だった。今回のように局側から企画を持ちかけてくれるというのは実は大変ありがたい提案であり、滅多にない出来事でもあった。それだけに大澤の話は随分魅力的なものに感じられる。大澤がわざわざ石原まで招集した理由についてはようやく腑に落ちた。要はもう一本テレビシリーズを走らせることは可能かどうかの打診が今回の主題であったわけだ。となると、石原くらいの大物にまず話を持ちかける必要が出て来る。
一方、おそらく石原が懸念しているのは、放送局がBS太陽という器の問題であることは容易に想像が出来た。大澤はゴールデンタイムでの放送であるというが当然地上波放送ではないから、予算なんて戦軍の半分以下で抑えられることは目に見えている。スポンサーだって本家の戦軍や銀河刑事のように多社協賛というわけにもいかないだろうから、商業展開もおとなしめになる。またこの秋からの三か月の放送となると、今が三月なので企画を進めるとなると今がギリギリのタイミングといえなくもない。
とはいえ、この一クールのシリーズを成功させれば、今後定期的にBS太陽からの受注が継続する可能性も出て来る。当然東光にしてみれば、今回の大澤の打診は悪い話ではなく、今の二ライン以外に特撮シリーズを走らせることで発生するメリットも見逃せなかった。
「どうでしょう? やれますか? やれませんか?」
こういうやや挑発的なものの言いようが大澤らしいのだが(そこが真由香がこの男を好きになれないところでもある)、結局石原はさして深く考えた様子もなく「やれると思います」と回答した。
やれるものなのかなあ、と真由香にはぼんやりとして考えられなかった。何はともあれ、自分とは全く縁のない話だと思っている。ここから先の展開は、石原や堤谷がせいぜい頭を悩ませる問題であると思っていたのだが……。
大澤はちらりとこちらを見た。大澤はわざわざ顔の前で腕を組んだ。
「で、私としては東光側のチーフプロデューサーは、是非宮地さんにお願いしたいと思うわけです」
ん?
ナニ言ってるんだ、このオッサン?
真由香はもう一度大澤の言葉をリフレインすることにする。秋からの一クールもののチーフをわたしに依頼したい? いやいやわたし、この十二月まで続く『スカイフォース』のチーフプロデューサーなんですけど。
真由香の困惑を代表するかのように、堤谷が「いや大澤さん、ちょっと待ってください」と手で制した。
「宮地は『スカイフォース』にかかりっきりですし、そちらを降りてというわけにはいかない状況でして」
「いや別にこちらは降りてまで、なんて言ってはしませんから」
大澤は淡々とこう続ける。
「私としては、宮地さんのプロデュース能力は大いに認めているわけです。是非とも、今の『スカイフォース』は最後まで手掛けてもらって、同時にこの秋からスタートを想定している新シリーズのほうも掛け持ちでプロデュースしてほしい……そう思っているわけです」
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