Episode1 突然

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「おーい、そこは光が足ンないよ。もうすこしライトを当ててくれ!」

 拡声器を口に当てて津島律夫が独特の低音で張り上げる。彼の指示に従い、角本という照明助手が「はいっ」と短くて大きな返事をしながら、LED照明の配置を変更する。ロン毛をゴムで括りつけた、まだ新人の男性である。

「よオシ、そこでいいから!」

 津島が再び拡声器で怒鳴る。

「全員散れ!」

 津島の指示で一か所に集って作業をしていた男たちがバラバラに散りだした。しばらくそのまま、男たちが全員息を潜めている。スタジオの照明が落とされ、周囲に静寂が訪れる。

「本番、ヨオイ、スタート!」

 津島の隣にいた操演スタッフの杉原大輔が手元のミニパネルのスイッチを手慣れたふうに操作すると、少し離れた場所で乾いた破裂音が連続してセメントが飛び散る。そのまま向こうに控えていた飛行機を模したミニチュアが姿を現した。銀色の三輪車くらいの割と大きな造形物である。ワイヤーで天井からぶら下がっている。そのワイヤーを操作しているのは杉原の下に就いている操演助手の栗原が器用に操作している。杉原か手元のボタンを押す。ナパームが爆発する。小規模なガソリン爆発が連続する。埃と煙が周囲に充満する。

 しばらくの静寂の後、津島がおもむろに怒鳴る。

「カット!」



 広大な東光東京撮影所の一角にあるこの第十九スタジオは、津島律夫が代表を務める津島特撮研究所専用のミニチュア特撮撮影専用のスタジオだった。広さで言うと、学校の体育館くらいはあるだろうか。今スタジオでは六月放送回の新ロボット登場回に出て来る新マシンの躍動場面のミニチュア撮影中だった。マシンの名前をスカイキングダムという。『飛翔戦軍スカイフォース』に新しく登場する六人目の謎の戦士・スカイシルバーが操るマシンで、このスカイキングダムはクロノスキングという巨大ロボットに変型する。

 ……無論今ここにあるミニチュアが巨大ロボットにそのまま変形するわけではない。あくまでそういう設定、というわけである。

 スタジオの半分くらいに砂利や土をいっぱいに敷き詰めて、数十人もの大人が知恵を絞って、いかに画面映えする映像が作れるか試行錯誤していた。最近ではデジタル合成、VFXやCG技術が格段に発達しているので、ピアノ線やワイヤー、特殊効果を使う必要がないとも思えるが、そういった便利な技術では決して醸し出せない手作業には手作業の良さがある、と津島は常々熱弁を振るっていた。

津島は年齢でいうと四十代後半で、小柄ながらもエネルギッシュな印象を受ける男だった。年中日焼けしている。

 津島律夫特撮監督の下、十五名もの精鋭スタッフは絶えずスタジオ内をきびきび動き回っている。全員漏れなく男である。このスタジオ内で唯一いる女性はわたし―宮地真由香くらいのものである。セットからは少し離れた片隅のミニブースで、津島や杉原と共に彼らの仕事ぶりを見守っている。

 日焼けした特撮監督は手首をポキポキと回した。うーん、と伸びをして顔をこちらに向けてくる。

「……どう、プロデューサー。こんなものでよくない?」

「感動しました。素晴らしいです」

 真由香はそう応える。実際、津島たちのテキパキとした仕事ぶりにはいつもながら感嘆しているのは事実だったので、本心から出た感想だった。このスカイキングダムには番組のメインスポンサーであるMANDEIの担当者も大きく期待を寄せているので、これなら先方も喜んでくれるのではないかと期待した。

 津島は手元の絵コンテにさらさらとペンでメモ書きすると、傍に控えていた演出助手の大串に無言でコンテを手渡した。大串は駆け足で去っていく。

「あとは合体シーン撮るからね。今日だけで何カット消化しなきゃなンないんだよ、って話でしてね」

「お疲れ様です」

「だからさあ」

 ギョロリと津島がこちらをねめつけてきた。その先に続く津島の言葉が何となく予想できたので、真由香は一瞬唾を呑んだ。

「こっちとしてはどういうシチュエーションでスカイキングダムがスッと出て来るのか、把握しておく必要があるわけ。わかるでしょ?」

「……わかります」

 真由香としては言葉を濁すしかない。

「昔仕事をした大先輩のいのくまというオヤっさんはかつてこう言った……俺たちは玩具のCMを撮ってるんじゃない、オハナシを撮ってるんだ、ってな」

 特撮監督はこめかみをゲンコで軽く何度か叩いた。 

「もう映画のインまで時間がないぜ。まだホンが上がんないのかよぉ」

「能勢さんがここにきてバテテきてるみたいで」

「そういう噂は訊いた。そんなにホンヤがバテテんの?」

「まあ、そういったところです。ヘンに番組の評判が上がってきたからか、今まで感じてなかったプレッシャーを持ち始めて」

 真由香が応える。マスクをしているので声がくぐもって聞こえてしまう。こんな埃まみれのスタジオの中、防塵対策を施さないとあっという間に体調を悪くしてしまう。

「最近ホンの仕上がりが遅いんですよね。能勢さん、ずッとお一人で書いてきましたけど、行き詰ってるみたいで」

「一年続く番組だよ。ホンヤは一人だけじゃなくてサブは常に用意しておかなくちゃだめだよ。東條さんとか、槇君に聞かなかった?」

 言葉の続きが出てこなかった。確かに東條信之にも、槇憲平にも先日同じような忠告を受けていたので、今複数のシナリオライターに慌てて『飛翔戦軍スカイフォース』のシナリオ決定稿を送りつけたところだ。東條と槇は真由香と同じ、『スカイフォース』のプロデューサーである。

 真由香は頭をぺこりと下げた。

「津島さんにご迷惑をおかけしないように頑張ります」

「もういいよ、ご迷惑ならもうかかってんだよ」津島は親指で顎を撫でる。「俺も含めてここにいる奴らは、どういうシチュエーションでこのマシンが登場するのか、活躍するのかわかったうえで仕事がしたいじゃない? 今のままじゃあ、何もわからない状態で手探りで進めなきゃなんないからさ……とにかく、ホンヤさんのケツ叩くのは君の仕事なんだから、お願いしますよ」

「了解です」

 真由香は首を垂れた。



 ―二〇一四年三月十一日火曜日。

 本日であの東日本大震災からちょうど三年たつ。真由香は午前中に私用を済ませ、東光東京撮影所内にある東光テレビプロダクションで撮影スケジュールの打ち合わせの後、今こうして特撮チームの撮影を見守っている。この後は軽く撮影所内の食堂で昼食をとったあと、夕方からは銀座の東光本社に戻り、各部署との折衝の仕事が待ち構えている。今日も夜遅くまでの業務になりそうだった。

 真由香は津島をはじめとする特撮スタッフを順番に激励したあと、第十九スタジオを出た。スタジオを出ると、中の熱気が嘘のように外は肌寒かった。

 撮影所は開所から半世紀が経過しているので、どの建物も老朽化著しい。改築工事が各所で頻繁に行われているため、工事車両、工事担当者と頻繁にすれ違う。この東光東京撮影所自体が一つの小さな町といっていい。

 時刻は十五時を回っていたので、昼食というには時間は遅すぎるが多少空腹感を覚えたので食堂に向かう。二百五十円の天ぷらうどんを食べようと思っていた。なかなかのボリュームで、ひそかに真由香の大好物だった。

 携帯が鳴った。相手を確認すると、東光本社第二営業部の裏番号からだった。

「―お疲れ。今、どこにいる?」

 何故か余裕なさ気にそう問いかけてきたのは、堤谷泰夫だった。堤谷は執行役員兼第二営業部部長である。真由香の直属の上司であり、また東光が制作する特撮番組を統括的な立場で見守る部の責任者だった。

「大泉ですけど」

 多少戸惑いながら、そう応えると「……大澤さんから電話があったんだよ」と堤谷がやや、困ったようにそう続ける。

「呼び出しでもありました?」

「そういうことだ。今度の金曜日。午前十時にやって来いってさ」

「遂にやって来た、という感じですかね」

 気楽に真由香は返事をする。

 大澤信孝はテレビ太陽の編成局次長の要職に就いていて、真由香たちが制作するスーパー戦軍シリーズ第三十四作目『飛翔戦軍スカイフォース』の放送時間枠の生殺与奪権を握っている男だった。

 スーパー戦軍シリーズとは東光とテレビ太陽が制作している特撮ヒーロードラマである。一九八一年にシリーズ第一作『突撃戦軍アタックフォース』が放送されて以降、シリーズの作品数は現在で三十四を数える。全作品が日曜の午後五時半より放送されているが、年々視聴率は右肩下がりで局側からは度々放送時間枠変更の打診を受けていた。その時間帯は裏番組が日本を代表する娯楽番組である『笑点』である以上、今後も高視聴率はおそらく望めない。三月末までのレーティングの状況如何では、日曜の午前六時半に枠移動してもらうと事前に大澤より通告されている。しかし『スカイフォース』は第一回目の視聴率こそ微妙な立ち上がりであったが、このところだんだんと数字を上げてきている。おそらく、今の放送時間枠は死守できると由香江たちは安堵しているところだったのだが……。

「問題ないと思うんですけどね。海老沢さんからもほぼ大丈夫って報告もらってますし」海老沢孝夫はテレビ太陽の社員で、『スカイフォース』の局側プロデューサーである。「どうせあの人特有の気まぐれだと思うんですが」

 東光東京撮影所の中心部にある三階建ての建物に入っていく。ここの一階に食堂があるのだ。入口の二つある食券売場の前には数人が列を成していた。

「そう思いたいんだがね」

 受話器越しに聞こえる上司の声は何故か浮かない。真由香の順番が来たので、硬貨を投入し券を手に取る。

「どうしました?」

「ひっかかるんだよなあ」

不安というものは伝播するもので、食券を握りしめたまま食堂に入らずに、入り口脇のベンチに腰を下ろした。

「気になるんですが。どういうことです?」

「あちらさんはメンバーを指定してきてね。……ぜひ石原専務もご一緒にどうぞと」

「石原専務も、ですか?」

 瞬間どうして? と真由香の脳裏に疑問がよぎる。どうして大澤はわざわざ石原まで呼びつけようとするのか?

 ようやく真由香は堤谷の懸念が理解できた。

 石原康は東光株式会社のテレビ制作部門を統括する専務取締役である。ふだんはそういった集まりに顔を出さない上役である。なのに、なぜ先方はどうしてわざわざ石原を引っ張り出そうとする?

 大澤は戦軍に対して、何かしらの引導を渡そうとしているのか。

「……オイ、聞いてるのか?」

 堤谷の声が遠くで聞こえている。

 左掌のなかで、食券がすっかりと皺くちゃになっていた。


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