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「ナニいってるんでしょうかね、あのオヤジ。こっちはまだ『スカイフォース』のオンエアーで一クールも消化できていないというのに、何が掛け持ちで番組を作れよ。冗談じゃないですってば」

 上司の前では普段は、三十路だけれどもそれでもわりとカワイイ女子を演じることに長けていると自負している真由香だったが、あまりに唐突だった先程の大澤の提案に憤懣やるかたないといったていでそうぶちまけた。

 ―ここは赤坂の老舗中華飯店である。局を出た後、槇が予約しておいた個室でランチのコースを美味しく召し上がっている最中だった。真由香は酢を手に取るため、円卓をぐるりと回した。

 時刻は正午を過ぎていた。窓の外からは幹線道路を行き交う車の群れが見える。先程までは青空だったが、いまはあいにくの曇天模様だった。

 堤谷泰夫は白湯に箸をつける。「うーん」と唸った。

「今の君らの世代は掛け持ちなんてとんでもないと思うかもしれんがな、僕とか東條さんなんかは、昔平気で二本同時にやってたからね。しかも一人で。一年三六五日ずっとフル稼働、休みなし。それこそ一時期は畑違いのアニメと実写を掛け持ちでやらされたこともある」

「そうだよ、休みなく三年連続でね。今の君たちなんざ、シリーズ一本に専念できるんだから、恵まれた環境だよ。おまけに助手までつけてもらえるし」

 東條信之が回鍋肉を口にする。ジャケットも脱いで随分リラックスしているようすだった。

 ウーロン茶のグラスを傾けながら、「僕はテレビの掛け持ちはないけど、オリジナルビデオと掛け持ちやっていたりするよ。それにもう十年以上ずっと途切れずに戦軍やってるし」と槇憲平が感想を述べた。

 真由香は首をゆっくりと横に振った。

「もう時代はすっかり変わったんです。プロデューサーだって休みが欲しい、ゆとり世代になったんです。有給だって全然消化してませんから。わたしもう、部長にはお話してるんです。今の『スカイフォース』が終わったら、一か月長期休暇取りますから」

「一か月休みとってどこに行くの?」と槇。

「タイに。向こうに知り合いがいて」

 真由香の説明に一同、顔を見合わせると特にその続きで何も言われることはなかった。どうやら皆にはあまり興味のない話だったらしい。バンコクで大学時代の女友達が人材派遣会社の経営をしており、来年早々に長期滞在する旨伝えていた。カオサンというちょっとしたリゾートビーチでのんびり気儘に休みを取りたいと思っており、今はその長期の休みを楽しむためだけに、多忙な仕事をこなしているといったところだ。

 皆で円卓に並べられた大皿をゆるりと突きながらの平和なランチだった。ともあれ、ずっと頭を悩ませていた時間枠変更問題があっさり決着したので、楽しくないわけがなかった。大澤が何をトチ狂ったのか、一クールでBS太陽で戦軍のスピンオフを作りたい、と言い出したこと以外はまずは一安心といったところである。

 先程から石原康は大澤が作成したという『ボーイ・ミーツ・戦軍(仮題)』の企画書に実と目を通していた。少し料理に手を付けた以外は、特に何も言わず頁を捲っていた。根っからの仕事好きで、極端なヘビースモーカーだった。手元の灰皿にはあっという間に吸殻が山となっている。この中では喫煙するのは石原だけだった。

 石原は真由香が東光に入社した時、その最終面接の試験官をしていた男でもあった。この男と真由香とはちょっとした因縁がある―が、今はこの物語と関係はない。

「ダメですよ、こんな企画書じゃあね」

 石原は唐突にそういうと企画書を円卓に投げ出し、隣に座っている堤谷に「少し目を通してみてくださいよ」とこめかみを揉んだ。そして、小皿に回鍋肉を載せたあと、ようやく箸で突き始めた。

「あの人、昔はドラマの企画書をよく書いたなんて豪語してたが、まるでお話にならない。こんな予算でこの企画をどう実現するってんだ。絵空事も甚だしいわ」

「じゃあ、ウチではやらないってことでいいんですね? 秋からの一クールは?」

 確認するように、槇が上司の顔色を窺う。石原は瞑目しながら何度も頷いた。

「今のままではやれない、断るよ。ただ一方でわざわざ局からやれますかと聞かれて無下にやれないともいえない。条件次第だよ。それによってはこちらも出方を変えなくちゃならない」

「……それにしてもね、宮地さん」

 東條が口元を布巾で拭った。ニヤニヤとヘンに口元を綻ばせている。「あなたもあの人に随分と見込まれたもんだねえ。是非掛け持ちで番組作ってくれなんて言われるなんてさあ。プロデューサー冥利に尽きる話だ。大したもんだ」

「何かの皮肉ですか、それ」真由香はふん、と洟を鳴らす。「別に見込みれたとは思っていません。大澤さん、いつもわたしに嫌味ばっかり言うし。あれだけ戦軍に興味なかったのに、いきなりスピンオフ作れなんて掌返しもいいところじゃないですか? どういう魂胆があるのかわかりません」

 真由香が口を尖らせた。

 先程の会議室での一コマを思い出す。大澤信孝はある意味執拗だった。どうやら彼が、BS太陽での新シリーズの立ち上げに執念を燃やしているのは本当のことらしい。「東光さんは本当に素晴らしい」とこちらをさんざんと持ち上げてきた。

「三十分もののテレビシリーズを休みなく続けるというのは本当に至難の業だと思っています。東光さんにはまだまだコアな人材が眠ってるでしょうし。もう一本のテレビシリーズくらい、作れるでしょう」

「どうしてわたしなんですか。確か初対面の時、こんな特撮モノに女性プロデューサーなんて必要あるんですかって言われたこと、いまだに忘れないんですけど」

 少々ムカッ腹を立てたので、反抗的な気分になってそう言い返してみた。

 大澤は首を傾げた。

「言ったっけな、そんなこと」

「ちゃんと覚えています。正確に言うとこんな特撮番組に女性視点なんて必要なんですかねえ、ですが」

 隣の槇が不安げにこちらをちらちらと見ている。向かいの大澤の隣に座っている海老沢や堀も「やめておきましょう」と目配せしているように見えた。堤谷も首を振っていたが、東條と石原は事の成り行きを見守りたいのか、愉快気に口元が緩んでいた。

「……ああ、今思い出した。そういうこと、言っていたような気もする。キミもまた、執念深いねえ」

「そんな簡単にモノ事を忘れる様な人間に、プロデューサー稼業は務まりません」

「じゃあ尚更、今度の新シリーズはあなたに任せたいんだよ。こうやって、面と向かって啖呵が切れる相手じゃないとこっちも安心して番組を任せられないからねえ」

「でもわたしは『スカイフォース』に一年間かかりっきりなわけで」

「あなたまだ若いでしょ? あなたはまだ若いから大丈夫だよ」

 こりゃだめだ、と真由香は内心首を振った。大澤は強引だし、このままだと話がどうなるのか全く分からなかった。ただ、真由香はこの大澤からはどうやら見込まれたようだった。

 まあ、現実問題現状、掛け持ちで二本同時進行でテレビシリーズをプロデュースするというのは無理な相談である。結局その話はうやむやのまま、真由香たちはテレビ太陽を後にした次第である。

 石原は腕を組んだ。

「……スピンオフという発想はキライじゃない。むしろよく考えてくれたというのがこちらの率直な感想だ。これは発明だよ。だって今まで三十五年続いたテレビシリーズとは別に、映画だったりオリジナルビデオだったり、そういった外伝的な作品はこれまでも制作されてきた。でもね、全くヨソの時間枠で同時にスピンオフを作るという考えは今まで考えもしなかった。確かに来年の三十五作品目を記念する記念碑的なシリーズに仕立てることもできる。この考え次第は素晴らしい。アイデア賞を差し上げたい」

 企画書をパラパラ見ていた堤谷は「このままではね」と否定的なニュアンスの感想を洩らして、企画書をテーブルに置いた。

「予算とか度外視してる。まるでこれじゃあ、劇場用の超大作の企画ですね」

「そういうことです」石原が大きく頷いた。「もしあちらが真剣にやる、というのならこちらも受けて立つよ。ただしね、スピンオフ作るなら権利問題とかいろいろクリアーにしないといけないハードルも多い。どちらがどの程度本気なのかまだわかりませんね」

 石原康は冗談ぽく、こちらを見てくる。

「もし番組をもう一本立ちあげてくれと言われたら、宮地さん、あなたスピンオフやる?」

 真由香は即答した。

「やりません」

「だよね」

 石原康は視線を真由香から、東條信之に転じた。

「……人手が足りなくなる可能性が出てきました。なんなら嘱託を延長していただいてもこちらは一向に構わないんですが」

「それはない」

 にべもなく東條が掌をひらひらさせた。「群馬のド田舎にもう田圃買っちゃってるから。待ったなし。四十年も働かせてもらったんだから、もう十分でしょ。誰かほかの人間を頼んなさい」

 その会話を最後にして、話題は部内の別の内容に自然に移行した。戦軍のシリーズ第三十五作目のラフな企画イメージが仕上がってきたので、それに就いて多少の雑談を行った。次の戦軍のモチーフは恐竜になるらしい。来年は区切りの第三十五作目になるので、記念に長尺の映画を作ったり、ネット限定で特別編のムービーを公開したり、何か大々的な商業展開を行いたいねと皆で夢を語り合った。

 これから社に戻って、版権管理部とこの夏に出る劇伴音楽のCDに関する打合せがある。レコード会社からそのCDのライナーノートの執筆を依頼されているのでそれを書きあげる必要がある。またライターの能勢朋之と電話で打ち合わせ、夕方以降は別の脚本家である氏家剛と監督の北村尚哉を招いてホンの打ち合わせを予定していた。本当に息つく暇もない仕事の日々である。

 まあそれでも、せめて今のあいだだけはのんびりとランチを楽しんでいよう―真由香は赤ちゃんの拳ほどの大きさのある若鶏にがぶりと齧りついた。



 しかし事態は、真由香が思いもよらない方向へと発展することになる。


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