第六章 再会

 大学の夏休みが長いということは話には聞いていたが、ここまで来るともはや拷問に等しいものがある。

 七月の中旬には試験が終わり、九月の半ば頃まで続く夏休みの間。

 私は、ほとんど何もすることが無いまま過ごすことになってしまった。

 普通の大学生なら部活やサークル活動、アルバイトに精を出すところなのだろうけど、私はそのどれとも縁が無かった。

 いや、アルバイトくらいはやりたかったのだが・・・


 実家の両親がどうしても私がアルバイトをすることに反対したのだ。

 一体私は何処のお嬢さんだというのだろうか?

 知らない土地で働くのに反対されてしまっては、私はいつまで経っても自立なんて出来はしない。

 夏穂さんに文句を言ってみたが、帰ってきた返事は期待外れのものだった。

「いいじゃない、働かないでお金貰えるんだから。貰えるうちに貰って遊んどけー」


 確かに夏穂さんの言う通りなのだが、お金だけあっても私の場合は途方にくれてしまう。

 一緒に遊ぶ友人たちはみんなバイトに精を出しているし、一人でほいほい色々なところに出かける元気も無い。

「朝美、あんた不器用だねー」

 毎日をただ無意味に消化している私を見て、夏穂さんはそう評価した。

 不器用。

 そんなことはよく判っている。


 もし私が器用だったら、今頃菅原敬太と普通に話して、一緒に映画なんか見に行ってるかもしれない。

 いや、それ以前に中学時代にもっと気さくに彼と話をしていて、今はまた別な男の子と恋愛なんかしていたかもしれない。

 夏休みがどんなに長くても短いと感じて、こんなにお金があったら毎日遊びに出かけていたかもしれない。

 ・・・なんだか虚しくなってきた。


 現実には、私は未だに菅原敬太に声を掛けられないでいる。

 あれから何度かキャンパスで姿を見かけた。

 あのつまらない講義にも、彼は欠かさず出席している。

 声を掛けるチャンスなんていくらでもあった。

 でもその全てを私はことごとく見送っている。

 見送りの三振。

 バッター全員棒立ちのまま私の攻撃はいつも不発に終わる。

 傍から見ている人間がいたら、相当腹を立てていることだろう。


 大学の友人の何人かは、私の異変に勘付いているようだった。

 もっとも、私はもとから表情や行動に出やすい性格らしく、気が付かない方がおかしいという程のものらしい。

 あまり本人にとっては嬉しくないその性格のお陰で。

 私が誰かのことをずっと意識しているということは、数ヶ月もすると友人たちには筒抜けになってしまっていた。

 でもまさか、その相手が中学の同級生で、別な学科の人間だということまで知られているとは思わなかった。


 菅原敬太が間違いなく私の知っている菅原敬太だと友人に教えられた時、私は思わず動転してしまった。

 その友人が何で菅原敬太のことを知っているのか。

 そして、何で私が菅原敬太のことを追いかけていることを知っているのか。

 顔の広い友人は、どうやら色々なコネクションを持っているらしい。

 私のことも含めて、そのくらいのことはちょっと調べれば判ってしまう程度のことなのだとか。

 ストーカーの被害にでもあったような気分だ。


 その友人に言わせると、菅原敬太は私のことには気が付いていないということだった。

 なんだか嬉しいような、ちょっと寂しいような感じだ。

 気付かれたくないと思う反面、私はどこかで彼に気付いてもらいたかったのかもしれない。

 ・・・自分の少女漫画的発想に嫌気がさしてくる。

 結局、私は自分の力で彼に近付くしかないのだ。


 しかし、私はそこで立ち止まってしまった。

 自分は彼に話し掛けて、一体何をしたいのか。

 それが判らなくなってしまったからだ。

 自分の気持ち。

 私は彼に何を望んでいるのだろう。

 私は彼と何がしたいのだろう?


 中学の時のあの純粋な気持ち。

 ただ、もう少し仲良くなりたかった。

 あの気持ちを、私は持ち続けているのだろうか?

 既に失ってしまった時間が取り戻せるわけではない。

 今、菅原敬太ともう一度話をする機会を得て、私はその後一体どうしたいのだろう?

 友達でいたいのか、或いは・・・


 いちいちそんなことを考える必要など無いのかもしれない。

 私はただ怖いだけなのだ。

 一本の小さな糸でかろうじてつなぎとめられている、菅原敬太との繋がりが消えてしまうのが。

 この文庫本を彼に返した途端、菅原敬太との全ての接点が消え去ってしまうのが。

 それが怖くて話し掛けることも出来ないのを、私はただ理由をつけて誤魔化しているだけなのだ。


 そんなことをうじうじと考えるだけの夏休みは、本当に苦痛でしかありえなかった。

 夏穂さんには夏休みは無いらしく、毎日朝の決まった時間に出勤していく。

 毎朝夏穂さんの見送りをした後で、私は今日一日をどうやって過ごすかを考えてうんざりとする。

 小学校の頃は、夏休みが楽しくて仕方が無かったのだが。

 今のこの時間を、少女時代の自分に届けてあげたい気分だ。



 八月、お盆が近付いてくると、予想通り実家から帰省しなさいという便りが来た。

 夏穂さんは夏休みが取れないという理由でこちらに残ることにするらしい。

 正直、私は実家になんか帰りたくは無かったが、残念ながら行かない理由が何一つとして存在しなかった。

 私はまた一つ夏休みというものが嫌いになった。


 ローカル線に乗って、気が遠くなるくらい長い時間が過ぎると、ようやく私が高校時代まで暮らしていた町に着く。

 何も無い、静かなだけが取柄の街。

 ほんの数ヶ月離れていただけなので、懐かしいとか、特別な感情は何一つとしてこみ上げてこなかった。

 ただ、この後両親と会うのが酷く面倒だと感じただけだった。


 実家に帰ったところで、特別なことなど何も無かった。

 退屈であることに変わりは無かったし、両親に色々と嫌味と小言を言われるだけ状況は悪化していた。

 私はなるべく外出するように心がけたが、外に出ても何かがあるわけでもない。

 高校時代の友人はここから離れたところに住んでいる。

 それに何より、私と違ってサークル活動やアルバイト、彼氏との付き合いで忙しいらしい。


 会わなくなってから高々数ヶ月程度の友人の暇つぶしに付き合ってくれる、酔狂な知り合いに心当たりは無い。

 私は結局、猛暑の昼日中に無目的な散歩をするか。

 或いはクーラーで涼しい屋内で両親の嫌味を浴びせ続けられるか、の二択を迫られることになった。

 精神衛生をとるか、身体的健康をとるか。

 私は精神衛生をとることにした。

 いっそのこと熱射病で倒れて、夏休み中入院していたい気分だった。



 私は特に目的も無く近所を歩いて回った。

 街並は何も変わったところなど無い。

 むしろ、変化を探す方が難しいだろう。

 この辺りは開発というものとは縁遠いらしい。

 夏穂さんのマンションもそれほど都会にあるわけではないが、ここはそれを軽く上回る田舎だ。

 コンビニどころか、ジュースの自動販売機ですら見つけ出すのが困難なのだから。


 じりじりと照りつける真夏の太陽の下で、私は知らない間に中学の前に立っていた。

 かつて、私が三年間通い、卒業した母校。

 今では生徒の数が減って、その内隣町の中学と合併するらしい。

 その話を聞いて懐かしくなった。

 と言うよりは、日陰を求めて無目的に歩いていたら、知らない間にここに辿り着いていた、が正解だ。

 夏休みに入ってしんと静まり返った校舎を、私はぼんやりと見上げた。


 もう何年も前のことになるのか。

 なんだか自分が随分と年をとったような気がして、私は溜息をついた。

 私がこの中学で菅原敬太に会って、それからもう何年もの月日が流れている。

 それなのに、私はあの時と変わらずに、彼に話し掛けることすら出来ないでいる。

 あの時の私には、今よりもずっと勇気があったのかもしれない。


 鞄の中の文庫本に、そっと手を触れる。

 私のお守り。

 もしあの時、あの茜色の教室の中でこの本を彼から受け取らなかったら、今頃私はどうしていただろうか。

 一言も彼に話し掛けることの出来なかった自分に、失望していただろうか。

 菅原敬太のことを、同じように思い続けていただろうか。

 それとも、まったく違う人生を歩んでいただろうか。


 私は菅原敬太と仲良くなりたかった。

 卒業までもう時間が無かった。

 卒業してしまえば、もう彼に会うことは出来ないと、そう考えていた。

 だから、あそこまで勇気を振り絞ることが出来たのだ。

 本当に短い間だけでも、彼と話をしてみたかった。

 仲良くなりたかった。

 ただそれだけのことが、あの時の私にとっては何よりも大事なことだった。


 彼から受け取ったこの文庫本は、あの時の私が残してくれた大切な遺産。

 この本が、今唯一の彼と私をつなぐ絆。

 私はそれが蜘蛛の糸のようにたやすく切れてなくなってしまうことを恐れている。

 あの時の私が、小さな、でも出せるだけの全ての勇気を振り絞って手に入れた大切な絆を。

 未来の私が、軽率に扱って消してしまいたくない。

 小さな希望だけを胸に抱いて、静かに想い続けて・・・

 それではいけないのだろうか?


 想い出の中に、そっと沈めてしまいたい。



 学校の前を通り過ぎると、私は裏山の方に歩いていった。

 やかましい蝉の声が近くなる。

 昔は良くこの辺りまで遊びに来たものだった。

 考えてみれば、もう十年以上昔のことになる。

 だが、周囲の景色はあれから何の変化も無いようだった。

 昔と同じように、ところどころに虫取り網を持った子供の姿が見える。

 私は舗装されていない砂利道を、ゆっくりと進んだ。


 少女時代、私はそんなに活発な方ではなかった。

 引っ込み思案で、友達と遊ぶ時も家の中で遊ぶことが多かった。

 それでも、この裏山の辺りには男の子たちに連れられて来たことはあった。

 虫は正直あまり得意な方ではなかったが、綺麗な蝶は好きだった。

 黄色いアゲハ蝶が舞っている姿は、どんなに長時間見ていても飽きなかった。

 他の子たちが森に入って虫を捕まえている間、私は一人で蝶の姿を追いかけていた。


 そうだ。


 その時に、見たのだ。


 一人で森の外にいた私は、その時そこで何が起きていたのかまるで知らなかった。

 今でも正確なことは何一つ理解していない。

 後で大人たちに何度となく質問されたが、私はそこで見たものについて口外することは無かった。

 そこで見たものは、私にとってはそれだけ恐ろしい、現実の世界から乖離した存在だったのだ。


 私たちはその後、この場所に近付くことを禁止された。

 男の子たちの何人かは、しばらくしてその禁を破って昆虫採集に来ていたみたいだった。

 私は元々この場所に対する執着は無かったから、今この時まで二度と訪れることは無かった。

 ・・・だから、忘れていたのだろう。

 この場所の記憶と、あの恐怖を一緒にして、心の奥底に封じ込めていたのだ。


 目の前に森への入口がある。

 あの時、私は一人でアゲハ蝶の後を追いかけていた。

 眩しい陽の光を受けて、緑が映えていた。

 私の視界はきらめく緑と、その中を彷徨うアゲハの黄色で占められていた。

 風が吹いて木々がざわめいた時、違和感がした。

 視線を移すと、緑色が割れていた。


 赤だ。


 彼岸花とは違う、異質な赤がそこにあった。

 そして、魚のような生臭い匂い。

 荒い息遣い。

 鼻水をすする音。

 森の中から、ゆっくりと外に出てくる。

 誰かが・・・いや・・・


 何かが・・・


 私は悲鳴をあげた。

 何故だか判らなかったが、無性に恐ろしかった。

 少しでも早く、近くにいる友達に会いたかった。

 だから、森の中に駆けて行ってしまったのだ。

 彼らはすぐ近くで昆虫を探しているはずだった。

 だが実際は、裏山のかなり奥にまで入っていってしまっていたのだ。


 その場所には、私とそいつしかいなかった。


 悲鳴をわめき散らしながら、私は木々の間を抜けて狂ったように走り続けた。

 一瞬でも足を止めれば、あの恐ろしい何かに捕まってしまう。

 恐怖に駆り立てられるままに、私は何処までも何処までも走った。

 木々がざわめくたびに、下草が揺れるたびに、私は自分がまだ追われていると思った。

 息があがって、足が痛くなっても、私は止まることが出来なかった。

 多分、人生で一番激しい運動だった。


 気が付くと、私は山の反対側にいた。

 知らない間に森を抜けて、隣町にまでやって来ていた。

 時間がどれだけ過ぎたのか、まるで見当もつかない。

 山を抜けて戻る気にはなれなかったので、私はとぼとぼと山を迂回する道を歩き始めた。

 陽が落ち始めた頃、親戚のおじさんが車で近くを通りかかり、一人で歩いている私を見つけて家まで乗せていってくれた。

 その時のことを、私はよく覚えていない。


 家に帰ると、大騒ぎだった。

 私の姿を見て、両親が泣き叫びながら駆け寄ってきた。

 何が起きたのか判らずに、私はされるがままになっていた。

 そして、警察がやって来た。

 私が森の外にいる時に、怪しい人を見なかったかと聞かれた。

 だから私は、正直に応えた。


「怪しい『人』は見なかった」


 あれは人ではない。

 私にはあれがどうしても人間には見えなかった。

 覚えているのは、真っ赤な色彩と、生臭い匂いと、息遣いだけ。

 人というよりは、獰猛な獣の一種のようだった。

 私は何度も問われて、何度も答えた。

 終いには両親が警察に食ってかかって、その場は大混乱のうちに幕を閉じた。


 私はその時、ただ早く眠りたかった。

 あの場所と、あの場所で出会ったあの存在のことを、早く忘れたくて仕方が無かった。

 翌日、学校で森の中の家で誰かが殺されたのだということを知った。

 私と年があまり変わらない子供もいたのだという。

 そして、森の中で遊ぶことは禁止された。

 怪しい大人には着いていかないように言われた。


 ・・・そういえば、犯人が捕まったという話は聞かなかった。


 それはやはり、犯人は、人間ではなかったからなのか?


 子供の頃の私は、純粋に犯人は人間ではないのだから、捕まえられるわけが無いと思っていた。

 そんなことよりも、私があの存在について不用意なことを口にしてしまうことで。

 再び目の前にあの存在が現れるような気がして、とても恐ろしかった。

 だから、私は森に近付くことを絶対にしなかった。

 あの存在について、決して口外しようとしなかった。


 仮に人間ではないあの存在について大人たちに話したとしても、きっと理解することは出来ないだろう、とも考えていた。

 私は固く口を閉ざしたまま、二度とこの森に近寄らなかった。

 そうしているうちに、恐怖の記憶も徐々に薄らいでいく。

 私は何もかも忘れてしまっていたのだ。

 今この時、再びこの場所を訪れるこの瞬間まで。


 私は森の入口をじっと見詰めた。

 あの時、ここで殺人事件があった。

 私が見たのは、ひょっとしたらその犯人であったのかもしれない。

 それを人間ではない化け物だと思ってしまった私は、警察に聞かれた時に自分の見たものを報告しなかった。

 もっとも、あの時私が見たものなど余りにも漠然としすぎて何のことだか判らなかっただろうが。

 風が吹いて、木々が揺れた。


 恐怖の記憶が、ゆっくりとその鎌首を持ち上げていく。


 緑が割れて、何かが姿を現した。


 鼓動が早くなる。


 私は言葉を無くして、その場に立ち尽くした。


 そこにいたのは・・・



 私は自分の目を疑った。

 一瞬、自分が何処にいるのか本当に判らなくなりかけた。

 遠く、実際にはそんなに遠いわけではないが、とにかくこんなに離れた土地で。

 私は予想だにしなかった人物の姿を見つけた。

 いや、本当はそんな偶然という程のことではないのかもしれない。

 ここは彼が育った街でもあるし、私と同じ年なのだから、この場所で遊んだこともあるだろう。

 お盆の季節になれば、誰だって帰省くらい考える。


 菅原敬太。

 森の中から姿を現した彼は、不思議そうな視線をこちらに向けている。

 どうかしたのだろうか?

 そうか、私がぼんやりと彼を見詰めているからだ。

 喉の奥に突っかかった言葉を、私は何とか吐き出した。

「こんにちは」


「こんにちは」

 彼はまだ怪訝な表情のまま、挨拶を返してきた。

 今の私の挨拶は自然だっただろうか。

 言葉にしてから、私の中でたくさんの後悔が渦巻いた。

 それでも、私にしてはスムーズに行動できた方だと思う。

 あの状況でじっと見ているだけではかなりヘンなヤツになってしまう。


 彼が、かすかに首をかしげた。

「どこかで、会ったことが・・・」

 その言葉が、私の中の何かに火をつけた。

「中学で一緒だった、竹原朝美です」

 私は自分が少しだけ早口になっているのを感じた。

 中学時代の私、勇気を下さい。

 今、どうしても勇気が必要だから。


「竹原さん、アルバム委員だった?久しぶりだね」

 彼は優しく笑った。

 私は、涙が浮かびそうになった。

 泣いてなんかいられない。

 覚えていてくれたんだから。

 今はまだ、話さなきゃならないことが沢山ある。


「何をしてるの?」

「うん、久しぶりに帰ってきて、色々見てきた」

 少しかげりのある笑みを彼は浮かべた。

 ひょっとしたら、彼は知っているのかもしれない。

 ここで、昔あったことを。

 私が見てしまったもののことを。

「竹原さんは?」


「私も、昔この辺りで遊んだなぁって」

「そうなんだ」

 森の中から、彼が出てきた。

 胸が痛い。

 私は、舞い上がってしまいそうな自分を必死になって押さえつけた。

 一体何から話したらいいのだろう?

 ただでさえ少ない脳細胞を、私はフル回転させる。


 大学の話?

 中学の話?

 文庫本の話?

 故郷の話?

 考えれば考えるほど、私の頭の中は混乱してくる。

 気が付いた時、私は知らない間に鞄の中からあの本を取り出していた。


「この本は・・・」

「ずっと借りていて・・・返せなくて・・・ずっと気になってたから」

「ずっと持ってたの?」

「大切に、してた。お守り・・・」

 言ってから、私はしまったと思った。

 どうしてこう、余計な一言を口にしてしまうのか。

 私はうつむいてしまう。

 彼の顔を、まともに見ることが出来ない。


「ありがとう」


 私は、そっと顔をあげた。

 彼は優しく微笑んでいた。

「大切にしてくれて、ありがとう」

 私の中に、何かが広がっていくのが判った。

 なんだろう。

 暖かい、何か。

 ずっとずっと心の中に刺さっていたとげが抜けたような。


 私はやっと、彼の顔を見て笑うことが出来た。

 今まで話せなかったことが、ようやく口に出来そうだった。

 それはやってしまえば本当に簡単なことで、自分でも呆れてしまう程で。

 私は自分のことをほんの少しだけ情け無く思ったけれど、それよりもずっと多く好きになれそうだった。


 森の中に、中学時代の自分を見たような気がした。

 私に向かって、手を振っている。

 新しい私を、祝福してくれている。

『ありがとう』と言おうとして、私は息を飲んだ。



 その背後に、赤い何かがいた。

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