第2話

 10日前 皇帝直轄領・ベルーシ

 

 

 国の北部に位置する皇帝直轄領こうていちょっかつりょう。その名の通り、皇帝の治める、国家の中枢ちゅうすうに位置する場所だ。とはいえ、皇帝の権力を示すかのように広大な土地を有する直轄領は、中枢の都市から農村まで、多様な様態を見せている。

 

 その中の2番目の大都市、ベルーシ。街は荘厳な石造りの建物でひしめき合い、薄暗い路地が四方に走っている。

 俺は数カ月前からここに潜伏していた。表向きは、旅人として……。


 大通りから路地に入り少し歩いたところに、酒場「オルビス」がある。街の荒くれ者共が多く集まる酒場は、今日も今日とて活気に溢れている。

 

 俺はぶつからぬよう店内の狭い隙間を潜り抜けながら、いつものカウンター席に腰を下ろした。

 

 タイミングを見計らってきた無愛想なマスターに、酒を注文し一息ついていると、隣の男が話しかけてきた。

「よぉ、ヅァオ。今日も相変わらず無愛想なつらしてんなあ」

 俺以外に聞こえないように抑えられた声に、無言でにらみ返す。

「おっと、わりぃ。……レオニス殿? もうこの街には慣れられたのかな?」

「ああ」

 おどけた態度に俺が無愛想に返すと、男は大げさに肩をすくめてみせた。

「まあ、そんなに邪険にしなさんな。…ほれ。優雅な旅人さんに仕事の紹介だ」

 男がカウンターの上を滑らせるように、半分に折られた紙よこした。

「とあるご婦人方が、旅人殿の貴重なお話をお聞きになりたいんだそうだ」

 俺は渡された紙を見ることなく無造作にしまい、マスター注いでくれた酒を一気に飲み干した。

「受けてくれるのか?」

 男の問いかけに俺はめんどくさそうに頷きながら答えた。

「面倒だが、たまにはいいか」

 俺の答えに満足したのか、男はかすかに笑みを浮かべた。

 話が終わったところで、俺は酒代の硬貨をカウンターの上に置き、席を立った。

 

 薄暗い路地を通り、宿屋への帰路を急ぐ。早足で歩きながら、先ほど男から受け取ったメモを読む。



    名:ヅァオ      種類:暗殺

   実りの月の満月の時までに、

   対象:ディアナ・クロ―ツを暗殺せよ。

   ディアナ・クロ―ツ 女 18

   クロ―ツ領領主、グラダス・クロ―ツの娘

   クロ―ツ領北部シャングラの街に居住



 俺はメモを読み終えると、クシャクシャに丸め、細かく破いていく。そしてそれを、目立たぬよう少しずつ距離をおいて捨てる。極秘の情報を漏洩せぬための策である。


 宿まであと少しまで迫った時、細い裏路地の角から人が出てきた。まるで道を塞ぐように立っている。

 俺は怪訝けげんに感じ、そっときびすを返すが、後ろからも人が出てきて道を塞いだ。人がようやくすれ違えるほどの幅しかない、直線の路地に閉じ込められてしまったことになる。


 俺は動揺を出さぬよう、再び宿の方へ足を向け、状況を整理する。手持ちの武器はなく、素手で戦うしかない。相手は黒色の衣服を身に着けている。この路地で仕掛けてきたことからも、俺と同じアサシンと考えるのが妥当だろう。


 俺が歩を進めるのに合わせ、前後の相手もこちらに迫ってきている。逃げるか? ……いや、相手が俺についてどのくらい情報を得ているのか分からない。下手に逃げれば、要注意人物として確定されるかもしれない。そうなってしまっては、今後

動きづらくなり、最悪本国から捨てられるだろう。


(殺すしかないか……)


 相手の側に近づくにつれ、緊張が高まっていく。相手の動向に全神経を集中する。


 相手との距離があと数歩と迫った時、相手は袖口から隠し持っていた短刀を抜き、顔めがけて斬りかかってきた。

 間一髪後ろに下がってかわすが、今度は後ろの暗殺者が腰めがけて突きを放ってきた。それを確認するやいなや、俺は身をかがめてすんでのところで躱し、後方の暗殺者に足払いをかけた。

 暗殺者は体勢を崩し、路地の壁に頭をぶつけた。ガランと音を立てて短刀が地面に落ち、俺の足元に転がった。


 足払いをかけたばかりで、今度は避けられないとみた前方の暗殺者が、短刀を逆手に持ち直し、両手で振り下ろしてきた。

 俺は反射的に落ちた短刀を拾い上げると、振り向きざまに相手の喉元にそれを突き立てた。


 ズブリと嫌な音を立てて、相手の喉元から鮮血が飛び散り、俺に降りかかった。見上げると後少しのところまで相手の刃が迫っていた。


 暗殺者は言葉にならぬ声をかすかに発したが、ほどなくその場に崩れ落ちた。


 俺はそっと立ち上がると、背後の壁に頭をぶつけて動かなくなっている暗殺者に近づく。首に手を当て脈を見るとまだ生きている。


(同士討ちに見せかけるか……)


 先ほど首を貫いた暗殺者の短刀を拾い上げ、躊躇うことなく気を失っている暗殺者の心臓を貫いた。暗殺者は僅かに身体を痙攣けいれんさせた後、静かに絶命した。


 無事生き残ったことに、安堵の息を吐きながら立ち上がったとき、少し離れたところで、警備兵が非常事態時に鳴らすベルの音が響くのが聞こえた。誰かが先ほどの戦闘の音を聞きつけ、通報したのだろう。


 俺は宿とは反対の方向に足を向け歩き出した。もしかしたら、宿にも暗殺者の手が迫っているかもしれないと考えたからだ。

 顔についた血をぬぐい、血のついた上着を脱ぎながら、俺はもう次のターゲットのことを考えていた。


 ディアナ・クロ―ツ。女だろうが子供だろうが、躊躇ためらうことはない。全く容赦ようしゃせず、俺は彼女に刃を振り下ろすのだろう。俺はただ命令に従い、殺すだけだ。それだけが俺というの存在意義だ。


 だが、どうか彼女が『悪人』でありますよう。苦しまずに死にますよう。これが多くを捨て、けがれてきた俺の、せめてもの願いなのかもしれない。


 らしくない感情に苦笑しながら、俺は足早に街の出口を目指した。

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灰の幻影譚 - Phantom of Ash - @curious_0955

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