灰の幻影譚 - Phantom of Ash -

@curious_0955

第1話

 曇り空の下、薄く濡れた舗装もされていない道を、数えられないほどの人々が列を作っている。列の先に目を凝らすと、人々がまるで黒い線のように見えるほど遠くに、うっすらと門があるのが分かった。あれが目的の地、クロ―ツ伯爵領である。


「なんで、こんなに時間がかかるんだ…。とっとと入れてくれりゃいいのによう」

 隣に並んでいた男がポツリと呟いた。齢は30代半ばだろうか。頬が痩せ、血色が悪い。身なりはお世辞にも整っているとはいえず、所々生地がほつれているのが見てとれた。


 こちらの視線に気付いたのか、男が話しかけてきた。

「あんたも避難民なのか?」

 首を振り、旅人だと答えると、男はため息を吐きながら、手を差し出してきた。

「俺の名は、レバノフ。ここからずぅっと南に行った所にある、ザイアの町で雑貨屋をやってた者だ」

「俺は、レオニスだ。よろしく」

 自己紹介をしながら差し出された手を握り、挨拶を終える。


「避難民、ということはザイアの町で何かあったのか」

「ああ、リキアミストが攻めてきやがったのさ」

「あの、何百ミラも離れた国が、もう内陸部まで?」

 レバノフは神妙そうな顔で頷いた。

「酷いもんだ。男は殺され女子供は攫われ、町は燃やされ略奪の限りを尽くされた」

「……大変だったな」

 俺の言葉にレバノフは首を振った。

「大変だとかそういうのはよく分からねえんだ。色んなことがありすぎて、失いすぎて、よく分からんのよ」

 レバノフは言い終えると前を向き直した。まるで涙を堪えているように見えた。


 俺がどう声をかけようか考えていたその時、ゆっくりと進んでいた列の流れが、突然駆け足に変わった。俺とレバノフは一瞬顔を見合わせた後、皆に合わせて駆け出した。

「一体何があったんだろうな」

 俺の問いかけに、レバノフはただ首を振った。


 先ほど、遠くに見えた門の周辺に着く頃、そこは見渡す限りの人々で溢れていた。皆、手に持てる程の大きさの荷物しか持っておらず、服装もどこか乱れていることから、レバノフと同じ避難民だと推測できた。


「俺達が入れねえってのはどういうことだ!!!」

 前方の人混みの中の一人が声を張り上げた。周りの人もその訴えに同調する。後から駆けつけた人々も事態を察したのか、その場にいるほとんどの人が声を上げ、辺りは騒然とする。


「黙らんか、貴様ら!!!」

 まるで雷でも落ちたような怒声に、辺りの喧騒は一瞬で静まった。

「貴様らがここを通れず、たとえ飢え死のうが我々の知ったことではない! 失せろ!!!」


 門兵の言葉に、避難民達は聞き終えるやいなや口々に叫びだした。

「ふざけるな! もう行くところがないんだ!」

「なんで入れてくれないんだ。対岸の火事じゃないだろ!」

「人でなし!!!」


 避難民の叫びと門兵の怒声で、一触即発の状態になっているように見えた。いつ怪我人が出てもおかしくない状況である。俺はいつでも逃げられるように、辺りの状況の把握に努める。


 門兵が槍を振り上げたのが、人混み越しに見えたその時、

「止めなさい!!!」

 その場に似つかわしくない女性の声がその場に響いた。後ろから聞こえたその声に、皆が動きを止めて振り向いた。


 少し離れた所に、馬が數頭こちらに駆けてきている。特に先頭の白馬を駆っている人物は異彩を放っている。後ろでまとめられた金髪、金の装飾がさり気なく施された白の衣装、胸元に輝く深い青色の宝石。一目見ただけで、貴族だと分かる出で立ちである。とりわけ、先ほどの一言で門兵が動きを止めたことを考えると、相当の地位の人物であると伺い知ることが出来た。後ろに従えている騎士は護衛だろうと考えると納得がいく。


 白馬を駆る女性は、やや速度を落としながら、こちらへ一直線に近づいてくる。門の周りに集まっていた避難民達は、真ん中から分かれ、門へと向かう彼女たちに道を開けた。


「門兵長。これは一体何の騒ぎですか」

 女性の問いかけに、門兵長と呼ばれた門兵は、困惑した表情を見せた。

「これは、ディアナ様。我々はただ共に対応していただけで……」

 先ほどの怒声を息を潜め、力ない声で答えている。

「対応? 槍を振りかざすのが、あなたのいう『対応』なのかしら?」

 ディアナと呼ばれた女性の追求に、門兵長は力なくうなだれた。

「リキアミストとの戦争が迫っています。このような時勢に、避難民を無碍むげに扱うことは、私が許しません。避難民の即刻の受け入れと、居住地・食料の手配などを命じます」

 門兵長が深く頭を下げるのを確認すると、ディアナは護衛を連れ領地内へと馬を駆ったのだった。


(彼女が、ディアナ・クローツか……)


 再び動き出した時間の中、俺は駆け去っていく彼女の背を見つめていた。

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