第七章 悪魔の契約

 五日後のことだった。

 職務を終えた私に、「時間はあるか」と、ゲイトルードが声をかけて来た。有無を言わさぬ様子に、私は静かに頷いた。

 私が言われるまま付いて行った場所は、一階が食堂を兼ねる、どこにでもある郊外の人が少ない宿屋だった。私は端の席にグラナアートが座っているのを確認した。

「何故、あの国がああなっていたのです?」

 開口一番、彼女は私に尋ねてきた。その日は私も彼女も出仕していたが、宮廷内で堂々と話していては目立ちすぎてしまうと思ったのだろう。後で知ったが、彼女は案外と頭の切れる女性なのだ。

 私に問うているのに、私に答える間も与えずに、彼女は続けた。

「あたくしは聞きました。貴方がヴァレクセイ平野と仰ったのを。あたくし、トシュレード公国の領土が地図上でその表記になっていることを、発言していなくてよ」

 この女性は頑固ではあるが聡明でもあった。そのような国があるなら行ってみろと言うのは、その国がないと思っている者でも使える言葉である。あえて地図上での地名を口にしたが、彼女もまた、あえて地名を口にしないことで試していたのだ。

「だからこそ、あたくしは貴方の知恵を借りて彼の国に向かったのです。教えてくださいませ。一体、何が?」

 私は周囲を見回した。宿の主や従業員が近付く気配はない。他の客は、かなり離れた席に一組いるだけだ。姉弟はわざわざこの場所を選んだのだろう。客が増えたら、移動すればいいだけのことだ。

 彼女の様子に、敵意はなかった。彼らには魔術の知識がない。どこから説明したものか、多少の思案の後に、私は話すことにした。

「『隠蔽術』と言う、黒魔術がある。使った者やそれに加担した者は、七度処刑されても足りぬと言われるほどの禁術中の禁術で、通常の魔術の教育課程からは削除され、存在すら秘匿されているものだ。黒魔術師ではない私には、扱うことは適わぬし、扱いたいとも思わんが」

「何故、それを貴方が知っているのです?」

「私は司法魔術師の弟子だ。私は通常の教育課程で教わったのではなく、師より直接伝授された。私の職務は、そう言った禁術を扱った者を裁くことにある。その為、現代人わたしも知っておくべきと、師より知識として賜ったのだ」

 私は話を続けた。隠蔽術とは、どのようなものなのかを。そして、今回の一件には恐らくこの術と、帝国の最上層部が関わっていることを。

「成る程」

 話を聞き終えて、グラナアートは頷いた。

「あたくしと弟は、貴方を信用致します。貴方が地味な上に不器用だが信用における殿方だと言うことは、兼ねてより弟から聞き及んでおりましたので」

「手厳しいが有難い評価だ。感謝する」

 ここまで来て、私はようやくこの姉弟が組んでいたことに気付いた。

 初めから二人とも、トシュレードの異変に気付いていたのだ。姉が存在を主張し、弟がそんなものはないと主張する口論を派手に行うことで、私のような者を引きつけたかったのだ。姉弟が口論する光景は既に咎める者はいないから、簡単には黙らされない。

「全く、ゲイトルードが主張する役なら楽だったものを」

「それだといつもの通りだ。姉貴が異端者になった方が目立つ」

 私は軽く冗談を言ったつもりではあったが、それは確かであった。あえてそれを引き受けたグラナアートの人柄が、垣間見得た気がした。

 グラナアートは、魔術を相容れないとは思いながらも、理解して認めてはいたのだ。

「さて、ここからが本題だ」

 ゲイトルードの言葉に二人が立ち上がったのを見て、私も立ち上がった。後を追って辿り着いた先は、最上階にある最上等の部屋だった。入るなり、ゲイトルードが扉を背に剣を抱え、呟いた。

「その青年を、君はどう思う」

 中には、意外な人物が二人いた。一人は先日の吟遊詩人の少年で、もう一人はフィス=ロウだった。ゲイトルードが示した青年がフィス=ロウなのは、疑いようもなかった。

「貴殿は無事だったのか、フィス=ロウ中尉」

「ああ、何故だかはわからんがな」

 彼はそう笑った。私は手近な椅子に座った。

 吟遊詩人の少年の言っていた友人が、フィス=ロウだった。フィス=ロウは、たまたまトシュレードの隣国エスカータ共和国にいたらしい。一方で放浪していた少年は友人が他国にいることを知らずに行き違った結果、私と知り合った。それから、エスカータから帰国した彼と、落ち合ったそうだ。

 それが何故かはともかくとして、彼が無事でいられた理由は、やはり、術者が人間である故の綻びにあるようだ。いるはずのない男がいる。あるはずのない記憶がある。それは術者が作った史実――無論この表現が不適切なのは認めるが――との矛盾は、この術の確かな弱点のように思えた。

「隠蔽術については、彼から聞いた。他に何かわかったことはあるのか?」

 私は、自分の国で起きたと思われることを話した。

「そのレテと言うのは、相当の術者なのか?」

「恐らくは。私には黒い魔力を感じ取れた。完全な盲目だと言うし、歩き方や身のこなしからは間違いないと思っている」

「その娘が盲目だと言うのは、何か関係あるのか?」

「多くの場合、目が見えない者は、魔術、特に黒魔術を扱うことは出来ないのですよ」

 吟遊詩人の少年が口を挟んで来た。彼は魔術に関してかなりの知識を蓄えているようだ。それは、学問所で魔術や知識を学んでいるだけではわからないことだ。魔術師に盲目の者がいないことに疑問を持つ者はいない。

 彼は歌うように語り出した。

「多くの方が使う近代魔術、そのレテと言うお嬢さんが扱う黒魔術、そして滅びたと言われる白魔術、魔術とは主にこの三種に別れております。

 近代魔術は指で陣を描いて詠唱するものがほとんどです。こちらは、確かに目が見えなくても扱うことは不可能ではございません。

 しかし、黒魔術や白魔術は、地面に杖などで陣を描いたり、鉱石や薬草などを扱う、儀式のようなものばかりです。近代魔術は、古来より使われていた他のふたつが簡略化され、その代償として強い効果や難しい秘術の使用が期待できなくなったと言えましょう。

 つまり、盲目の者が黒魔術を学ぶことは、非常に困難と言えます。まだ年端のゆかぬご年齢とあらば、尚のこと」

 彼は細かく前置きをして、更に続けた。私が説明するとしたらここまで詳しくはできなかっただろう。魔術のことに詳しくない者への配慮が出来るこの少年は、唄いながら放浪して生きていただけのことはあった。

「では、その盲目のお嬢さんが何故黒魔術を扱うことが出来るのか、と言うことですが。そのお嬢さんは、恐らくは以前は盲目ではなかったのではないか、黒魔術は視力があった頃に会得したものではないか、と考えられます。……このことと彼女が相当な術師であることの関連ですが、黒魔術師は、己の魔力を高めるために『悪魔の契約』と呼ばれる儀式を行うことが、あるそうです」

「悪魔の契約? それは、どのようなものなのでしょう?」

「魔力を高めるために自らの身体の一部を供物として捧げる儀式です。これもまた黒魔術の一種なのですが、どれが捧げられるのかは、儀式を行わないとわからないそうです。指一本の場合もあれば、心の臓を失い、命を落とすこともあるそうです」

「なんておぞましい」

 グラナアートが、身震いしながら呟いた。騎士として勝つために死を厭わぬことが理解出来ても、やはり強さのために死を厭わぬと言うのは理解しがたかっただろう。強さとは生きていないと手に入らないと言う彼女の考えは至極自然で、私もそれは同意できるものだった。

「黒魔術師は悪魔に魂を売っていると言う俗説がありますが、この儀式の存在を考えたらあながち迷信ではないのです。もっとも、時代の変化と言いますか……最近はそこまで魔力を高めなくても十分な効果を期待できるものの方が使用頻度が高いので、わざわざ身体の一部を差し出す者は少ないそうですが。

 さて、話は戻りますが、件のレテと言うお嬢さんは、その悪魔の契約を行った結果、その眼の光か眼球そのものを捧げたのではないかと考えられるのです」

「ふむ、成る程な。だから、その娘が高い魔力を持ち得る術師と考えられるのか」

 ゲイトルードが、納得したように頷いた。

 問題はそれだけではなかった。いや、むしろ彼女が強いか否かは本質的な問題ではなく、背景に陛下がいることが最大の問題だ。仮にレテを倒したとしても、それは一時凌ぎにしかならないことは明白だった。もしかしたら、陛下が抱える黒魔術師は、彼女だけではないかもしれない。彼女は、力の強さを見せつけることを目的に表に出された可能性がある。

「陛下は民衆から絶大な支持を得ています。あたくしとて、あの方が大変な名君だと言うことはわかっているつもりです。ですから、国内で反乱を起こすことは恐らくは……」

「それでは、国外から崩すしかあるまいな。と言っても、トシュレードも、あの有様なのだが」

 フィス=ロウが嘆息した。

「こうして、俺がゲイトルードの力を借りて匿ってもらっているうちにも、他の国がやられるやもしれぬ。失われたものを嘆く前に戦わねばならぬと言うのに」

「パレファディア様」

 ふと、少年が静かに呟いた。その名前を知らぬ魔術師はいない。

 伝説の白魔術師と呼ばれながら、謎多き人物である。

「白魔術師の最後の一人、大賢人パレファディア様を、頼るのはいかがでしょう?」

 白魔術は既に滅びているが、たった一人、その使用者がいた。それが、数百年を生きると言う大賢人パレファディアである。確かに大賢人ならば、希望を示せるかもしれない。しかし、本当にまだ生きているのだろうか。

「パレファディア様は、各地を転々として、現在はエスカータ共和国の人里離れた場所に隠棲しておられます」

「そうなのか?」

「ええ。実は僕は、彼女に少々馴染みがございまして」

 吟遊詩人の少年が、微笑んだ。顔が広い旅人もいたものである。流石に、大賢人と見知っているとは思わなかった。

「女性だったのか。変わった響きの名前なので、性別がわからなかった」

「ええ」彼は頷いた。「実は、ルー=エザと言う、赤い髪の女性と知り合ったので、パレファディア様に保護してもらっているのです。伝言も、しかとお伝えしておきました」

 なんだ、既に大賢人の力を借りているではないか。この少年の手回しのよさに、私は苦笑するほかなかった。

 ゲイトルードが、私の肩を軽く叩く。

「感謝する」


 それから数日後に、私は申請してあった長い休暇をとった。

 数年間あまり休むこともなく働いていた私が休暇を取ることは、あまり難しいことではなかった。

「ところで、休暇はどこに行くつもりだ?」

「心に決めた女性の元へと」

 私の答えに、陛下は笑って見せた。件の相手がどこの人間なのか、この方が知っていたのかどうかは、最後までわからなかった。ただ、孤児である私に帰る家がないから他に回答のしようがなかったのも、事実だった。

「そうか。楽しめよ」

 それが、私が見た、陛下の最後の笑顔だった。

 私が荷をまとめて宿舎を後にしてしばらく歩いたところで、馬車の御者の姿をしたフィス=ロウがゲイトルードと会話しているのが見えた。馬車の中には、既に吟遊詩人の少年が乗り込んでいるだろう。

「待たせたな」

 ゲイトルードもまた、休暇をとることにしたようだ。グラナアートは、立場上弟と揃って休暇をとるわけにはいかないので、宮廷に残るようだ。

 どう言う経緯なのか、ゲイトルードと同じ馬車に乗ることになっていた。相乗りだと安く済むのは間違いないので、あまり疑問に感じる者もいなかっただろう。

「お待ちください」

 私が馬車に荷をしまい、乗り込もうとした時に、その声が聞こえた。振り返ると、長い茶髪の美しい顔立ちをした若い娘がこちらに向かって走って来ていた。それが誰だか、すぐにわかった。

「ジークリンデ姫」

 彼女はジークムント皇帝陛下の異母妹に当たられる、帝国一の美少女と呼ばれる皇女殿下である。お転婆な姫君としても知られており、忍びで城を抜け出すこともしばしばだった。何度か、魔術で居場所を特定するように命令されたことがある。

「これはまた」吟遊詩人の少年も、驚いて馬車から顔を出して来た。皇女殿下が一度彼の方を見て目を丸くしたが、首を振った。

「これを」皇女殿下は、私の手に何か押し付けて来た。

「どうか、兄上を止めてくださいませ」

 彼女はそう言って、駆け去って行った。

「お噂通り、お転婆な姫様でございますね」

 少年の呟きを聞きつつ、私は馬車に乗った。

 ジークリンデ姫から受け取ったのは、小さな包みだった。包みを解くと、小さな首飾りが出てきた。よく見ると、トシュレード公国の紋章が彫られてあった。

「これは、トシュレードのものだな。皇女殿下の婚約者はトシュレードの大貴族のご令息でな、彼が差し出していたのを見た」

 ゲイトルードが、覗き込んで言った。

 兄上を止めてくださいませ。

 これを渡しながら言った、この言葉の意味は、明白だ。

「どこで我々の事情を知ったかは別として、皇女はこちら側と言うことか」

 馬車が、走り出す。

 北方エスカータ共和国は、雪が積もっているだろう。

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