第五章 識るが故の責務

 振り返った先にいたのは、美しすぎる程に美しい顔立ちをした少年だった。

 ……彼の美貌を正確に形容し得る言葉を、私は知らない。長い金髪に、緑の瞳は儚そうで、強い意志を感じさせる眼差しを浮かべていた。白く細い指が、竪琴を爪弾いていた。

 聖なる血が流れていると、私は直感した。

「貴方もまた、トシュレード公国への訪問者ですか?」

 尋ねてきた少年は、歌うような、美しい声をしている、と私は思った。

 その口調は丁寧で、物腰は柔らかいが、力強い闘志のようなものを感じた。儚げな雰囲気の裏に、私などには到底考えられぬ修羅を乗り切って生きてきたような雰囲気を帯びた少年だった。

 私は名乗り、ヴァレクセイ帝国の出身であると告げた。

「トシュレード公国が消され、『ヴァレクセイ平野』となっていた地図を見てこの場所に来た。貴公は?」

「僕は、名など無いに等しい卑しい吟遊詩人です。久方振りに友に会いに来たのですが、これはどうしたことでしょうか」

 彼のゆったりとした柔らかな口調に危機感はあまり感じられなかったが、その眼差しと、次に告げた句は、毅然とした問いだった。

「魔術師のお方。先ほど、地図からトシュレード公国の名が消された、とおっしゃいましたね」

 何故、私が魔術師だと分かったのか、という疑問は沸かなかった。何故か、彼が分かるのは当然だと言う、そんな気がしていたのだ。

「そして、ここがヴァレクセイ帝国の領土になった、と。このようなこと、可能なのでしょうか」

 口にするにも躊躇われる憶測が私にはあった。だが、それをこの少年に話す必要があると、直感した。

「貴公は、『隠蔽術』という黒魔術を知っているか」

「『隠蔽術』ですか。一度でも使ったことが知れたら問答無用で七度は処刑されるような、禁術中の禁術だと言うことしか知りませんが」

 それは、本来ならば話すのも躊躇われる存在だった。

『隠蔽術』は決して使われてはならないため、何年も前にその存在すら通常の魔術の教育課程から削られていた。私は司法魔術師であった亡き師に、司法として教わっていたので知っていた。黒魔術の徒ではない私には、扱うことはできない。

 その意味では、この少年は、存在を知っているだけでも、魔術に関しては博識すぎるくらいであった。

 私は、彼には話すべきという直感を信じて、隠蔽術の内容を話した。

『隠蔽術』は、本来あった筈のものを根本的になかったことにするものである。いた筈の人間は母の胎内にすら存在しなかったことになり、無論その子孫も消滅する。この力を使えば、確かに国の創立に関わった人間を祖先から消せば、その国はなかったことになる。

 ただ、過去を溯るほど、高度な技術や能力が必要になる。消したい人物を母の胎内からも消しても、母親はその人物に代わる子を数年後に出産するかもしれない。そうすると根本的には父母を消すしかなく、と言った具合に何度も連鎖することになるのだ。

 そう簡単に国を消すなどできる筈がない――故ローランド師はそう仰っていた。トシュレードのような歴史の古い大国が、まさか。

「成る程」説明を受けた少年は頷いた。「『隠蔽術』については分かりました。しかし、それならば僕や貴方もトシュレード公国の存在を覚えていない筈ではないでしょうか」

「この話、貴公は矛盾を感じないか?」

「と、言いますと?」

「これは私の持論だが、『隠蔽術』が確かに存在すると言うことは、少なくとも誰かがこの術を使い、成功した前例があると言うことだ。本来ならば、術を使った事実ごと当人の記憶からも消え、その存在すらも消えてなくなる筈なのだ。しかし、『隠蔽術』の名は、残っている。この矛盾は、何処から生まれたのだろうか?」

 少年は、私の言いたいことに気付いたのか、瞳を大きく見開いた。私は更に続けた。

「果たして、国ができるのに関わる人間の全てを、我々は把握し切れるだろうか? トシュレードは古くは戦で独立した国だ。戦で生き延びた名も無き戦士など、消しようがない。

 ……所詮、魔術は人間が創り使うものに過ぎぬ。人間がそうであるように、『全て』の事象を考慮に入れられるほど、精密な魔術などない。そもそも、このような古き大国が歴史からなかったことにされるとなると、世界史や人の記憶に様々な矛盾や違和感が生じる可能性は否めない」

「術者が人間であるが故の不精密さ、矛盾、違和感が、何等かの形で僕らに『記憶』を残し、それがトシュレード公国が存在したと言う『記憶』に繋がったと考えられる、と言うことですね」

 私は頷いた。この少年は、十七かそのくらいだと思っていたが、見た目以上に歳をとっているのかもしれない。

「失われた国は、もう戻らないのでしょうか」

 少年の呟きにも近い問いは、私の心に闇を落とした。答えは知っていただろう。失われたものは、もう戻らないだろう、と。失われた国も、歴史も、人も。

 しかし、『矛盾』と言う綻びの中に、失われていない、可能性はある。

「私は一度帝国に帰り、司法魔術師としてこの『隠蔽術』の術者を探すが、貴公はこれからどうするのだ?」

 少年は毅然とした表情を浮かべた。それは、この日、私が見た彼の表情の中で最も力強いものだった。彼はその見た目の儚さと裏腹の強さを持っていた。

「僕は、友を捜すつもりです。彼はこの国の出身ではないし、僕には彼の記憶があるのだから、彼は何処かにいると思うので」

「そうか。貴公に頼みたいことがある」

「はい、何でしょう」

 私は、彼に希望を託そうと思った。

 彼女との、『次は私が会いに行く』という、約束を果たす、希望を。

「もし、貴公の旅先で、ルー=エザという赤い髪をした、気が強い軍人の女性に会うことがあったら、伝えてほしい。『私を待っていてほしい』と」

「はい」

 少年のはっきりとした返事と優しい笑顔は、信頼に値するものだった。


 トシュレード公国はヴァレクセイ帝国の領土にされていたのだから、首謀者は帝国内にいると考えるのが自然だ。

 陛下の『余は、世界を獲る』という発言の真意を、思い知らされたような気がした。そう、陛下は恐らく、この世界全ての国を、この方法で帝国の領土にするつもりなのだ。

 あの日陛下が連れて来た、盲目の黒魔術師の少女レテ。帝国の中にいる人間で陛下のために禁術で、黒魔術でもある『隠蔽術』を使うことが有り得るのは、彼女しかいない。私に感じ取れたほどなのだから、彼女の魔力は、非常に高いものと推察できる。

 悔しいことだが、私にはどうすることもできなかった。この背景に陛下がいる可能性は高く、私がいくら動いたところで握り潰されるからだ。

 帝国魔術師連盟の上層部にいる、レテの行為を黙認した人間を内部告発で裁くしかない。『隠蔽術』ならば、黙認や共謀も同罪に処される。

 しかし、誰かがその対策を取らない筈がない。その証拠すら『隠蔽術』で葬るだろう。

 私はまさに、八方塞がりの状態だった。

 ルー=エザがいなければ、私もまたトシュレード公国を忘れていた筈だ。

 私には彼女の記憶がある。彼女と共に過ごした、大切な、確実な記憶がある。吟遊詩人の少年が言っていたように、彼女を覚えていると言うことは彼女が何らかの形で生きていると言うことではないだろうか。

 私は、彼女を、トシュレード公国を識る者として、『隠蔽術』の悪用を止めなければならない。これは私が司法魔術師である前に、『私』と言う人間の、矜持だった。

 ここで諦めるわけにはいかなかった。ルー=エザとの再会を捨てることになるからだった。

 それに、初対面の私に約束してくれたあの少年の優しさを否定したくなかった。

 何より、ここで何もしなければ、気の強いルー=エザが、それでも男なのか、と私を罵倒するに違いない。戦わぬ道は私にはない。

 私は、トシュレードを知る者を、捜さなければならなかった。


 数日が経過した。

 宮廷では、哀しい程に穏やかな時が流れていた。

 陛下がうまく立ち回っているのか、裏に大きな組織でもあるのか、一考にレテの尻尾は掴めなかった。やはり、これほど大掛かりだと私ごときに掴めることはないと言うことなのだろうか。

 本当に、トシュレードが存在していなかったかのような、愛しい女性との日々が夢だったかのような、残酷な時間が流れていた。今でも不思議なのだ。私がことあるごとに隣国の女性との恋愛相談の相手にしていたマレクセイ伯が、何故、その事実を記憶していなかったのか。

 ただ、どこかでトシュレードを忘れている自分がいて、その度に私は自分を責めた。

 忘れられた時、本当の意味で消えてしまう。

 隠蔽術を教わった際に、師は言った。遂に訊く事は適わなかったが、師は隠蔽術に勝利する方法を知っていたのかもしれない。記憶こそがその鍵を握るのではないか。

 その日、宮廷の回廊には言い争う男女の声が響いていた。

 帝国騎士団長グラナアートに、同副団長ゲイトルードの姉弟だ。この二人は仲がいいのか悪いのか、口論ばかりしていた。その姿は五月蠅い、見苦しいと顰蹙を買うことはあるのだが、陛下が放っておいているためか周囲は諦めているようでもある。

 その光景は数日に一度は見る、慣れた光景であった。誰もがまたか、という目でこの姉弟に一瞥をくれてやり、回廊を歩いて行くのだ。

 多くの場合、弟のゲイトルードが好奇の眼差しで見られていた。

 先述の通り、彼は騎士団と魔術師連盟の対立関係は将来、帝国の為にならないので手を結ぶべきと考えていた。それは宮廷上層部の石頭どもにはおよそ理解できないものだったらしく、彼の考えはかなり斬新と言うよりむしろ異端に近いものと見做されていたのだ。

 姉であるグラナアートもそのご多分には漏れず、その上彼女は宮廷一頭の固い女性とされていた。彼女を始めとした騎士団の連中は、魔術師を毛嫌いし、魔術師も騎士団を嫌っている傾向にあった。相容れない関係になったのは、いつからなのかは定かではないが、他国では手を結んでいたりもする。

 私には、ゲイトルードの考えが画期的どころかむしろ自然に思えた。それは育ち方のせいか、他国の女性軍人と交わっていたからか。単に騎士団に属することも知らずに接している内に友になったからか。いずれにせよ、私は石頭どもとは少々違う視野を持っていたようである。

 いつもは弟のゲイトルードが好奇の目に晒される。異端のようにみられがちだが、彼はもともと人格者である上に、人の道に背いているわけではないから変わり者程度で済んでいるだけである。

 それが、その日ばかりはいつもと勝手が違っていた。

「姉貴の虚言癖にも飽き飽きだ。在りもしない国の存在を訴えられても、困るのはこちらだろう」

「虚言は貴方だわ。トシュレードが存在しないなどと、そんな馬鹿なことを言うのはおやめなさい」

 反射的に足を止めた。

 まさか、グラナアートがトシュレードを覚えている、だと。

 よりにもよって彼女が、と言う逡巡を、私は振り払った。

「グラナアート騎士団長」

 私が声を掛けた時、彼女は一度嫌そうな表情を浮かべて私を無視した。さすがに無視するのは如何なものかとは思ったが、千載一遇のこの局面を私情で見逃すほど私は馬鹿ではない。

「騎士団長殿?」

 声を荒げると、ようやく振り返って請け合った。余程私と話したくないらしい。ここまで嫌われると、こちらとしてもどうにも苦手な存在になってしまうのだが。

 あえて言えば、私は騎士団の連中のことは今も昔も嫌いではない。対立関係にはあったが、その力を認めてもいたのだ。それは、彼女とて例外ではなかったが、ここまでくると、やはり多少の苦手意識は持ってしまう。

「あたくしと話したがる魔術師がいるなど、なんとも珍しい。何かございまして?」

「尋ねたいことがある。今、貴殿はトシュレード公国が存在する、とおっしゃらなかったか」

「ええ、言いました。それがどうかしたと言うのですか」

 彼女は魔術を全般的に毛嫌いしている。恐らく、魔術師である私と話などしたくないだろう。それに、彼女に黒魔術がどうこうと説明をしても、聞く耳を持たない可能性があった。知識がなければ、どちらも同じようなものに思えるのは仕方がない心理だ。

 それならば、選択肢は説明ではない。理解だ。

「あれは……ヴァレクセイ平野、だったか。トシュレード公国は存在しない。あくまで存在を主張したいのであれば、貴殿が彼の国へと向かい、その目で見ればよかろう」

 グラナアート騎士団長が言葉に詰まったのがわかった。

 彼女は、私が言うまで実際に行くと言う選択肢を思い付かなかったのだろうか。わざわざ私が口を挟んだ意味に、彼女が気付くかどうかは計り知れなかったが。

「確かに、その方が建設的だな」

 私の意図を知ってか知らずか、ゲイトルードは頷いた。

「その国があると証拠のひとつでも持って来い。姉貴が虚言でないことを認めてやろう」

「上等ね。あたくしが正しいことを実証してやるわ」

 グラナアートは、納得した割にはどこか憎々しげな表情で去って行った。彼女のことだ、魔術師の知恵を借りる屈辱を選ぶのは嫌だったのだろう。

 一両日中に、伝令などで使う早馬を走らせた彼女の行動力はさることながら、騎士団長がそれでいいのかと言う疑問もよぎる。しかし、私がそれで助けられたのは間違いなかった。

「助かった」

 ゲイトルードが安堵したような溜め息をついた。

「この間からこの地図はおかしいと、それこそ耳が壊れそうな程に言ってきてな。さすがに俺も参っていたのだ。少しは静かになるといいが」

「それは気の毒だ」

 返す言葉に迷い、私はとりあえずそれだけ言っておいた。

 彼に真実を話したところで、彼が私を信じるかは疑問なところであった。

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