第二章 自作自演の即位劇

 アズビーダ二世陛下の葬儀は何ごともなく、粛々と終わった。

 長らく玉座に座っていた老帝の急死は、国内に限らず周辺諸国にまで衝撃を与えた。安定していた情勢が今度どうなるのか、誰もが不安だったに違いない。

 喪に服する中で新陛下の即位式は執り行われることとなり、宮廷中が慌ただしかった。

 哀悼と祝福を同時に浴びることになった我が国の様は、それこそ奇妙なものであっただろう。街も宮廷も喪章を掲げ、喪服姿の侍女たちが準備に走り回った。この喪章は、即位式が終了次第取り払われる流れになっていた。

 新陛下、アズビーダ三世陛下は老帝アズビーダ二世より十四歳離れた弟君にあたる。お子はなく、奥方と随分前に離縁したきり、正妻は迎えず、妾を囲うこともなかった。皇家や貴族の者が離縁することは、珍しいことだった。以前から男色との噂があったほどで、本人はそれを否定も肯定もしなかった。

 つまり、後を継がれるのは、間違いなくジークムント皇子殿下かそのお子で確定し、後々継承問題で揺れることがなくなる。皇子殿下の妹君、ジークリンデ皇女は他国での縁談を決めており、皇位継承を放棄していた。

 ただ、私の疑問が解けることはなかった。

 やはり、十六歳は、皇帝が務まらないほどの若齢ではないのだ。

 私の疑問をよそに、戴冠式の準備は着々と進められていった。今思うと、それはどこか、滑稽ですらあった。

 こういう時に限って、魔術師連盟と騎士団は協力しあった。この混乱に乗じて、盗賊や女子供を襲うなどの狼藉を働く者は少なくはなかったのだ。我々は協力し合い、徹底した取り締まりを行った。ここで反目しあっても国を悪くするだけだと、言外に理解しあっていたのだ。

「今協力できるのならば、いつも協力したらどうなのだ」

 ゲイトルードが愚痴をこぼしたのを、私は今でも覚えている。私も心底同意した。

 彼の姉はグラナアートと言い、帝国騎士団最強の怪物女と呼ばれ、騎士団長として騎士団を総括していた。彼女は年齢に似合わずかなり古典的な考えを持ち、我々魔術師を毛嫌いしていた。そして頑固でもあり、宮廷一頑固な女性などと揶揄されていた。本人は全く気にしていない様子だったが。

 ゲイトルードはこの姉を騎士としては認めていたから、だからこそ複雑な心境だったのだろう。魔術を毛嫌いする姉と、好意的に見る弟。互いに我が強く、あまりに相違の大きいこの姉弟は、ことあるごとに口論を繰り返していた。その光景は日常茶飯事であり、最早問題視する者もいなかった。

 トシュレード公国の二人の使者は、相変わらずの様子だった。事が事だけに不謹慎だが、ルー=エザは軍人にしておくには勿体ない美人だったように思う。それでいて、軍人としての彼女はとても凛としており、美しかった。この感情を説明する言葉を知らない自分が、恨めしくも感じる。

 彼女より美しい美女も可愛らしい乙女も、探せばいくらだっていたかもしれない。しかし、何故か姿を見掛ける度に、彼女にしか抱かない恍惚とした感情に襲われたものだった。すれ違う度に挨拶を交わすだけの関係なのに、それだけで幸福になれたのだ。私は他人と挨拶を交わすだけで幸福になる男ではない。彼女だけだった。

 このことを後にマレクセイ伯に相談したところ、笑い飛ばされた。

「それは心の熱でございますな!」

 今なら恥ずかしい程に意味が分かる一言だ。あのときの私は、まさに少年のようだっただろう。

 それは、二十二歳と言う、あまりに遅い初恋だった。

 私はルー=エザに、恋をしていた。


 戴冠式の日が来た。

 新皇帝を見るべく、多くの民衆が集まっていた。私は列の末席にいて、無事に式が終わるのを待っていた。

 アズビーダ三世陛下は、黄金に赤い裏地の長い外套を床に引き摺りながら、粛々と現れた。赤い絨毯を敷いた広間を歩き、黄金に輝く王冠を持つ宰相閣下(マレクセイ伯の祖父に当たられる)が出迎える。捧げられるようにして王冠を被り、高台にある塔の上から民に演説する。それで戴冠式は終了する。

 戴冠式は、終了した。皇帝アズビーダ三世の誕生だ。

 新陛下は高台に向かった。私はマレクセイ伯と共にそれに同行した。高台に上がった陛下は、民衆に向けて右手を挙げた。

 民衆が呼応するように声をあげた――その瞬間だった。

 王冠が、重い音を立てて転げ落ちた。

 私には、陛下の御胸に短い矢が突き立っているのが分かった。陛下が倒れられるその瞬間、すべての動作があまりにも遅く感じられた。私が動いた時には遅かった。陛下は既に射抜かれていたのだから。後で知ったが、矢には毒が塗られていたらしい。

 マレクセイ伯爵の悲鳴が聞こえ、伯は、慌てて陛下に飛びつかれた。助からぬ。彼にもわかっていただろう。

 民衆の悲鳴と動揺が入り混じる叫びが、遠く聞こえた。

「陛下が倒れられた!」

 誰かが叫んだ。

 私はすぐさま矢が飛んで来た場所を探した。高台の真向かいに、軍事的な目的で使用される塔がある。見張りにも使え、そこから矢を飛ばすことは、物理的に可能だ。

 そこに、人がいたような気がした。

「魔術師殿」

 私を見つけたフィス=ロウが鋭い声をあげ、私に声をかけた。ルー=エザが近寄ってくる。

「新陛下が倒れられたと聞いたのだけど、一体何があったの?」

「暗殺だ」

 私は、この時初めてこの言葉をはっきりと口にした。普段の私ならば何処か濁していただろうが、濁す余裕もなかったのだ。

「何ですって」ルー=エザは驚いて聞き返して来た。

 私はふと、思い当たって彼女に尋ねることにした。武術を知っていて、私が質問できる相手は異国の軍人の二人しかいなかったのだ。

「軍人である貴女に訊きたい」

「はい」

「腕の長さ程の矢を、あの塔まで飛ばして正確に標的に当てることは可能なのであろうか?」

「座標特定術を併用すれば、簡単でしょうね」

 質問の意味を正確に理解したのか、ルー=エザは即答した。何故異国の軍人に尋ねるのかなどと言う疑問は消し飛んでいたろうし、騎士団と魔術師が対立している我が国の情勢を知っていれば答えは明快である。

 座標特定術とは、遠くにあるものの位置を正確に捕捉する魔術だ。彼女もその魔術を扱うことができたという。もっとも、彼女は弓術が苦手なのでそちらの面では無理だろう、とのことだが。逆に弓が得意だが座標特定術が苦手なのが、フィス=ロウの方だった。

「経験上、ふたりの人間が息を合わせて実行するには、技術的な理由でかなり難しいわ。……単独、でしょうね」

 暗殺の実行者は弓と同時に魔術が扱える。完全に魔術と武術が分離している帝国にそのような者、いるはずがない。他国の暗殺者だ。

 私は塔へ移動しようとした。その途中で、騎士団の人間を捕まえようと思ったのだ。

 そこで、私は気付いた。

 ジークムント皇子殿下がいない。

 大広間で、先ほどまで戴冠式をご覧になっておられた、殿下が。誰かが、殿下を安全な場所まで避難させていたのだろうか。

 皇子の存在が頭をよぎったその時、鬨の声が響いた。

「皇子ジークムントが、皇帝陛下暗殺の実行犯を捕えた!」

 遠く離れた塔から、殿下の声が響いた。右手には血塗られた細身の剣が輝いていた。

「今この時より、皇子ジークムント改め、皇帝ジークムントがヴァレクセイ帝国皇帝へと、即位する」

 十六歳の若き皇帝の誕生に湧き上がる鬨の声。返り血に塗れた礼服が、民衆にはより一層英雄のように見えたのかもしれない。気を聞かせたと言うべきか、魔術師の誰かが、瞬間移動術を用いて王冠を届けた。

 いつの間に塔を登っていたのか。私の疑問を余所に戴冠式終了直後に暗殺された叔父上の跡を、若き皇子が継がれたのであった。

 後に知ったことだが、暗殺者は遠く離れた砂漠の国の男だったと言う。

 こうして、皇帝ジークムントが誕生したのだった。


 この暗殺劇は、老帝アズビーダ二世陛下の急死からはじまっていたように思う。

 老帝陛下は恐らく酒か何かに毒を盛られたのだ。警戒心の強かった彼は常に毒味をさせていたが、同じ瓶から注がれた二杯目の葡萄酒など、杯が違っていても、そこまで気を使わないはずだ。杯に毒が塗られている、そこまでの疑いはしないだろう。特に、息子が自ら注いだとなれば。

 これは完全な推測であるが、これが正しければ、皇子は実の父である老帝陛下を殺められたと言うことになる。しかし、老帝陛下の死の前に、皇子が自ら選んだと言う葡萄酒を、皇子の手で注がれた杯を微笑んで傾けたのは、知っている。

 陛下は葡萄酒を好まれていた。年老いてから生まれた世継ぎの息子が自ら選んだ葡萄酒を拒否する理由もなければ、息子の優しさに喜んで受け取っただろう。それは、父親の心理としておかしいものではない。

 皇子の叔父上の暗殺者は恐らくただ金で雇われただけで、皇子にその死すら利用されたのだろう。魔術を使えば高台から塔への瞬間移動は造作もない。

 我が国に、魔術と武術を両方扱える唯一の人物がいる。それが、皇帝家の男子だ。それは無論、皇子も例外ではなかった。

 皇子が暗殺者を殺す必要はどこにもなかった。自動的に皇帝に即位することに、誰ひとりとして疑問を持たないからだ。だが、叔父を殺した男を捕らえ、叔父の仇を討ったとしたら、民衆などの感覚は麻痺してしまい、首謀者が誰か、などと言う疑問は無くなってしまうだろう。

 老帝陛下がご逝去あそばれたのだから、即位するのは普通はその嫡子である。正式に皇太子として指名されていなくても、誰も疑問には思わなかっただろう。

 十六歳は、確かにまだ若いが、若すぎることはなく、摂政を立てれば問題なかった。叔父上を摂政に擁立し、自身が皇位を継承すればよかった。

 何故それがいけなかったのか。

 摂政の擁立は、考えによっては傀儡ともとれる。国力の低下を懸念したのだろう。それは、皇帝本人の力の低下でもあった。

 あの気高く、野心の強い皇子がそれを不服としてもおかしくはない。端的に言えば、叔父上が邪魔だったのだ。

 だから敢えて叔父上を皇帝、己はその跡取り、とした上で叔父上を殺害したのだ。

 それを実行するためには、成人の儀を済ませて皇太子になってからの即位では、その施政の邪魔者を増やす可能性があるから、父上に死んでもらった方が都合がいい。また、皇帝暗殺は憶測が何処へでも飛んで行くが、摂政暗殺だと摂政が生きていては都合が悪い人物が疑われる。この場合、その人物が誰か――ジークムント皇子だ。だからこそ、摂政になってもらうわけにはいかなかったのだ。

 これには証拠はない。

 あくまでも推測にすぎない。

 しかし、これは、たぶん正しかったと、私は思っている。

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