水星の魔女を見ていた思った事

 2023年の春に2期が放送された『機動戦士ガンダム 水星の魔女』。学園モノガンダムと言う切り口でガンダムの可能性を広げてくれたシリーズですよね。この作品もガンダムなので『戦争』がテーマのひとつになってきます。

 しかし、他のシリーズより悲惨さが感じられないとは感じませんでしたか? それは元々学園モノだと言うところも大きいのでしょう。そのための演出なのだと思います。


 で、かなり酷い事が起こっているのにそれを感じさせないテクニックとは何か。それは描写をしないと言う事です。特に分かりやすいのが、議会連合の艦隊ががクワイエットゼロに成す術もなく撃沈されていく場面。

 ここでは撃沈された艦内の描写を全くしていません。撃沈されていない旗艦(?)が状況を把握している描写だけがなされています。阿鼻叫喚の地獄絵が展開されているにも関わらず、その破壊される当事者側のメイン視点、乗員の悲惨な叫び声などを入れないだけでとてもクールな戦闘描写になっているのです。


 当然この演出には賛否両論あると思います。私もあれ? って思いましたもん。ただ、こう言う表現もあるのだなとは思いましたね。激しい戦闘が行われても、描写次第では冷たい印象にもなるのだなと。

 自分の部下をコマとしか思っていない悪の幹部が人が死ぬのを数字で把握するだけとか。それに全く感情を動かさないとか。それを表現するのに戦果しか書かないと言うのもありなのかなと。


 攻撃されて被害を受けて傷ついたりそのまま死んだりする描写をリアルに描くのか、その状況を外側からただ傍観するだけなのか、カメラの位置って重要ですね。普通は攻撃を受けた内部の阿鼻叫喚の地獄絵図を描写してしまうと思いますけど……。


 そう言う演出の水星の魔女ですけど、メインキャラが戦場に出向く時は通常の作品のように当事者視点の描写が続きます。メリハリですかねえ、やっぱり。それも大事ですよね。

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