作品は作者のもの

 今回もツイッターのTLで見た意見なんですけどね。作品は読者のものだろ的なものが流れてきたんスよ。たまーにこう言う論争が定期的に盛り上がりますよね。作品は読者が読んでこそ、読者が読んで完成するのだから作者が好き勝手にしていいものじゃないんだ的な。

 うん、一理もありませんね(キッパリ)。


 これって、極一部の高圧的な読み専さんが読み手に配慮した作品を書けーって言うのに似ているのかな。彼らにしてみれば、書き手は自分達の好きなものを供給する道具でしかないんです。勿論、多くの人は作者を尊重して、作者の生み出す展開を楽しみにしていますよ。好みから外れたら愚痴を言う事はあっても、作者を攻撃したりはしません。普通はね。

 自分の好みに合わなくなったら離れるだけ。それでいいじゃないですか。それが対等ってものです。読み手のために書いてんだろ? じゃあ読み手の方が立場は上だろ? みたいな思想は変でしょ。


 その展開に不満があるなら、自分達でそう言う話を書きましょ。二次創作でもオリジナルでもいいからさ。そう言う理由で読み手から書き手にジョブチェンジした人も少なくないんじゃないかな。自分の読みたい話を忠実に書けるのは自分だけですもんね。

 自分には話が書けないけど、楽しく読みたいから自分の意見を取り入れろって、何様ですかって話なんですわ。お金払うからこう言う展開にしてって言うなら、まだ少しは分かるのですが。


 作者と読者は対等です。そりゃ作者は読まれたいと思っていますし、読まれるために流行をリサーチして受ける展開に寄せたりはします。信頼の置ける人の意見を聞いて展開を調整したりもします。

 けれど、それはあくまでも作者がそう書きたいと思ってこそです。生み出した作者がその作品の主導権を握っている、作品は作者のものですよ。


 では読者は? 読者には解釈の自由があります。作者的にはこう読んでもらいたいと言う模範解答があるものですが、読者はそれに従う必要はありません。好きなように解釈していいんです。間違った楽しみ方をしたっていいんです。それが同人誌文化じゃないですか。

 好きなように読めばいいんです。読み方の矯正は野暮ってやつです。国語の授業じゃないんですからね。読み手の数だけそれぞれの答えがあっていい。当然ですね。


 とまぁ、私はそう言う風に思っております。あくまでも個人の意見ですけどね。有名になると作品は作者の手を離れるとも言いますけど、そんな人気作をひとつくらい書けたらいいなぁ。夢よなぁ……(遠い目)。

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