サービス精神が足りない

 電ファミニコゲーマーで連載している田中圭一先生の『若ゲのいたり』をこの間(※執筆時)久しぶりに読んだんですよ。まだまだ続くのかなと思っていたら、最終回を迎えていたのですね。残念。

 もしまだ連載が続いていたなら、どうぶつの森の制作陣にもインタビューをしていたのかも知れませんな。


 でですね、若ゲの話って順風満帆な展開もあれば、一度挫折してからの復活の話もあって、最終回の話も挫折からの復活になってるんです。その話のワンシーンで、制作したゲームの失敗理由を説明しているんですけど『誰もお客様のためにゲームを作っていなかった』と結論付けているんです。

 これって、多分すべての産業に当てはまるものだと思うんですよ。


 で、自作が受けないものここだろうなーと直感的に分かったんですわ。音楽シーンでもよくありますよね、プロデューサーに従っている内はヒット曲が出せたけど、アーティストが自分達の作りたい曲を作ったら全然売れなかったとか。漫画でも作者の描きたい作品を書いたら受けなかったって言う話。

 そう言う事例って、多分数え切れないほどあると思うんです。


 つまり、売れる、評価される作品は読者が読みたい作風になっている。これが絶対条件だと。今更知ってるわいって言う人も多いと思います。私も概念的には分かっているんです。


 ただし、そう言う風に書こうと思っても、まだ書くのに精一杯でそこまで気が回らないんですよね。頭の中にあるものを描写するので青色吐息。元々小説を読まないのもあって、頭が小説脳じゃないのでしょうな。

 自分の妄想を漫画にするならイメージも簡単に浮かぶんです。浮かぶのと実際に描けるのは大きな壁があるので、浮かんでも描ける訳じゃないのですが……。


 要するに、最初のイメージが映像になった後で、それを文章に変換する手間がかかるんですよ、今は。そこで言葉が出てこなくて悪戦苦闘してしまう。最初から文章化されて出力されるようになれば余裕も生まれて、サービスにも力を入れらるではないかなと。

 小説書きの皆さんはそう言う能力をお持ちなのでは? どうなのでしょうね。


 その辺りの能力を鍛えるには、やはりすごく読書をしなくちゃいかんのかなとも思います。プロの作家先生の中にはむっちゃ本を読む人も多いですものね。

 そりゃ、才能があるなら読まなくてもいい物語が描けるのでしょう。小説なんて教科書で読んだくらいだよって言う人もいるかも知れません。ただ、私はそれだけだと足りないって言うだけで。


 そんな訳で、サービス満点な作品が書けるようになればもうちょっと読む人が増える――んじゃないかなあと。今はただの自己満足でしかないですからね。それでも別にいいかな……なんて、思ったりもしてはいるのですけど(汗)。

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