小説をたくさん読んでいるからと言って名作を書けるとは限らない
創作論などで語られる定番フレーズのひとつに『良い小説を書きたければ、小説をたくさん読むべし』と言うのがあります。似たような言葉に『小説は書けば書くほど上達する』とか、『とにかくたくさんの完結作を書こう』などがあります。うん、一理ありますね。先人の卓越した文章を学ぶと言うのは大いに参考になりますし。
ただね、これ逆も真なりなのかと言う視点に立つと、疑問符がつくんですよ。小説をたくさん読めば名作が書けるのか? 小説をたくさん読んでいる人の書く小説は名作になっているのか? どうでしょうか? それとこれとは別になっているのではないでしょうか?
私ー活字中毒でー、本ばっか読んでるしー。書けんじゃん? て思う訳ー。て言う人が書いた小説が色々突っ込みどころがたくさんだったりする事、あると思います。
つまり、たくさん読んだだけの場合、右から左だったりするんですよね。こう言う部分が大事だとか、ちゃんと読み解ける人が読むからエッセンスを抽出出来ると思うんです。
創作論を読む人は最初から向上心の塊なので、敢えてその部分を省略しているだけな訳ですヨ。
例えば、料理の得意の人は出された料理を味わうだけでその素材や調理方法を推理出来たりします。グルメ漫画のように。小説をたくさん読んで勉強すると言うのはそう言う事なんですよね。読むだけで技術を盗めるような人なら読むだけで上達出来る。そう言うスキルが必要なんじゃないかと。
後、小説だけ読んで小説を書くって劣化コピーにもなりかねません。アニメで育った世代が先人のアニメ作品だけを参考にアニメを作るとそうなるように。そう、小説を読んで学ぶのはテクニックのみであり、それ以外は既存のものに縛られない方がいいのでしょう。新しいものを生み出すためには。
劣化コピーを続ければ、規模は縮小していくばかりですからね。
全ての分野のものに言える事なのですけど、基礎を学んでそれが自分のものに出来たなら、そこから先のアレンジは自由なんじゃないかな。
名作のひとつも書けていない私がこんな事を言っても、誰の心にも響かないかもですが(汗)。
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