大きな仕事

 神奈川県 箱根 芦ノ湖


 芦ノ湖を進む全四隻の遊覧船の内の一つが、湖の中央で止まっていた。周囲を歩く観光客や地地元の人々が、不思議そうに見つめる。


「なぁ、あの船はどうしたんだ? 故障でもしたのか?」


 気になった男性が、遊覧船乗り場の受付に訪く。受付の女性はあぁ、と頷くと、マイクを通して説明した。


「いえ、あの船は今日貸切となっております。湖の中央でのんびりしたいとかで」


「ほぇ、貸切? そりゃあ、大金持ちの老人なんだろうな」


「いえ、若い青年のグループでしたが……」


「そうかい。こりゃ、怪しい奴らに貸しちまったんじゃないか?」


 その怪しい奴らの中心人物は、甲板に置いた長椅子に横になっていた。いっぱいの日差しを受けながら、スヤスヤと寝息を立てる。そこに、二人の青年が歩み寄って来た。ポセイドンとアテナである。


「神様ぁ、アテナが帰ったぜ」


 神と呼ばれたその人の前で、アテナが片膝を付く。持っていた短剣二本を、自分の目の前にそっと置いた。


「神様、コードネーム“アテナ”、ただいま期間いたしました」


「……ぅ、うぁぁ、あぁん……おかえり、アテナ」


 大欠伸をした神に、アテナは深く頭を下げる。ポセイドンはアテナの背後に立つとうんと背筋を伸ばし、神につられて欠伸した。頬をポリポリと掻き、眠そうな顔を見せる。


「神様、言われたとおりPメールに強化チップは渡したぜ」


「そうか、ご苦労様。しばらくポセイドンものんびりするといい」


「あ……ってか、あれ? ゼウスは?」


「ゼウスならアフロディテと一緒に遊び行った。ゼウスに一緒に行こうって言ったら、予定があるって断られた」


「えぇっ! マジかよぉ! いいなぁ! リア充の奴はよぉ!」


「ぽ、ポセイドン様……」


 甲板に転がり、子供のように駄々をこねるポセイドンの姿に、アテナは困惑した。短剣を急いでしまい、ポセイドンを宥めにいく。


「お、落ち着いて下さいポセイドン様。彼女なら……ほら、今まで何回か出来てますし、次もすぐ出来ますよ、ね?」


「今まで何回もフラれたよ、最後は」


 墓穴を掘った。ポセイドンの駄々は大きくなり、アテナは止める術を失う。そんなポセイドンに、突如飛び掛る影があった。白金の鞘と刃が光る刀を、ポセイドン目掛けて振り下ろす。


「っ! あっぶねぇっ!」


 立ち上がったポセイドンの頚動脈目掛けて、刀が振られる。咄嗟に頭を下げてかわすと、再び振ろうと構えた腕を押えて懐に入り込んだ。


「アレス! てめぇ……何のつもりだ!」


 結んだ青髪は腰まで届くほど長く、その腰には左右三本ずつ刀をぶら下げている。上はTシャツ一枚なのに対して、下はジーパンに膝まであるブーツと、服装に季節感は感じられない。


 その整った顔にある目を見開いて、アレスは力を緩めようせず、口を開こうともしなかった。


「アレス……このっ――」


「アレス、止めなさい」


 神の言葉が聞こえると、アレスは途端に静かに刀を納め、神に向き直る。神はいつの間にか起き上がり、仮面まで付けてアレスを見つめていた。


「アレス、ポセイドンに悪気はない。自分の非を咎めるのに、少し度が過ぎただけなのだ。我の邪魔をしたわけでもなし、許してやれ」


 アレスは神に一礼すると、ポセイドンに謝ることなく行ってしまった。アレスの後姿に舌を出したポセイドンを、神が呼ぶ。


「君も少し、暴れすぎだ。彼女がいなくとも、幸せはある。まぁ、憧れることを咎めはしないが、あまり口に出すな。恥ずかしい」


「す、すんません……」


「そうやって駄々こねるから、アテナ以外の女が逃げるのよ」


「って! おまえは一言余計だぞ、ハデス!」


「泳いできました」


「そうか、座りなさい」


 浮き輪を持った水着姿のハデスが、神の前にちょこんと座る。神はどこからかタオルを取り出して、ハデスの頭をグチャグチャに拭いた。


「気持ちよかったかな?」


「はい」


「それはよかった。わざわざ持ち運びプールを持って来たかいがあった」


 ハデスに無視されて、また暴れそうになる自分をポセイドンは必死に押えた。すでに上の階に上がったアレスが様子を窺っている。また甲板を転がりようものなら、問答無用で斬りかかってくるだろう。


「そういえばハデス、魔女はどうした?」


 自分の頭を見ながら、神が訊ねる。声を潜めたことから察したハデスは、ポセイドンを宥めるアテナを見つめながら口を開いた。


「消しました。純警隊がレクトアを捕まえたあと、牢屋に入れられて他に誰もいなくなったタイミングで爆弾を投下。速やかに、犠牲もなく始末出来たと思います」


「そうか……すまないな、汚れ仕事を頼んで」


「いえ、あなたのためですから……私は、この小さい頭を使っていくらでも汚れてみせます。あなたに可愛がってもらえれば、他の誰に可愛がられなくてもいい」


 拭き終わったと頭を軽く叩いて合図し、神はまた横になった。ハデスはそのまま側に寄り添い、神の口元に耳を傾ける。そしてそれを合図にしたかのように、神から次の指令が呟かれた。


「……いいかな?」


「はい……次は、大きな仕事ですね」


「あぁ。皆、彼女が好きだからね……最高の舞台で歌ってくれるといいな、Yメール」


「歌いますよ。いえ、歌わせます。冥府の神が、今までにない鎮魂歌レクイエムを」


「……あぁ、期待してるよ。アテナ、ポセイドン。アレスも来なさい。昼食の準備をしよう」


 面を外した神の顔を、高く上った日の光が明るく照らす。

 

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