見えない光
京都府附属大学病院。
全身打撲、擦り傷にアザと、怪我だらけのマリー・ルイフォンが運ばれた。過度に衰弱していた彼女だったが、一週間という時間を掛けて回復。単時間での面会が可能となった。
「……あなたが、
「えぇ」
病室の扉に腕を組んだまま寄りかかり、さやかはベッドの上の女性を見つめる。
汚れていた髪は綺麗にしたお陰か、小麦色というより黄色に近くなった。縁なしの丸レンズの眼鏡をかけて小さな声で微笑む姿からは、他の人格があるといえ、“俺”と名乗って歯を剥き出しそうにない。
彼女こそ、マリー・ルイフォンの主人格。
「初めまして、でいいのかしら? マリー」
「えぇ、でも少しだけ覚えてるわ。ルイフォンが教えてくれるの」
「……そう」
座るよう促されるさやかだが、座ろうとせずドアノブをしっかり掴んで離さなかった。扉の向こうに人影が見えたが、マリーは決して詮索しようとしなかった。
「助けてくれてありがとう。お礼は言えてもこの感謝、表し切れません」
「いいの。ただ、閉じ込められてる女性を助けたいと思っただけだから」
「それが嬉しいんです。現状を知っても、哀れむ声を出すばかり……こうして行動してくれたことが、本当に嬉しいのです」
「……そう。そう言ってくれると、こっちも怪我したかいがあったわ」
半分だけ開いた窓から風が入り、マリーの髪を撫でる。マリーは頭を手で軽く押さえると、クスクスと笑った。
「久し振り……自然の風。日の光も、多くの人の声も……十ヶ月、本当に遠かった」
「……そうね。しばらくはこの病室の中だけど、大丈夫? 怖くない?」
マリーの首が縦に振られる。ズレた眼鏡を直して、また笑った。
「ありがとう、さやかさん。ゲームに参加、出来るかどうか分からないけど……頑張ってみます」
「えぇ、応援してる。あとでまた、メールするわ」
病室を出ると、
「院内は禁煙よ。純警隊も、警察とそんな変わらなそうね」
「フン、こうでもしねぇと素通りするだろ?」
「良い言い訳ね。もっとマシなの考えて……で、どこにいるの」
「屋上で黄昏てる。だが、何を話すってんだ?」
「あなたには関係ない」
病院の屋上で、一人の男が空を見上げていた。そんな男に、さやかと二界道が歩み寄る。さやかが一人前に出ると、男は足音に気付いて振り返った。
「……マリーは――」
「元気よ。医者も、心配ないって言ってる」
「よかった――」
「で? あなた、マリーと知り合いみたいだけど、どうしたいの?」
「どうするも何も、回復したら国に帰るんだ。向こうには俺の家族もいるし――」
「で、家族と一緒にのんびり過ごそうってわけ? そう、分かった」
さやかの平手打ちが男の頬を叩いた。衝撃で男はよろめき、柵に倒れ掛かる。
「レイヴェンとか言ったかしら。強そうな名前しといて、私より弱いのね」
「な、な?」
レイヴェンが頬を擦りながら混乱する姿に、さやかは指を差した。突風が吹き付け、その黒い髪を乱らせる。
「あなた、何をやってたの? マリーが捕まってるのを知って、助けに来たとかそういうのじゃないの? マリーを逃がそうとするなら、一人でだって出来たでしょ?! 失敗して捕まっても、隣で泣くことも出来たでしょう?! 第三者が助けに来ても、手助けも何もしないで!」
レイヴェンの胸座を掴み、さやかは鼻と鼻がくっ付きそうになるまで顔を近付けた。レイヴェンの瞳に、自分しか映っていないのが分かる。
「それで助かったら、自分が助けたみたいにやって来て! 彼女が無事か? あなたの弱腰のせいで、ここまで酷くなったんじゃないの?! そんなあなたにこっちが任せると思ってるのも甚だしい!」
「な、そ、そんな……ことっ」
泣き出すレイヴェン。さやかは手を離すと、鼻をこすってから背を向けた。自分のケータイを見つめて、決心したように前を見て歩き出す。
「絶望の中、見えない光をどれだけ求めていたかを考えて。絶望の縁に立ったことなくても、考えるくらいは出来るでしょ」
「……話は終わったか?」
「えぇ、行きましょ。二界道元警部」
泣きじゃくるレイヴェンを置いて、皮肉たっぷりの台詞を言い残したさやかの後に、二界道は続いていった。吹かしていたタバコを消す。
「おまえ、意外と良いこと言う女だったんだな」
「馬鹿言わないで。あれはただ怒鳴っただけ……良い女ってのは、全部を包み込んでくれるような、包容力豊かな人――カナやマリーみたいな人を言うのよ」
その後、二界道の車でさやかはカナ達が待つ東京へと帰った。その車内でずっと、マリーに送るメールの文章を考えていた。
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