アテナ

 青年にアテナと呼ばれた女性は、その手に撫でられると頬を赤く染めてはにかむ。ポセイドンと呼ばれた青年もまた、再会を喜んで髪がグチャグチャになるまで撫で回した。


 その光景に固まるのは、武装した黒服集団と老婆レクトア。


「十ヶ月間、よく耐えたな」


「いえ、幹部である御三方に、このような汚れは任せられませぬ」


「ハハァッ! そうかそうか。だがおまえ、もっと自分を大事にしろ? 神は犠牲を求めない」


「っ! 貴様等ぁっ!」


 頭の中が混乱したまま、レクトアが声を上げる。その声に目覚めたかのように下げられていた銃口が起き上がり、ポセイドンとアテナの二人に向けられた。レクトアが前に出て、ポセイドンを指差す。


「何を戯れているのですか! 神の前で無礼ですよ! あなたも敵を前に何をしているのです! さっさと片付けませんか!」


「……だとさ、アテナ。あのババァのいうことを聞いて、邪魔の片付けをしてやれ」


「御意のままに」


 アテナはナイフを持ち上げて握り締めると、レクトアに向かって斬りかかった。空を裂き、その軌道は後退したレクトアの腕を切って直進する。そして通り過ぎた軌道は行進して、レクトアの鼻の頭部を切り裂いた。


 鼻を押さえ、手で撃ち殺すよう指示を送る。魔女に操られる人形のように、女性達は何の躊躇いもなく銃弾をアテナとポセイドンに向けて撃ちだした。


ポセイドンは高々と天井に届くまで笑い飛ばすと、自分の体をも高く跳ばして銃弾を避けた。


「ハッハァッ! いいねぇ、さすがは魔女だ! よくもこんな多勢を操作できる! どんな魔法を使ってんだ?!」


 レクトアを追おうとするアテナを銃弾が阻む。先に進めずに往生していると、ポセイドンが女性の肩に着地して声を上げた。


「アテナ、先にこいつらを片付けろ! 魔女はいつでも狩れる! おまえならな」


「は……ハイ! あ、いや、御意!」


 アテナの手からナイフが落ちる。そして床で跳ねると同時にアテナも跳び、女性二人の手を蹴って銃を奪う。そして集団の間を舞うように移動しながら、武器を持つ手か武器自体を撃ち抜いた。


 自分に向けられて長刀が振られれば銃を盾にして懐に入り、裏拳を顔面に叩き込む。その手から長刀を奪うと柄を床に立てて高く跳び、次の標的の上へ跳び乗って銃を奪い放つ。


 結果、約四分という短時間で、総勢七九人を戦闘不能にしてみせた。砕けた銃を蹴り飛ばし、ポセイドンがアテナへと歩み寄る。


「よくやったな、アテナ。こりゃあ神に報告することが増えたぜ」


「ありがたきお言葉です、ポセイドン様」


「あぁ、いい。片膝付くな、今は」


 ポセイドンが向いた方向に、傷だらけのルイフォンとさやかが立っていた。血が混じったツバを吐き捨て、ルイフォンはアテナを睨む。


「どういうつもりだ、赤髪。俺の枷を外す鍵にマリーの携帯、何故渡す」


「そいつは俺が答えてやる」


 アテナの前に、腕を組んだポセイドンが立つ。殺気を放つルイフォンに警告するように、それ以上の殺気を放っていた。ポセイドンの後ろでアテナが片膝を付き、頭を下げる。


「こいつのコードネームは“アテナ”。俺同様、世界を変える神の部下だ。こいつはずっと、おまえを逃がすためにあの魔女に就いていたんだぜ? Rメール」


「俺を?」


「てめぇのことは知ってる。Ruinルインメールで次々と破滅を予知するおまえを、周囲は死神という目で見始めた。そんなおまえを利用して、あの魔女は自分が成り上がる計画を立てた。過去に病院で勤務していたころ、医療ミスを押し付けられて辞めざるをえなかったという黒歴史をエサに出してな」


 ルイフォンが唇を噛み締め、血が流れる。真実だと言わなくても、その行動が語っていた。


「参加者がいつまでも監禁されてたんじゃ、ゲームも盛り上がらねぇと、神はアテナを送り込んだ。魔女からの信用を得て、Rメールの鍵を受け取るためにな。でもまさかおまえが来るなんざ、思いもしてなかったぜCメール。結局俺も来るはめになるしよ」


「あら、お邪魔だったの? 私達が来た小さな混乱を利用したようにしか、見えなかった」


「ハッ! 言うねぇ。まぁ否定し切れないのも事実! 今日はもう帰る――」


「そいつは困るな」


 教会に踏み込んだ二界道にかいどうが、ポセイドンに目掛けて銃を放つ。アテナと共に跳んだポセイドンは、祭壇の上で腕を組んだ。


「Pメール、話の途中で撃つなよ。今日はもう帰るからって、ちゃんと言わせろ」


「悪いが帰せねぇな。神の部下にようやく会えたんだ。とっ捕まえて、神の居場所を吐かせるまで尋問してやるさ」


「何を貴様!」


 アテナが短刀を抜こうとすると、ポセイドンは大声で笑い飛ばした。


「いいねぇ、Pメール! さすがは警部――いや、今は違うのか?」


「知ってるんじゃねぇのか? 昨日ようやく正式発表で、今回が初の仕事だ」


 二界道のスーツの裏に、金色の太陽と白銀の狼が刻まれたバッジが付けられていた。一瞬だけそのバッジを見せ、拳銃を構える。


「純警隊警視監兼、犯罪者追跡捕縛班総班長、二界道すぐる……って、昨日漢字ばっかで資料書くの大変だったんだ」


「ハッ! そいつはご苦労さまだったな! だがよぉ、Pメール。おまえの仕事は俺を捕まえることじゃねぇ。あの魔女を捕まえることだ」


 ポセイドンの指が、足元の女性達を見ろと促す。意識を失っている女性達は、苦しそうに唸っていた。


「こいつらが何故唸ってるのか……かつてあの魔女は保育園の園長だった。だがある日から麻薬に憑かれ、園児達に投与する危険人物として逮捕された。だが、一度狂った頭は一生狂ったままだ。今度は女共に麻薬を投与して、自分から離れられなくなる人形を得たのさ」


 ポセイドンの話の途中で、ルイフォンはおまえにもだとさやかに告げた。無理矢理飲まされたスープこそ、麻薬入りの猛毒だったという。


「じゃあ――」


「早く毒を抜かねぇと、新たな魔女が生産されるぜ? まぁ、そこは神のゲームに関係ねぇから、どうでもいいけどよっ」


 ポセイドンが二界道に向けて投げ付ける。黒のデータチップを受け取り、二界道はアイフォンに差し込んだ。


「強化チップの存在は知ってたか。そいつは神が与えろと言ったから与えた力、ありがたく使えよ」


「あぁ、そうだな」


「っつかいいのか? こうしてる間にも、魔女は逃げてるぜ?」


「心配どうも。だがもう、俺の部下が捕らえてる。喉切って死ぬつもりだったらしいが、殺させやしねぇよ。てめぇの罪はてめぇなりの地獄で制裁してもらう。泣いて喚いて反省しねぇかぎり、死ぬことも許さねぇ」


 ポセイドンの口角がニヤリと上がる。会話で殺気が緩んだポセイドンに、ルイフォンが飛びかかろうとしたそのときだった。


 教会の天井部分が爆発し、柱となっていた部分が落ちてきた。笑みを浮べていたポセイドンが、舌を打つ。


「ッ、おいおい早ぇよ。まだ俺達が中にいるんだぜ? ハデス」


「ポセイドン様」


「あぁ、行こうかっ!」


「へっ? ひゃっ!?」


 赤面するアテナの体を軽く持ち上げ、ポセイドンは壁が崩れて出来た穴から跳んでいった。目で追う二界道だったが、追いつけないと判断して諦める。


教会の入り口から一歩出ると、膨らませた腹から声を上げた。


「おまえら! 教会が崩れる! 中の女性全員を救出しろ!」


 二界道の指示を受けて、白い上着を来た人達が中に入る。ルイフォンとさやかも先に出ていた西崎に連れられ、教会を出て二界道の車へと乗り込んだ。


 誰もいなくなった教会が崩れ去り、飛び散ったガラスと瓦礫を見つめたルイフォンの視線は自身のケータイへと落とされる。


「中川さやか……俺は少し寝る。しばらくは出られないだろう」


「そう……マリーと一度、話をしてみたかったわ」


「マリーに、は……俺から、言っとく。今のうち、刺してくれ。魔女の解毒薬」


 さやかはレクトアの机から取っていた注射器を取り出し、ルイフォンの腕に刺して液体を体へと流し込んだ。ルイフォンの声が掠れ、小さくなる。


「これで、やっとだ……やっと、マリーを外に……」


 ずっと強張っていたルイフォンの体から、力が抜けた。


「ったく、ハデスの野郎……柱一つ壊すだけだってのに、爆弾多すぎるんだよ」


 アテナを抱きかかえたまま、ポセイドンは木の幹を蹴って垂直に跳ぶという神技を行っていた。 次から次へ幹を蹴って、山道を跳んで行く。アテナは頬を赤くしながら、ポセイドンの肩をしっかりと掴んでいた。


「申し訳ありません、ポセイドン様……」


「ハッ! この方が早ぇんだ。構わねぇよ。それより……どうだった、CとRは」


「強い女性……さすが、この神が参加者に選ばれた人達といったところですか」


「それだけか? もっと共感するところがあるだろう?」


「だから、強いと言ったのです。私も彼女達も……」


 アテナの脳裏に蘇る、幼少期の悲痛と絶望。震えるその肩をより強く抱いて、ポセイドンは山道を駆ける。


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