神を崇める場所ならば

 教会では午後から、レクトアの語りの後に食事の時間がある。レクトアは一日に二回しか食事しないとかで、彼女の夕食である午後四時に食べるのだ。


 メニューは小さなパンと無色透明のスープだけだが、皆、物音一つ立てずに口に運ぶ。だがさやかと西崎にしざきは食事のまえにこっそり教会を抜け出し、教会の裏へと回っていた。ゴミ袋の溜まり場を通って、裏の鉄扉から教会内の厨房に入る。


「無用心……裏から入れるなんて」


「罠かもね」


 厨房をさっさと通り抜け、レクトアの部屋があるという三階まで駆け上がる。三階には部屋が一つしかなく、すぐにそれがレクトアの部屋だと分かった。


「たくさんある扉、かたっぱしから開けてやるつもりだったのに。ますます怪しいわ、教会ここの作り」


「片っ端から開けるよりマシですよ。実際、そうなったら時間が足りません」


「まぁ、そうだけどね」


 西崎が扉をわずかに開けて部屋の中を確認し、誰もいないと知ると二人で中に入った。

 

 部屋の構造としては八畳ほどの大きさの小部屋の左右の壁に本棚があり、扉の真正面には大きな窓がある。その窓の側に小さな机があって、そこで色々作業しているらしく、たくさんの書類や本が山積みになっていた。


「ルイフォンが言ってた机って、これ? 随分と……」


「ちょ、ちょっと中川さん」


 西崎が止めるのもお構い無しに引き出しを開け、中身をグチャグチャにしながら中を探り出す。いくつかを自分の白ワンピースのポケットに突っ込み、まるで泥棒が入ったかのように荒らしていくと、赤のケータイが出てきた。


「これね」


「じゃあ、早く出ましょう」


「待って」


 さやかが見つけた、この教会の小さな広告の束。その一つを持って、二人は部屋から出ようとした。


 だが誰かが近付いてくる足音が聞こえて、二人は焦る。今部屋から出れば、確実に見つかる。かといって、この部屋には隠れられる場所がどこにもない。


「……誰かいるような気がしたのですが、気のせいですか」


 部屋に入ったレクトアは机へと歩み寄り、さやかに負けないくらいグチャグチャに中を荒らすと、中から液体が入った小型の注射器を取り出して自分に刺した。


 液体を自分の中に入れて一息ついたレクトアは、部屋を一周見渡してからゆっくりと部屋を出て行った。


「……行った?」


「え、えぇ」


「もう下りるわよ、狭っ苦しい」


 天井裏のベッドへと隠れていた二人は、安堵の息を漏らす。あれだけ机を荒らしてよくバレなかったと、荒らしたさやかを西崎が一瞥する。さやかはそんな視線に構うことなく、扉に手を掛けた。


「とりあえず、出るわよ」


「……! 中川さん!」


 扉を開けたその一瞬、さやかの頭に被さっていた黒服が破かれ、さやかの顔がはだけてしまった。後退するさやかと共に部屋に入ってきたのは、先ほどルイフォンを止めた赤髪の女性。小柄だが、布を引きちぎり人一人押さえつける力はある。


「あなた、さっきルイフォンを押えた人でしょ? 誰?」


「……あなたに答えて、状況は何か変わりますか」


 黒服の内ポケットに両手を突っ込んで、彼女が取り出したのは赤い刃の短刀。照明の光を浴びて光る短刀で、さやかと西崎に斬りかかる。


「銃刀法違反もいいとこね、あなた」


「――――」


「え?」


 刀で斬ると見せかけて、柄での一撃を腹部に叩き込む。さやかも西崎も、その一撃で倒れこんでしまった。短刀をしまった彼女はしゃがみこみ、さやかのポケットからルイフォンのケータイを取り上げる。


「レクトア様の言うとおり、このもの達は潜り込んだネズミだったようです」


 扉を二人の男に開けさせて、レクトアが中に入る。シワシワな顔を歪ませて、男に体を持ち上げられた二人を見つめて笑みを浮べた。


「二人もルイフォン様によって試練を与えられたのでしょう。マリーと同じ格子の中に入れてしまいなさい。後で食事を与えて、落ち着かせましょう」


 男達に連れ去られる二人とそれを見届けるレクトアの後ろで、女性はケータイを自分の黒服の内ポケットの中へ突っ込んだ。


 レクトアが女性の顔を見上げ、ニヤリと笑う。


「あの人たち、何か取っていかなかった?」


「……いえ、何も。取る前に私が入れたのかと思います。さすが、魔女の予知というところでありますか」


「人を褒めるのに、魔女だなんて言うんじゃありませんよ。ですが、今後あの二人には見えるかもしれませんね……人を取って喰う魔女に」


「大人しく入ってなさい、お嬢さん達」


 鉄格子の奥へと入れられた二人を一瞥し、ルイフォンは男達に歯を剥き出しにして唸る。新しく繋がれた鎖を引きちぎるほどに体を前へと引っ張った。


「何だ、こいつらは……」


「おまえの仲間だよ、今日からここに入れられるんだ。悪魔さんよ」


「おい、やめとけ」


「おいおい。おまえまさか、あの婆さんの言うこと真に受けてるんじゃねぇだろうな? 悪魔も神も、いるわけが――」


 男の口が、鎖を引きちぎった音に掻き消される。そして男が気付いたときには、悪魔によって自分の片腕が引きちぎられていた。自分を睨むその目が、赤く光る。


「あ、あぁ!」


「てめぇの言う通り、悪魔なんざいねぇよ。分かってんなら悪魔なんて呼ぶんじゃねぇ……次は、その首掻っ切るぞ!!!」


 男の腕を切った鎖から、赤と黒が混じった血が滴り落ちる。トカゲの尾のようにピクピクと動いている自分の手を拾い上げると、男は悲鳴を上げながら階段を駆け上がっていった。その姿を見たルイフォンが笑い飛ばし、もう一人が溜め息を漏らす。


「ルイフォン。そんなことしてたら、マリーがまた出られなくなるだろう?」


「っせぇな。マリーの体が悪魔なんて呼ばれて、てめぇは我慢出来たのか? え? てめぇが惚れた女の体だろうがよ、レイヴェン」


「……食事を持ってくる」


「ハッ! 俺は喰わねぇぞ、魔女の作った猛毒スープなんざ!」


 男が無言で階段を上がって行くと、ルイフォンは溜め息を漏らして足元で転がる二人を足で揺すった。体を起こした二人に向けて、思い切り舌を打つ。


「で? うまくやってくれたのかよ?」


「ケータイは取られた……でも、これは取ったわ」


 さやかがポケットから取り出したものを見て、ルイフォンの口角がニヤリと上がる。実際にそれを手にして、一つを自分の胸元に隠し、残りをさやかのポケットへ戻させると、首を回してパキポキと音を鳴らした。


「よし、あとは俺のこの枷をどうにか出来ればいい」


「あなた、もう怪物みたいに鎖引きちぎってるじゃない」


「るせぇ。あの教会の入り口には、特殊センサーが張ってある。枷を付けたまま出ると、気絶は確実の電気ショックが流れる仕組みだ」


「意外に機械強いのね、あのお婆さん」


「ハッ! もう百を超えてるはずだ。それでも自分勝手に生きることしか知らない世間知らず。その知識も、てめぇのために得たんだろうよ」


「……で、どうしましょうか。この階段の先は出入り口が一つ。出るにも入るにも、誰かに気付かれますね」


「警察なんだろう? だったらおまえ、事情聴取したことあるだろ。相手の発言を、聞き逃すな」


 強引に足枷を繋ぐ鎖をも引きちぎり、思い切り咳き込んだ。気付けばルイフォンの足元は血塗れで、その血は明らかに枷が縛っている手足から流れている。


「俺の枷をどうにか出来れば、問題ねぇよ。こんなボロボロの俺が外に出て助けてなんて言えば、あの魔女もいいわけ出来ねぇはずだ。世間が味方して、マリーを助けてくれるはず」


「……分かった。枷はどうやったら外れるの? ルイフォン」


「単純に鍵で外れる仕掛けだ。だが、その鍵はあの赤髪が持ってる」


 ルイフォンを軽く押さえつけ、自分達にナイフを向けた女の姿がさやかの脳裏に浮かぶ。確かに彼女から鍵を取るのは、容易でない話だ。どうしたってまず、一人では無理だろう。


 さやかが何かを言いかけたそのとき、扉が開く音がした。ルイフォンは二人を押し倒して床に転がすと、黙るように首元に爪を突き立てた。


「あら。ダメよマリー、仲良くしないと」


「ババァ……何の用だ! てめぇがここに来るなんざぁ、珍しいじゃねぇか」


「あなたはともかく、二人がちゃんと食事するか見に来たのです。ルイフォン様がこれから、試練を与えられる二人ですからね」


 男二人がスープの入った皿を持ってきて、もう一人がルイフォンを壁に押さえつける。口を閉ざす二人に無理矢理スープを流し込み、全て飲ませるとレクトアは口角を歪ませた。


「次からは、食事のマナーも教えないとね。まぁ、今日はもういいです――」


「レクトア様!」


 黒服の女性が突如慌てて階段を駆け下り、息を切らしてきた。レクトアの眉間にシワが寄り、口がへの字に曲がる。


「何です。勝手にこの地下へ来ることは禁じているはず」


「申し訳ありません! でも、教会にいきなり男性が飛び込んできて、兵を負かして暴れているのです!」


「何……仕方ないですね。あなたたち、来なさい」


 男三人と女性一人を引き連れて、レクトアは急ぎ足で階段を上る。扉を開けると、その騒ぎの大きさがよく分かった。


「……警部の人?」


「いえ、二界道にかいどうさんはこんなことしないわ。だって、私達がこうなってるって知らないはずだもの」


「それもそうね」


 不意に聞こえた声。階段から落ちてきたモノを見て、戸惑った三人は固まった。


「何事!」


 教会に戻ったレクトアが見たのは、長椅子を粉砕して白目を向いた、血塗れの男達だった。教会の中央で、腕輪と時計をはめた両腕を広げる緑髪の青年が天井を仰ぐ。その顔は、今快感を感じていた。


「な、何者です!」


 青年はレクトアに向き直ると、首を傾げてニヤリと口角を上げた。目がランランと輝いて、楽しいと語っている。


「ここ、教会なんだって? ルイフォンなんてありもしねぇ神を仰いで、てめぇら楽しいのか? あ?」


 レクトアの背後から飛び出した二人の男が、青年に頭を押さえられて床に叩き付けられる。まだ動こうとすれば、脇腹に問答無用でかかとが落とされた。


「おまえら邪魔なんだよ。あくまで神を崇めてるなら、俺の神のゲームを妨げるな。人が決して操れない生死すらも操る神が、おまえらの生死を決定した。っても、死ぬのは一人だけだがな、婆さん」


「この……まぁ、いいでしょう。生身の人間で敵わないなら、手段を変えるまで」


 レクトアが手を叩くと、黒服女性の集団が武装して青年を囲んだ。自分に向けられた銃口と刃物の数を見て、青年は高々と笑って手を叩いた。


「いいねぇ! 魔女に洗脳された哀れな乙女集団が、一人の青年相手に問答無用! いい! いやぁ完璧だな! こりゃあおまえら、目が覚めたとき涙もんだぜ!」


「うるさい人ですね。消えて頂きましょう」


 レクトアが指示を送ろうとしたそのとき、集団を掻き分けて一つの影が飛んで来た。赤い髪を揺らした女性が、青年を睨む。


「おぉ! いいところに! やってしまいなさい!」


 女性がナイフを取り出し、青年に数歩近寄る。斬りかかると皆が思った次の瞬間、女性は突然ナイフを床に置き、片膝をついた。


「お久し振りにございます! ポセイドン様!」


「……アテナ、よくやったな。任務完了だ」


 全ての指に指輪がはまった右手が、赤髪の女性――アテナの髪を撫で回した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る