夏祭り

「夏祭り?」


 朝のHR前であやが持って来たチラシに、確かに今日の日付と祭りの名が書いてあった。浴衣姿で歩いている女の人の写真を指差して、行こうと誘う。だが正直、光輝こうきは気乗りしなかった。


 松葉杖なしで歩けるまでになったとはいえ、まだ足が痛いのは変わらない。人ごみの中で足を踏まれたりでもすれば、また入院生活なのは分かっていた。


「彩さん、俺は遠慮させて……」


 無言でジッと見つめてくる。目で何かを訴えているのだろうが、何を言おうとしてるのか分からない。だが何故か、断る言葉を最後まで言わせてもらえない気はさせられた。


「え、と……い、行きます」


 自分の目の前でピースして、喜びを示す。待ち合わせは後にメールで連絡することにして、HRのために席に戻った。


 そしてここで、自分に向けられている男子からの視線が痛いことに気付く。二学期最初の登校だったために悪いことした記憶がもちろんなく、嫉妬しているということには気付かなかった。


「コーキくん」


 帰りの時間、同じく二学期最初の登校になるティアが話しかけてきた。いつもの元気な姿に戻ったようで、内心ホッとする。


「あ、ティアさん……今日、放課後は……」


「ハイ! 今日はオマツリでしょ? だから行きマショ!」


「え、えと……彩さんと行く約束してるから……一緒に行く?」


「いいですネ! じゃ、三人で行きまショー!」


 ティアに腕を引かれ、廊下を走る。周囲の男子の目がまた痛く自分に刺さる感覚を光輝は感じ、寒気を感じた。


 家に帰れば、随分と余裕のある時間を時計で確認する。ベッドに倒れこむと、随分と汚れた天井が見下ろしていた。自分の手の中で、ケータイが震える。彩からではなく、Eメールだった。


『寝るといい。すぐに起き、時間には間に合う』


 前はもう少し丁寧語だった気がするが、最近は命令文が多い。だがその命令に逆らう理由もなく、光輝はゆっくりとまぶたを下ろした。疲れているのか、すぐに寝入る。


 夢の中で、自分は部屋の中にいた。何も置いていない、殺風景な部屋。奥に一席の椅子が置いてあるだけで、そこに誰か座っている。ゆっくりと近付くと、その人の顔が見えてきた。


「……初めましてだ、神宿かみやど光輝くん」


 寒気に体を起こされる。寒気とは反対に体中汗だくで、息が上がっていた。再びベッドに体を倒し、手の甲で額を拭う。


 思えばただ名前を呼ばれただけだ。知られたくない自分の旧姓。神宿と呼ばれただけのこと。しかしながらここまで悪寒と恐怖を感じ取ったのは、単にイヤだからではないと悟る。


 白と黒に左右分かれた面の下で、赤い瞳が光っていた。低音と高音が混じった声に喉を撫でられたように気持ち悪い。自分の背中に爪を立てられたような恐怖感が、体中を這っていた。


 Eメールに書いてあった行動を取って、ここまで最悪の状態になったことはない。彩からのメールに気付いて、体を無理矢理起こした。


「……シャワー浴びよう」


 指定された時間と現時刻を見比べて、光輝はその場に制服を脱ぎ捨てた。お湯に変わる前の冷たい水から全身に浴びて、夢に出てきたあいつを忘れようとした。


 だがこういう夢に限って、鮮明に覚えているものである。背後の鏡から睨まれているような錯覚に何度も陥ったし、扉の向こうでまた自分の旧姓を呼ばれた気になった。


 シャワーから出ると乱暴に体を拭き、服を着る。髪は乾かすのが面倒で、ドライヤーは手にすらしなかった。脱いだ制服を洗濯用のカゴに投げ入れて私服に着替え、財布とケータイだけを持って家を出る。


 濡れた髪を十分乾かしてくれる日差しの下、光輝は夢のことを忘れようと前だけを見て歩き続けた。

 

 しかしながら、恐怖はまだ忘れられない。忘れたのは、同じく祭りの会場へと向かう浴衣を着た人々が、楽しそうににぎわっている姿を見てからだった。

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