この手で

 ティアを励ますために、光輝こうきは再び家へと向かう。インターホンを押すと、迎えてくれたのは黒髪の日本人女性だった。彼女は光輝の姿を見ると、夫から聞いていたのか、状況をすぐさま把握した。


「君が、斉藤さいとう光輝くんね?」


「はい」


「いいわ、入って」


 ティア母に家に入れてもらう。数ある部屋の中でも唯一閉め切られている扉の前に立つと、ティア母がコクリと頷いた。ティアがここにいるのは、間違いない。


「……ティアさん? 俺だけど……いる?」


 返事がない。あの元気な彼女が、ここまで寡黙になるのかと正直驚く。だが同時に、困り果てた。


 中学の三年間、自分は大した返事をしたことがない。周囲と関係を持つのがイヤだったわけではないが、どうしていいか分からなくてしてしまった結果だった。その時声を掛けてくれた同級生に、訊いてみたい。


 どうすれば、こんなに寡黙な人に声を掛けられるのか。声を掛ける、勇気とはどこに持っていたのか。だが今、それを知る術はない。


 とりあえずティア母にはその場からいなくなってもらい、光輝は部屋の前であぐらを掻いた。頭の中で言葉を探して、相手の寡黙を打ち破ろうとする。


明海あかみ先生が事故に遭ってから、もう一月経ったね。警察が放った殺し屋は、もういないよ……まだ怖い?」


 現状を伝えること。


 それが、恐怖を取り除けると思って取った行動、手段。これで幻滅されても仕方ない。もしかしたらもう、返事を返さぬ部屋の奥でしてるかもしれない。さまざまな方向から来る、繋がりを失う恐怖感。それに恐れながら、光輝はただ話し続けた。


「全てを企てた警察は解散したよ。今は純警隊っていう、新しい組織が発足しようとしてる。もう、殺し屋はいないんだ……君を殺そうなんて人は、いないんだよ」


「……生きてマスでしょ?」


 扉の向こうから、震えたティアの声が聞こえた。口元に何か寄せているのか、こもった声だ。そのままティアの声はすすり泣き、震え続ける。


「殺し屋、捕まえたダケで生きてルでしょう? そんなの、出てきたらすぐに殺しに来マス。それで生きてル人達だカラ」


「……死んだよ。殺し屋全員、全員死んだ」


「そなコト、何でコーキくんに分かるんですカ? ジョークで――」


「……殺した本人が言うんだもの。分かるよ」


 全ての時間が、遅くなった気がした。外で飛んでるジェット機が、いつもよりやけにうるさく聞こえる。そしてそれが、長く感じた。騒音に注意を欠かされて、次の言葉が思いつかない。


 何を言ってるんだと、そんなことを言ってどうするんだと、自分を責めてまた嫌いになる。そして外の騒音が消えると同時に、ティアの声がまた聞こえた。


「……殺したって、人をですか?」


 ジェット機がまた上空を通過し、騒音だけが鼓膜を揺らす。頭の中が騒音で満たされて、返す言葉も思いつかなかった。ジェット機が過ぎ去ると共に、何の音も聞こえなくなって、何も考えられなくなってしまった。


「……うん。僕は、人を殺した。この手を使って首を切った。銃で撃ち殺した。正当防衛って名前を使って、僕は人を殺したんだ」


「コーキくん……」


「人殺し、そう思った? でも、思ってくれても構わない。その人殺しが、この先誰も殺させない。もし君に銃口が向けられたら、この手でその方向を変えて見せるよ。自分にだって――君が怖いなら、俺は自分にだって銃口を向ける、だから――」


 部屋の奥から聞こえてくる足音が、どんどんと近付いてくる。そして足音は止まり、扉に何かぶつかった音がした。ティアが扉に寄りかかったのだと、遅れて気付いた。


「……イヤです。自分に、向けないでクダサイ。ワタシ……ホントーに、コーキくんのこと好きだから……お願いデス。ワタシの好きな人、人殺しだなんて、言わないて……」


 泣いてくれてる。


 好きと言ってくれた。


 それがとてもうれしくて、自分まで泣きそうになる。目を手の甲で強引にこすって、涙が出ないように堪えた。


「出てきて、ティアさん。外に行こう?」


「……は、やっぱダメです!」


「……やっぱ、怖い?」


「そうじゃなくて、その……何日もオシャレ、してないデス……だから――」


「大丈夫だよ。いいよ、出てきて。こんなに汚れた俺を見てくれるんだ。どんなに汚れても、俺は目を逸らさない」


 ゆっくりと、そのドアが開く。いつも光っていた髪はグチャグチャで、ずっと泣いていたのか頬が赤く、目の下には大きいクマがある。そして肩には、自分で付けただろう指のアザが青く残っていた。


「……タイジョーブ?」


「大丈夫」


 光輝の胸に倒れこんできたティアを、慌てて支える。ずっと神経を尖らせていたのか、疲れたように眠ってしまった。


 自分の手が血塗れだったあの地下で、今みたいに倒れこんできたあの人は、今の俺を何と思うのだろう。人殺しと自分で言ったら、この人のように、果たして拒んでくれるのか。


 あの時の血はもう洗い流したけれど、今もベッタリと付いてる気がする。その手で今みたいに頭を擦ったら、何て言うのだろうか。


 人に接するたび、光輝の疑問は尽きず湧き上がる。


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