楽譜の印

「今日です、コーキクン」


 音楽室に先に来たティアがピアノの前に座り、光輝に話しかける。いつもは時間ギリギリに来る光輝だったが、ティアに連れられて初めて誰もいない音楽室に来ていた。


「コンサートじゃないのにキンチョーしますね」


「大丈夫だよ、ティアさんなら。あんなに一生懸命だったから。音楽の授業で引くだけなんて、もったいないと思うよ」


「ありがとうございマス!」


 ティアは指を伸ばし、そっと鍵盤の上に置く。そのまま押すと、高い音が一つ音楽室に響いた。ティアが鍵盤の方を見つめながら話しかける。


「コーキクンは……キンチョーしますか? 演奏スル前」


 光輝は自分の椅子に荷物を置くと、自分の席の荷物をジッと見下ろした。


「そりゃするよ。随分昔の話だけどね」


「二年前のコト……ですか?」


 光輝が黙る。そして振り返り、ティアの側まで来てティアが押している鍵盤の隣の鍵盤を押した。


「あれが最後のコンサートだったんだ……俺はあの時やめる事を決心した。あんな優勝の仕方……」


 光輝の鍵盤を押す指に力が入る。細かに震える指を見て、ティアが光輝の顔を覗いた。


「コーキクン?」


 ティアに呼ばれ、指の震えが止まる。光輝は汗だくの額を腕で拭った。


「ごめん」


「ダイジョーブですよ。それより、大丈夫ですカ?」


「う、うん」


 汗を拭う光輝に、ティアは思い出した様にケータイを取り出して操作し始めた。すぐにケータイの画面を光輝に見せる。


『自信のない貴方。今日は友達にして欲しい事に付き合って貰おう! 気分転換して、明日から頑張れるかも!』


「キョーはワタシがお付き合いデス。それで元気……出ますカ?」


 返答に困る光輝。だがティアにジッと見つめられ、光輝は笑みを浮べた。


「ここに気をつけて。後は大丈夫、君なら出来るよ」


 楽譜の隅に光輝がシャーペンで丸印を書く。ティアは場所を確認し、頷いた。


「では浜崎さん、引けますか?」


「はいTeacher!」


 ティアが自分の席からピアノの席に移動する。そして他の皆が楽譜を持って立つと、ティアは指を鍵盤に翳した。先生の指揮が振られると同時に、ティアが鍵盤に指を落とす。


 引くと同時に皆が歌う。ピアノの音と皆の歌声が、教室中に響く。だがティアの耳には、ピアノの音だけしか届いていなかった。普段笑顔の絶えないティアの顔が真剣さに満ちてるが、余裕がない。


 緊張のせいかもはや楽譜もちゃんと見れてない。そんな時だった。


「ちょっとティアさん、止めてくれる?」


 先生の指示でティアが止める。注意されるのかと思ったティアだったが、先生が注意した相手は、なんと光輝だった。


「斉藤くん、音程外し過ぎよ。もっと集中して」


「すみません……」


 注意された光輝がティアを見る。ティアがその目に気付くと、楽譜の丸印を見た。もうすぐで注意された場所だった。


「コーキ――」


「浜崎さん、ごめんなさい。二番から引いてくれる?」


「は、ハイ!」


 ティアは軽く息を吸い、鍵盤に指を置いた。先ほどよりも緊張が和らいでいる。今度はちゃんと楽譜が目に入った。丸印にも気を配る事が出来、無事にピアノは引き終える事が出来た。


 短縮授業と言う事もあり、ピアノの演奏は一回だけだったので今日は終わりだ。先生もいなくなった教室で、荷物をまとめる光輝をティアが待っていた。


「……どうしたの?」


 ティアが待っていた事に光輝が気付き、振り返りながら訊く。するとティアは楽譜を握り締め、光輝に近付いた。


「さきの……わざと間違ですカ?」


「わざとじゃないよ。歌の方は音痴なんだ……苦手でさ」


 ティアは納得いかない様子だったが、それ以上何も言わなかった。ティアは荷物を持った光輝の後ろに回り、背を押した。


「行きましょ!」


「え……まだ帰りのHRホームルームが――」


「だから、教室に早くデス!」


 ティアに押されながら、光輝は音楽室を出た。


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