第4話

 翌、木曜日。

 学校が終わると、図ったかのように高円寺嗣彦から連絡が入った。

 ここから三駅行ったところにある少し栄えた街で、早速ボランティアを開始しよう、と言うのだ。駅で待ち合わせることになった。

 高円寺は相変わらずの長身で、人ごみの中にあっても十分目立った。近づくと片手を挙げて微笑む。坊主頭には玉のような汗を掻いていた。

「お待たせしました」

「いいよいいよ。それじゃあ、はじめようか。この道行く人々の中で、死の映像が見える人はいるかい」

 右から左へ、視線を流してみるが、イメージはわいてこない。今のところは特に、死期の近い人はいなそうだった。

 暑い日差しの中、高円寺と二人でじっと人ごみを眺めている。客観的に見ればひどく滑稽だろう。

 始めてから二時間近く経ったころ、ようやく、見えた。

 台所。包丁。男。血。子ども。悲鳴。

「高円寺さん」

「見えたかい」

「ええ、あそこの女性です」

 二人で駆け寄って、高円寺が呼び止めた。なんと声を掛けるのか見ていると、

「今、お急ぎですか? 占いに興味はありませんか?」

 あまりにも安直なものだった。

「すみません、急いでますので……」

「そう言わずに、僕たちは本物ですから」

 お得意の微笑を湛えながら言うが、相手は一層不審そうになった。本物であることに変わりはないが、それは占いのプロという意味ではない。複雑な気分になる。

「あの、本当に、結構ですから」

「成瀬さん、ああ、あなた、小学生のときにジャングルジムから落ちて頭縫ってますね」

「え?」

「それから、ああ、こないだ、痴漢に遭った」

「え? え?」

「今は結婚三年目ですか。息子がいますね?」

「ひっ……」

 成瀬、と呼ばれた女性は、引きつった悲鳴を上げると慌てて逃げ去った。

 高円寺はがっかりしたような表情をしたが、突然こんなに気味の悪い体験をすれば誰しも逃げるだろうとは予想できる範囲内のことだ。

「駄目だったね」

「駄目でしょうね」

「そうかあ」

「今思ったんですが、高円寺さんのその力は、そんな簡単に発動できるものなんですか?」

 元居た位置に戻ると、高円寺は煙草を吸い始めた。煙がこちらに来ないようにか、上へ吐き出している。

「まあ、あれくらいなら、すぐに読める。飛ばし読みみたいなものだから、たまに間違っちゃうけどね」

「詳細に見ることも可能なんですね?」

「うん。まあ例えば君を探したときのように、人一人の人生を追っていこうって思ったら、結構時間掛かるけどね」

「ふうん……」

「君は発動って言葉を使ったけど、基本的に、俺にとっては、他人の人生は駄々漏れなんだ。俺が情報を選択して読み取っているだけ。普段は無意識に排除しているんだね。多すぎてめまいがするから」

 似たようなことを唐草凛も言っていたような気がする。あれは人間全体に対してだったか。

 それからもしばらく、ぼんやりと人波を眺める作業が続いた。いつもならそこら中に転がっているはずの死が、探してみると見つからない。

「今日はもうやめようか、日も暮れてきたし」

 高円寺がそう声を掛けてきたとき、イメージがわいた。

「いや、あそこ、あの人、見えました」

 またしても女性だった。

 二人で駆け寄る。先程と同じように高円寺が説明を始めると、今度の女性はそもそも占いに妄信的なのか、すんなりとついてきた。

 近くの喫茶店に入って、奥まった席に座る。三人分のコーヒーを頼んで、早速、高円寺は煙草を吸い始めた。

「占いと言っても僕たちはまだまだぺーぺーでしてね。まあ、本物に変わりはないんですが。それでね、あなたについて、よくないものが見えたんですよ。なあ、浩太くん」

「ええ。近いですね。多分、三日後。K町の――」

「おっと、そこまで。ここから先を知りたければ、有料になります」

 ――なるほど。

「まあ僕たちもそこまで腐ってない。三万円でいいですよ」

 僕は何も言えないまま、やり取りを見ているしかできなかった。やがて高円寺に小突かれ、続きを話す。

 女性が帰り、三万円をにんまりとした表情で見ている高円寺をにらみつけると、彼は大仰に笑った。

「まさか本当にボランティアでやると思ってたのか? そんなにお人よしだったのか。馬鹿だなあ。俺たちは人より有能なんだ。この力があればなんだって出来る。まあ、君のはあんまりよくないけど、俺のは万人に通用するからな。使い勝手がいい。この力をどうして他人にタダで使ってやらなくちゃならない? 俺は君の経歴を読んだとき、どうして無益な人間に死を回避させるチャンスを与えているのか、理解できなかった。見殺しにすればいいじゃないか。それか、金を儲ければいい。そう思ってるうちに、これは利用できるんじゃないか、と思った。それこそ君の過去をなぞるように、ビジネスにするべきだと思った。俺たちは稼いで然るべき能力を持ってる。なあ、そうだろ?」

「うんざりです」

「何を一丁前に善い人ぶってるんだよ。そんなのただの偽善だろ。もっと素直になれよ」

 短くなった煙草から煙を吸って、それを無遠慮にこちらに吐き掛けて来る。

 僕はそれを避けながら、続ける。

「――ところで、あなたは僕が新しい能力に目覚めていることを、知っていましたか?」

「は?」

「僕もね、人の嘘が分かるんです。あなたの言う偽善のうち、救えなかったけれど、感謝してくれている人たちが、教えてくれるんですよ」

「何言ってんだ? 俺に嘘は通じないぞ?」

「あなたが僕を利用しようと近づいてきたことは分かっていました。親の話は嘘ですからね。昨日は話を聞いている最中、退屈で仕方なかったですよ、こんな下らない嘘をだらだらと続ける必要なんてないのに、ってね」

「おいおい、だから俺に嘘は――」

「おっと、経歴を読む暇があったら、死に備えたほうがいい。あなたの死が、見えましたよ」

「冗談だろ? なあ」

「さあ、どうですかね。経歴が読めると言っても、僕の見たビジョンが何かまでは分からないんでしょう? さっきわざわざ僕に説明させましたものね」

「嘘なんだろ?」

「ああ、そろそろですね。鮮明でしたから。どうします? お金払って、聞きます?」

「わかった、わかったよ、この金はやるから、早く教えてくれ」

「三万円で聞けると? 自分の命の値段が三万円で、あなたは納得できるんですか? 有能なんでしょう? ああ、まずいな、多分そろそろだ。ほら、こちらに向かってくるあの人、見えますか? あの人があなたを殺す人です」

 高円寺の視線が窓の外に向いた。そこには一直線にこちらに向かってくる人影がある。

「わ、わかった、勘弁してくれ! 何でも言うとおりにするから、頼む、助けてくれ!」

 そうこうしているうちに女が店内に入ってきた。こちらを認めると、真直ぐに歩みを進める。両手をポケットに仕舞いこんでいる。

「ひ、ひぃ」

 突然の騒ぎに、周囲の何人かの客がこちらを見た。

 女は高円寺の前に立つと、にんまりと笑った。

「ゲームオーバー」

 そのにやけた顔は、唐草凛である。

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