第3話

 唐草凛と別れた後、電車に乗り込み、家を目指した。これからまた、毎日のごとく行っているように、ニュース番組でビジョンの確認をする。

 この確認作業をするようになって、いくつかビジョンの特性について理解することが出来た。

 まず、ビジョンにはモノクロのもの、カラーのものがある。これらに関しては、割と早い段階でその差異を把握してはいた。単純に、先のこと、例えば一週間後などの映像はモノクロにて映る。逆に、カラーのもの、鮮明なものは直近に起こりうる死の映像である、ということだ。

 さらに明確に時期を把握するには、その情報量による。モノクロのものは、写真のような、断片的なシーンが移り変わっていくように感じられる。ワンシーンならば一週間後、もう少し多ければ六日後、など、ここら辺は経験と感覚によるものだが、おおよそ分かる。カラーでなおかつスムーズな動画であれば、確実に、何分、何時間、という近くの現象であることが予想される。唐草凛に関してはこうだった。

 僕はよりビジョンの正確性を高める為に、なるべく、その日に見たビジョンについてはメモを取るようにしている。ニュース、新聞、週刊誌などを眺めて、そのメモを答えあわせしていくことにより、どの程度のビジョンがどれほど先のことなのかを理解することに努めている。もちろん、僕の助言により阻止できた死も存在するので、メモにはその点の区別もつくように、三角マークを書いてある。助言をしなかったものでなおかつ一週間以内に報道関係に載らなかったものに関しては「確認できず」の意味で×印を付けている。

 毎日毎日、むさぼるようにテレビに食いついている息子(とはいえ養子だが)に対して、義理の両親は寛大な態度であった。もしかしたらそれは未知(所詮は他人なのである)に対する回避行動なのかもしれないが、要するに、あまり関わってこない。ご飯になったら呼び、シャワーを浴びるよう提案し、寝るように促す。その程度の、多分、思春期の子どもを持つ親と同程度の接し方に留まっているように、あくまでも僕は思う。

 基本的にこの能力、と言うより、この能力によって見た死は、こちらが干渉しない限り、百パーセント的中する。正確な時期や詳細が多少推測と外れることがあっても、死ぬこと自体に変わりはない。

 人は簡単に死ぬ。毎日、多くの人間が、簡単に死んでいく。それを自覚しない、予期しないことは愚かだ。

 午後六時を過ぎて、報道番組からアニメ番組に色が変わった。僕は制服から軽装に着替えると、両親に一つ断ってから外へ出る。コンビニに行くと言ったが、本当は公園で息抜きをするだけだった。

 夏の六時とあって、まだ明るい。犬の散歩をする人や、今どき珍しく素直に泥だらけになって遊んでいる子どもたちの間を縫って、隅のほうのベンチに向かう。ベンチ横の自販機でスポーツドリンクを買って、腰掛ける。

 死は平等だ、とよく言うが、その性質自体は平等ではない。無残に死ぬものも居れば、綺麗に、それこそ気づかないうちに死ぬものも居る。どちらが良い、という概念はない。死ぬことに変わりはないのだから、その内容に関して問うことは不毛だ。人は必ず死ぬが、どう死ぬかに差異はある。散歩をしているおじいさんも、遊んでいる子どもも、死ぬ。子どものほうが先の場合だってある。でも嘆く必要はない。死そのものは平等であるからだ。

 毎日見る死のビジョンによって何か得をしたかと問われれば、していないこともない、というのが一番近い表現だと僕は思う。それは決して人助けによる優越や他人の持ち得ない能力による傲慢さとか、そういったものではない。明確に、確実に死は存在するのだと、実感できたことにある。誰もが、必ず死ぬ。死は、すぐ隣にある。それが分かったことで、ずいぶん、気が楽になったと思う。母の死も、父の死も、自然の摂理だった。

 時計台のほうを見ると、すでに三十分が過ぎていた。子どもたちの数も減り、辺りは薄闇に包まれ始めていた。蝉の声ばかりが耳を突いてくる。

 人影を感じたのは、僕の目の前にその人が立ったまさにその瞬間だった。あまりにもぼんやりしていたせいか、全く気配を感じなかった。

 長身で細身の男だった。それで居て不釣合いに坊主頭をしているので、一瞬病人かとさえ思った。だがよく見てみれば、肌の色や肉付きは、そこまで悪くない。

 男はこちらをちらりと見てから、隣に座った。ベンチは他にも二つほどあったが、どちらにも人は居らず、なぜ隣に座ってきたのか、理解できなかった。

 僕は少し端のほうに寄り、スポーツドリンクで喉を潤した。男は何を喋るわけでもなく、目を瞑ったままだ。

 やがてこの不思議な沈黙に耐えかねて、家に帰ろうと思ったとき、立ち上がった僕の腕を、男が取った。

 不意に掛かった力にバランスを崩しながらも、僕は男のほうを振り返り、なるべく好戦的な口調で問う。

「なんですか」

 男はそれでも返事をしなかった。

「あの、痛いんですけど」

「ああ、悪いね」

 手を離すと、男はにこりと笑った。瞬間、その不適さに背筋が寒くなる。

 僕は何も言わず、また歩み始めようとした。

「ねえ、一ノ瀬浩太くん」

 思わず、立ち止まる。

「なぜ名前を?」

 男は笑うだけで、何も言わなかった。

「誰ですか?」

「俺は佐々木雄介だよ」

 今度こそ、言葉が出なかった。

 それは、ずっと前に捨てた、僕の一番初めの名前だった。両親が亡くなって捨てたものだ。ありきたりなものには違いないが、とても偶然とは思えなかった。

 番組をやっていたときにはすでに佐々木の姓ではなかった。なのに、なぜ。

「こう言ったら、君は笑うかな。俺もね、君と似たようなものなんだ」動けないで居る僕をあざ笑うように、緩慢な動作で微笑んだ。「いいから座りなよ」

 何も言えないまま、僕は男の指示に従う。

「驚かせてしまったね。そりゃあ、もうずっと呼ばれてなかった、誰も知らないはずの名前を呼ばれたら、びっくりもするよね。時の人になった時期でさえ違う名前だったのに、何で見ず知らずの俺が知っているのか、分からないだろうね。でも、そんなに驚く必要は、君ならないんじゃないかな。君がその異能を持っているように、俺も異能を持ってる。もちろん、人の死がどうこう、なんて不健全なものじゃないけどね」

「何を言っているのか、分かりませんが」

「俺の前で嘘は無意味だよ。ネットで調べて付け焼刃の知識をひけらかしているんじゃないからね」

 しばらく沈黙が続いた。

「あの、失礼ですけど――」

「まだちゃんと名乗っていなかったね。当然偽名だけど、佐々木を名乗ったのは少々悪戯が過ぎたかな、ごめんごめん。俺は高円寺嗣彦。大層な名前の割りにちゃらちゃらした男だよ、よろしく」

「そうじゃなくて、帰りたいんですけど」

「ああ、帰りたいのか。それは気付かなかった」あからさまな嘘である。「でも俺がこれからする話は、君にとってもそんなに悪い話じゃないと思う」

「どういうことですか」

「慈善事業さ。ボランティア。人々を救おうって話だ」

 高円寺は大仰に笑って見せた。それがいかにもうそ臭くて、嫌悪感を覚える。

「意味が分かりませんが」

「俺の能力と、君の能力を掛け合わせれば、人が救えるって話だよ」

「結構です」

「おいおい、勘弁してくれよ。俺は君を求めて遠路はるばるやってきたんだぜ、もう少し話くらい聞いていけよ」

「失礼します」

「ちょっと待てって。俺の母親、君の番組に出て、八日後に死んだんだぜ。少しでも罪悪感があるなら、話くらい聞いてくれよ」

「なんですか、復讐の話ですか?」

「違うって。親に関してはもうどうだっていいんだ。むしろ親のおかげで君の存在を知れたしね。君が番組をやってたのはもう十年も前だから、俺もあんまり記憶に残ってなかったんだ。でも親戚のおばちゃんがその当時のことをよく聞かせてくれてね。君を見つけられた」

「訳が分かりません」

「分からなくてもいい。俺には全て分かってるからね」

「話になりません」

「君は聞くだけでいいんだよ。簡単な話だから」

 有無を言わさぬ物言いである。

 僕は仕方なく彼のほうへ顔を向けて、話を聞く体制を整えた。

「物分りがよくて良いね」

「早く済ませてください」

「じゃあ率直に聞こうか。君、その能力を持て余してないか?」

「持て余す?」

「そう。君には他人の死の映像が見える。だけどそれをいくら伝えようとしても気味悪がられたり、信じてもらえなかったりする。そうだろ? だから婉曲に、遠まわしに伝えようとしてみるが、うまくいかなくて相手が死んでしまうことも間々ある」

「まあ、それは……」

「俺はそれを改善させてあげられる。――もったいぶっても仕方ないな、俺の異能について話そう。俺はね、人の経歴、過去が見える。いや、読めると言ったほうが良いかな」

「過去が読める?」

「そう。年表みたいな感じでね。望んだ相手の過去が見えるんだよ。程度も調節できる」

「望んだ相手のを見れて、なおかつ程度も調節できる? そんな」

「そんな馬鹿なって思うだろ? でも俺にとってこれは生まれたときから持っていたものだ。当たり前に人の過去をほじくっていたし、それを皆出来るんだと思っていた。相当うす気味悪がられたね」

「――つまり、僕の名前も、居場所も、見たって言うんですか?」

「そう。すごく便利だからな、映像でも写真でも、相手の顔が見れるものなら何でもいい、それを通してその人の経歴が読める。それで君を探し当てた」

 昨日から、どうしてこう厄介な人間に絡まれる。

 唐草凛だけでも、正直に言えば許容範囲外の人間だった。何より、自分以外の人間が人間ならざる能力(唐草凛に言わせればこれらは本来誰しもが持っているものだと言うが)を持っていること自体、想定外だった。

 それがいきなり、二人も現れて、頭はパンク寸前だ。

「君が自分の異能についてどう思っているかも、おおよそだけど読めたよ。でも、俺は自分のこの能力が嫌いじゃない。昔はさ、好きな子の人生を追認、追体験したりしてたよ。変態だと思うかな。でも俺は、人間誰しも、他人のことを深く知りたいと考えるのは当然のことだろうと思うね。俺は当たり前に出来ていたからそんなことで不安や焦燥を覚えることはなかったけど。むしろ残念に思うことのほうが多かったな。他人の人生なんて、見たいと思うまでに留めるべきだ。見てしまったら、それこそ身も蓋もない。大好きだった子が家ではひどい虐待にあっていた。清純を気取った女が、援助交際で金を稼いでいた。街に溢れる人の中には、人殺しの過去を持つものもいる。そんな雑多な情報は、生きていくうえで支障にしかならない。そう思ってたよ。でも俺はこれを転換させる方法を見つけた。それが君だ」

「よくわかりませんが」

「想像力がないな。それとも思考の放棄かな。まあいいや。つまり、占い師ってことだよ」

 言わんとするところが全く伝わってこない。

 首を傾げていると、残念そうな表情で高円寺が続けた。

「つまりね、人の過去が読める俺と、人の死を予期できる君が掛け合わされば、人の死を食い止めることが出来るってことさ」

「それがどうして、占い師に?」

「占い師ってさ、あらかじめ事前にその人のことを調査しておいたりするんだよ。過去のことを的確に言い当てれば、未来の予想も真実だと思わせることが出来る。こう言えばもう分かるだろ?」

「つまり僕が人の死を見て、その人の過去をあなたが読むんですね?」

「そう、それで俺が過去を的確に当てた後、君が死の予言をする。こうすれば君の予言はえらく信憑性を増すだろ? 信じてもらえる」

「なるほど、言いたいことはわかりました」

「手伝ってくれるか? とは聞かない。君が今までに見逃した死に対して罪悪感を覚えているのなら、やろう」

 肯定も否定もしないうちに、高円寺は連絡先を書いたメモを僕に押し付けて、去っていった。

 僕は一人残された公園で携帯電話を取り出し、番号を呼び出すと通話を始める。

「もしもし、凛さん? ちょっと調べてもらいたいことがある」

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