第2話

「それで、その子は誰なの? 見た感じ、うちの高校の子ではなさそうだけど、なに、お前ナンパするために飛び出して行ったの?」

 少女を連れてマクドナルドに戻ると、怪訝な表情のまま笹倉が言った。僕はとにかく彼女と落ち着いて話をしたかった。

 荷物のために仕方なくここに戻ってきたが、すっかり忘れていた、はっきり言ってどうにもこの男は邪魔だ。

「悪いんだけど、やっぱり今日は帰るよ」

 そう言い、少女を促そうとすると、彼女はもの欲しそうな目でポテトに視線をやっていた。呆れて、座りなおす。

 笹倉は彼女について矢継ぎ早に質問を繰り出してきたが、大抵のことは僕にも分からなかった。彼女をつれてきた理由について、ビジョンについても説明しなければ何も理解されそうにないが、まずビジョンについてを理解してくれそうな気配もない。はぐらかし、繰り返され、それをまた避ける、という会話を続けているうちに、少女はポテトを平らげてしまった。

「おなかすいてたの?」

 笹倉は好奇の目で少女を見ている。少女は笹倉のほうをじっと見つめた。

「いや、それもありますけど、なんか、こういうところ、めったにこないもので」

「ああ、なるほど。お嬢様っぽい感じだしね」

「いや、お金がなくてですね……」

 のんびりした会話に辟易としてしまう。ため息が漏れるのを止めることもできない。

 笹倉とこの少女のペースに飲まれつつある。

「ごめん、悪いけどやっぱり帰るよ。君、付いてきて」

「あ、ちょっと」

 引き止める笹倉の言葉を無視して店外へ抜ける。少女は黙って後ろについてきていた。

 近場に小さな公園があったので、そこのベンチに腰掛けて、彼女にも座るよう手で示した。おとなしくそれに従い、多少の空間を置いて隣に腰掛けた少女は、ばつの悪そうな顔でこちらの様子を窺っていた。

「あの」

「なに?」

「笑うなと言ったのは私ですけど、そう真剣に取られてもなかなか困るものでして」

「困る? 困るの?」

「いや、困ると言うかなんと言うか、うーん」

 しばらく唸り声が続く。

「僕はね」

 煮え切らない態度にこちらから言葉を出すと、彼女は突然のことに置いてけぼりを食ったような顔になった。

「僕は、人の死の瞬間が見える。そう言ったら笑うかい?」

「人の、死?」

「そう、死の瞬間だ。断片的な静止画のときもあるし、鮮明な映像のときもある。信じる?」

 少女は目をぱちくりとやる。

「ちょっと待ってください……」それから目を瞑って、しばらく黙った。「ああ、信じるも何も本当のことじゃないですか。聞こえます。あなたに助言を貰ったけど死んでしまった人の声」

 背筋が薄ら寒くなった。

 今朝もそうだったように、基本的に僕の言葉を信じる人は少ない。と言うよりも、いきなり「○○には気をつけて」などとぶっきらぼうに言われたところで、不審に思うのが関の山だ。学校から帰り、ニュースを眺め続けていれば、忠告をした人の死を知ることも少なくない。誰も、他人の言葉に信用を置いたりしないものだ。

 だがそうした、僕にとってはその場限りの相手から、死して尚、言葉を貰ったのは、当然だが初めてのことだった。正直に言えば、どう思われているのかを聞かされるのではないかと、気が気ではなかった。

「申し訳ない、と言っています」

 心を読まれたのかと思った。

「信用していれば助かったのに、って」

「いや……。信用しなくても無理からぬことだよ、と言うか、信用するほうがどうかしてる。すれ違っただけの人だし……」

「あ、そうか」突然少女は目を開き、大きな声で言う。「それで私を助けることが出来たんですね?」

「ああ、まあ……」

「どうも失礼をお掛けして申し訳ありませんでした」

「あの時、君は声がって言ってたけど、一体どんな声を聞いたんだ? 何がどうなって踏切に突っ込んでいったんだ」

「ああ、それは、この人、あ、今あなたの話を聞いたのもそのとき話していたのも同じ人なんですけど、この人がですね、呼んだんです。こっち、こっちって」

「それでふらっと踏切内に? 信じがたいな」

「ふらっと、と言うか、私、声を聞いているときって、半ば朦朧としてまして。あんまりわかんないんです。自制が利くときもありますけど、毎回毎回強く居られるわけでもないもので」

「なんだかよく分からないけど、君がそう言うんだからそういうことなんだね」

「ええ」にっこりと笑う。「ところで恩人さん、あなたのお名前は?」

 そこで名乗りもしていなかったことを思い出した。

「一ノ瀬。一ノ瀬浩太」

「一ノ瀬さん、良い名前ですね。私は唐草凛、と申します。どうぞよろしくお願いします」

「凛さんね。よろしく」

「一ノ瀬さんは、その現象、いつから体験なさってるんですか?」

「いつから――」

 脳内に、母の死、父の死、そして本来ならば関わるはずもなかった多くの人間の死の映像が流れ始めた。断片と断片が、モノクロとカラーがない交ぜになった不気味な瞬間を体験する。

 男が母を。車が父を。病が。いじめが。悪意が。時には善意が、人を殺していく。

 その死体の山頂に、自分が立っている。

「大丈夫ですか?」

 俯いていたらしい。頭上から声がかかった。

「あ、ああ。大丈夫。最初は、三歳のときだった」

 そこから簡単に遍歴を説明した。もちろん、それによってテレビに出たなどは伏せたままにしておいた。あんなどうしようもない過去を他人にべらべらと喋れるほど、僕はまだ安定していない。

「僕には他人の目はないから、僕がそのイメージを見ている間、周りの人にはどう見えているのか、分からない。僕以外の全てが止まって、ゆっくり鑑賞しているような気分でもあるし、瞬間的に理解しているような気もする。単純に想像しているだけのように自然にわいて出ているような、そんな気もする。分からないけど……。凛さんは? いつからそういう経験を?」

「私の場合、最初から死者の声が聞こえていたわけではありません。自分で昇華させて、その結果そういうことが可能になった、ということなので、明確にいつから、と言われると、分かりません」

「昇華させた? どういうこと?」

「笑わないでくださいね? 私、昔から感受性が強かったんです。と言っても、一般的に言われるレベルをはるかに超えていますけど。他人の感情が発露するのを、キャッチできる、と言いますか。私にとって、どんなにポーカーフェイスの人を前にしようとも、内心、どんな感情を抱いているのか、丸分かりなんです」

「ちょっと待って、付いていけない」

「付いてこようとしないでください。理解しようとするんではなく、受け入れれば良いんです。一ノ瀬さんがどう考え、どう噛み砕こうと努力しても、これは事実なので、あまり意味がないんです。私の言葉を、そのまま飲み込んでください」

「はあ……」

「怒り、悲しみ、喜び。そんな単純なものから、次第に思惑すら読めるようになりました。ところで一ノ瀬さんは、死者、幽霊ってどんなものだと思いますか?」

「どんなものって言われても、信じてないんだ」

「でも、居ますよ?」微笑まれる。「何でも良いです」

「そりゃあ、うーん、プラズマとか……」

「古いですね」

「うーん」

「幽霊って言うのは、感情の塊です。精神、と言ってもいい。肉体を持っていないだけで、生きている私たちと大差ありません。ただし肉体、殻がない分、感情は駄々漏れなんです。とは言っても、すでに亡くなっている人の感情ですから交信するのはなかなか難しくてですね、最初は向こうからコンタクトを取ってくれたのでよかったのですけど、うーん、ここまでレベルアップするのにかなりの時間がかかってしまって不服ですね……。ともかく、そんなわけです」

 ともかく、と言われても、正直全く話は分からなかった。なおかつ、それを受け入れるなど、到底無理な話だ。

 辺りが暗くなり始め、唐草凛は帰ると言い出した。僕は有無を言わさず連絡先を交換し、必ず連絡すると告げて彼女を見送った。

 一人になった僕はまた、電車で人ごみにもまれ、家に帰っていく。

 どこか遠くから、わずかに視線を感じながら。

 それは、今まで僕が救えなかった魂なのかもしれない。

 

 翌日、水曜日。

 放課後になって唐草凛を呼び出すと、彼女は最初ひどく渋った。電波の入りが悪いのか、彼女の持つ特殊な体質によりそうなっているのか、雑音まみれの電話口でうんともすんとも言い切らなかった。

 こちらも、無理に誘うつもりはそうなかったが、昨日の話は続けたかった。まだまだ分からないところが多すぎて、彼女の持つ体質と、僕の見ているビジョンとが似たような現象なのかどうか、それから、利用する価値のあるものかどうかを判断したかった。

 煮え切らない態度なので、半ば投げやりにご飯を奢ると言うと、二つ返事で了承された。現金な若者である。

 待ち合わせは僕の学校の最寄り駅(これが彼女の実家の最寄り駅に当たる)になった。駅から出てきた彼女は昨日よりも表情が明るかった。

 白のワイシャツに紺色のスカート。髪は重めのボブと、はっきり言って地味な見た目だった。化粧も薄いのだろう、眉やまつげに手を入れている様子はほとんどない。流行のカラコンもしていないのは、好感を持てた。

 並んで歩きながら、ファミリーレストランへ向かう。周囲から見ればこれは男女交際に見えるのだろうが、実際はかなり屈折した関係であろう。命を救った人間と、救われた人間。これは僕の立場から言った場合の相関図だが、彼女からしても、昨日の態度を思い起こせば似たようなものかもしれない。

 少々、従順すぎると言うか、素直すぎると言うか、損をする性格だろうなと思う。

 ファミリーレストランに入って、学生や主婦たちの座るテーブルを抜け、奥まったところを選んで座った。早速メニューに食いついている唐草凛に対し、お金はあまりないと告げると、多少、がっかりしたように見えた。

「遠慮はしませんが、考慮はしておきますね」

「ああ、うん。よろしく頼むよ」

 僕は何かを食べるつもりはなかったので、ドリンクバーだけと決めていたが、唐草凛のほうはパスタやハンバーグの写真としばらくにらめっこをしていた。

 結局彼女はイタリアンハンバーグを頼んだ。

 飲み物を取ってきて、改めて対面すると、椅子に腰掛けた彼女はひどく小さく見えた。

「凛さんは、何年生なの? どこの高校?」

「U大学付属の女子高です。一年生」

 ここいらでは偏差値の高いところとして有名な場所だ。無駄な劣等感を抱く。

「へえ。僕はすぐそこのN校だよ」

「だと思いました」

「U大付属って、頭良いよね」

 皮肉めいた口調になってしまう。

「頭が良いというより、要領が良いんです。学生の頭の良さなんて、要はいかに要点を抑えてテストで良い点を取るかというそれだけです。しっかり授業を聞いて、把握し、テストの問題を予測できるか、という点。もしくは、頭の良い友達を味方につければいいだけの話ですよ。勉強が出来るのと頭が良いのとは別問題ですからね」

「そういうところが、多分、頭が良いというんだろうね」

「私は頭が良いわけじゃないです。こう言ってはなんですが……、答えを教えてくれる優しい幽霊も居るんです」

 照れ笑いのような表情を見せてくるが、無邪気には思えない、むしろ邪気の塊にさえ感じられる不敵さを持っていた。

「良い能力だね」

「能力なんて言うと仰々しいですけどね。ただ、聞こえる、というだけの話です。一ノ瀬さんも同じでしょう? 希望するしないを問わず、見えてしまう」

「まあ、そうだね」

「私思うんですけど、きっと皆どこかしらで、見たり聞いたりしてるんですよ。この世ならざるものと言うのか、不思議なものを。それでも人間が人間として生きていくには、これは不要なものですから、シャットアウトしている。私たちはその蓋をする機能が少々劣化しているんです。だから時折感じてしまう。そうでも思わないと、なかなか、生きにくい世の中ですよ」

 笑いながら言う。この子の笑顔はどこか闇と同居しているように思える。

「君、学校ではどうしてるの?」

「聞こえたときですか?」

「そう。不意に聞こえるんだろ?」

「ええ、幽霊はそこかしこに居ますから。場所も時間もお構いなしです。それで私、やっぱり頭が良いわけではないので、答えてしまうんですね。おかげさまですっかり変人扱いされてます。友達も居ません」

「そうか……」哀れに見える。「そういえば感情がどうこう言ってたね。例えば僕が今どんな心情かもわかるの?」

「いや、もう分かりません。死者のほうに耳を傾けたせいか、生きている人の内心は不明瞭になってしまったんです。ピントが合わないんです。まあ代わりに、死者に関してはこちらから呼び出すこともできるくらいになりましたが」そう言って、一口水を飲んだ。「一ノ瀬さんは? どうしてるんですか?」

 唐草凛がそう尋ねてきたとき、彼女の注文した料理が届いた。表情は華やぎ、笑顔は鮮明になった。

「食べて良いですか?」

「どうぞどうぞ」

「いただきます」

 ナイフとフォークを使って、丁寧に切り分けていくが、猫舌なのか、なかなか手をつけはしなかった。

「僕も学校で、ビジョンが見えるときがある。クラスメイトだったり教師なんかが死ぬ瞬間を先読みしてしまう。凛さんの言ったとおり、望む望まないは問わず、流れ込んでくるものだからね」

「どうしてるんです?」

「一応、基本的には伝えるようにしている。もちろん、直接的に、君はどこどこでどうやって死ぬから気をつけて、なんて言わないけどね。何々には気をつけたほうが良いかもとか、どこどこは行かないほうが良いかもって言う。それでもやっぱり、気味悪がられるけどね」

「友達はいらっしゃるんですか?」

「居るには居るよ。でも、彼らもやっぱり一線を引いた向こうから声を掛けているに過ぎない」笹倉の顔が浮かんだ。「結局、二人三脚みたいに寄り添ってくれるわけじゃない。君の言うように、僕も多分、変人扱いされているんだよ」

 そう。そうに決まってる。

 テレビに出ているときによく思っていた。たとえビジョンが見え、それを伝えたところで、客も、ゲストも、皆、ただ気味悪そうにこちらを見るだけなのだ。その後それを回避できたとしても、お礼が届いたことはない。死ななければ、それが事実であったかも分からないからだ。僕の見ているビジョンが真実である、起こりうる事態であると理解できるのは、僕か、あるいは眼前の少女のように死の間際で救われたものに限られる。後の人間はただただこちらばかりが変だと思い込んでいる。

 唐草凛の言うように、根本的に人間にはこのような不思議な力が備わっていて、常人はそれに蓋をしてしまっていると考えるならば、明らかに、間違っているのは僕たち以外の人間のほうである。

「でも、上っ面でも友達が居るのは良いことですね」ハンバーグを一切れ食べてから、俯いたまま、ぼそりとそう言った。「私には居ませんから」

「居ても居なくても変わらないよ。何もね。理解もされないし、拒絶もされない。こんな中途半端な立場も、正直居心地が悪いだけだよ」

「私なら、理解してあげられますか? 一ノ瀬さんのこと」

 上目遣いに放られた台詞に、思わず言葉が出なかった。

「私も似たような人間ですから、きっと分かると思うんです。現象は異なりますけど、本質は似たようなものだと思いますし……。何よりあなたは私の命の恩人です。友人なんておこがましいですけど、こう、なんと言いますか……、これからも時折会っていただけると嬉しいんです。私も、私みたいな人に会ったのは初めてですから……。あ、もちろん毎回奢っていただくなんて考えてませんからね?」

 慌てたように何か言い続けていたが、その慌てっぷりが面白かった。

「笑わないでください」

 情けない声が、また、可笑しい。

「分かった。分かったよ。笑わない。よし、僕と君は、これから友達だ。そうしよう」

 唐草凛が満面に笑みを湛える。

「本当ですか? やった、ありがとうございます」

「うん、改めてよろしく」

 内心僕は、この女を利用できるかもしれない、と思っていたが、今の彼女には、そんなことを読み取れはしない。

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