ISM
砂部岩延
Overture
ステージは光の中にあった。
ドラムセットはスポットとホリゾンの光を受けて、眩しいばかりに輝いている。
ワックスに光る木目の床を縦横無尽に這い回るシールドはまるで蛇のようだ。
でんと鎮座ましますアンプたちの中央に、鈍く光るマイクスタンドが誇らしげに真っ直ぐ立っている。
ステージに向い合う暗がりの中では、沢山の観客たちがひしめき合っていた。
そのざわめく声は大きなうねりとなって、始まりの時を待ちわびている。
いつのまにか、呼吸が浅くなっていた。
胸に手をあてる。
邪魔な二つの膨らみの上からでも、大きく脈打っているのが分かった。
長く、深く、息を吸った。
それから、ゆっくりと吐き出した。
呼吸は戻った。
しかし、鼓動はまだ胸の奥底でくすぶり、焦れている。
「カナちゃんでも緊張するんだね。安心した」
すぐ近くで透明な声が鳴った。
埃っぽい舞台袖の、暗がりのすぐそばに人影が立っていた。
眼が暗闇になじまず、輪郭くらいしか見分けられない。
黒い切り絵のような姿が小首を傾げる。
切りそろえた髪が肩の辺りで小さく揺れている。
「その呼び方はやめて下さい」
少し悩んで、結局、そんな捻りのない言葉しか出てこなかった。
「いつもの口の悪さも、無いとかえって不安になるものね」
別の声が、澄んだソプラノの音で言った。
頭の両脇から生えた二つの長い影を、落ち着きなくゆらゆらと揺らしていた。
「やっぱり編み込めば良かったかしら」
細い腕が二つの房を煩わしげに払う。
「いえ、今のほうが良いですよ。絶対」
揺れていた影がピタリと止まる。
「……そう思う?」
と、細い腕が心なしか二つの束を優しく撫でつけた。
「いかにも高慢ちきなお嬢様っぽくて」
言い終わる前に、鞭のようにしなる二つの房で顔を叩かれた。
「こんな時までイチャイチャしてんなよ」
「うっとうしい」
背の高い人影がセロの声で言い、隣の小柄な影が鈴の音でそれに同意した。
「そう言うお二人は、相変わらず息ぴったりで」
いかにも羨ましい、といった声色で返すと、
「ざっけんなよ」
「ヘソ噛んで死ね」
剣呑な声がぴったりそろって返ってきた。
次の瞬間には凸凹ふたつの人影が、頭突きでもするようにアーチを描いた。
「お待たせしました。準備オッケーです」
ステージの側から声がかかった。
空気が変わる。
暗がりの中で、全員の視線がひとつに重なった。
「行こっか」
透明な声が、静かに告げた。
各々が、足元から楽器を取り上げて、歩み出した。
光の中へ。
始まりの一歩を、踏み出した。
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