第18話

 少し遠くから響く爆発音と共に振動が足元を揺らす。

 ライナは無事だろうか。わずかに向けた視線が捉えるのは滑り上がることで流れて行く階段だけだ。


 階段を上りきり、俺は部屋に辿り着いた。

 春奈は変わらず結晶化していた。もしもこのまま時が流れて誰も知る者がいなくなったら美術品として誰かが手にするかもしれない。そう思わせる美しさがある。

 空間を焼却して出来たという水晶は灯りを反射し、輝き、その中には長い黒髪を広げた春奈がいる。閉じた目にあるまつ毛も瑞々しい。


「春奈」

 名を呼んだ。

「祖父さんに会ったよ。俺には相変わらず必要なことしか言わない爺だった」

 春奈の名を出した時、枕詞に愛弟子と付けていた。それは余分な言葉だ。それだけで祖父さんが俺と春奈に対する扱いを変えていたことがわかる。


「まあそれはいいんだ。春奈を頼れってさ。ライナもお前の力が必要だってよ」

 結晶の中の春奈は答えない。空間が焼却されたということは音も何も届かないのだろう。

「魔王は異界人が友達を苛んでいるから異界人を滅ぼすんだと。お前は何か知ってるか?」

 俺にはわからないことが多過ぎた。知らないことが多過ぎるからなのか、俺が無能だからなのかはわからない。


「今、ライナと複製人間たちが魔王と戦ってる。ライナたちが勝ったら魔王の友達はどうなるんだろうな?」

 別に俺はその友達と会ったことがないから可哀想。その一言で済ませることが出来るだろう。でも魔王はどう思うだろう、そしてその友達はどう思うだろう。友達は感情も奪われたと言っていた。だから魔王が敗北した時、無念に思うのは魔王だけか。


「魔王が勝ったら異界人は滅ぼすってさ」

 異界人が滅びた世界はどんな世界だろうか。純血のメリル人の数は今やかなり少ない。御先祖たちがメリルに来てから混血化が進み、純血の異界人もメリル人も少数派になったと聞いている。

「そう言えば異界人が滅んだら魔王の友達は元に戻れるって保障があるのか?」

 決して答えない結晶に向かって独白し続ける。


 振動が、少しずつ収まって来た。決着がそろそろつくのかもしれない。

 俺は結晶に手を触れると少しだけひんやりとした。叩くと固い。

 錬気で殴った所で傷一つ付かなかった。

「振!」

 祖父さんから教わった俺が唯一使える技がこれだ。


 俺の錬気が結晶内に伝わるかどうかはわからない。何せ空間が断絶されているのだ。繋がりのない物に物が伝わるかどうか何て俺にはわからない。だけど俺に出来ることはこの技一つしかない。

 そして、これが正解だったようだ。俺の錬気は結晶内を巡り、春奈が目を開いた。

 赤い右眼と俺の目とが合い、周囲の結晶が融けていく。


「勇ちゃん?」

 瞬きを繰り返す春奈を、俺は抱きしめた。すぐに花に似た香りが鼻へと届く。

「下でライナと複製人間が魔王と戦ってる」

 複製人間と口にした瞬間、俺の腕の中で、春奈の身体が強張った。

「話さない理由があったんだろ? 別に気にしてない」

 そう告げると、春奈の身体は柔らかさを取り戻した。


「ごめんね、勇ちゃん」

「いいって」

「行こうか、魔王さまを止めないと」

 春奈を解放し、一歩距離を取る。春奈の赤い眼と黒い眼を見つめていると、首を傾げた。


「魔王を殺すのか?」

「……一心さまはそうするように言ってたよ」

 春奈は目を伏せ、俺から顔を背けた。

「祖父さんたちは何をしたんだ?」

 ここから始めないといけないと思った。ライナがいい奴だと思ってる魔王、それからあれだけの力を持っている魔王の取っている行動が、俺にはよくわからないからだ。


「少し長くなるよ?」

「じゃあまずは」

 魔王とライナたちの戦いを止めるところからか。足元へと視線を向けると、春奈が一歩下がるよう言った。


 春奈が七色の錬気と共に床を打つと、轟音と共に穴が生まれる。

 二人が余裕で通れるほどの広さの穴を覗き込むと、遥か先でちかちかと光が見えた。

「行こう」

 春奈が俺を抱き寄せ、二人穴へと落ちていく。落下速度はぐんぐん上がり、出口はみるみる近づき、そして俺たちは佐伯の研究室へと降り立った。


「来たか、娘」

 魔王はその手を複製人間の首にめり込ませていた。いったいどれほどの返り血を浴びたのか、その身体は血に塗れていない箇所を探すのが困難なほどだった。真赤に染まった全身に、青い瞳が浮かんでいると言って良かった。


「春奈か」

 研究室の床に、ライナが座り込んでいる。どうやら間に合ったようだ。

 複製人間たちの姿はもうそこにはない。


「灼眼の右眼の持ち主、なの?」

 童女が壁に寄りかかり、半眼を向けている。


 全ての視線を一身に受けた春奈は七色の錬気を練って見せた。

 それは全ての色が均等で、それぞれが魔王の生み出した物よりも濃い色をしている。

 童女が息を飲んだ。そして、即座に氷で身体を覆う。気温が目に見えて下がっていく。


「灼眼、コレとやるつもりなの?」

 童女の言葉を受け、魔王は片頬を吊り上げる。そして青い瞳を童女へと向けた。

「らしくないの、怖じ気付いたか。何、小僧に手出しせねばお主が相手取る必要はないじゃろう」

「無謀は無知なの」

「落涙、お主は下に見るなと言うが、お主こそ我を下に見るでないぞ? 我は負けぬよ」

 七色の火の粉が爆ぜ、童女が押し黙る。


「一心共は、変わらぬな。つい先ほどまで人間爆弾が枚挙にいとまがないほど来おったわ」

「その割に、封印術を受けた形跡がありませんね」

 春奈の左右色の異なる目が魔王の頭の天辺から足先まで送られた。


「同じ轍は踏まん。じゃが、お主を相手取るには些か不利じゃな」

 そう言って魔王は自分と春奈の身体を見比べた。

「勝てぬじゃろう」

「はい。もしも今争えば私が負ける道理はありません」

 そう言って、春奈は俺を見た。俺の好きにしていいということだ。


「なあ魔王、俺は話がしたい。もしかしたらお前の友達を返してやることだって出来るかもしれない」

 魔王が小さく顎を上げた。続きを話せということだろう。

「春奈は祖父さんの知識を全部継いでる。そして祖父さんよりもよっぽど力がある。そうだろ? じゃなきゃお前がそこまで警戒する理由がない。だから祖父さんがやらかしたことを春奈なら取り返すことが出来る。俺はそう思ってる」

 どうだろうか。俺はそう魔王の目を見た。そこには目を伏せ、思案する魔王の姿が映っている。


「お主は、科学を知っておるかの?」

「元より一心さまの一族の技術である錬金術は科学と錬気の融合技術です。もっとも錬気と申しましてもメリルの物ではなく異界の物ですが」

「……佐伯とやらの科学と一心のとでは偉く違いがあるようじゃが?」

「一心さまのご先祖様と佐伯さまは異なる異界からやって来ておりますので。純然たる科学力においては佐伯さまに軍配が上がりましょう。ですが錬気に関連した科学であれば私たちのほうが遥かに歩みを進めております。具体的には佐伯さまに複製人間は作れても封印術を練り込んだ改造人間は作れません」

 魔王は、顎を手で覆うと、視線を下に向けた。


「メリル神を封じておるのはどちらの技術じゃ」

「…………錬金術です」

 春奈は、苦虫を噛み潰したような顔を浮かべた。しかしここで嘘は吐けない。

「そうか。ならば小僧の言うメリル神を返すという話に信憑性もあろう」

「なら」

 光明を見出した。


「じゃが、それで全て合点が行った。この力、そして娘のその力、メリル神の物か。お主の肉体にメリル神の半身がある、そうじゃな?」

「ご明察の通りです」

「ならば如何にしてメリルを解放するという?」

「聖域国にメリル神の半身があります。その御身の前で私が半身をお返しします」

 魔王が足先で床を叩く。その短い音が、幾度か繰り返された。


「なるほど、それでメリル神が蘇るか」

「はい、ほぼ確実です」

「では、断ろう」

 耳を疑った。断る、そう魔王は口にした。その理由が全くわからない。


「何で……?」

「我も残念じゃよ、小僧。まさか錬金術がその程度しか出来ぬとはの。それでは具合が悪い」

「何でだよ、説明、してくれよ」

 魔王は春奈を一瞥し、その言葉を待つように黙った。しかし春奈が口を開くことはない。俺が春奈を見ても、春奈は首を振るばかりだ。


「娘も知らぬようじゃの、つまりは一心も知らぬことか。よい、では話そう。百五十年程前深淵がメリル人共を戯れで狩っておった時世じゃ。メリル人はメリル神に助けを乞うた。あのような雑魚、メリル神であれば神罰一つで消し炭に出来たじゃろう。しかしメリル神は己に観測者であれと誓いを立てておった。じゃから直接手を出すことはしなかった。代わりに知恵を与えた。その知恵を用いメリル人は異界人を呼び寄せる錬気を編み出した」

 魔王の静かな声の下、自分の身動ぎする音がやけに耳に残る。


「異界人共は皆それまでのメリルにはない力や知識を持っていた。それがメリル神の誤算じゃった。彼奴らはその能力を持ってメリルを深淵以上の規模で荒廃させていったのじゃ。メリルを救うため、メリル神は誓いを破り、彼奴らの前に姿を見せた。そして、そこで神殺しに遭った」

「神殺し?」

「我が今名付けた現象じゃ。神の意思を殺すことじゃ。心優しかったメリル神の心は死に、全てを破壊しようとするだけの化身となった。もしも錬金術が心を取り戻せるのなら、我は協力してもよかった。じゃが、娘の話によるとどうやら再び破壊神と化したメリル神を蘇らせるだけとなりそうなのでな、我は協力することは出来ぬ。我が導き出した答えは異界人を全て滅ぼす。それでメリル神を鎮める。それが我の目的じゃ」

 まだ、魔王の理屈には不可解な点がある。


「異界人を滅ぼすことがどうしてメリル神を鎮めることに繋がるんだ」

「異界人の存在がメリル神の行動に繋がっておるからじゃ。生前あやつは我に言うた。愛するメリルを荒廃させる異界人が許せぬ、そう泣いていた。あの心優しきあやつが許せぬと、じゃ。その感情を覚える自分を責め、メリル人に知恵を授けたことを後悔し、泣いた」

 魔王の灼眼が、蒼く変わった。


「許さぬよ。話し合いに向かったメリル神を卑劣にも罠に嵌め、心奪い、力も奪った異界人を、我は許さぬ」

 春奈が七色の錬気と共に女神の聖剣を向けた。

「勇ちゃん」

 もう無理だと、春奈の顔が物語り、魔王の周囲に浮かぶ七色の火の粉が一際大きく爆ぜた。


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