第16話
長い階段だった。螺旋階段となっていた百段ほどを下り、それでもまだ終わらない。ただ冷たい空気が奥から漂ってくる。氷で覆われているといっても信じられただろう。
背後から身震いする気配を感じた。振り返ると、ライナが錬気で鎧を生み出していた。
「寒すぎだろ。勇人はそんな恰好で寒くないのか?」
言われて自分の姿を見下ろす。かなり軽装だ。氷の張っている空間と感じもする。だけど寒さに震えることはなかった。
「なんとかな」
「そういや昔からお前は寒さ暑さに強かったもんな」
もちろんそんな問題で済むような気温ではない。だけど俺はそれでも震えなかった。
そんな雑談を交わしていると、一際強い寒波と共に破壊音が轟いた。階段は揺れ、足を滑らせそうになるほどの振動が遅れて到達し、俺たちは顔を見合わせた。
そこから先は錬気を用いて階段を滑る。歩くよりもよっぽど速いその移動で、俺たちは階段の終わりにみるみる近づいて行く。そしてそれに応じて気温が加速度的に下がって行った。
「寒い寒い寒い、どういうことだよ」
ライナがそう漏らすのも無理はないだろう。吐く息は白く、俺の服に染みていたのだろう水分が凍り、霜を作り出していた。
階段の終わり、そこに到達した俺たちは開けた空間へと躍り出た。
卒業戦で使用したコロシアム程度の広さを持つその空間では、雪が舞っていた。床も、壁も白で塗りつぶされているが、ある程度の高さより上は本来の壁の色をしている。もしも雪が地上から生まれるのならこのような光景が見られるのかもしれない。
そしてそんな空間で俺たちが目にした物は凍り、粉々に砕けた多命の賢者と、それを踏みにじる童女の姿だ。
「なるほどの、彼奴はああして屠れば良かったのか」
童女は俺たちが追い付いたことに気付いていないのか、執拗に多命の賢者を砕いていた。童女の背には氷の翼が生え、そして右肩から手の外側にかけて凍っていた。
「何、してるんだ?」
俺たちが見ていない間に、何があったのか。それも尋ねる意味で俺は訊いた。
「あれを見ろなの」
童女を覆うようにして作られた氷の腕が一方向を指した。周囲は完全に白銀の世界と化していたが、ある一定以上奥まったところからは、元広がっていたのだろう空間が見えた。
「なんだ? あれ」
自分の声が震えるのを感じた。ガラス容器の中には気泡を発生させている液体、そして裸体の人間の姿がある。しかもただの人間ではない。
「サラス、副団長?」
ライナが呟く。もちろん俺たちの既知の人物が納められているのも驚きだが、それよりも遥かに俺たちの不安や嫌悪感といった類の情を動かしているのは、量だ。
サラス、サンジその他見知った者見知らぬ者、それらが大量に居た。それも、一人が何人もだ。全く同じ顔、身体的特徴を持つ者が何人も居た。それは酷くおぞましい光景だった。
「なんなんだよ、あれは」
ライナの声には誰も答えられないと思った矢先だ。童女が一際強く多命の賢者の欠片を砕く。
「複製人間なの。少なくともこいつらはそう呼んでたの」
科学というものは、人間も作れるのか。そう背筋が震えた。
「察するにマリアを作ってやろうとでも口にしたか、愚かじゃな」
魔王が粉々になった多命の賢者を見る目はどこか哀愁を漂わせていた。声調こそ乾いていたけれども、その目は今ここで見られる情景を映していないだろう。
「それくらいなら半殺しで勘弁してやったの」
「……すでに製作済みじゃったのか?」
首肯すると共に童女の氷の腕が周囲を指示した。雪に覆われているその下が今はどのようになっているのかを俺は知らない。だけど、童女の性格から察するに全ては破壊されているのだろう。
「なんか意外だな。魔族なら気に入ったものが手に入るに越したことはないって価値観だと思ってた」
もしも俺が死別した両親を作ってやろうと言われたらいらないと答えるだろう。どういう出来なのかは知らないけど、例え記憶や性格全部が全く一緒の両親が作れたとしても、俺はそれに納得がいかないと思う。だけどそれは俺に限らず人間はそう感じるはずだ。作れるものは、所詮作られたものであって、それ自体がそう在ろうとしたものではないのだから。
「人間共は人間とそれ以外で区別し過ぎるのじゃ。加えてその定義は曖昧で、流動的。もっとも後者は魔族もじゃがな。要はじゃ、気に入った者はの、その死すらも愛おしく思えるのが魔族じゃ」
俺の質問に対する答えとしてはちぐはぐで、俺が口にせず頭で考えたことに対する答えとしては少し理解が難しかった。
「よく、わからないな」
素直にそう言うと、魔王は無感動にただ目を閉じるだけだった。
「勇人」
この場においてただ一人寒さに震えているライナが、一点を見開いた目で見つめていた。その視線を追い、俺は地面がなくなったかのように思えた。そこにはより多くの機材が取り付けられた容器があり、そしてその中に俺の複製人間がいた。
「おいおい、複製人間ってのはゼロから作り出せるのか?」
自分の口から随分と乾いた声が出る物だと、妙に客観的になっている自分がいる。
「それはどうかの。無から有を生み出すことを難しいとは言わぬが、似すぎじゃ。おそらくこの複製人間共の元となった人間は身体の一部を採取されておるのじゃろう。そうでなければ外見的特徴が一致するとは思えぬ」
身体の一部を採取された覚えはなかった。しかし魔王の言葉には筋が通っているように感じられる。
「燃やしていくかの?」
漂う魔王が流し見るようにして俺へとその視線を注いでくるのに、俺は首を振って答えた。
童女が深く息を吐くと、その身を包んでいた氷の鎧に翼が崩れ、床に落ちる。まだ空気は冷たくはあったが、これ以上冷えることはなくなっただろう。
「行くか」
ライナは俺、そして童女へと順番に顔を向けて短くそう言った。
異を唱える者はなく、複製人間の入った容器を尻目に俺たちはその空間を横切る。入って来たところを除けば出口は二つあった。誰に対しての物かわからないがそれぞれプレートが掛かっており、それぞれ実験室、倉庫と記されている。俺たちは誰と示し合せることなく実験室へと向かう。
「爆弾が倉庫にあったかもしれねえけど」
後ろ髪引かれるようにして倉庫の入り口を振り返るライナだったが、万一のため一人で行くつもりはないようだ。それにもしあったとしても俺たちがその爆弾をどうにか出来る保証がない。それなら実験室に資料でもあれば見つけ物ということだ。
実験室を前にした俺とライナは顔を見合わせ、それから深呼吸をした。ライナは全身鎧と鞭を生み、俺はただ全身に錬気を広げる。そして童女だけが無防備に研究室のドアを蹴破った。
「ひぃっ! きょ、今日は来客が多いねえ」
研究室は養成校で座学を行う教室程度の広さだった。ただ机や椅子の代わりに大量のよくわからない機材が壁に沿って所せましと並べられ、通り道として開けている場所を除いて床が見えない。
そしてその通り道に今は一つの遺体が横たわっていた。生前賢王と呼ばれていたそれを見ていると、片側にだけレンズがはめ込まれている眼鏡をした男が、その虹色のレンズを光らせる。
「残念だったよぉぉ。今度こそ新しい身体に新しい僕! そうなると思ったのにぃぃぃ」
問い詰めようとした時だ。童女が駆け出し、佐伯の顔面を殴りつけた。
「ぴぎぃ!」
佐伯は奇声を発した。しかし、それだけだった。童女がその細腕を振り切った後にいつも見られた破壊の後はない。ただ佐伯は奇声を発したのち、何故かくるくるコマのように回り、その場へと崩れた。
「ひ、酷いじゃないかぁ、い、痛いぃ。ぼ、僕はね、そんじょそこらのオタクと違ってね、ロリコンじゃないんだよぉ。小さなおててで紅葉作られちゃったよわぁーいなんて喜んだりしないんだよぉ」
よくわからないことを言う佐伯に対し、童女はのしかかり拳を振り下ろす。何度も何度も佐伯を童女は殴打し続けて、そして顔を顰めた。拳を擦るように撫で、そして拳を見下ろす。
「げぶう。も、もう許さないぞぉ」
そう言って佐伯が何かを叩くように宙で指を滑らせた。その次の瞬間、童女はどこからともなく現れた網に掬われ、そのまま捉えられてしまう。もがいてはいるがもがけばもがくほどその網が絡まり、最終的には童女は身動ぎ一つ取れなくなった。
「何を遊んでおる、落涙」
「耄碌し過ぎなのご老体」
その言葉を受けて俺自身、今ようやく気が付いた。ライナの全身鎧も鞭も霧散しており、俺が練っていた紫色の錬気も今はなくなっていた。賢王の遺体に気を取られ過ぎていた。もう一度錬気を始め、そして失敗する。
ライナへ視線を流すとライナも同様に焦燥を浮かべていた。
ライナが錬気をし損なうことはあり得ない。だからこれには理由があるはずだ。俺は顔を上げ、童女を見た。おそらく彼女も同様なのだろう。
「きき、君たちもぉ」
佐伯が再度宙で指を滑らせる。足元から生まれた網を飛び退ることで逃れようとしたが、網の範囲から離れることが出来なかった俺は足を取られ、そのまま宙吊りにされた。
ライナは上手く網を逃れたが、機材を踏んでしまいバランスを崩し、取り直そうとまた足元の機材を破壊してしまう。機材には空洞もあるらしく、耳障りな音を立てた。
「ひぎぃ! き、気を付けてくれたまえぇぇ、そんな些細な機材でも僕が一から作らなきゃならないんだよぉ、そこのところわかってるのかい、きみぃぃ!」
網が何もない空間から生まれるようにしてライナを捉えようとするが、ライナは捕まらない。勘と錬気に頼らずとも高い身体能力を駆使し、逃れ続けた。
「これだからスポーツマンは嫌いなんだぁぁぁ! この野蛮人め」
そう叫び、佐伯は両手で複雑な動きをして見せた。これまでが指三本でそれぞれ見えないスイッチを押しているのだとしたら、両手の指全てを用いて鍵盤を叩くような動作だ。
そして最後に大きく宙を指で叩く。
網が生まれるのと酷似して、黒い靄が生じ始める。
黒い靄に、双眸のような灰色の光。赤の絵の具を塗りつけたような光。
靄が晴れ、姿を現したそれは膜に覆われていた。
その上半身は直立する山羊、そして下半身は馬。全身に銀色に輝く鎖が巻き付いている。
「ぶう、ぐぉぉぉぉぉん」
その雄叫びは、空間を震わせライナを機材共々壁に打ち付けた。
宙吊りになった俺の間近で、魔王が笑みを浮かべた。口が裂けたように大きく歪み作られた笑み。
「おった。やはりおったか、深淵」
背に滲んだ汗が、首元まで流れて来た。
壁に激突したライナは肺の空気が逆流するような音をさせ、間もなく網で捉えられる。
頭を強打したのか、ライナは抵抗らしい抵抗もなく天井に吊られた。
「ふぅぅ、これで静かに研究を続けられるよぉ。そっちのロリ子ちゃんはあれだねぇ、魔族かなぁ?」
網が蠢き、ミノムシのように顔だけ出された童女が唾を吐き出す振りをした。
「気持ちの悪い呼び方をするななの」
身体を動かそうとしては揺れるだけで、眉間には皺を寄せている。
「無駄無駄無駄ぁ、その網はこの深淵の魔王を捉えた網なんだよぉぉ。歴代最強と言われた魔王を捕まえたその網、魔族じゃあどうも出来ないよぉぉ」
宙吊りにされたまま、頭に血が上って来たのかどうにもぼうっとする。
「魔族じゃなきゃなんとかなるのか?」
「ひぎぃ! そんな責めるような目をするなよぉぉ。仕方ないだろうぅ? 魔族を捉える拘束具が欲しかったんだからさぁ。僕は一発明品に一目的しか込めない! これが科学者の美学ぅぅぅぅ!」
「素朴な疑問なんだが、俺とライナは魔族じゃないぞ」
一目的なら魔族を捉えるだけじゃないだろうか。そんな疑問がぼやけた思考の奥で生まれた。
「ぷぎゃぁぁぁぁぁ!」
電撃に打たれたように佐伯は痙攣し、元より濁った目をさらに濁らせ、それから白目になった。
「あ、ああ、あぁぁぁ……」
網の拘束が解け、俺とライナは機材の上に降り立つとまたそれが砕ける音がした。ただ拘束が解けたのは俺とライナだけで、童女は変わらずミノムシと化していて、その唇を尖らせている。
「深淵んんん、出番だぁ」
虹色のレンズに光を反射させ、佐伯は天を抱きしめようとするように腕を開く。その動作と声に反応してか深淵の魔王が馬の下肢を走らせ、迫る。じゃらじゃらと深淵の魔王を覆う鎖が音を立て、山羊の頭部が興奮を表す白い息を吐く。
錬気を身体に広げるが、広げた端から霧散していった。視界の端でライナも同様の状態に陥っているらしく冷や汗を流している。
深淵の丸太のような腕が迫り、死を覚悟した。錬気なしで受けるには重量も速度も高過ぎだ。
深淵の拳が頬に触れ、そのまま振り抜かれた。首から嫌な音がしたのを体内で感じ、そしてその声が耳に届く。
「小僧、これが最後じゃ。代わるぞ」
俺は幽世で漂う幽体となり、俺の肉体は魔王と代わるには遅すぎたのか、首を百八十度曲げていた。
「ようやくじゃ。一心、貴様の策、ようやく破ったぞ」
人体であればあり得ない真後ろへと首を向けたままの俺の肉体が言う。
肌は黒く、その目は夕日よりも赤く輝いている。そのあんまりな光景に、俺は無許可で身体へ乗り移られた事に対する疑問を、口にすることが出来なかった。
鈍い音と共に首が元の方向へと戻り、その顔は俺からは見えなくなった。
「ひぎ、君、君は、灼眼じゃあないかぁ!」
「久しいの、佐伯」
虹色のレンズを輝かせ、そして濁った瞳は歓喜でくすんだ光を浮かべている。
「一心、一心と言ったねえぇ。あの極悪錬金術師に何をされていたんだい可哀想に。ああぁぁぁ、みなまで言わなくていいぃ! 僕は信じていたよ君が死んだはずがないと信じていたよぉぉぉぉ!」
涙を滝のように流しながら佐伯は不可思議な踊りをしている。
「のう佐伯」
「何だいぃ? 何でも言ってくれよぉぉ。百年振りの再会だ、何でも聞こうじゃあないかぁ」
一体どんな関係なのか、佐伯が灼眼の魔王との再会を喜んでいることはありありとわかった。
「あの娘を造ったのは貴様かの?」
「あの娘え? ああ、あああぁぁぁ。あの結晶っ子かいぃ? 残念だ、実に残念だよぉ! アレは僕じゃない。僕の科学は一心の一族の錬金術にある意味で後れを取っているんだぁぁ! 悔しい! 実に悔しいぃぃぃ!」
佐伯が頭を抱え転げまわり、床に散らばる機材を破壊していく。
「そうか、ところで佐伯。我はあの娘を屠りたいのじゃが、何か手立てはあるかの?」
床に転がったまま、上半身だけを起こした佐伯は、思案して見せたのち、ため息を吐いた。そして濁った瞳をわずかに細める。
「アレは錬金術の最高傑作だよ。今の僕にはアレをどうこう出来る理論は思いつかない。君の仕留め損なった深淵は大いに役立った。だがそれでも僕はまだ錬金術を超えられない」
伝えきったのか、佐伯は頭を振った。
「そうか、ならば終いとしよう」
佐伯が真意を質そうと口を開いたその瞬間、彼はその形の炭と化した。一瞬だけ見えたのは青い炎だった。
主を失った深淵が雄叫びを上げ、研究室が揺れる。
全身から紫の錬気を噴出し、暴力の化身となった深淵が駆け、そして剛腕を振るう。
その剛腕が刹那に赤い粉となった。
「ふん、佐伯め。何が異界化じゃ。綻びだらけではないか」
俺の肉体から淡い六色の光と、濃い紫の錬気が立ち上る。
幽体となり、ない喉ではあったが、喉が鳴る思いだった。
「ぶふー、ぶふー」
深淵の荒い鼻息は興奮からなのか苦痛からなのかもうわからなくなっていた。
「偽りの大魔王よ。近しき者としてその役目に終止符を打とう」
わざわざ鏡の前で憐憫の顔など浮かべはしないだろう。だからそれは俺が初めて見る俺の表情だ。
魔王の周囲に、青い火の粉が舞う。それは明滅を繰り返し、それが見た目通りの火の粉ではないことを報せた。
魔王は天井を仰ぐと、深淵に向き直った。
それからは時の流れが乱れたような戦闘が繰り広げられた。
深淵が雄叫びと共に魔王へと肉迫すればその肉体を食われる。
深淵が距離を取れば取った分だけ魔王が歩み寄り肉体を食む。
深淵がその瞳から光線を放てば魔王が握り潰す。
大魔王と呼ばれた深淵は、魔王を前になす術がなかった。
気づけば深淵は残すところ山羊の頭部だけとなっている。本来あった肉体は今、その多くが魔王の腹の中だ。
「ようやく十割じゃ」
そう口にすると魔王は山羊の頭部を放り投げ、捨てた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます