第11話

 俺たちは、誰とも出会うことなく王城の正門前までやって来た。

 警戒し、潜みながら進んだが全くその甲斐はない状態だった。正門前の門番すらいない。

 ただ、当然正門は堅く閉ざされている。


「この位の高さなら、跳び越えられそうだな」

 今の俺は、魔王の錬気を用いてそんじょそこらの元勇者とは比べ物にならない身体能力を発揮出来る。

 借り物の力というのがなんとも情けない話だが、そんなつまらないプライドは犬にでもくれてやる。


「何かあるのならここから先じゃろうの。よいのか、小僧。我と代わっておらんで」

 今さら変わるメリットはほとんどないだろう。俺としてはもの凄くくだらない出来事で運よく力を得たものだ。

「行くの」

 そう言って童女が先行した。正門の上に乗った彼女を追う。


 即座に罠が発動するかと思ったが辺りは変わらずしんと静まり返っていた。

「無人?」

 そんなバカなと思いつつも、呟く。それを否定したのは童女だった。


「いるの。でも……」

 童女が鼻を押さえ、顔を歪めた。

「臭いの。とても不愉快なの」

 鼻を押さえているせいでくぐもった声になり、すこし面白かった。


「どこから?」

 童女が指差した先は、謁見の間、その隣室だ。

 俺にはその部屋が何の部屋かはわからない。しかし他にあてはない。


 警戒するが、やはり無音だ。

 気を取り直して窓際まで飛ぶ。すると、俺の嗅覚でも件の臭いを捉えた。

 きな臭い。何が燃えればこんなに鼻を突く臭いになるのだろうと思わされる。

 なるべく音を立てずに窓を開け、侵入した。


 そこは誰かの寝室のようだった。調度品は少なく、中央に天蓋付きのベッド、その脇には丸テーブルと椅子。

 それくらいしかない。臭いの元を辿ると、ベッドからだ。

「早くなんとかするの」

 童女が耐え切れないと窓の外から苛立ちを見せていた。それに背中を押されるようにしてベッドの横に立ち、俺は悪臭の元へと視線を落とし、固まる。

 それは両目を見開き、口から舌を突き出すエレンシア王の姿だった。その頭部は縦半分に割れ、中にあるはずの脳の代わりに、見たことのない金属板が無数に張り付けられている。


「何しているの?」

 外から童女の声が聞こえてくる。そしてそれと同時、廊下側から複数人の話し声が聞こえてきた。慌てた俺が隠れた先はベッドの下だ。

「何しているの?」

 先ほどとは違った意味合いで童女が尋ね、そして寝室のドアが開き始めた瞬間、彼女は物影へと姿を消した。


「賢王さまー、新しい脳みそですよー」

 聞き覚えのある声だった。その声調は下卑たもので、記憶の中の声の主とは結びつきにくい。

「しかしこんな板切れの中に脳みそが入ってるとかよくわかんねーよなー」

「だなー、俺もよくわかんね」

「おいおい三席さま。しっかりして下さいよ」

「サ・ン・ジだ。今度そんな呼び方したらただじゃおかねえぞ」

 やはり間違いなかった。声の主は同期で三番目に優秀だったサンジだ。


 それから三人ほどの男たちは、ベッドの上で何かを弄繰り回していた。

 そして間もなくしてからだった。

「ご苦労ぉぉぉぉ」

 王の声だった。しかし酷く違和感がある。

「どうよ? 新しい身体は?」

「いいよおー、これで国庫の金使いたい方だああい」

 ベッドの上で立ち上がり、その上で跳ねまわっているのだろう、その下にいる俺の傍で埃が舞ってくしゃみしそうだ。


「前の身体はどうするんだ?」

「ああれえわねえ。スペアは団長殿の身体があるからああ、いらない!」

「あんた仮にも自分だった奴の死体みて何とも思わないのか?」

「いらないいらないいらなああああい! そんなまともな感性は、科学者にとってええええいらなああい!」

 何か呆れるような空気を肌に感じた。

 そして気づけば、背中に冷たい汗が浮かんでいる。その理由はわからない。


「それじゃ始末してくるから。あんたも早めにサポートシステムとかいうの突っ込んだ方がいいんじゃないか? 賢王の見る影もねえぞ」

「ごちゅうううこくう、かんしゃああああ」

 そして、寝室から全員出て行った。しばらくじっとしていたが、物音がすることはなくなり、そこで俺はようやく埃っぽいベッドの下から転がり出る。


 ベッドの上には、誰もいなくなっていた。


 冷えた血では、俺を上手く機能させることが出来ないらしい。ばかみたいにベッドを見下ろしたまま固まってしまう。そんな俺に熱を加えたのは魔王だった。

「落涙が入ってこんの」

 そうだ。何かあったのだろうか。俺はそんな心配と共に窓へと足を進めた。


 窓の外には相変わらず静寂が広がっていた。

 月明かりが生んだ影は真っ黒だ。

 夜行性の動物の息吹も感じられない。


「にゃ~ん、なの」


 どこからか、愛玩動物めいた鳴き声がした。

 それ自体は見事なものまねではあったけれども、残念ながら特徴的な語尾が台無しにしている。


「何してるんだ?」

 どこから声がしたのかわからない手前、俺もどこへともなく語り掛けるしかなかった。

 何かを考えているような時間が少しだけ流れ、童女が姿を現す。

「中の様子がわからなかったの」

 相変わらず無表情で半眼なのだが、不思議とどうしてばれたのかという顔をしている気がする。

 あまり深く追求すると歓迎したくない光景が見えるだろう。


「我も内からは落涙を感知できなんだ。何らかの結界やもしれんの」

「なの。それで、中では何があったなの」

 あらかた伝え終えると、童女が魔王と目を合わせた。


「科学者、確かにそう言ったの?」

 肯いて見せると、童女は顎に手をやり記憶を探るように一点を見つめ告げる。

「科学者。奇声を上げながら世界を解明し、己が理想のために世界を改変する存在なの」

「貴様が親しくしていた異界人の知恵かの?」

 童女は、軽く首を縦に振って見せた。

「マリアなの。マリアが知ってる科学者は『ひら……めいたぁぁぁぁ』とか言いながら研究室とかいう特殊空間でやたらと物音立てながら妙な物を作り出す変態らしいの」

「落涙、その異界人の話は話半分に聞けと言うとるじゃろうが」

 魔王は、胡乱気な目をしていた。


「お前はどうしてそのマリアさんの話を信じてないんだ?」

「彼奴の話を信じるならば異界人はとうに滅びておるからじゃ。やれスイッチ一つ押せば子供でも国を滅ぼせるじゃの、人の身体を機械などという物と合わせ不滅の肉体にするだ――いや、待て。まさか、の」

 それきり魔王は口を閉じた。出来れば気になったことを教えて欲しいが、今は邪魔しない方がよさそうだ。


「具体的にその妙な物ってのは何だったんだ?」

「火を使わない灯りだったり動く大きな人形だったり弓より遠くの敵をより強く攻撃出来る武器だったりとにかく存在する意味がわからない物なの」

 確かだ。別に火を使った灯りを使えばいいし、遠くの敵を攻撃したければ錬気を使えばいい。大きな人形に至っては存在価値がわからない。


「その変態は何が目的なの?」

「俺に聞かれてもわからないって」

 俺が魔王に乗っ取られるように賢王さまはその科学者に肉体を奪われたのだろうか。

 しかし当事者ではない俺には幽霊みたいになった賢王さまの姿は見えない。


「なあ、賢王さまは――」

「――死んでおるよ。我が幽世に居るのは以前話したと思うのじゃが、我がこの形態でおる以上幽世に存在する物は知覚出来る。じゃが、付近に王の姿はなかった。既に消滅しておるのじゃろう」

 相談のつもりだった。だけど、魔王の言葉は解答そのものだ。


「じゃあひょっとしたら勇者制度を崩壊させたのもあいつじゃ」

「それはないじゃろう。先ほどの光景から察するにエレンシア王が肉体を奪われたのは今宵じゃ。目的は国庫じゃと言っておったし何らかの理由で金が必要なのじゃろう」

 なんのために金が必要なのか。そう疑問を覚えたところで俺は一つ気付いた。


「なあ、例の科学者ってのは随分前から居たんじゃないのか? そんで妙な物を作り続けた。それで財政が悪化して金食い虫の勇者制度を止めた。ついでに科学者も予算を減らされて賢王さまは殺された」

「ほう、小僧にしては中々な推理じゃ。じゃが、今それの解明に意味はないの」

 確かに解明したところで魔王たちには関係ないだろう。こいつらにとっては勇者制度の崩壊も、賢王さまの死も何ら意味を見いだせない。そして俺自身にとっても今はさほど意味がなかった。少しだけ、人類に見放された現実から目を背けたかったのかもしれない。


「それはそうとこの先どうするなの?」

 どう、とはなんだろう。そう疑問符を浮かべていると童女が半眼の目をさらに細めた。

「城を消し飛ばせば科学者とか何もかも終わりなの。灼眼の右眼持ちは死なないしで私もあなたもハッピーなの」

「だから迷惑を被る奴が――」

「――人の世に見放された奴が何を慮っているなの」

 耳に痛い言葉だった。


「お前は人からは魔、魔からは半魔と受け入れられない存在なの。そんな存在が人の世を慮る。滑稽なの」

「別に俺が人間だと思っていれば俺は人間だ。だから人の世の迷惑を考えて何がおかしい」

「あらあら、本当に人の世を考えているのならばお前は今すぐ死ぬべきなの。かつて人の世を混乱に陥れた灼眼の魔王を身に宿したお前は人類の天敵である灼眼の魔王を滅すべく死ぬべきなの。何故お前はまだ生きているの?」

 返す言葉はなかった。俺は春奈に助けられるままに今の今まで生きてきた。かつて人類を窮地に追いやった魔王を身に宿し、人類の代表たちからは明確に剣を向けられたのにも関わらず。もしも人類を第一に思っているのならばなるほど童女の言葉通り俺は死ぬべきだ。

「別に俺が嫌われ者だからって嫌ってくる人間を嫌う必要はないだろ。そういう奴らを好きになるつもりはないけど好き好んで迷惑をかけたいとは思わない」

「自分勝手な理屈なの」

「それを魔族が言うか?」

 童女が目を丸くし、次いで魔王の笑い声が上がる。


「落涙、墓穴を掘ったの」

「うるさいの、ご老体。それで弱ちゃんのなまちゃんは私の最も優れた案を受け入れずにどうするつもりなの? とりあえずはお前の祖父とやらの遺産のため聞いてやるなの」

「春奈の手掛かりを探す」

 他にもやること考えることはたくさんあるが、まず最優先事項はそれだ。


「それが最優先事項なの?」

 首肯して見せると、童女がこれ見よがしに肺の空気を出しきるようにして息を吐く。

「人の子と我らとでは価値観が異なるのじゃよ、落涙」

「もうめんどくさいなの。メリルまるごと滅ぼしたくなってきたなの」

 なんだよ。そう俺がもらした不服に、答えが返されることはなく、俺たちは王の寝室と思しき部屋を後にした。


 王城内部は酷く静かだった。見張りも居なければ女給の姿もない。深夜ではあるがそれでもこの光景は異常だ。途中あまりにも人の気配がしなかったので近場の部屋を窺いもしてみたが結局は空振りだった。何人もいるはずの勤め人が、一人もいない。


「どういうことなんだ?」

 俺の問いに二人の魔王は答えない。童女はどうでもいいと言うようにどこを見るでもない視線のまま足を進め、俺の横を漂う魔王は思案するように短い腕を組み、目を閉じていた。

 静寂が王城を包んでいた。童女は元より足音をさせたことなどなく、俺は錬気で足音を消している。魔王に至っては幽体であり、音の立ちようがない。


 俺たちが侵入した階には春奈の手掛かりは何一つなかった。そして慎重に階段を下る。王城の階段だ、本来なら晴々しい気持ちで上り下りするものだ。勇者として褒賞を受ける、君命を賜る、謁見する。そんな名誉ある事柄でしか王城へ出向くことはないはずだからだ。

 しかし今は陰鬱な気持ちしか俺にはなかった。地獄へと下っていく階段にも思える。


「居ったぞ」

 魔王の短い言葉と共に周囲を探るが、人の姿はない。もちろん魔物の姿もだ。

「何がだ?」

「娘じゃ。深いの、階層で言えば地下十階といったところじゃろう」

 何かの間違いだと思った。王城に地下は二階層しかないはずだ。察したのか、魔王が言う。

「まず間違いないじゃろう。我の右眼を感じる」

 そういう物なのだろう、そうなれば信じるに値した。しかし問題はどう地下十階まで辿り着くかということなのだが。


「おや、灼眼の魔王さまじゃないか」

 壁から首が生えてきた。情けなくも声を上げてしまうとその首は満足気に頷いて見せた。


「なんじゃ、貴様は」

「おや、つれないなあ魔王さま。あんなに激しく戦ったというのに」

 その首は、幽世にいる魔王と難なく会話をしている。明らかに人ではないことがわかった。


「多命の賢者って呼ばれてた僕ですよ僕」

 灼眼の魔王戦において何百回とその身を盾とし殺され続け、ついには絶命したと言われる賢者だ。その能力は複数の命を持つと言われていた。事実数多の戦において何度首を落とされようとも再び戦場に姿を見せたという伝説がある。何故その賢者がここにいるのかという疑問は口に出来なかった。

「記憶にないの」

「あ、本当に。酷いなあ人のことあんなに何回も死なせておいて覚えてないとか」

 多命の賢者が消沈して見せた。かと思うと歯をむき出しに笑う。


「魔王さま、ちょいとご相談があるんですがね。あらかじめ言っておきますが魔族にとってもいい話ですよ。近頃魔界に人が進行しているでしょう?」

 魔王は端的に知らんと言った。引き継いだのは童女だ。半眼ながら鋭い目つきに、多命の賢者は一瞬怯む。

「ちょちょ、僕もうこの幽体分の命しかストックしてないんで勘弁してくださいね。いい話ですよ、聞いて下さい。ぶっちゃけ僕の遺体を処分して貰えませんかね?」


「それのどこがいい話なの?」

 何故私が人間ごときの頼みを聞かねばならない。そう童女の目が語っている。

「ちょちょ、最後まで聞いて下さいよ。実は王城地下に科学者がいてですね。これがまた凄腕なんですよ。僕の遺体の一部を使って僕の能力を複製しちゃうんですよねー、もうね、あれ。死なない兵士大量生産。いや現実には死ぬんですけどね。ただ限りなく不死身。なんていっても命のストックある限り死なない」

 自身の能力を誇るように彼がまた歯をむき出しにした。


「科学者ってのはそんなことも出来るのか?」

「おや、一心いつの間に若返ったんだい?」

 軽い。調子に引きずられて頭まで軽くなっているのではないかとも思ったが、彼は即座に頭を振って、真実を見極める。

「孫か。斑点模様の肌がかっこいいね。半魔になっちゃったの? ああいやあごめんごめん。それで質問の答えだ。あいつは出来る。残念ながら僕らはあの難易度の科学は理解出来ないからね、僕らは出来ない。あいつが言うには科学はなるべくしてなる現象を引き起こす物らしいんだけどね、僕らからしたら魔法だよ魔法。知ってる? 魔法」

 簡単に言うと世の中の理から外れた現象を引き起こす物だ。……そう言えばマリアさんとやらは科学者を魔法使いのように表現していたみたいだと今更ながらに思う。


「さっきからあいつあいつ言ってるけど科学者と知り合いなのか?」

「知ってるよ。だって僕と同じ始まりの異界人だからね。わかる? 最初にメリルに来た異界人」

 開いた口が塞がらなかった。まさか百五十年も前の異界人と今出会うとは思ってもみなかった。

「それで弱ちゃんの遺体をどうにかすればあの目障りなのは魔界から消えるの?」

「少なくとも新しいストックは出来なくなるだろうね、まあ後は魔族がそいつらを殺しつくせば終わりだよ。灼眼の魔王さまが僕にしたみたいにね」

「わかったなの。それで何が目的なの?」

 童女の疑問ももっともだ。死ににくい兵を作らせなくすることでメリットを得るのは魔族側であって人にとってではない。人側に属する賢者がただそれを提案するとは思えなかった。


「ちょちょ、そんな警戒しないで。まあ魔族や半魔には関係ないだろうから言っちゃうけど。ストックってぶっちゃけメリルの原住民が材料なんだよね。んであいつ最近使い過ぎ。さすがに僕らを崇め奉ってくれた原住民が可哀想になってきたって訳よ」

「……お前、崇め奉ってくれた人間を殺したのか?」

 身体が少しずつ熱くなっていく感覚だった。


「使ったと言ってくれよ。苦渋の選択だったよ、何せ深淵の魔王とかいうバカ強い魔王と戦ってたんだ。僕らがまだ勇者と言われていた最強の時代にあっても命が一つじゃ足りなかったんだよ」

「戯言を言うでない。保険が欲しかっただけじゃろう。必要以上に使っておいて苦渋の選択? 笑わせおる」

「否定はしないよ。でも僕ら全員深淵に何度か殺されている。使わなかったら全滅していたよ。というか魔族にとっても僕らは恩人じゃないの? 灼眼の魔王さまだって当時は敵わなかったんじゃないのかなあ」

 童女が床に唾を吐き捨てた。


「うわ、君マリアみたいなことするね。ダメだよ女の子が――」

「――その口から云々を垂れる前に三つ考えろなの。一つ、それは私のためになる話か、二つ、それは私を讃える話か、三つ、私の不興を買って死んでも後悔しない発言か」

「君、マリアそっくりだね。悪かったよ。生意気言ってすみませんでした。殺さないで下さい。靴でも舐めましょうか?」

 童女が足を一歩前に踏み出し、多命の賢者は言葉通りに舐めて見せた。

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